僕には、つきびとがいる。


[ふはははは!人がゴ]
「うるさいよ!耳元で騒がないでくれる?!」

 いつも通りの並盛学校の屋上。青一色の高い空を眺めながら僕は寝っ転がっていた。いい天気。そう呼ぶのだろう。晴れているし、それに風があるし暑くもない。

 そこで草壁からここ2・3日で起きた話を聞いていたんだけど、僕と同じように屋上に上がって、僕とは違って下の校庭を眺めていた『僕のつきびと』は人混みを見ると恐らく某ラピュタをみた者の70%は言うだろう在り来たりな台詞を吐いた。
 そのつきびとの声は普通に聞こえるんじゃなくて、調子の悪いマイクのように、ときたまキンキンとした音と共に頭に響くように聞こえるから、叫ばれるととても迷惑なのだ。そんな声に耐え切れない僕は思わず声を上げたが、近くに草壁がいたせいで、彼は自分にうるさいと言われたと勘違いしたのか、驚いて目を丸める。

「へ……!?へい!申し訳ありません!」
「あ、ああ……別に草壁の事じゃ――」
[そうだぞ、貴様の声はとてもらぁじだ。それ即ち公害レベルだ!!]
「――っだから!大声を出すな!」
「すっすみません!!」
「それからラージじゃなくてラウドだから!」
「はっ!?あ…、す、すみません!すみません!!」

 (ああ、思わず「普通に」話しかけてしまった。)
 草壁はもう自分で何を謝っているか分からない状態だっただろう。だが基本的にアイツは僕に逆らおうとしない。だから謝るしかないのだろう。彼はかんかんに怒った(ように見える)僕にペコペコとまるでそれしか動くことの出来ない人形のように何度も頭を下げ、そしてタイミングを見計らうと早足で屋上を出た。
[まるで尻尾を巻いて逃げるようだ]そう、つきびとはケラケラ笑った。

[キョーヤ、話を聞いてやらないなんてお前はケチな性格なんだな!]
「……どうとでも言ってよ」

 青が広がる天気の良いこの日。いつも通り僕は屋上にいる。いつも通りの風景。だけど、この僕が見ている風景を第三者が見たらとても驚くだろう。そう、僕が見ているのはいつも通りじゃない風景なのだ。だけどもうこれが慣れてしまったので、これが僕のいつも通りの風景。

[ハッハッハ、いやあ本日は晴天なり!]

 僕のつきびとは、そう言うと、高いフェンスをなんのその、軽く地面を蹴り、ジャンプするというよりは飛びように、ひょいと軽々しくその上に立った。僕が見ているのはいつも通りじゃない、おかしい風景。きっとこんなの今校庭で100メートルだかのタイムを取っている生徒達には見えていないだろう。紅色の派手な袴を着た女なんて目立つはず、なのに。
 何が楽しいのだか、彼女はどこからか扇子を取り出しそして笑いながら仰ぐ。

[こんな日にはそう、飛んでみたくなるな!]
「はあ……それは君だけだよ」
[まあまあそう冷たいことを言うな!一度やってみたらやみつきになるかもしれんぞ?]
「……そうだね、そして君みたいに」

 僕は顔を上げて彼女をじっと見た。「死んでしまうんだろう」

[何を言う。それじゃあまるで私が、空を飛んでみたくて、そして高いところから実践して、そしてそして死んだようではないか!]
「僕からしたらそんな間抜けな死に方が君にぴったりだと思うけどね」
[キョーヤ、うん、キョーヤ、君はたまに生意気になるな]

 がフェンスの上で胡坐をかいてウンウンと頷いた。ああ、全く持って不自然で自然な景色。おかしいはずなのに、どうしても彼女の紅が空の蒼とマッチしていて、ぴっちりと当てはまったパズルのように可笑しい事は何一つないんだと僕の脳に囁いてくる。

「それなら、君はたまに、いや、いつもおかしいね」
[ああ、ほらやっぱり生意気だ!]

 言葉だけ聞けば怒っているようなのに、その声色と表情は全く持って楽しんでいる。その理由が何なのか僕には分からないけれど、とりあえず彼女はこういう楽天家なのだということで決着はついた。

[生まれてこの方ウン百年!キョーヤ以上の生意気を私は見たことがないぞ!]

