さんってえ、今日何食べるんですか?」

 隣のデスクの子から声がかかった。それはあまりにも今の業務とは全く関係がないし、それでいて文章がすごく変だ、と、どこか目くじら立ててしまうのはきっと『今日この日』なのが原因なのかもしれない。ただ、この発言が決して彼女が意地悪で言っている訳じゃないと分かるのは、それなりの付き合いの長さがあるからだろう。

「何も決めてない。そもそも昼遅くて食べたばかりだから、夜のこと考えられないな」
「あー、あるあるですね。何でこうも業務を年末内で終わらせようと思ってるんだか、訳分かんないです」
「本当に。年始にゆっくり確認すればいいじゃないね。……今日、いいご飯でも食べるの?」
「や、そうじゃないんですよ。私も決まってなかったので参考にしたくて」

 カタカタとなるキーボードは時たま止まり、作業も煮詰まっているのだろう。長いタイピング音が続く中、最後の短くキーが鳴ったと思ったら、とうとう彼女は肘をついて口元に手を置いた。

「駄目だ、何してるのか分からなくなってきた」

 疲れたように言うが、朝聞いた進捗からすると、難しいけれど今日ずっと画面見ていれば定時内で行けるという話らしいので頑張ってもらう他ない。私はと言うと、朝来てから先程まで無駄に客先から連絡が来てたこともあり、どの作業も中途半端な状態になっていたが、今はようやく落ち着いて捌けるようになってきた。

「夕飯のこと考え過ぎなんだよ」
「えー?そうですかねー。だってクリスマスなんですよ?」
「クリスマスなのにね」
「そう!それなんです。平日だから真っ直ぐ家に帰りたいのに、いつも通り好きなもの食べたいのに、『クリスマスなのに』それでいいのかって、どこからともなく言われている気がして何も決まらなくて!」

 嘆く彼女の叫びはなんとなく共感出来るようだった。クリスマスだからこそ、クリスマスに、なんて呪いのような言葉のせいで、どこか囚われている。ジングルベル♪ジングルベル♪とか歌う洗脳ソングがこの時期どこからともなく聞こえるのだ。
 彼女の言うとおり、それこそ好きな食べ物を選んでいればいいのだろうが、好きなものなんていつだって食べている。『クリスマスなのに』それでいいのか、と言うのは他でもならない自分自身なのだろう。過去に、鈴がなる♪と歌っていた自分が無邪気に責め立ててくるのだ。とはいえこの時期だからこそ売ってるものもっていうのも少ないし、特別感ある食べ物なんて大抵一人分じゃなかったりもする。

「いつだって好きなものが食べられるくらい、大人になってしまったんですよ私は」
「なるほど。じゃあ無難に鶏肉食べなよ。コンビニでもターキーみたいなの売ってるじゃん」
「クリスマス商戦には乗りたくないというかあ」
「もう自分自身と戦うのは辞めな……」

 そもそも、それで今日食べたいと思えるものを食べられない方がつらいと思う。そう伝えてみたところで、彼女は「だってえ」「でもお」と、駄々っ子の子供のような声をあげる。それは果たして私に相談する意味はあったのか、と思うけれど、よくある話だ。自分の中で答えは決まっているのに人に相談するタイプなのだろう。だから私が的はずれなことを言っても頷いてはくれない。不毛ではあるけれど、そもそも業務中なのだから有意義なディスカッションしたって意味がない。ただの息抜きで声を出してみてるだけだ。私も、きっと彼女も。

 考えてみなくても、子供の時はもっとずっとクリスマスというものが楽しみで仕方なかったはずだった。ケーキのことも、プレゼントのことも、思えば両方共誕生日にだって同じように貰えているはずなのに、家に飾られるクリスマスツリーの異質さや、サンタクロースという偶像の効果で、非現実的な体験をした気分になっていたのだろうか。

「ああ、そういえば私は、ケーキを何でもない日に家に持ち帰った時、大人になったなって思ったことあるな」
「あはは!今日食べてもいいんだ、みたいな感じですか?」
「かな。思えば自覚無くても何でも無い日に家でケーキを食べてた気がしなくもないけどね」

