男は成功したという


34


「…んー…?」
「……は、将来何になりたい?おばあちゃんが叶えてあげるよ」
「なにモ、ないよー」
「………そうだね、ここから出た事が無いんだものね」
「ベツに、いいよー?だって、ワタし、おばァちゃんが、イレば、いいよー」
「ごめんね、……」
「でもネー、このマえネー、おバァちャン、シラなイこと、あるイテた」
「知らない子?」
「そう、デ、ナマエ、わタシと、おナジなンだね、って」
「……」
「ワタし、そのコとナカヨくなレるキガする、よー」


「オバァちゃン、どしたの」
「……お祖父ちゃんがね、死んじゃったんだよ」
「オジーチャン…?誰?」
「おばあちゃんの、大切な人だよ」
「たいせつなひと?……それで、おバぁチャん、どしたの?」
「…おばあちゃんもね、死んじゃうんだ」
「え…エー!駄目だよォ、アトオイジサツは駄目ダよー」
「……私もね、残るアンタ達が心配だから…」
「タチ、って、もウ一人の?」
「そう、だからね、にも協力してもらいたいんだ」
「何ヲ?」

「―――実験の用意を、ね」

35

 時計の秒針が、の返答を急かすようで煩わしい。

「どう、と言うか、えっと……」
「責めている訳ではありません。思ったことで大丈夫です」
「例えばそれが本当だとして……、」

 本当だと言ってしまえば、ジェイドは何をするのだろう。ここまで初対面同然のの家までやってきて、何でもないですとは、恐らく無いだろう。フォミクリーを禁じられたものだとしても、の意思ではない。しかし、この場にいられなくなる可能性はある。

「博士は…」と、顔を上げた時だった。姿勢を正して座っていたはずのジェイドの体が揺らいだ。

 はその様子をきょとんとした表情で見ていたのだが、事の重要さにようやく気付いた時はすでにジェイドの体は机に叩きつけられていた。

「え、は、博士!?どうなさいましたか…?!」
「……ぅ……」

 ジェイドが倒れた拍子に、紅茶の入ったカップとポットも音を立てて倒れた。それらがジェイドにかからないように、は避けようとしたのだが、如何せんポットの中はまだ熱くて手の甲が少しだけ赤くなった。熱い湯がかかったからと言って、目の前の人間を放っていけるはずもなく、はジェイドの肩を擦る。まだ、意識はあるようだ。

「ど……どうして……?」
「…さん……、この家には…誰か他にいますか……?」
「え……?」

 答えるか、答えない所でジェイドは瞼を閉じた。揺らしても、起きない。

 サァと青くなったであろう。はまずジェイドの体をソファーに寝せ、当然の如く呼吸も心拍数もある。強い睡眠薬のような、そんなものを飲んだようだ。だけど、ここで用意したのは紅茶とクッキーだけで、紅茶だって、変なものを入れていない。はずだ。彼女にはジェイドを眠らせて得するようなことなんて何一つない。しかし、そんな言い訳を誰が信じてくれようか。
 テーブルを拭いていると、裏口から音がした。そこから現れた人物にはどこか安心したような顔を零した。
 
「あ……バルフォアさん……」
「……失敗、か」

 酷く残念そうに、そして舌打ちをしながら彼は言った。そもそも、こんな早く帰ってくるはずなんてないだろうし、あたかも彼が全てを知っているようだった。嫌な予感がすると、彼女は顔色を曇らせる。
 
「し、しっぱい…って…?」
「本当なら貴女がこうなるはずだった。……それで、僕はネフリーに適当な事を言って、ここに来るように言う。……小屋には倒れているに、起きているこいつ」

 溜息をついた。「そこで誰を疑うなんて火を見るより明らかだ」
 
「じゃあ…これはバルフォアさんが仕込んだ事なんですか…?」
「ああ。…そうなればジェイド・カーティスは二度とここに近づけないはずだった」
 彼が仕組んだのは紅茶のポットだった。その中にキツい睡眠薬を入れておけばいい。それに、彼の予想では、ジェイド・カーティスは紅茶を出されても一滴も飲まないだろうと踏んでいた。逆には、緊張しているのだから飲むだろう、と。それなのに現状はこうだ。的外れすぎる結果に、彼は不機嫌さを隠せないでいた。

「あ…あんまりです!」
「貴女には悪いが…このやり方が僕には必要だった」
「でも、だからと言って……!」

 はジェイドを尊敬したからこそ、ここまで怒りを露にしていた。恐らく、彼女に『初めはが倒れる予定だった』と言う情報は入っていないだろう。いや、入っていたとしてもそこはまだ許せる範囲だ。彼が自分を殺す訳ないと、思っている。だけど、例え死なない程度でも、尊敬した人物がこうなってしまって、笑顔ではいられない。