 そういうと、『僕の憑き人』は再び扇子を広げた。その様子があまりにも優雅で僕は思わず目をくらます。これは太陽がまぶしいせいだと、誰にも言わない言い訳を心の中で呟いて。




 僕とが出会ったのは何でもない、本当に何でもないものだった。―――と主張してはみるものの、どうせこれから洗いざらい話すというのならこの強がりも意味のないものへと変わるのだろう。どうせ。どうせだ。

 正直に言おう。転んだんだ。……ここで勘違いしてもらいないでもらいたい。別に、別に僕は学校に遅刻しそうになって慌ててた、とか、そういうのじゃないし、ていうか僕は別に遅刻していいし。ただあれは足元に空き缶が置いてあったせいなんだ。そう、空き缶のせい。僕のせいじゃない。そりゃあ、ずっと足元を見てばかり歩くわけじゃないしね。たまには見るかもしれないけれどさ、下ばっか向いていたら人にぶつかるかもしれないし。そう、そうなんだよ。

[やあ、やあ少年。大丈夫か?]
「だ、大丈………っ!」

 僕からすれば、まさかこんな顔から、ビッタン!と大きな音がするくらい顔から転ぶ予定なんて今日のスケジュールに入ってなかったし、ていうか一生の予定にでさえ入ってなかったから凄く戸惑った声だったと思った。そして思わずそのヒトの差し出す手を取ろうとした。人間、あせってる時というのは思っていることと別のことをしてしまうみたいなんだね。普段ならきっと、僕は人の手なんて取らない。
 まあ、だが結果的にはその手も取らなかった――いや、取れなかったのだ。

「うわっ……!?」
[んん?……あら?]

 手を伸ばし、前にかけた重みはどこにも行けなくなり僕の身体はそのまま同じように倒れる。取れなかった。いや、取れなかった云々の前に僕は今どこに倒れた?僕の記憶が正しければここには人がいたはずだ。そう、紅色の袴を着た、女性?

[あら?あらら……?]
「……き、きみ、は………」
[ららら?]

 思わず飛びあがるくらい―――ここで注目してもらいたいのは『くらい』という言葉で、僕は決して本当に飛び上がったという訳ではないということだ。うん、いや、あれは仕方ないだろう。だって顔面からすっ転んで、それだけでもう僕の気持ちというか、心というか、それもう既にズタボロだというのに次は変な女と遭遇したんだ。そしてすり抜けるんだ。これ以上に驚くことなんて、そう、今の日本にはないよ。絶対そうだ。少なくとも僕はそう思う。世界中の人間が違うと言っても僕は以下略―――の勢いで後ろに下がり、その女を見上げた。だけど、僕と同じように、その女も驚いているようで首をかしげている。

 そんな顔をしたいのは僕のほうだ!と考えていると、彼女の横にも何か、今まで見たこと無いような何か、とてもご対面したくなかった何かが見えた。

[どうしたんだよ、。そんな顔しちゃって]
[いや、いやぁ、どうもこの少年が……]
[少年?]と、頭に笠を被った奴は僕をじっと見る。[ほお、こいつはたまげた!ばっちりこちらと目が合ってるじゃないか]
[そう、そうなのだよ。それでどうにも驚かせたみたいでねえ]
[坊、別におれらは悪さをしようとしてるんじゃねえぞ。もうちぃとりらっくすせんか!]

 まあすぐには無理だろうけどなガッハッハ!と、そいつは豪快に笑うだけ笑うと、いつの間にかスと消えた。

[と、いうことだ。恐らく今の転んで頭を打った衝撃で私、たちが視えるようになってしまったんだろう。ああ、どうしてという顔をしてるな。実はな、私はずっとこの辺りにいたのさ。だからお前の事はよく知っているぞ。並盛中学校の風紀委員長、雲雀恭弥だろう?お前は目立ちすぎだからな、私たちの仲でもちょっとした有名人で――……んん?どうしたキョーヤ?口が開きっぱなしだぞ?………キョーヤー?おおーい?]




「はあ……」
[ん?ダメだなあ、ため息をつくと幸せが逃げるんだぞー]

 そういうはソファに腰掛け(ているように見えるだけで実際は浮いてるんだけど)テレビを食い入るように見つめていて、僕の方なんて一切見ようともしない。たまに話しかける言葉といえば、ちゃんねるを変えてくれ、ぐらいだ。自分で変えてみろ、と少し前に言ったのを覚えてるけれど、曰く、少し疲れるから物は極力動かしたくない、そうだ。

「幸せを逃がしているのは君のせいだと思うけど」
[私がか?失敬な、私は人畜無害だぞ]
「へえ、よく言うよ」

 僕はの隣に一人分くらいの間隔をあけて座る。「ちょっと前まで変な心霊現象が起こるって言う噂あったけど、それって君でしょ」

[ほう、ほう、それは仕方のないことだぞ]
「………否定しないんだ」
[まあな]とはなぜかどや顔。[誰しもが霊感がある訳でもないし、ましてキョーヤみたいに姿も声も聞こえるなんて少ないからなあ。その、なんといえばいいのだろうか。意見の相違が出来てしまうのは仕方の無いことだなあ。うん]
「つまり?」
[そう、つまり、私はずっとこの番組が見たいのだ]

