男は成功したという


ある少年の考察

 ここ数日間の事を、僕はまだ実感出来ていないままでいた。

「このお皿、あっちにお願いします!」
「はい、分かりました」
「…本当、ごめんなさい。手伝っていただいて…」
「構いませんよ」
 この小屋に住んでいるのは、僕ともう一人。だけど、この会話は僕を除いて行われていた。なぜならば、と考える必要などない。来客(いや、『客』だなんて思っていないが)が来ているからだ。
 僕が起きる時間は大抵決まっている。この小屋の家主であるの祖母の部屋、つまり今現在では一応僕の部屋には、時計が置いてあるが、いつも起きると同じような時間なのだ。これは、きっとが僕より先に、それもいつも規則正しく起きているからだろう。僕はいつも人の歩く音で起きている。そしてかすかな朝食の匂い。ただ、今日はその歩く音が多い、それに声が聞こえると思ったらコレだ。全く、気分が滅入る。
 『彼』は僕を一見、あざ笑うかのように(はこれを気のせいだというが、どう見ても奴は僕をその目で見ている)言った。
「はは、全くお寝坊さんですねえ」
「……確か、睡眠は体に負担がかかるから老人は深く眠れないんだったか?」
「………え、それってわたし……」
 彼だけに対していったつもりだったが、誰よりも早くに起きたであろうは箸を持ったまま硬直した。相変わらず喜怒哀楽が分かりやすく、面白い人間だと思った。
「ところで、どうして貴様がいるんだ」
「おやおや、貴様なんて言葉、どこで覚えたんでしょう……」
「答えろ!」
「博士はあなたの様子を見に来てくれたみたいなんですよ!」
 にっこりと、は笑う。この前から、は僕の名前を呼ばなくなった。いや、あれは一応偽名と言えば偽名なのだから、僕の名前というのには気が引けるが、少々分かりづらいことになっている。今のように、あなた、と簡単に置き換えられるならまだしも、呼びかけるときは大抵「あの」や「えっと」だから、ちょっと困っている。だが、呼ぶなと否定したのは自分だし、今更バルフォアでいいですなんて言うのも癪だ。
「僕の様子を……?見ての通りピンピンしている。帰れ」
「まあまあ。トーストが焼けましたよ」と、奴は言った。
「……百歩譲って僕の様子を見に来たとしよう。それで、どうしてこんな朝早くなんだ。非常識だと思いますよ」
「私からすればうら若き男女が一緒に暮らしている事の方が非常識だと思いますけどねえ」
「は、博士……」
「ま、とどのつまり様子見なんですよ。色々と、ね」
 相変わらずこいつは僕の腹立つポイントをツボ押しの如く攻めて来る。本当に嫌な奴だ。自分も後何十年か生きるとこうなるのか、と考えたが、それは絶対嫌だと脳が訴えた。こんなのになるものならどっかの洟垂れの方がマシだ。

「……これは?」
 もう無視しよう。そう決めて、僕は席に着くと、目の前に置かれているスープがいつもと違う匂いをしている事に気付いた。色からして、コンソメスープかと思ったが、コンソメの香りはしない。
「オミソシル、というスープなんです!バルフォ、…えっと、あなたが豆腐がお好きだと聞いたのでそれを使った料理を研究しようと思って!」
 キッチンからは顔を覗かせて続けた。「ただ、ちょっとトーストには合わなかったりするかもしれませんね、ごめんなさい……」
「別に、」
「いやあ、別に謝る必要なんてありませんよ。好物を覚えていらっしゃって下さって嬉しいです」
「え?え、あ、あはは……」
 突然割り込んで来た奴を睨んでみるが、全く効果はないようだ。そういえばこいつと同じ食べ物が好きなんだ。ああ、忘れていた。

(忘れていた?)