 そういえばもう、クリスマスツリーを飾ることはなくなったっけ。去年くらいまではちゃんと卓上のものを置いてはみてたけれど、今年は出しそびれていた気がする。誰に見せる訳でもないし、ただ飾るだけだから何か良いことがある訳でもない。それでいいんだけれど、どこか斜に構えたような考えになってしまっているのがちょっと寂しかった。

「はー、もういいや、チキン食べよ」
「え、それでいいんだ」
「もういいです!コンビニで余っているチキン買って、買取になるかもしれないとヒヤヒヤしているコンビニ店員の救世主になってやりますよ!」
「買取は駄目なはずなんだけどね」
「社会の闇ってやつですよ。はー今日は私と一緒に帰宅タイムアタック決めましょうね、さん!」

 一応、今日は予定あると言えばあるんだけど、という言葉は飲み込んだ。ニコニコと笑う後輩に水を指すわけにはいかないだろう。私は曖昧に笑うと、彼女は、よーし!と息を巻いてまたキーボードを叩き始めた。

 今日の話は数週間前に遡る。



「そろそろクリスマスだし、プレゼント交換がしたい」

 突拍子もなく私が言ってみたのだが、有栖川は私よりもテンションあがったような顔をして強く頷いた。相も変わらず、大衆酒場という空間には似合わない男だか、肝心の彼はそろそろ慣れてきたのか、どこか板についた雰囲気でメニューを置く。

「素晴らしい!良いアイディアだと思うよ。うん、にしてはいい発想だ!」
「あ、喧嘩売ってる?」
「クリスマスプレゼント……年に一度……ジョワユーノエル………ああ、詩興が湧きそうだ」

 一体全体、彼の思考回路がどうなっているかなんて私には考えも付かないことだが、お気に召したのならばいいだろう。ブツブツ何か続けているが、楽しそうなら何でも、どうでもいいです。
 彼のクリスマスの予定がどうなってるのかは分からないが、ここまで乗ってくれるということはまあ問題はないはすだ。入っている劇団の方で何らかはあるのかもしれないけれどなんとも寂しい男―――というと私にまで返ってくるのでこの当たりで止めておこう。

「金額は……そうだな~、5000円にする?」
「なるほど、交換である以上そういった面を対等にするんだね。………ただ、正直その金額のものだとあまり浮かばないな」
「……。金額についてはちょっと足出るのはいいんじゃない?ただよく分からんけど高そうな置物とか渡されたら困るからちょっとね」

 さり気ないブルジョワアピールを飲み込んだ。この年代、確かに親しい相手のプレゼントとしてはこの金額は些か少ないかもしれないけれど、とはいえ、こんな突発で行うにはそれなりな金額だと分かってほしい。この人間は生まれた瞬間から様々なものに恵まれているので分からないかもしれないが。とはいえ、5000円きっちり!というと難しいものだ。消費税だってあるし、収めようとするとかなり低くなったりもする。

 女子グループでやった時はちょっとした化粧品とかアクセサリー、美容系の電化製品、食器類なり色々とあったけれど、男性相手というと何にすればいいのだろう。恋人ならまだしも、だ。だけど、ただ悩みすぎて無駄に高額になり、意味もなく重いプレゼントを渡すよりも「5000円くらいか」程度とわかっているものは丁度いいだろう。

「懐かしいね、フラ学の時もプレゼント交換をしただろう」
「ああ、クラス全員で輪になってね」

 先生が音楽を鳴らし、隣の人へプレゼントを渡し続け音楽を止めた段階で持っていたものが自分のプレゼントとなるものだ。中学ならまだしも高校生になっても続いた。普通の学校ではなく私立であり、クリスチャン校だからか、その時期は学校中が華やかだった気がする。

「ずっとクラス一緒だったけどもらったことなかったし、丁度いいね」
「ああ、ワタシも…………確かからのはなかったな」
「有栖川って何入れてたの?」
「さすがにそこまで覚えてはないね……。クリスマスリースにした年があった気がするよ」
「は?オシャレだね?」
は覚えているかい?」

 当然の流れで来る質問に、私は考えるために目を閉じた。記憶が奥へ奥へ行っているせいで、プレゼント交換をしたなあ、という結果しか残ってないからだ。
 中一の時は……覚えてないな、だけど、めちゃくちゃ無難なものにした気がする。それじゃあ最後の年・高三の時も……覚えていない。とにかくもらって困らないのにした記憶はある。

