確か彼と初めて会ったのは入学式の時だ。
 体育館横に咲いている桜が舞っていて、ああきれいだなって思いながら、中学同じだった子と一緒に話していた。その時に、彼と目が会ったのだ。もうちょっとで体育館に新入生として入場しなきゃなというときに、フ、と、一瞬だけ。色素の薄い髪が揺れ、ニコッと私に笑いかけてくれたのが印象的だった。彼は小柄でもしかしたら私より小さいんじゃないかなと思った。もうちょっと身長が大きければな、ってすぐ思ってしまうほど、私は彼の笑顔に惹かれていたのだ。(私的にはやっぱ背が高い人がいいのだ)女の子みたいでかわいい顔立ちだったけれど、それでも。

 それが4月のこと。ああ、なんとも懐かしい話だ。

「いや、もうそれでD組の体育を覗いてみたらヤバイのなんのって、ゲスゲスゲス」

 そうやって可愛らしく笑う彼は4月のままだ。印象はあの頃とは全く想像だにしなかったものに変わったが。今まで彼、佐倉実君はゲスリング部というよく分からない部活(ゲスいというかエロい話をずっとしているだけの部活らしい)を立ち上げそこに所属していた。が、生徒会長が代わり、査察に言ったところもちろん活動がNGだったらしく廃部。前の生徒会長が適当過ぎたのである。そこからはただ放課後にクラスに残り仲良し4人組で変わらずゲスい話を話すようになった。つまりは、ゲスリング部なんてあってもなくても彼の行動は変わらなかったのである。

 しかし、部室でゲス話をされるのと、教室でされるのとでは大きく差がある。こうして教室に残らねばならなくなった私がきついのだ。話しているものがまる聞こえだし。
 こんなことを大っぴらに行っている彼らはもちろん、いわゆる「モテない系」の男子ではあるが、女子にすっかけられる程の行動力は持っている。女子がいたら何も出来ない系の男子ではないのだ。だから、こうして私がちょっと離れた席で今日提出するはずだった課題をやっていたとしても、遠慮なしにゲストークを続けられるのである。

「え、やばいってどんな感じよ、チェリー」
「やっぱり森下さんだよね。バレーやってたんだけどさ……」
「ムチムチボディにバレーやらせちゃダメだろ!ウヒョー!」
「つーかどの競技もエロすぎだろどう考えても。体育最高」

 頭が痛くなる。ていうか、意味わからない。ていうか、体育がエロいってどういうことだよ!本来ならこんな話聞かなくていいし、音楽でも流して没頭したいところだけれど、生憎朝の通学時間でウォークマンの充電が切れたのだ。完全なる不注意だった。

 佐倉君はどうしてこの場にいるのだろう、というくらい一人だけ端整な顔つきだ。見かけだけだったらこのクラスの誰にも負けないと思っている。しかし、つるんでいるメンバーがゲスというか、なんだかんだあの入学式の段階で、この4人は一緒にいた気がする。みんなバラバラの中学だったはずだというのに。シンパシーか、シンパシーを感じたのか!?

「ぷるるんでぽよよんな体を皆にも見せたかったでげす」

 ちなみに佐倉君は、佐倉実=さくら実るということで周りから『チェリー』と呼ばれているが、それを紹介するときにいつも「あっ別にチェリーボーイって意味じゃないよ!」と続けるのが妙に腹に立ち私はそう呼んでいない。

 はあ。とりあえずこんなゲスリストの話なんてほっといて私は課題を終わらせなきゃいけない。計画通りにちゃんと数学のワークブックを進めていればこんなに苦しまずに済んだというのに!誰のせいだ!私のせいだ!