「大体わたしの……っ!」

 思わず叫びそうになった言葉を止めた。言ってはいけない事を今、言おうとしたのだ。この大きな言葉が聞こえない訳が無い。彼は目線をこちらに向けて言う。
 
「……わたしの、なんですか」

 彼の茶色の目が深く沈んでいくようだった。
 
「ち、ちが…違うよ…」
「…貴女は、ここが僕の家だと言っていたな…。だけど、それが本音ですか」

 責められる様な口調に、はただ口を押さえて頭を横に振る。恐い、という気持ちもあった。だけど、目の前の彼の表情はとても悲しくて、痛かった。泣きたそうで、きっと、よりも泣きたそうな顔だった。は瞬きすると、涙が一滴、頬を伝った。

「こんな部外者が勝手に申し訳ございませんねえ、今すぐ出て行くのでもう大丈夫ですよ」
「待っ、て…待ってよ、バルフォアさ…」
「っ黙れ!!その名前で僕を呼ぶな!!」

 ジェイド・カーティスには要らなくなった旧名。地位も名前も、全てオリジナルのものだから自分が易々と譲り受けられるものじゃない。ジェイド・バルフォアはもういない。だが、ジェイドはジェイド・カーティスとして存在する。彼は要らなくなったバルフォアを、こっそりと、貰っただけだ。

 初め名乗る時に「ジェイド」と、そう名乗っていたのなら何か変わっていたのかもしれない。名前を呼ばれただけで怒るなんてことなかったかもしれない。しかし、「バルフォア」と名乗ったのは、要らなくなった旧名のまま名乗ったのは、自分自身だったというのに。

36

 ジェイド・カーティスが目を覚ましたのはそれから30分後だった。窓からは夕暮れが溢れていて、だけどまだ夜にはならない。
 『彼』の使った睡眠薬は、ただ即効性なだけで、長く続くものではなかったようで、は溜息を吐いた。起き上がった所を見、は立ち上がり深々と頭を下げた。

「本当に…申し訳ないです」
「……いえ、…一つだけ聞きますが、これはさんが行った事ですか」

 は静かに首を横に振ると、ジェイドは少し安心したような顔をした。

「分かってはおりましたが、確認して少し安心しました……その人物を、教えてくれますか?」

 または横に首を振る。唇を噛み締めて、目を伏せて。
 その様子を見てしまったからにはに吐かせると言うのは無理だろう、とジェイドは静かに考えた。大事が無かったとは言え、他人の家でこうなってしまうのは当たり前だが信頼問題に関わる事だ。だけど、は痛々しく目線を下げて、ジェイドに謝っている。これ以上の詫びはきっと、必要ないだろう。

さん、頭を上げて下さい」
「だけど…」
「…少し、お話しがありますので腰掛けて下さい」

 そう言われたからには、とは渋々向かい側のソファーに座った。

「レプリカが、この家には居ますね」

 その言葉を分からないと言えたらどんなに良かったのだろうか。しかし、これ以上の誤魔化しは効かないと、腹をくくるしかなかった。そもそも、それは自分自身を指しているのかもしれない。
 
「………はい」
「そのレプリカは、初めにお祖母さんに作られたものと、同じですか?」
「いえ、その子は……今朝、埋葬しました」

 ああ、とジェイドは思った。朝、初めに見たあの姿はその後だったのかと。少し勘違いをしていたようだったが、根本的な所は変わらない。この少女は死を泣いていたのだ。
 少しだけまた、涙声になったは言う。

「彼女は『』という名前だったんです」
「……貴女の、レプリカ?」
「分からないんです……だから、オリジナルかもしれない

 ジェイドは思わず声を失った。頭の良い彼だから、すぐに分かってしまったのだろう。祖母が始めに作ったのはのレプリカで、それは随分前だ。となると、自身、とても幼い頃であって、幼いオリジナルと、レプリカの区別など、付くだろうか。祖母だから分かる、と言う問題ではない。そういう研究、なのだから。

「わたしが、わたしがか分からないのに…でも、その子はずっと一人で…」

 思わず顔を伏せた。このままだとまた、泣いてしまいそうな気がした。
 
「…さんに接触したのは、貴女自身もフォミクリーの研究をしているからと思ったからなんです」
「あはは……生憎ですがわたしは最近になって初めて知りました」
「……そのようですね。……本当に罪深い研究だ」

 ジェイドと話して思い浮かべるのは、『彼』の存在。成功作と呼ばれていたのだから、彼は誰かのレプリカなのだろう。そして名前。その3つを結びつけると意外と簡単に答え場くっ付いてきて、は苦笑する。ようやく分かった。あなたの事。

「本当に、全てが罪深いものなのでしょうか」

「……さん?」
「確かに、人は母体から生まれてくるものです。それ以外から生まれたのだからと全て、全部、罪だと言っていいのでしょうか。共に呼吸をして、考え、生きているひとを否定してもいいのでしょうか」
「…………」
「……ちょっと、ごめんなさい」

 そう言いつつは立ち上がり、外を見る。いつの間にかごうごうと、雪が降ってきたようだ。だけど、そんなのをお構いないしに、マフラーと帽子、上着を身に付けた。

「……今、大雪ですよ?」
「ええ、だけど、迎えに行かなきゃいけないんです」
「………誰をですか?」

 そう聞かれ、そういえば『彼』は自分にとって何なのだろう、と考え、すぐに頭に思い浮かんだ言葉を少しだけ照れくさそうに言った。

「わたしの、家族です」

38

 寒かったけれど、今は寒くは無い。ここにある音機関はまだまだ使えるようで、簡単な譜術を使えばすぐに暖炉は使えるようになった。少し血生臭いこの場所。彼は暖炉の真正面の、ボロボロになった絨毯の上に座った。

