部屋を見回した。体をぐるりと一回転させるんじゃなくて、首だけで部屋を見回した。こんな事したってしなくたって、この部屋の様子は勿論変わらない。彼女の趣味に満ちた部屋だ。 きっとこの部屋に入った人、100人中99人はきっと彼女に同じ事を聞くだろう。 「相変わらず、写真がすきなんだ」 どんなに特別な存在だって、100人中1人にはなかなかなれないもの。そんな人並みのウチは皆と同じ事をついまた言ってしまった。この言葉を言うのは何回目だろう。会話が変に途切れる時、沈黙が長い時、つい思った事をそのまま言ってしまう悪い癖だ。さすがに何度も言い過ぎたかな、との顔色を窺うけれどあまり気にしないような顔で「うん」と頷く。 「うん、そっか。増えたね」 「まあね。昨日出かけた分も入ってるから」 「そっか」と、ウチはいつの間にか同じ相槌を打っていた。 念の為に言っておくが、ウチはこの部屋を嫌いじゃない。嫌いじゃないけど…、と言うやつだ。上手く説明出来ないからもう、この事は忘れてくれ。考えたくない。 あちこちに貼り付けられた写真。吊るされている写真。飾ってある写真、写真、写真。 こう言ってしまえば恐ろしい部屋に聞こえるが、そんな事はない……と思う。昔馴染みだから慣れたと神経が麻痺していないといいが、彼女の飾り方のセンスが良いのか、アリかナシかで聞くならば、アリだと思っている。ただ、ちょっと思うところがあるだけ。ただ、ここは。 これらは全て彼女が首から下げているあのカメラで撮ったものだ。なんでも日本製の最新式のデジタルカメラだという。こういうのは専門外だからどう良いのかはウチは知らないけれど、貯めていたお金を使ったと言うの顔は生き生きとしていた。日本製の最新式、と言っても彼女もよく知らないらしい。店の一番前にあったから買ったと言っていたけれどそんな買い物の仕方でいいのだろうか。そういえばこの前も、 ああ、話が逸れてしまったようだ。このままでは違う話ばかりしそうだ。これも忘れてくれ。 飾ってある写真は、風景に人物、小物に色々。これまで彼女が見てきたもの全てと言えるかもしれない。だって彼女はいつだってカメラを首から下げているし、気がつけばカメラを構えている。たまにここを撮るのかと吃驚するほどの場所でだって撮る。空気を読めというやつだ。 この部屋に入ると、まるでウチがになった気がしてくる。ウチより小さなの背の高さで、世界をもう一度見直しているような、そんな錯覚がウチに過ぎる。 知っている場所。知らない場所。知っている人。知らない人。知っている、知らない、知っている、それからまた、知らないもの。知らない場所の知ってる人。知ってる場所の知らない人。はどこまで歩いているのだろう。ハガキサイズの写真だと言うのに、そこに世界は出来ていた。彼女と同じものを、ウチは見ているのかと思うとどこか嬉しい。けれど。 「昨日は、どこに行った?」 「ここ。山だったから、空気が新鮮だったよ。やっぱ山はいいね!」 「…それ、ウチの職業考えた上で言ってる?」 「さあ?…ああ、綺麗なところだったなあ。スパナも今度一緒に行こうよ」 に渡されたのは先ほど店で現像したばかりの写真。 カメラで写真を撮るのが好きと言っても、一人で現像は出来ないようだ。元々、本業でも何でもなく本当に趣味で行っている事だからしょうがない。一人暮らしにしては部屋が多い所に住んでいるけれど、だったきっと暗室を作る前に写真を飾っている。いや、現にそうだ。 「スケジュール確認しとく」と、ウチは写真を眺めた。 山に行ってきただけあって、どの写真も緑でいっぱいだ。他の色と言えば、空の青とか、花の色とか。どこまで行ってきたんだと聞きたいくらい、人がいない。 「ねえスパナ、悪いんだけど…」 「何、またゴミが出たって?」 「うん。すぐに分かってくれてありがと」 毎日毎日写真を撮っているのだから、しかもそれを全部部屋に飾ろうとするのだからいつかは飾れない日が来てしまう。実はそれはとっくに来ていて、は古くなった写真やあまり気に入らなかった写真をダンボールに入れて部屋の隅に置いていた。きっとそれが満杯になったのだろう。一枚の写真くらいなら軽いけれど、ダンボールいっぱいに入った写真は結構重たい。