「駄目だな。全く覚えてない……文房具とかじゃないかなあ。シャー芯とかルーズリーフとかさ」
「……それもいいとフォローする余地もないね……。まあ、確かに使うものだが……」
「いやいや、意外と奥が深いよ?シャー芯は硬い派・柔い派、ルーズリーフは白紙派・罫線の色を大事にする派もいるからね」
「気を回した結果、駄目になる訳か」
「何にしたってそうだよね」

 ふう、と息をついた。不特定多数に向けたプレゼントである以上、無難なものを選ぶしかないのだ。女子限定ならまだ選びたかったけど、男子にヘアピンが当たったら地獄だ。

「…………む?そういえばある年で文具が当たった年があるような………」
「え、嘘、もしかしたら私からかもじゃん!もちろん大事に使った?」
「何がもちろんか分からないが、ワタシは当時鉛筆と大学ノートを使っていたので空けなかったよ。うん、鉛筆というものは儚さを秘めているものだ。大学ノートもそう、使用していると終わりが近づくのが文字通り手に伝わってきて………」
「…………大事にしてる?」
「…………………思い出として大切にしておこう」
「捨てたな?!」

 私の気遣いを!と喚いてみるが、確かに私だってつかわないものは捨てるしかない。いつか使うから残しておこうという精神してると溜まる一方だ。いつの年だか当たった薔薇の香水だってそうだ。形が可愛かったから使わないにせよ取っておきたかったんだけど、目の前にふりかけて匂いを嗅ぐつもりが、顔面にかけた弾みで落として割ったんだ。粉々になってた。それに合掌し、どう親にバレないように処理するか頑張ったんだっけ。今になってすれば申し訳ないなという気持ちが強いけれど、その時は薔薇の匂いは臭いわ処理面倒だわで一人怒ってたな。嫌な思い出だ。

「まあ今年のクリスマスは平日だし、その前のどっかに渡すってことにしよーよ。後でもいいんだけど、後だとクリスマス感一気になくなるよね」
「折角だ、クリスマス当日はどうかな」
「ッフ」

 思わず吐き出しかけたモヒートをなんとか口の中に抑えた。ミントの香りが鼻から抜けるよう。もうちょっと物を考えて発言してもらいたい。どうしたんだい?と不思議そうに尋ねる有栖川に曖昧な表情を浮かべた。

「本当に寂しい話だよ、何が悲しくて私と有栖川でクリスマスに集合にするの」

 そう言うと、予定があったのかい?と聞くので首を振る。いや、そういうんじゃないんだ。でもね、どうかと思うよ。

「逆にクリスマスに何も無い方が寂しいと思うがね」
「そう?当日、こんなプレゼントなら家でテレビ見てた方がマシだったって言われたら殴るからね」
「……君はまた文具を渡すというのかい?」
「高そうな万年筆使ってそうな有栖川先生に勝負するつもりはないけど、期待しないでって事」
「はは、その点なら心配してないさ。何もね」
「………最初から期待がないって事か……」



 今年はイブが日曜なのもあり、週明けの月曜日・クリスマス当日は、一気に年末のようだった。この週末は友人たちと泊まり込みで映画を見たり、ボードゲームをしたり、だらっとしたり……つまりは極力外に出ないスタンスで過ごしていたので、プレゼント交換――有栖川とも交換すると言ったわけだがこの時期に集まるならまあこちらでも開催される訳だ――以外、クリスマスらしいことは一切していなかったのだが、電車の中吊りや、窓から見える装飾を見ると、そういえばまだクリスマスは終わってなかったんだなと思い返す。昼を買いに行ったコンビニのケーキの売れ行きも意外と悪くないようで、食べる気はなかったのだけれど買えないとなると食べたくなるものだ。

 結局のところ、私から有栖川に渡すものといえばデパ地下で買ったチョコレートにした。それなりに考えていたんだけど、そもそも平日で、出勤だというのに大きな荷物(それでいてラッピングされている)を持っていきたくないし、で、考えた結果だ。有栖川が甘いものを好きかは知らないけれど、甘いものが極端に嫌いという話も聞いたことないし、きっと大丈夫だろう。
 何が危ないかといえば、外はともかくこの時期の室内は大抵温風が漂っているという点のみだ。買った時にも保冷剤もらっていたから、それを再度一緒に詰めてみたけれど、そういえばデスクにあった間食用のチョコは夕方頃若干溶けてたっけ。大丈夫か、コレ。

