恋をした。


 とかいうのは実は嘘だ。
 ただ、「恋をしているあたし」とかいうのが、とてもどこかがなんとなくなのに輝いている気がしてそれだけで嬉しかった。でも現実はそんな甘くなんかなくて、あたしの好きな人なんて簡単にはできない。かっこいいとか、かわいいっては、あたしだってちゃんと思うときもある。だけど「好き」にはならないのだ。
 これなら惚れ症がある方がまだ良い。あたしには一目ぼれなんて分からない。片思いって分からない、もちろん両思いなんて謎の奥の、謎だ。きっとこの恋は通学ラッシュで椅子に座れた時と同じ感じ。うん、よくわかんないや。

 だからあたしはとにかく、「恋をしているあたし」が見てみたくて、お友達の弥子に「恋をした」と言ってみたのだ。いつもは食に気が傾いている弥子だけれど、やっぱりそこは花も恥らう女子高生。それを言うとすぐに誰かと問われた。
 (あ、そういえば誰にしよう。)と私は考える。有名人は駄目だ、軽く流されちゃう。クラスメートも駄目だ、本気にされるといろいろと困ることがある。先輩も駄目だ、まず交流が無いから名前も分からない。サッカー部の先輩、とか言って本当に見たときに良い人がいなかったら困る。架空の人もどうだろう。いまいち自分の好きなタイプが分からないから、「どんな人?」と聞かれたらどうしようもない。
 それじゃあ、会う回数も少なくて、それでいて弥子も知っている人。(あ、いた)

「ネウロさん」

 というのは「女子高生探偵・桂木弥子」の助手だ。年がら年中と言えるほど優しそうな笑みを浮かべて、いつも弥子の隣にいる。というのはよくどこか、街で弥子を見かけるといつも隣にいたからだ。背がとっても高くて(私が平均よりちょっとだけ小さいからもしかしたら全然高くないかもだけど)、風にふわりと舞う黒髪と、不思議な黄色のメッシュが目を引く。(初めて見たときはどんな不良かと思って腰抜かしそうになったけど)(あれ?私本当にネウロさんにして良かったのかな)

 それを言うと彼女はすごい驚いた顔と、すごいありえないという顔を混ぜたような顔をした。(うん、よく分かんない)でもネウロさんって、背高いし、顔も良いし、優しいし、なかなかの人だと思う。変な言い方すると最高の物件だ。つまり「恋するあたし」にとってはかなり良い具合だ。いい具合に、叶わないし。

……あの……ネウロは止めたほうが……」
「え?……どうして?」
「う、………言葉で表しずらい……」
「……。でもあたし、ネウロさん……好き、だから」ここでちょっとだけ目線を下げてみると、本当にそれっぽいなって思った。
「…………」

 それから、あたしは「ネウロさんに恋するあたし」を演じようと、思ったのだ。なんて簡単な理由だ。

 恋をするあたしは多分いつもより可愛いんだと思った。だって、好かれようとして自分のスタイルを気にしてみたり、毎日何が起こるか分かんないから制服であろうと私服であろうと自分らしさを忘れないでがんばってみたり、昨日なんて毎日食べているお菓子の習慣をやめてしまった。かわいい。それから、ちょっと苦しかったけど。

 それからあの暴露から数日経った今日。学校帰りで塾に向かっている途中、街でネウロさんと弥子を見かけた。

 もちろん本当にネウロさんのことが「好き」とかそういう訳ではないので、そのままスルーをしようとしたら弥子があたしを見つけた。
 そして、あわただしくネウロさんの背をあたしと逆方向に向けて押すというオーバーリアクションに出た。きっとネウロさんとあたしと合わせないためなのだろう。なんというか、申し訳なかった。本当に好きってわけじゃないの、と言おうにも言えない。しかし弥子はどうしてあんなに必死なのだろう。

「先生?どうしたんですか。頭に蛆でも沸きましたか?」
「いッ痛い痛い!頭放して!いいから行くの!」

 明らかにあたしを意識されている。あたしはしょうがなく構ってオーラを醸し出しすぎの弥子に寄った。とびきりの笑顔とのハッピーセットだ。

「やーこ!なにしてるの?」
っ……!きょ、今日は良い天気だね!」
「……うん。そーだね、……良い天気」
「全く先生ってば、いきなりどうしたんですか?」

 ネウロさんはそう言うと、弥子の肩を叩いた。(ちなみに今日の空は曇り模様だ)やっぱり、ネウロさんは優しい。女性に対して、というか物腰柔らかな紳士という感じ。弥子は悲鳴を上げて肩を抑えているけどどうしたんだろう。

「ネウロさん、こんにちは」
さん、お久しぶりですね。こんにちは」

 正直のところネウロさんは好きだけど、その、多分、「好き」じゃない。弥子と同じような好き。異性として、とかじゃなくて友だちとしての好き。ずっと一緒に居たいけど、それからなにかをしたいと言う訳じゃない。(……あれ?)それじゃあ「好き」ってなんだろう。友達と話しているのは、好き。一緒に出かけるのも好き。くだらないことしてるのも好き、大好き。
 それじゃあ一緒にいる以上のことをしたい、と思うのが「好き」?でも、そんな事おかしいような気がする。一緒になりたい、と思うのが「好き」?けどそれを望まないカップルだって、いる気がする。「好き」ってなに?好きとはどう違うんだろう。
 ハラハラ、と考えているとなぜか急に時間が気になり、手首にある時計を見た。