 ああ、なんて不思議な感覚なのだろう。彼は僕の未来だと言っても過言ではないのに。本当に、本当に自分がこうなるのだとは思えない。
 勿論、容姿や声は似通っている点が多い。だけど、中身が分からないのだ。睡眠薬を入れたときだってそうだ。こいつなら、僕なら絶対に他人の家で出されたものなんて飲まない。まして、こんな辺鄙なところで暮らす女の家だ。それなのに予想は外れた。
 10何年かして、その時まで生きていられるのならきっと僕はこのような姿になるのだろう。だけど、彼のようにはならないと、どこかで確信していた。どこかは似ているだろう。18歳の記憶までは一緒なのだから。だけど、これからはずっとずっと、違うんだ。


 は祖母と『』の墓に用があると言って出かけた。ついて行くと言ったのだが、頑なに大丈夫だと主張され、それをなぜかアイツまで肯定するのだから、僕の出る幕はなしになったのだ。
 そこでようやく気付いた。
「それで?僕に何の用だ」
「冷たいですねえ。もう少し素直になってもいいんですよ?」
 こいつは本当に、僕の様子を見に来たんだ。部屋の主であるが出て行ったのだから、町に帰るついでに帰ればいいのに、こうやって居座るジェイド・カーティスは前同様のんびりと紅茶を飲んでいた。もちろん睡眠薬なんて入っていない。
も、グルだったのか……」
「グルなんてひどい言い方ですね。さんは協力して下さっただけですよ」
 奴は笑う。いつから、こうやって彼は笑うことを覚えたのだろう。
「身体面は良好のようですね」
「……激しい運動などをしなければな」
「ただ……私が気になっているのはさんの方なんですよ」
の?」
 予想しなかった質問に思わず眉を潜める。何か変なところはあったか、と思い出そうとしても、何も変わりはない姿しか思い出せない。いくら最近知り合ったとは言え、その中で随分長い時間を共にしたんだ。少しは分かっているつもり、だった。
「貴方は、『』さんと、そのお祖母さんの死体を見たんですよね」
 断定だった。勿論それに嘘をつく意味はないので黙って頷いた。
「それを埋葬したという事は、それらに肉体は存在したんですか?」
「ああ、完璧な、『遺体』だった」
「……貴方なら分かっているでしょう。それはつまり」
 レプリカが死ぬとき、その体は音素に還り消滅する。それは僕の研究結果でも分かっていたことだ。だから僕だって彼女の祖母をレプリカだなんて思わなかった。完璧な遺体だった。フォニムに帰らなかった彼女がオリジナルだったのか?しかし、は小屋で暮らすようになってから体が弱くなったと言っていた。それはレプリカのためか?それとも情報を抜き取ったせいなのか?

さんが、レプリカということになるのです」

 重みのある言い方だった。伊達に何年も生きていないな、と僕は何だか暢気にそう思った。ああ、そうだ。そうなのだ。『』の遺体はもう見ている。フォニムには返らない、人間の、遺体。
さんはどっちが本物か分からないと言っていました……。だが、実際のレプリカは消滅する。……彼女は科学者ではありませんので知らないと思いますが」
「……もし、彼女がレプリカならどうするんだ」
「どうもしませんよ。ただ、実際に見た貴方の意見を聞きたかっただけです」
 ジェイド・カーティスは僕を真っ直ぐと見た。譜眼のせいでやけに不気味に見える。この目でいつも、周りを見ていたのかと思うと何だかゾッとした。
「僕は、そうは思わない」
「ではさんがオリジナルなのですか?」
「分からない」
「………貴方にしては随分幼稚な答えですね」
 少し、奴が呆れた気がした。
「仕方ないだろ。『分からない』んだ。僕の研究と、彼女の研究は違う。どうやって研究したのか分からない、どの物質を使用したか分からない。全ては、が死ななきゃ分からない」
「………」
「今まで見てきた例は『』と、その祖母だ。オリジナルが違うのだから結果的に見たのはワンパターンだけだ。それなのに決定付けは出来ない」
 もしこれが実際に僕の研究に沿ったものだったら、両方ともオリジナルと判定し、はレプリカだと言っただろう。だが、違うんだ。少なくとも、記憶を持ったレプリカが出来る時点で、僕より何十歩も先。
「……ではもし、さんの死後、体は残っていたとしたら?」
「それならば」
 僕は少し考えた。もしが死んで、その体をこの腕で支えることが出来たのなら。考える。それはいつになるか分からない。何十年も先かもしれない。明日かもしれない。だが、もし、僕の目の前で死ぬのならば。僕は、君を。
「ひどく恐ろしい研究が完成していたという事だ」
 じ、っとジェイド・カーティスを見ていると、奴は僕から目線を逸らして、まるでため息をつくかのように言った。
「……嫌な目ですね。まるで、昔の自分のようだ」
「今更な事を言う。僕は、」
「……君は、私ではない」
「僕は、ジェイド・カーティスだ」
 奴の声が聞こえないというように、僕は大きく言った。そうだ、ずっとずっと、忘れていた。自分の名前。
「貴様と僕が似ているのは当然だ。少し前まで同じ記憶を持っているのだから。だが、それもこれまでだ。僕は僕だ。そして僕は貴様だった」
「……トチ狂ったかのような台詞ですね。ですが、まあ貴方の言うとおりでしょう」
 これからだ。全てはこれからなのだ。ようやく道は分かれた。僕は、自分の歩きたい方向へ行く。


