散らない花は美しいか

22

「わたくし、少し思いまして」

 先程までしおらしくしていた彼女が声を上げた。嫌な予感がする。前をズカズカ歩いていたモーゼスはゆっくりと振り返った。

「なんじゃ」
「モーゼス様」
「……なんじゃ」

 まさか「呼んでみただけ」ということもないだろう。真っ直ぐ見てくる目を見返してみるが、真意が掴めないその瞳の色を眺めることしかできなかった。

 もう一度聞き返そうとしたが、その前に、はヒールを鳴らしながらモーゼスまで距離を詰めた。近づいたところとて、頭一つ程度の身長差があるために、距離を置いて話しているときよりも見上げるという仕草が必要になる。
 一歩、後ろに下がろうとしたが、が前のめり気味になっていたのでその足を戻した。このまま倒れられても仕方ない。

「わたくしは名乗ったはずですわ」
「まさかワイが姐ちゃんの名前を覚えとらんと言ぃちょるんか?」
「そうかもしれません」
「ッオイ!」と、全力のツッコミを返すが、が便乗することもなく、真面目な顔を続けた。

「どうしてわたくしを呼んで下さらないの?」

 少々、拗ねたような顔。先程まで頭にクエスチョンマークを浮かべていたモーゼスだったが、ようやくこの不可解な現状に解説がついた。しょうもない話だとため息をつく。

「呼んどるじゃろ」
「名前では呼んでないと思います」
「あー……」

 そういえばそうか、とモーゼスは頭をかく。深い意味はないが、見たままの呼称で呼んではいた。しかも初対面の時に一度呼んだ呼称を変更までしたものだ。
 彼女とそこまで会話をした訳でもなく、なんとなくの感覚でだけだが、モーゼスは彼女という人物がよく分かってきた。きちんと名乗った以上そちらと呼べというのがの主張だった。

「なんでもええじゃろ……」
「よくありませんわ! ………もう一度、申し上げますか?」
「覚えとるわ!」

 気まずそうなの顔に、再度声をあげた。としては「もしかしたら、忘れてしまったけど2回目聞くのは恥ずかしい」とでも思っていたのだろう。ハッとし、それでいて恐る恐るの表情はモーゼスの神経を逆なでる他ない。

 その態度に何を思ったのか、スッキリとした笑顔で言う。

と申します」
「…………」

 結果、本日2回の自己紹介であった。

「覚えとるっちゅうたのに。どっかのお姫さんと同じ名前やろ」
「っええ?」
「おお、当たりか? 適当じゃったわ」

 ワハハと盛大に笑った。おそらく彼の考える『女性ウケの良い言葉』だったのだろう。政治や他国に詳しくないモーゼスにとって、ただ耳触りの良い文句でしかなかったのだが、不運にもその言葉はに刺さった。名前程度、決して珍しくはないが、まるで見透かされた気がしたのだ。

「――っと、悠長に話している時間じゃなか」

 そう、モーゼスは獲物を構えた。目の先にはギカント系のモンスターが4体。出くわしたくはない数ではあったのだが、広いようで狭いこの通路を通るためには押し切るしかない。

「驚羽!」

 高く飛んだモーゼスが槍を投げた。それに引かれるようにモンスター達はモーゼスの元へ向かう。そして小回りの効くギートが図体の大きなモンスターへ迷いなく攻撃する。

 かき回し、相手の注意を反らずモーゼスと、確実に仕留めるギート。は素直に良いコンビプレーだと感じた。2人の間に会話はおろか、アイコンタクトさえないが、それぞれがベストの動きをしていた。一朝一夕ではない仲なのだろう。

 はそんな2人から少しだけ目を反らし、そして、集中。ヒト相手ならまだしも、ギートがどう動くかなんて、癖やモンスターの動向まで見定めてしっかりと判断しなければならない。

 ――が、見ていることなら先程までずっと行っていた。問題はないはず。大きく息を吸った。

「悠遠を支えし偉大なる王よ 地に平伏す愚かな贄を喰らい尽くせ」

 ふいに頭がかき混ぜられるような浮遊感にクラクラする。普段なら起こらない自身の異変がありながらもは叫んだ。

「グランドダッシャー!」

 その声と同時に、ヒトの身長以上の地割れが起こりモンスターの身動きを封じた。その威力にモーゼスは仰け反りかけたが、それも一瞬のことで、ギートともども難なくその瓦礫を移動し、最後の一体に止めを刺した。

「桁違いじゃの」

 素直に褒めた言葉であったが、はそれに反応することはなく、ただ息絶えたモンスターの屍を眺めた。

 良かった。大丈夫だった。そんな感情が脳裏をよぎる。

 いつも付けている左手のミスティシンボルはない。しかし、きちんと詠唱をすれば、多少の不快感があれど、ほとんど同等の力を出すことができたことに、はホッと息をつく。あのアクセサリーを身につけてからというもの、どこに行こうにも着用していたため、これほど長期間外したことはないのだ。