「あっ!それじゃああたし、これから塾だから!ばいばい!」
「え?あ……ばいばい!」



 「好き」って本当なんだろう。考え出したらキリがない。恋愛と結婚は違うというやつに似ているのかなあ。でもそれは経済面とかの話だよね。お金持ちって無条件で憧れるけど、そう本気でなりたいとかは思ってない、かも。結婚するタイプと付き合うタイプは結構違うってこと?ネウロさんだってかっこいいとかステキって思うけど、それだけ。むしろ、かっこよすぎてあたしには到底遠い。憧れは憧れのままで充分なのだ。

 それなら「恋しているあたし」も憧れだったのかな。憧れなら確かに頷ける。好きに それだったら今すぐにでも、弥子に謝らないと。あたし、嘘吐いたんだ。しかも人の心に関わるようなこと。弥子に、弥子は。そういえば弥子は本当になんで「私の恋」に賛成してくれないんだろう。もし本当に私が好きだったのなら、一番に弥子に手伝ってもらいたいのに、それをしてくれない。弥子はネウロさんが好きなの?それは、すごく、

「…………」

 あたしは一旦ケータイを取り出したけれど、でも、こういうのは面と向かって言った方がいいのかもしれない。それにメールじゃあ信じてもらえなかったりしたら切ない。

 今時刻は先ほどの塾が終わって、夕飯を食べての午後9時、自宅にいる。あたしは弥子の家は知らないけど、事務所なら知っている。それに確か今の時間まで事務所にいるときがあるっていつか聞いたような。
 それなら全は急げだ。あたしはケータイと財布、必要最低限の持ち物を上着のポケットに詰め込んで走り出した。

 本当に、恋ってなんなの。あたしは「恋するあたし」がいればそれでよかったのに。あたしって結構自分が好きみたいで、自分をよく甘やかすのが上手だった。それなのにそんな自分に鞭うって、どうしたの。何がしたいの。恋がしたいの?そんなまさか。笑っちゃうわ。休み時間の小話には丁度いいくらいの笑い話。

「こんな……近かったっけ…」

 一心不乱に走っていたからか、いつの間にか事務所の前に着いていた。気がついてみると、結構息が切れ切れになっている。まずこの切れ気味の呼吸をなんとかしないと、話がそれちゃうかもしれない。弥子は優しい子だから、とりあえず飲むものを、とか言って飲み物用意してくれている間に私は言い訳ばかり考えてしまって、有耶無耶になってしまうかもしれないから。

 とりあえず私は階段に腰を下ろした。ひんやりとしたコンクリート。未だ真新しいスカートが汚くなっちゃうかもしれないけれど、これは辛抱するしかないだろう。

「……さん?」

 フ、と上から声がかかった。前髪をかき上げながら上を見ると、背高いし、顔も良いし、優しいし、なかなかの人なネウロさんが居た。いきなりの登場に、あたしは五秒ほど固まった。もしかしたら色々と意識しすぎてちょっぴり顔が赤くなっているかもしれない。はあ、とただ呼吸したはずなのにそれが心臓まで届く。

「あ……、えと、ネウロさん、こんにちは」
「はい。こんばんは」

 うっかりミスった私の挨拶を軽くスルーしてくれた。そりゃあもうちょっとで『夜中』という枠組みにはいる時間となるというのに「こんにちは」はないだろう。おかしいというか、変だ。さすがにぼーっとしすぎている。
 邪魔だったかな、と思い、あたしは占領していた階段から立ち上がる。立っているはずなのに、足場はふわふわしているようで、倒れてしまうかと思った。

「もしかして、先生に会いに来られたのですか?」
「……です」もっと愛想よくすればいいのに、あたしは言葉が見つからなかった。
「そうですか。ですが、残念ながら、先生なら先ほどお帰りになられたんです」
「えっ……」

 申し訳なさそうに言うネウロさん。
 どうしよう、これは大変に恥ずかしい状況だ。考えてみれば、こんな時間に家にいないのは可笑しいではないか。ちょっとは予想は出来ていたことだけど、恥ずかしい。思わずどこかから飛び降りてもいいくらいの恥ずかしさだ。恥ずか死ぬ。ここで死ぬ。

 気まずい空気があたしとネウロさん、二人の間を駆け巡った。

「あッ……そうなんですか……。そ、それじゃああたしはここで……」
さん、」

 帰ろうとする私をやんわりと止める。
 そんな声無視して、さっさと行けばいいのに、彼は事務所を指さした。

「少し、寄って行きませんか?」

 正直予想外だった。
 ネウロさんはどこか人を寄せ付けないオーラがあったから、まさかこんな展開になるなんて思っていない。あたしは、きっとこの事以外にもネウロさんの事を色々と知らないんだろう。それがあたしにとってどのくらい重要なのかわからないけれど、ここで帰らないで「はい」とちょっぴり赤くなって頷く程度には、きっと、「恋するあたし」は完成形に向かっているのだろう。



3,2,1で恋に落ちる