 寒いと言われれば寒い。寒くないと言われれば寒くない。そんなよく分からない感情に包まれながら、顔を伏せた。何、初めに戻っただけだ。あの女が居ようと居なかろうと、自分の人生には関係ない。ただ今は少し、寒いだけだ。
 ふう、と息を吐いてみると、まだ白くなる。ほら、やっぱり寒いだけだ。

 バルフォアと名乗ったって、ジェイドと名乗ったって、結局何も変わらなかっただろう。名前なんて親によってランダムに決められるもので、捉え方で如何様に意味合いを変える都合の良いものなのだから、何も、何も変わらないのだ。自分がレプリカである事実は、変わらないのだ。

 フォミクリーを、まるで完璧だのように扱っていた自分が馬鹿らしい。こうして、レプリカジェイドである自分だから分かった。下らない下らない下らない。
 折角記憶も完全にあるレプリカが出来たのに、もうフォミクリーには懲り懲りだ。これをもう一度すればネビリム先生が蘇ると分かっているのに、そんなのやりたいとは思わない。ネビリム先生はもういない、死んだ、彼女と言う人間はもういない。

 ようやく死と言うのを、少しだけ、ほんの少しだけ理解出来たかもしれない。嗚呼、本当に人間ではどうしようもないものだ。これをオリジナルジェイドは既に分かっているのだろうか?そう思うと、なんだか許せない。やるせない。

「……しに、たい…」

 不思議と、彼の口はそう呟いていた。そうだ、自分はいつだってもう無理だと分かった瞬間、死にたくなっていた。どうでもいい時は平然そうな顔をして、駄目になったらもう死にたいと。死ねば全て楽になる。死ねば後に残ったものなんて知らない。死で償える訳がない。せいぜい拷問を受けて死ぬのなら償えるくらいだ。死は逃げだと誰かは言った。
 本当に死にたいのか?死にたいのなら初めから死んどけば良いものを。どうして今まで生きてきたか。生かされたのではない、必死で生きたがってたのは。

「…し、…ね、ない」

 死ねない。死ね、ない?なぜ自分は生きたがっている?前まで、あんなにも、あんなにも簡単に身を投げ出そうとしたじゃないか。もう嫌だ、と分かったらすぐに死ねばいいと思っていたじゃないか。何が変わった?どうしてこうなった?誰が変えた?

 違う、自分から変わったんだ。掴み取るように生に縋ったんだ。こんな姿を笑うのだろうか。いや、きっとあの人は笑わない。

 そして目を閉じた瞬間、上から声がかかった。
 
「………あれ?……だ、大丈夫ですか!?」
「良かったです、ここに居たんですね」

 光もないのに眩しかった。暗くはないのに、見えにくかった。
 
「………相変わらず、タイミングが悪い」

 いつだって死を考えると、彼女がいた。その横にいる人物は、この感傷に浸っている時じゃなくても邪魔な存在ではあるが、それ以上にまた彼女に出会えた瞬間に嬉しさが溢れるようだった。
 がここに来たのは勘だった。はただ彼だったらそこにいるだろう、とそう思った結果、そこに向かっていた。『』とフォミクリーのあったあの小屋に。

「帰りましょ、町への買い物、やっぱり荷物持ちが必要です」
「……僕、は、」
「そうやって人の行為を踏みにじるのはどうかと思いますね」

 と、嫌味を言うのは彼女の後ろに立っていたジェイド。その姿を『彼』が視界に入れると、怪訝そうな顔をした。それをは、申し訳なさそうな顔で返す。

「ごめんなさい、約束破っちゃいました」
「……この様子を見ると、大体18歳前後でしょうかねえ…」

 平然とした顔で、それもジェイドなんてもっと拒絶させると思っていたから、彼は唖然とした顔を続けている。それをジェイドは嫌な笑いで見た。
 
「ほら、立って。…えーと、何さん、ですかね」

 はクスクスと笑いながら、彼の腕を掴み、立ち上がらせる。彼は思わずそのまま立ち上がったけれど、先ほどの言い争いを思い出し、掴まれている腕を振り払う。

「……僕はまだ一言も、何も言っていない!」
「えっと、さっきはごめんなさい。あの家は、わたしとあなたの家です」
「おやおや、若い二人のその発言に嫉妬してしまいそうです」
「は、博士は少し黙ってて下さい!」

 少しだけ取り乱しかけただったけれど、すぐに顔を戻して、彼の方を向く。
 彼からしてみれば、先に謝ると言う権利をあっと言う間に取られてしまったのだから、少しばかり言い出しにくいようで、目線を逸らした。
 
「ほら、マフラーが取れかかってますので結びますよ。後ろで!」
「……止めてくれ」

 彼は、飛び出した時からずっと付けていたマフラーを引っ張った。

fin

後書き