 少しだけ頭痛を引きづってはいるものの、歩けないほどではない。

「……さあ、先に進みましょう」
「なんじゃ? 具合でも悪ぅなったのか?」
「そういう訳ではありません」

 深く踏み入れようとするモーゼスに、は首を振った。彼からすれば、テンションが上がったり・下がったり、忙しい女といえど疑問に感じないはずがないだろう。

 否定はしたものの、どこか腑に落ちなさそうな彼を前に、は話題を変えようとする。「ええと、――そう、呼び名の話でしたわね?」


「ええ、そうです! それがわたくしの名前です! とうとう――」
「ワイはその話をしてるんじゃなか」

 先程、はモーゼスにしたかのように、モーゼスはツカツカとの前まで歩いてきた。その剣幕に、はとっさに逃げ道を探そうとするが後ろは壁だった。観念してゆっくりと彼を見上げる。

「……体調は問題ありません」
「ほがぁか」
「ですので、早く行きませんか?」

 モーゼスにとって、はせいぜい知人レベルだ。出会ったのもつい最近で、名前を知ったのは本日のこと。深入りするほどの仲ではないのだが、だけど、そんな知人でも簡単には放っておかないのが彼だった。

 無言のまま、壁に押し込めらるように立っていたが、モーゼスは息をつくと少々間を開けた。

「何も言わん。とは言った」

 それはきっと、が爪術を使うことに関してだろう。約束とは言ってはいないのに、律儀に守るその姿に、は観念して口を開けた。

「……いつもつけているアクセサリーがないので、少し不調なだけです」
「フェアリィリングでも付けてたんか?」

 モーゼスは精神力の減少を抑えるアクセサリーを挙げる。彼自身、そういった特別な装飾を付けてはいないが、爪術士としてある程度の装備品は把握しているようだ。
 それには「いいえ」と静かに零した。

「ミスティシンボルです」
「……ミスティシンボル?」そう聞き返すモーゼスは効果を知っているからこそ、怪訝そうに返した。
「ええ、今のこの症状とは全く関係ありません。精神的な問題なのでしょうね」

 ミスティシンボルがないからといっても、できることは変わらないはず。異なるのは速度だけだろうに、「アレがないと」とどうにも心がざわつくだけだ。

 実際に爪術を使ってみて、たった1つモノがないだけでここまで不安になるとは思わなかった。万が一何かあったら、そう考えてしまう。ひどく臆病な自分がいるなんてと、自嘲する。

「爪術自体は、何も問題ありません」

 それはモーゼスにではなく、自分自身に訴えているようだった。

「やっぱりワレは、」

 ――ギートが吠えたと同タイミング。「ファイアウォール!」と、聞き覚えのある少女の声が届いたと思いきや、の目の前が赤でいっぱいになった。

「っなんじゃ!?」

 軽々しくを横抱きにしたモーゼスは、咄嗟に避けるが、彼の服からどこか焦げた匂いがするので多少なりとも当たったのだろう。彼の腕の中、はその声のもとを探すべく、見渡した。

「うわっ避けるな~! グレイブ!」
様! 大丈夫でしょうか!?神ッ風ッ閃!」
「おおおっ!?」

 道の先にいたのはノーマとクロエだ。2人とも眉を釣り上げてこちらを見る。その表情で見られては、さすがのも素直に再会を喜べずに、口元に手を当て、思考を巡らせた。

 一方、狙いは自分だと理解したモーゼスは静かにを下ろすと、槍を構えた。その足元にはギートも構える。

「いきなりなんじゃ!」
「アンタがンにベタベタ触ってるからでしょ! 何のつもり!?」
「貴様に話を聞く暇はない……今、ここで……!」
「あーあーあー! 分かった分かった。勘違いじゃ! なあ、も言ってくれんか?」
「……ノーマ様もクロエも無事で良かったわ」
ン、ちょーっと待っててね! 今そいつぶっ潰すから!」
「ワイへのフォローがあってもええじゃろ!?」

 まさに言葉のドッジボールを行っていると、さらに奥から足音が届く。

「無事か?!」
「なるほど、またを……」

 続いて現れたのはセネルとウィルだった。その後ろには見慣れない少女が1人。水道を使われていたことで不安に思っていたが、全員無事だったようだ。は胸を下ろした。そしてよくよくセネルを見ると、誰か背負っているようで、目を凝らす。
 そして、その姿に覚えの合ったは息を飲んだ。

「ああ、そうだ。シャーリィを見なかったか?! 俺達より先にここを抜けたと思うんだが……」
「まさかバカ山賊はンのお金目当てだったり?」
「っいえ、わたくし達は誰とも会っていません。シャーリィ様はおそらくこの先の……」
「アイツはアジトの時も様を……許せん!」
「……このヒトも陸の民の……」
「落ち着けクロエ。しかし、この人数で逃がしはしない」

 あちらこちら。会話が行き来する中、「なんでもえぇからワイの疑いを晴らしてくれんか!?」と、爪術を避けながら発するモーゼスの悲痛な声が毛細水道道内に響いた。

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