「え!博士帰っちゃったんですか?」
 が帰ってきたのはそれから2時間後だった。丁度日が天辺に昇り始め、もしかしたらこれから起きてくる人間もいることだろう。燦燦と晴れた今日は雪も降っていなく、ただどうせどこかで転んだのだろう、膝が雪まみれになっていた。
「ああ。用事があるそうだ」
「そうなんですか……。大変ですねえ」
「………」
 暖炉の前にマフラーや帽子やらを置き、はロッキングチェアに座った。キイキイと、最近は聞いてない木の音が聞こえた。
「………ごめんなさい」
「……何が」
「博士の事あんまりよく思ってない、ですよね…?それなのに二人っきりにしちゃって…」
 はぼそぼそ呟いた。やはり、二人で計画していたことなのか、という事で息を吐いたが、それをはどう勘違いしたのか、肩を揺らした。
 「怒ってるわけじゃない」そう言ったものの、まだ疑り深く僕を見た。
「……は、レプリカについてどう思う?」
「どう、って……」
「じゃあ、祖母のように自分のレプリカを作りたいと思うか?」
 そういうと、少しだけは表情を曇らせた。表現が悪かったかもしれないが、他に言いにくかったのでこういったまでだ。は目線を逸らす。僕はそれをじっと見る。
「思いません」
 と、思っていた以上に、きっぱりとした口調では言う。
「あのね、わたし、すっごい嫉妬深いんですよ」
「……はあ」
「だから、大切な人がわたしが死んで悲しんだとしても、そこに、わたしじゃないわたしが居るなんて耐えられないんです」
 記憶も容姿も全て記憶通りの。だけど、それは個々として存在しているのだから、別人。僕と奴のようなものだ。結局は違う人間になる。それは当然の結果だ。奴も、僕も生きているのだから。
「最初、フォミクリーの話を聞いたとき、考え方を変えれば不死の機械だと思ったんです。でも、そんな事ないんですよね」
「どうしてそう思う?」
「だって、あなた達がそうじゃないですか」
 ああ、だからこの少女は時々的を射る発言をするのが末恐ろしい。
「レプリカが嫌なわけじゃありません。そうじゃなきゃ、あなたと会えなかったし、だけど、………ううーん……」
 突然、は喋るのをやめて、考え始めた。「ごめんなさい。ちょっと考えがまとまっていないからまた今度にして、お昼にしませんか?」

「ところで、貴方はもしさんが亡くなったら、フォミクリーを使うおつもりですか?」
「いや……きっと使わないだろう」
「…へえ、本当ですか?先ほどの目からすると、使うように見えたんですけどねえ」
「少しだけ、そう考えた。だが、フォミクリーで作られたのはじゃない。自分がレプリカで、面と向かってオリジナルを見ているから、自分が自分であってオリジナルとは違うって分かっているのさ」
「つまりは、『ひどく恐ろしい研究』の結果、出来るものは全くの別人だと?」
「ああ。いつだってそれは完璧で、不完全だ」

ある少年の考察 fin