いつも通り、いつもと同じように鍛錬をしている弟を木陰から見ていた。今日はよく晴れた日だった。空も木々もいつにもまして青々として元気に見えるし、風も程よく吹いている。
 こうしてこの場所で鍛錬をしているのは知っていたし、よく目にしてはいたが、こうして堂々と本人の目の前で見ることはなかった。その少しの異常を彼――白龍は察してか、いつもより集中力が欠けていると師から指摘をされていた。それまでもただニコニコとして見ていると、とうとう痺れを切らした白龍が近づいてきた。

「………義姉さん、俺に用事ですか」
「いいえ?」
「……………」
「こんなにも天気がいいのだから、弟の雄姿を間近で見たいと思ってはダメかしら?」

 こうして黙っている白龍はきっと、天気がいいのと間近で見たいと思うというのはイコールで繋がらないでもと言いたいのだろう。不満げな顔を隠さずそのまま出しているのはなんともまあ可愛らしい。
 とはいえ、天気がいいのなら気分がいいことをしたいものだ。それが弟の、義弟の格好いい姿を見ることというのなら納得してもらえるのだろうか。しかしそれまで言うというのは説明をしすぎている。まだ何も返してこない白龍は、うまい言葉を探しているのだろうか。

 こちらの様子を伺っていた一緒に鍛錬を交わしていた人たちに笑顔で応じると、彼らは煌帝国特有の手を合わせる礼をし、そこから立ち去った。

「……っ!!」

 それにワンテンポ遅れて反応した白龍は、立ち去る師らを止めることなく、拳を握りしめたまま立ちすくんでいた。白龍は私に逆らわない。刃向わない。白龍は前皇帝の息子だが、私は現皇帝の娘だ。もちろんそんなのは気にしなくていいし、白龍からはもっと親しみを持って接してもらいたいのだが、彼はたった一人の実の姉にでも敬語で喋るし(これは白瑛が厳しいというのもあるだろうけど)、そこはもう諦めた。白龍に彼女と呼ぶようにちゃんと「ねえさん」と呼べと強制したのも、もっと仲良くなれるかなと思った私なりの考えだった。

「白龍は、暇かしら」
「…………そう、ですね」

 白龍はよく自分用に食事を作る時がある。自分用というのは、彼としては他の人にも作っても構わないのだろうが、皇子様が作って頂いた料理を誰が食べるのだ?(それはどういう身分だ?)と向こうが気にするので、最終的に自分だけのを作るのだ。そして、それを理由にして何度か誘いを断られた時があるが、今はまだ夕刻も遠い。きっと今日はこの太陽が燦々と輝いているなか、ヘトヘトになるまで鍛錬をする予定だったのだろう。そのスケジュールを私がビリビリに破いてしまった。なんて気持ちのいいことだ。

 私が暇?と聞くときは、いつだって、話をしよう、という意味だ。断れる理由が見つからなかった白龍は、諦めたように先ほど私がいた木陰までついてきてくれた。いつもならこんな嬉しいことがあったのなら妹の紅玉に真っ先に報告しに行っただろうが、この前から従者を引き連れてバルバッドに行っていて、そこの王子と近日中に結婚するらしい。所謂政略結婚だ。急な話ではあるが、前々から話は出ていた。

「鍛錬、お疲れ様」

 そういって、籠に入れておいた手拭いを渡した。

「………疲れ、というほど、してません」白龍はしぶしぶというように受け取った。
「えー、そうかなあ」

 私はまだたくさんある手拭いを1枚取ると、白龍の額にあてた。じんわりと汗が布に移る。「汗、結構かいてるよ。がんばったね」そういうと、白龍は苦しい顔で唇をかみしめた。

 がんばったね。その言葉に彼は弱いことを知っていた。白龍は隠れて努力をする人間ではあるが、それが結果としてうまく表れない。だから、せめて努力を認めてもらいたい。なんて矛盾した感情だろう。

 白龍に嫌われていることはなんとなくわかっている。その理由は分からないが、それでもこうやって話し相手になってくれるのは私からの「がんばった」という労いがほしいのだろう。他の誰もそうやって言ってはくれないから。私しか彼の努力を知らないから。

義姉さんは、」
「うん?」
「……普段この時間何をしているのですか」

 珍しい。白龍から会話を出されるというのは滅多にないことだったので私はぽかんとしてしまった。それを彼も思ったのか、「あ、いや」と歯切れの悪い言葉を漏らす。

「そう、ね。いつも見てるのよ」
「?何を」
「あなたを」
「っは!?……え……」

 白龍は赤くなったような白くなったような、いつもとは違う戸惑いの色を見せた。相変わらずすぐに何を考えているか分かる。本当に可愛らしい義弟だ。
 挙動不審になった白龍は手に持っていた手拭いを地面に落とし、嫌いな私から受け取ったものなのだから別にそのままでもいいだろうに、それを慌てたように拾うと、顔あげた瞬間にぶつかった葉っぱに必要以上に慌てた。