「おっと、今日はこの辺で俺は帰るぜ」
「ヨタロウもか?俺もそろそろCDがフラゲできる時間だから行こうかと」
「マジか、じゃあ俺も帰ろうかなー」

 どうやら向こうも帰るらしい。これでようやく集中して課題が出来るな、と私はホッとした。佐倉君のことは、まあ、このように意識してしまうくらいには気になってはいるけれど、ゲスリングとしての彼はあんまり好きじゃない。佐倉君以外のゲスリングの3人は総じて好きじゃない。つまり帰ってもらえるなんて願ってもないことだ。

 ガタガタと合わせていた机を戻し、色々と片付ける音がする。前までは机の上にエロ本などが散らばっていることがあったが、さすがに教室では問題だと担任に注意を受けてからは、一応こそこそとやっているらしい。むしろ持ってくるなというものだが。

 とりあえず私はずっと下を向いて書くのを続ける。形式上クラスメートである彼らと、別れの挨拶くらいするべきなのでは、と思ってしまったので、とりあえず集中しているふりだ。きっとこうやっていれば彼らも「ああ勉強しているみたいだし、さっさと帰ろうぜ」ってなることを願うばかり。

 しかしまあ、集中しているフリ、とは言ったものの、数学の場合、なんだかんだ本当に集中できてしまうのが恐ろしい。最近、ようやく高校生らしい問題が増えてきたのでまだ100%理解できない部分が多い。中学のおさらいみたいな問題は、なんだかんだ高校受験で必要だったから、勉強しまくっていたし、すぐに解けた。だけど最近では授業中ではちゃんと解けていたはずなのに、今ではすっかり忘れているものばかりだ。それを復習することによって、うまく飲み込んで自分の力にしなければならないのだ。

 ようやく半分終わった。と思って顔を上げると、教卓に佐倉君がいることに気付いた。あれ、帰ったんじゃなかったっけ。と少し周りをうかがってみたが、他のゲスリストの姿はなかった。
 いつものようにニコニコとした顔だったのでとりあえず「どうかした?」と聞いてみた。

「集中しているさんが凛々しかったので、ここでもしとんでもないハプニングが起きたらどんな感じでびっくりしてあられのない素の顔をさらけ出すのか考えてました」

 ゲ、ゲスだ!!

「と、とんでもないハプニングって……?」
「例えば真っ裸の悪漢が来て……あっとすみません涎が」
「!!」

 可愛い顔してとんでもないことを佐倉君はバンバンと続ける。「もしくは大きな災害が起こってこのクラスに僕とさんしか残らなくなったら……ああ、でも安心して!僕は立派なゲスラーだから妄想はしてもさんには指一本触れない!」

 キリッと、握り拳を作りながらいう様はなかなか男らしいがだが発言はゲスだ。例えば裸の悪漢が〜はいったいなんだったんだろう。佐倉君曰くゲスラーは女性に指一本触れないのがルールではあるが、まさか他の人だったら別にいいよとかそういうものなのだろうか。
 ぞっとしていると、私は何も言っていないのに佐倉君はまた話し始める。

「ああ、もうその顔最高!さんから蔑まれた目頂きましたーー!!」
「………ええと、うん、落ち着こうか」
「僕はいつでも通常運行でげす!」佐倉君はわーい!と無邪気に笑った。

 彼は正直すぎるのだ。私は思わず手を止めてしまった課題を続けようと、目線を元に戻した。

「伏し目いいでげすねえ……風物詩だ……」

 正直且つ、意味が分からない。

「…………佐倉君は課題出したの?」
「え?ああ、その課題は……………」
「課題は?」
「家に忘れたってことになってます」
「なってます……」

 おそらく担任と副担までぐらいなら、彼のゲスさに気付いているだろう。だが、他の担当学年が違う先生などはきっとまだわかっていない。彼は外面だけはいいのだ。(もちろんそれは一言も喋らないでという意味でだが)こんな可愛い子に忘れちゃいましたと言われれば、じゃあ明日にしてねみたいな展開は容易に想像できる。ただでさえこのクラスの数学担当は女性で、しかも男子にはちょっと甘いのだ。
 あの先生め、とちょっとふてくされていると、佐倉君が近づいてきた。

さん大変みたいですし、僕も手伝うよ!」
「え、いや、うん、大丈夫だよ」ていうか、佐倉君は成績的な意味でバカだった。
「いやいやいや、僕にお任せあれ!」

 というと、彼は私の前の席の椅子を引き、そこに座った。「それじゃあどうぞ続けて!」

「………ええと、こんなに近くで見られると困るんだけど」
「しょうがないげす!アドバイスするんだから!」
「アドバイスする気ない、とか、ある?」
「そりゃあもう、こんな口実でさんを間近で見られるのなら!」
「………そう」