 何だかんだクリスマス当日なだけあって、誰に気を使うわけでもなく、楽に定時にタイムカードを切ることが出来た。時間的な自由が利く有栖川からの提案で、私の職場の最寄り駅で集合になっていたので、そこへ向かう途中、街にあるまだまだクリスマスらしい装飾と、昼にケーキを買えなかったことが脳裏を過ぎり、もし早く帰れたらケーキを買おうと心に決める。夜にまだ残っているか、1つもないかのどちらかだろうけれど、最悪プリンでもいいや。

 言っていた時間よりもちょっと早くについてしまった。まずはLIMEで報告だけするかと、スマートフォンを取り出したところで、ふいに影がかかった。

「早いものだね、お疲れ様」
「ありがと。有栖川って時間より前に来てくれる人なんだね」

 というのは、そういえば呼びつけたことがあっても、こうやってどこかで待ち合わせしたことないと思ったからだ。
 手に持っているチョコレートの紙袋をすぐさま渡そうか悩んでいると、有栖川は踵を返して歩いて行く。「じゃあ行こうか、こっちだよ」

「あれ?渡して終わりだと思ってたんだけど呑み付き合ってくれるの?でもさすがにクリスマスの夜に店は空いてないんじゃないかなー」
「……君がその一瞬だけの為にプレゼントを用意してくることが信じられないよ。時間の無駄にも程があるだろう。まだ郵送でのやり取りの方が懸命だ」
「いやだって私、有栖川とプレゼント交換がしたいってだけで、クリスマス会がしたいとは言ってないし……。もしかしてプレゼントが食事って感じ?」

 まあ、5000円の食事だったら120分飲み放題付きくらいありそうかも。有栖川がそんな店知っている(というのは値段感の話)のは驚きだけれど、それはちょっと頭良いかもしれない。だって店に買いに行かなくていいし、嫌いな食べ物あったら店の人が何とかしれくれるかもしれないし。

「今はそういう事でいいよ」

 そう言うと、有栖川はタクシー乗り場で立ち止まる。そして、ドアを開けてもらうと、運転手に行き先を伝えたのか、何か喋り終わるとこちらを向いた。

「……これ大丈夫?私、スマホで緊急連絡先を打ち込むのめちゃくちゃ早いよ」
「ワタシの事を何だと思っているんだね。……あとどうしてそんな能力を持っているんだ」
「たまにあるもんなんだよ。夜遅くなると色々とね」

 軽口は叩いたけれど、有栖川に対して特に疑心することもない訳で、私はそのまま乗り込んだ。「それでは出発しますよ。……クリスマスに良いですね」という運転手さんの気遣いに、これは120%勘違いされていると分かったが、ここで声を張り上げても無駄だろうと思い、有栖川を見た。

「よくわかんないんだけど、ドライブってこと?」
「これは手段さ。ちなみにこの会計はワタシが支払うが、それはワタシだけがタクシーを使ったところで金額は同じなのだから、ワタシの移動費としてカウントするよ」
「……電車じゃ行けない所?私ちゃんと帰れる?」
「電車でも良かったのだが、特別早い訳でもないようでね、仕事帰りに人混みで疲れさせてしまうのもひどい話だろう」

 食事じゃなさそう、ということで、5000円分をタクシーで使うのかと思ったけれど、それもまた違うようだ。まあ、本当にこれだったら奇を狙い過ぎていて逆に面白いかもしれない。車に乗るということ事態が好きな人もいるだろうし。
これが有栖川でなければ、私が半分払うとでも言いたかったけれど、そういえば最近本屋で有栖川の本が平積みされてた事を思い出し、その感情は奥底にしまい込む。私が頼んだなら別だけど、金は持っている人が使うべきだ。

「クリスマス、週末なんかしたの?」
「ああ、ファンミーティングがあったんだ」
「…………劇団のか、何事かと思った」
「組がそれぞれあるんだけれどね、それを混合にして新しくチーム分けをしたんだ」
「へー、なんだか分かんないけど面白そうだね」