 彼女が差しているのは今見ている連続ドラマ。僕は見てた訳じゃないからいつやり始めたかは知らないけど、もうそろそろ1クールが終わりそうで、結末も見えてきそうだ。誰が誰々が好きで、そしてすれ違って、なんていう三流恋愛ドラマ。出てる人がちょっと有名なくらいで、中身なんてないようなドラマだった。

[1話目は難なく見ることができた]
「………どこで?」と僕が聞くのは、確実にこのドラマが始まった時には彼女と僕とが知り合っていないからだ。
[さあ。どこだろう。ただ、ふらっと寄ったらてれびがついていたから見れたのさ]
「……そう」
[だけど問題は2話目だ。1話を見ている人より少なくなってしまう]
「詳しいね」
[そうだろう?何年浮遊生活をしてると思っている!]

 浮遊生活、と聞くとなぜかホームレスのように思えた。家はないのだから間違っては無いけれども。どんどん興味が失せてきたけれど、最低限の相槌を打ちながら僕は話を聞いた。

[そこで意見の相違のわけだ]
「どこでなの」
[だから、まあ、ちゃんねるを変えてくれ、と私は言うのだ]
「……誰に?」
[だから、てれびを見ている人にだ]ちょっとだけムッとしたような顔をした。そして早口で続けた。「だけど、そう、キョーヤのようにこうしてはっきりと聞き取れたり、はっきりと見えたりするのは珍しいケースなのだ。だから、ほとんどの人の場合はどんなに私が念を込めても私の声がブレて聞こえたり、ぼんやりとした人影が見えたりして、なあ]
「そこまでしてこれ、見たかった訳?」
[おう、見たかったぞ]

 ふうん、と僕はテレビの方へと向きなおす。最近、が見たいと喚くせいで、僕も流れでこのドラマを見ているが、どうしてもおもしろいと思わなかった。僕の感性が一般的じゃないのかもしれないけれど、こうなるな、って思うのは絶対そうなるし、絵に描いたような嫌な奴が出てきたり、あまりいい気持ちで見れない。

「面白いの?こんなありきたりなの」
[ありきたり。そうだな。キョーヤからすればありきたりかもしれない。だけど、私からすれば全てが新鮮なんだ]
「今まで見てきたんじゃないの?」ほら、連続で見られなくても勝手に家に侵入できるんだし、と僕は付け足す。
[こうして、どらまを丸々見れたのは初めてだ]
「はじめて?」
[そうだ。そりゃあ、何件も梯子をすれば同じドラマを見ている人はいるだろう。だけどふらふらしてるとな、曜日感覚というものがなくなってしまうのだ]
「ああ、それで見逃すんだ」

 は頷いた。どうやら今はとても良い所らしい。ああ、なんて陳腐な恋愛模様。

[そういえば、もっとりあるなものはやってなかったか?]
「リアル?何が?」
[どらまじゃなくて、実際に男女が恋愛する……あの……鉄の馬のような……四角い……]
「ああ……それはもう終わったよ。とっくに」
[むう、そうなのか。残念だ]

 珍しくしょぼくれたような表情を見せた。珍しく、といってみたものの、意外とこのという人間の表情筋は忙しく動いているようで、いつも色んな表情を見せる。嬉しいときは笑うし、悲しいときはこんな風に落ち込む。手を伸ばせば楽に触れることが出来るんじゃないかってくらい、自然で。むしろ触れられないことが不自然というように。

[だけどこれからはキョーヤがいるから何でも見れるな!]
「な、なんでも、って……」
[何でもじゃないか!ああ、私が見たいテレビがある日は早く帰って来るんだぞ!]
[――もし、僕が空飛びたくなったらどうするの]
[……ん?]
「ああ、えっと、そうじゃなくて、もし死んだらどうするの?」

 フと、僕は彼女が昼間に言っていた事を思い出した。空を自由に飛びたい!なんて事を思うはずないと思うけれどもし思ってしまったら、もし死んでしまったら。僕は、のようになってしまうのだろうか。表情はこんなだけど、僕の心の奥底ではその方が、今こうしているより全然楽しそうだとか思っているようで、僕は少しだけ期待するようにに問いかけた。

[困るな。だって、てれびが見れなくなるじゃないか]
「……最初に空云々言ったのは君だろう」
[それは本当に飛べそうな空だったからだ!]とは胸を張る。

 [だが、]がそう言った瞬間に主人公の女と、相手役の男の抱き合うシーンになった。それを見ているためか、は少し黙り、そして離れたとき、ようやく口をまた開いた。[どうせあと60年もすれば死ぬんだ。今焦って死ぬ必要なんてない]

 その言葉を上手く飲み込めなかった僕はまた「ふうん」という相槌を打った。