 完全に開き直った佐倉君はもうそこから動く気がないようだ。あきれたように佐倉君を見てみたけど、佐倉君曰く「我々の業界ではご褒美です!」らしく、喜んでいた。本当、黙っていれば美少年なんだけどなあ。

 退く気がない佐倉君をもうほっといて、熱い視線が気になるけどほっといて、私は課題を進める。今までで半分終わったんだから、あと1時間もしないでもう半分が終わるだろう。佐倉君が気になるけど。熱い視線が気になるけど。

「……そういえば」
「はい?」
「………部活、潰れて残念だったね」
「ああ、ゲスリング部のこと?なんだかんだ放課後は同じようなことをしているし、問題ないよ。部費で本が買えなくなったのが悲しいけど」
「本?」
「資料という名のエロ本」

 私はシャーペンの心が折れる音を聞いた。どうやら知らず知らずのうちに力が入っていたようだ。

「な、なんで部費でそんなの買っちゃってるの!?ていうかなんで通ったの!?」
「いやー前の会長様だったら書類見ずにハンコくれたから……」
「その部費って元を辿れば学費からだよね!?」
「ハッ……さんが僕に掴みかかる勢い……!ど、どうぞ……!」
「どうぞじゃないよ!!」

 曰く、女性からの洗礼はいくらでも受け止めるらしい。本当にどうでもいい佐倉君の知識ばかり集めてしまったな私。

「本当意味わからないよ佐倉君!このゲスリストめ!」
「ゲスリスト?!ううーん、結構いい線な名前ですがやはりプロゲスラーと呼んでください!レスリング選手のことをレスリストとは言わないでしょう!?」
「どうでもいいよそんなこと!」

 思わず詰め寄ってしまったが、そういえばもともと近いせいで、顔がかなり至近距離になってしまった。急いで元の位置に戻り、目線をそらす。佐倉君はというと、何も反応せずに、というか、これから反応するのだろうか、ぽかんとした顔。

さんって」
「……うん」
「結構話題に挙がるんですよ」

 机に顔をぶつけるところだった。彼らの中で女子が話題に挙がるというのは決まってゲスい話のときだろう。なんだかんだ今まで佐倉君が口にしていた言葉だったから赤面するぐらいで収まっていたけれど、他の3人が同じようなことを言っていたら、私は。(あれ)

「英語の時間に一人で試行錯誤してバレない居眠りの方法考えてたとか」

 覚悟していたのとは違って、わりと普通な話で私は少しだけ安心する。彼らはよく女子を見ているから、そういうところ細かいんだろうなって思った。(私って)悔しいので私も授業中に彼らのことを思い出してみたけれど、最近は授業に集中するか寝るかしかしてなかったことを思い出し、断念する。(結構、)

「お昼の時間にパン落としてセーフだよねって大声でアピールしてたのとか」
「……それ両方今日だよね」
「はい!いつも、見てるので」

 そうやって佐倉君はまた笑う。その笑顔になんだかんだ弱いのだ。全部を許しそうになるっていうか、何話されてもこの顔を向けられたら何も言えないっていうか。(ゲスな変態?)

(佐倉君にならどんな妄想もOKって、あれ?)

 気づいた自分の本心に私はびっくりして顔を赤くしてしまった。というか、佐倉君のいつも見てる発言で加速度を増したと思う。ぐんぐんと著しい成長を見せて、鏡は見てないから違うかもだけど、多分、今耳まで赤くなってる。

「わ、私も」口早に言ってしまったので、出す言葉を考える時間はなかった。「佐倉君のことよく知ってるよ」

 元ゲスリング部だとか、チェリボーイじゃないんですっていう口癖とか、ゲスラーは女性に指一本触れないルールとか、ゲスリストじゃなくてプロゲスラーと呼んでもらいたいところとか。

 続けて全部言ってみたけれど、ゲスいことだけだった。だけど、佐倉君ってそれだけなんだよね。知っていることと言えば。あと普通に甘いものが好きとか。エスプレッソとかも飲むけど、それをなぜかゲスプレッソと呼んでいるとか。佐倉君はまた可愛らしい顔で笑っていた。

「じゃあ、おあいこだね」

 いつも見ててもこれでセーフだと彼は言う。


テンポ・ジュストで歩き出そう
あと知っているところと言えば、私よりちょっと背が高いところかな?