 有栖川の劇団は、結局一回しか行ったことがない。元々そういうものに興味がないといえばそれで終わるんだけど、知り合いが出てるものって結構気まずい気持ちになる。確かに一回目は良かったんだけど、それはびっくりという感情が強かっただけだから、元々知ってる上で行くのはなんだか恥ずかしい。花を贈るべきなのかな、とかそういうこと考えちゃう。そもそも、有栖川とめちゃくちゃ仲いい訳じゃないからたまに距離感が分からない時があるものだ。

はこの週末、寝て過ごしてそうだね」
「話してたっけ?まあ実際、私以外の人も一緒にゴロゴロしてたんだからこういうものもマイノリティではないんだよ」
「それはどうかな。店にクリスマス特別メニューがある限り、ケーキショップに人が並んでいる限り、大半はそちらを選ぶんだよ」
「ケーキは食べたし」
「そうかい、じゃあちゃんとクリスマスを過ごしたと認めよう」

 有栖川のクリスマス検定に受かったところで何があるわけでもないのだが。

 車から見える街の雰囲気はどこか違うようだった。隣に座っているのが有栖川だからこそ、尚更違和感があるよう。彼が今どんな気持ちでここに座っているのかは分からないが、少なくとも私はどこか緊張していた。それは嫌な意味ではなくて、不思議なドキドキが入り乱れている。

「なんか悔しいな」
「悔しい?」
「有栖川、結構考えてくれてるなって。私だってちょっとは考えてたけど、タクシー使ってまでとか、そういう段取り的なのは全くだったからこれは負けた気分」
「そう評価してもらえるのは嬉しいね。――ただこういうのは全て自己満足さ」



 変に有栖川が寂しそうにしていたな、というのは口に出さなかった。いや、出せなかったというか。これは私が気を使ったのではなく、その後普通に寝たからだ。タクシーって久しぶりに乗ったけれど自家用車と違ってちょっと固いようで丁度いい椅子の具合が良かったりするよね。
 着く直前に、有栖川から少し肩を揺らされたことで私は飛び起きた。実際は目を見開いてテンパっただけなんだけど。うっかり寝てしまったこと、そして思えば今は移動中なのだから、もしかして私のせいでタクシーから出れなかったんじゃないかという焦りからオロオロとしてしまったが、前述の通りまだついていなかったのでセーフだった。

 とはいえ、すぐに冷静になれる訳でもなく、あまり周りを確認しないまま、支払いがある有栖川より先に空いたドアから降り立つと、想像していなかった風景に顔が固まった。久しぶりに外気に肌が触れるから、さっきまで寝ていたことで体温があがっていたから、身体が凍りついてしまったのかもしれない。チカチカとしたイルミネーションが、先程街中でみたものよりもずっと鮮麗されているようでとても綺麗で可愛らしい。

「うん、いつも通り愉快そうな場所だ。入り口はこっちだね」
「えっいや、ここでいいの?ここ?」

 目の前に見えるのは、大型連休やイベント毎によく取り上げられるテーマパークだった。久しく来ていなかったせいか、初めに抱いた感情は「テレビで見たことある」という、お上りさんのような感想だ。ここはタクシーが止まれる駐車場だから遠くで見えるだけだけど、時たま、園内で買ったのか耳をつけたままの人たちが視界を過る。

「それ以外にあるのかい?」
「えー、でもダメだって……ほら、予算!入場料って8000円くらいじゃないの?」
「平日夜はもっと安くなるよ」
「悔しい……」

 完全にこれは作戦負けだ。私に関していえばこういう豆なところを見せてくれないので有栖川の緻密さを舐めていた。ここに来て帰るわけにも行かず、有栖川を追いかける。居酒屋には似合わないくせに、こんなイルミネーションが綺麗な所には溶け込むのは卑怯だと思う。私の歩幅に合わせてくれる有栖川を眺めることに飽きた私は今一度、周りを見渡した。

「クリスマス当日に、こんなクリスマス最高!みたいな人たちの間に入りこむとは思ってなかった」
はそういうタイプじゃなさそうだしね。たまにはいいだろう?」
「うーん、たまにはね。……あ、ごめん、ちなみになんだけどこういうのが嫌な訳じゃないんだよ。サプライズすぎて驚いてるだけ」
「……それは良かった」