 それが面白くて噴出して笑っていると、白龍は少し悔しそうな顔をした。

「今日はたまたまここに来てみたけど」私は笑いながら続ける。「いつもはほら、そこの窓から見てるの。がんばってるなって」

「………初めて知りました」
「言ってないもの。今初めて教えちゃいました」

 なるべく可愛らしく言ってみたけれど、白龍はこちらに視線を合わせてくれなかったのでおそらく無意味な行動だっただろう。ちょっとだけムッときたので頬を膨らませていると、ようやく白龍は気づいたようだ。

「ど、どうかしましたか」
「別に!」
「そうですか……」
「っ白龍は私なんてどうでもいいのね!」

 食いつきもせずすぐに引き下がった白龍を私は指摘する。困惑した白龍の顔には「一体俺が何した」と書かれている。この場合、何もしていないから問題があるのだ。おそらく触れてはいけないだろうと踏み込んだ彼の優しさは時と場合により、彼の想像と反する結果になることをもっとよく知ってもらいたい。

「大体さ、白龍はいつもそうだよね、私のことはどうでもいいっていうかさ」
「え、い、いや……」
「紅玉とはあんまり仲良くないみたいだから白瑛みたいに大人っぽくしてみたけどさ」
「……え、えと………」
「結局結果はこうだしさあ!」

 ずっと溜めていた不満を私は木に向かって吐き出した。後ろに白龍がいるとか、わざと聞かせてやってるとかそういうのは全然全く1ミリもないつもりだ。ああ、もう!考えていることもずっとずっとちょっと大人っぽく白龍をかわいがってみたりとかしてみたけど、それ全然いつもの私じゃないから!兄妹の中では一番紅玉に似てるって言われるくらいには我儘なんだから!

「ほんとっ、もう一体なんなの?!いつも冷たいし、さあ!今日は久しぶりにお話出来たけどこれより前に話せたのって1週間も前なんだよ!私も白龍のご飯食べてみたいなとかアピールしてみたけど遠回しすぎて気づいてないっていうかさ!私だけが悪いわけじゃないよね!?白龍は何もわかっていない!それに、」

 この他にも普段いつも感じている白龍への不満を散々言い、もういいかなと後ろを振り返ると、涙目の白龍がそこにいた。あれ。

「はっ、はく、りゅ………?」
「あ、あなたは……勝手だ!」
「……かっ、て……?」

 不満をぶちまけといてだけど、私は別に白龍に泣いてもらいたい訳じゃない。結局私は白龍と同じなのだ。隠れてする努力はしてもいいけど、それを認めてもらいたい。わかってもらいたい。自分はこれほどまで好きなんだと。

「俺は、あなたが上から見てくるのが嫌いなんだ!」

 とんでもない悪口である。

「それなのに他の人と喋っている時は雰囲気違うし……なんで俺にだけ……」
「そ、それは姉として威厳を持った方がいいかなって……」
「それがあからさまで目につくんです!」
「っわ、悪いっていうの!?」

 いつの間にか私と白龍は大声で言い合いをしていた。今まで最低限のところで嫌われないように頑張っていたが、もう、もうどうにでもなれだ。

「今日だってそうじゃない!ムスッとしてさ!」
「そりゃあ鍛錬の邪魔された挙句に中断されたら誰でも不機嫌になりますよ!?」
「だって、だって今しか会えないだもん!今しか私は暇じゃないの!」
「そんなこと……そんなこと俺は知らない!あなたは――」

 白龍は少しだけ間を置いたが、一息つくとまた口を開いた。「あなたは、俺に何も教えてくれない!いつも質問ばかりするくせに、自分のこと一つも話してくれないじゃないですか!」

 白龍の言った言葉が私に突き刺さった。私は彼から嫌われていると思っていた。それは普段の態度からだ。私が話しかけてもあまりいい顔はしないし、ああ、そういえばいつも鍛錬の休憩中とかに、もうちょっとで休憩終わりだなって時も粘って話しかけてたなって、そういえばそんなこともあったっていうか99%くらいそうだったけど、とりあえず、とりあえず、白龍は私のことがあんまり。

「だって……白龍は私のことどうでもいいのかなって思って……」
「……どうでもいい人と鍛錬中断してまで話するほど、俺は優しい人間じゃないです」
「…………じゃあ、どのくらい、私が大事?」
「……………」

 困った顔をすると思った。だけど、予想に反して白龍は真面目な顔を続けている。私はまるで時が止まったかのようにそれをずっと眺めていた。やっぱり私の義弟の白龍は可愛くて格好いいなと思っていた。こうやって素直に言葉を言ってくれるのはうれしいけど、やっぱり、昔「ねえさん」と呼ぶのを嫌がったあなたの意図が分からないよ。

「――バルバッドとの政略結婚で、あなたも候補にあがりましたが」
「………うん」
「それがなってほしくないと思う、ぐらいには」

 大事です。と。

美しいと呼ばせてくれ