 有栖川からもらったチケットで園内に入る。久しぶりにこういった所に入るから色々と覚えていないんだけれど、このチケットは比較的出しやすいところに持っていた方がいいんだっけ。バッグに下げていたパスケースに入れてみたが、今のオフィスカジュアルな格好とこの雰囲気が似合わなくて笑いそうだ。

「もっと浮かれた服で来ればよかったかな」
「その服装も悪くはないと思うが、あれでも買うかい?」

 そう指すのは、駐車場でも見た耳。

「一応今、5秒くらい考えたけどいらないかな。有栖川は買う?」
「ああ、もちろん!も付けるだろう?」
「………私の話聞いてた?」

 その少し前にきっぱり断っていたはずだろうに、野外に並ぶ耳を、あれでもないこれでもないと有栖川は自分の合わせてみたり、私の方へ掲げた。比較的派手な色合いの服装な有栖川はともかく、私がつけると頭だけ浮かれているっていうか、浮いてる。それを何度か主張してみたけれど、今の彼に耳はついていないよう。私の言葉は全て右から左へ流れて消えたのだろう。散々選んだ結果、やっぱり最初のが一番良いと購入していた。

「有栖川、テーマパーク好きだったんだね。それ似合うよ」
「ありがとう。はい、どうぞ」と、レジでタグを切ってもらった耳をもらう。「君もよく似合ってる。かわいいよ」
「はは、どうも」

 軽く笑ってみせたけれど、視界の端の有栖川は何とも言えない表情をしていた。

「どうかしたの?」
「何がだい?」
「………や、お腹すいたなって。何か食べようよ」

 そう言うと、有栖川は少々明るい表情に変わった。「そうだね、ああ、丁度近くに出店もあったようだしそこで買おう」

 ということで、ベンチでテイクアウトしたものを食べていた。こうしてみると、どこぞの公園でご飯を食べているようだけれど、やっぱり金かかっている遊園地は綺麗さが違うなと冷静に思う。こぞってイルミネーションを見に行く層ではないのだけれど、こんなにも整備されたものを見て、凄いという感想は素直に浮かぶものだ。
 12月といえど今日はそこまで寒くはないのだが、ずっと居ればそりゃあ寒い。ホットワインを飲むと、喉から下へ、ゆっくりと温かい熱が降りた。

 今日も今日とて、いつもテレビで見ていたのと同じくらい激混みの園内ではあるけれど、こういった落ち着いたところがあるのはありがたい。こういう遊園地で記憶にあるのはあちらこちらを急いで移動したもののみだから、こうやってゆっくり過ごすのもの悪くない。
 そう達観したような感想を浮かべてみたが、目の前にいるのは浮かれた耳を付けた有栖川と、同様に頭だけ浮かれた私なのだから、客観的にこの場を評価するなら十分に楽しんでいるのだろう。

「明日仕事かー。呑んで帰っても確かに同じような時間だから別にいいんだけど、ここはこの非現実さが返ってつらいな」
「有給を使えばいいじゃないか」
「前持って申請する必要あるし、そもそも26日に有給はちょっと恥ずかしい」

 個人のことなんてどうでもいいだろうに、社内では当然の如く私に彼氏がいないことが知れ渡っているせいで、そもそも今日の予定さえ聞かれなかったのだ。決してベテラン勢ではないけれど、毎年新卒を入れているお陰で囃し立てられる役からは遠ざかっていくのはありがたい。私よりまだ、隣の席の彼女の方が突っ込まれるだろう。

「あ、忘れそうだから今渡す、メリークリスマス」と、手に持っていた紙袋を渡す。
「そういえばもらってなかったね。ありがとう。………君がずっと持っていたから中身は薄々気付いていたが2ヶ月早くないかい?」
「むしろ私がバレンタインにチョコを渡す方がおかしいでしょ」

 クリスマスならまだしも、そっちは私しかあげられない(という事もないが)のに提案に上がるはずがない。私が半笑いで返すと有栖川は、それもそうかと笑った。

「私はそのチョコ好きなんだよね。有栖川が好きか分かんないけど」
「そうかい。楽しみにしておくよ」
「………ダメだ。本当に今回は負けたっていう感じがしてそれだけじゃ私がつらい……でももうあげられるものはない……。……有栖川は何か食べる?今度は私が買うから」
「……さすがにそこまで衝撃だったとはね」
「凄いと思うよ。物に残しちゃうと邪魔かなって私はお菓子にしたんだけど、有栖川からは思い出を貰った感じがする。思い出をありがとう」

 そう言うと、なんだか壮大なものをもらったようだと、一人ごちた。今日という日は人生で一度しかない、みたいな響きはそんなに好きじゃないけれど、人生の中で平均的に考えて見ても80回は迎えるクリスマスのうち、一回こんなことあったなって思い返せるのはいいことだ。その相手が有栖川誉先生というのは話す人によっては反応も楽しめる。チョコレートをもらって、ああ美味しかったよりもずっと、ストーリーが生まれるんだ。

「有栖川?」

 うんうんと感慨深く頷いてはいたのだが、いつもはベラベラ喋るくせに急に黙った彼を覗き込んだ。どこか遠くを見ているようで、私と目が合うと、珍しく少し目を泳がせた。その顔がなんだか信じられなくて、少しだけ、有栖川に近付いたのだが、彼は少しだけ私から仰け反った。

「ああ、いや……今日のことは急だったし、あまり得意じゃなかったようだから実のところは迷惑なのかなと思っていてね」
「え?ごめん、そうじゃないよ。てか私、嫌じゃないって言わなかったっけ……つか今の今までそう思ってたなら帰ろうとしなかったその精神凄いわ……」
「………ワタシがどこか臆病になっているのかもしれないな」
「……どうしたの?年末って色々あるし疲れるよね。話なら聞くよ」

 シュンとするような有栖川の様子に、私は思わず彼の肩を叩いた。いつもはうるさいくらいなのに、それでいてこんな騒いでもいいところなのにお葬式みたいな表情するなんて彼らしくない。

「いいや、なんでもないさ。こんな日に申し訳ないね」

 いつもみたいに笑う顔が違和感しかなかった訳だけれど、これ以上は足を突っ込めない気がした。いくら昔からの知り合いだとしても有栖川と常に連絡を取り合っていた訳じゃないから、彼が実際どんな人生を歩んできたのかは知らない。たまに会うだけ会って、有栖川の人生を少しつまんでいる程度だ。だから私が物知り顔で偉そうに何か言えることはないだろうし、文字通り話を聞くことしか出来ないだろう。

「………うん、本当にその通りだよ」私は強く頷いた。何を言ったって過去を変えられる訳じゃないし、何をしたって取り消せるわけじゃない。「こんな妙な雰囲気になったの困るんで、今日はもっと楽しもうよ。それで許すから!」

 なんて格好つけて言ってみたけれど、有栖川はきょとんとする顔のみで、いまいち反応が悪かった。さすがにチープすぎるこの言葉はお気に召さなかったか。でもだって、他にどうと言えば良いんだよ、と一人心の中で八つ当たり。

「滑ったなら滑ったでいいから何か言ってよ……」

 くさい事を言った自覚はあるし、こういう役回りはどちらかといえば私じゃなくて有栖川の方なんじゃないのか。あまり気遣い出来る方ではないし、上手い言葉を言える訳じゃないから、私の主張に拍手が欲しかった訳ないけれど、でも、「あと、何でも良いけど笑ってよ。その表情困る」と、投げやりに付け足した。

 すると、急に有栖川の腕が伸びてきて、私の頭を押さえるように抱きしめられた。そういえばこの人って結構力強いんだ。ぎゅうぎゅうと頭がしまるようで正直痛い。それに、いきなりなことだったし、意図が分からなかったので、有栖川の肩を抑えたが、そもそもの体格差があるので上手くはいかない。「ちょっと」と、声をあげると、有栖川の震えた声が聞こえた。泣いてるのか、はたまたいつも通りに笑ってるのか分からない声だった。身体が少しだけ離れたと思ったらまた寄せられて、耳のすぐそばで声が聞こえる。

「違うんだ、ありがとう。良いクリスマスだよ。これではワタシが負けたな」

てっぺんの星を飾ってもいいよ