それをは運べないから、ウチが運んでいる。 「毎回毎回、ごめんね」 「別にいいよ。アンタにとってそれがウチの存在理由だしね」 「ええー?そんな事ないよ!ああ、ほら、これあげる」と、渡されたのは写真。緑豊かな大地に、青々とした空。「お気に入りの一枚なんだけど、あげる。リフレッシュになるよ、きっと」 と初めてあった時は覚えていない。昔馴染み、と先ほど言ったが、言葉としては幼馴染、と言った方がすぐに分かってもらえるかもしれないだろう。 はお隣さんで同い年の女の子だった。勉強は程々出来て、運動はちょっとだけ得意で、そんなごく普通の女の子。その頃からもう写真が好きだった。確か、親のカメラを盗み壊しては怒られ、部屋一面に写真を貼ったら散らかっていると怒られ。 そういえば今思い返してみると一番の友達、と言う訳ではなかった。お隣さんだったから程々仲良くしてて、それからちょっとだけ距離があった。 そして今、は近いようで遠いようなマンションに住んでいる。距離感が微妙だったせいか連絡を取り合わない日も、月も年もあったけれど、最近はそんな日など無かったかのように連絡を取り合っているし、こうして家にも来ている。今だって、一番の友達じゃあ、きっとない。 一応、念の為として言っておくけれど、はウチの恋人ではない。他にいる訳ではないが、そういう関係ではない事は確かだ。ウチの気持ちは置いといて、きっと、は地元が同じなウチの事を、家族か何かだと思っているだろう。そんな気がした。 「それじゃ、行くよ」 「もう?ゆっくりしてていいのに」 「ちょっと用事があるんだ」 ウチはさっきもらった写真をポケットに入れて、そして、あの箱を持ち上げた。相変わらず重い。重い、と言ってもが持てないくらいで、ウチからすれば余裕だ。こんなのでへばっていたら、仕事なんて出来ない。 「仕事、休みの日教えてね」 「分かった」 「じゃあね」 「じゃあ」 そしていなくなるのだ。 のんびり歩いていると分かることがある。それは勿論ちっぽけな事だ。例えば、空の青さとか、そういうの。車に乗っている時には空を見上る事は出来ないから。なんて、哲学染みたことだ。自分でもバカかと思いつつも、ウチはとりあえず歩く。 は気に入ったものや目に留まったものは全て写真に収めている。だから、の部屋にある写真イコール、好きなものという事だ。ウチは勝手にそう解釈している。そして、その中の写真にウチがいた事はない。昔は違かった。昔、一回だけ見た事があった。ウチが写っている写真。その時のは、写真を撮り始めの頃だったから、彼女の部屋に自分がいるなんてと驚いたものだ。 仲の良い人は撮らないという訳でも、ないのに。住んでいるマンションの写真だって、仲の良い子の写真だって、親の写真だって何でもあるのに、ウチだけいない。 つまり、ウチがあの部屋にいる間は、『スパナ』と言う人間がそこにはあるけれど、今みたいに出て行ってしまっていたらいないのだ。の世界に、スパナはいないのだ。 「何これ、ウチ?」「ああー、うん。写真を撮るの好きなんだ」 あの部屋に居ればになれる気がする、とウチは思った。あの写真を見ていたら、の視線になれるって。だけど、どんなに見たって、部屋をぐるりと見回したからってウチはいない。人の感情と違って、形になって現れるものは何て分かりやすいんだろう。 我ながら女々しい考えだと分かっている。 だって、ウチの事が嫌いと言うわけじゃないだろう、それも分かっている、だけど、それでも納得いかないのは、ウチがを好きだからだ。昔から好きだった、と言えば誇大表現になるかもしれない。幼い頃の『すき』はアテにならないから。 いつだったか、に一緒に写真を撮らないかと誘われた時もあったけれど、ウチは断った。写真よりも、機械について勉強する方が良かったから、という建前だったが、本音は純粋に、撮るものが無いからと言うものだった。好きなものを撮る、と言われても、ウチだったら機械ぐらいしか思いつかない。それに、じゃあ機械を撮るか、とも思わない。最新の機械のカタログを見ているのは好きだけど、もう既に持っている(写真が撮れるほど身近な)ものをカメラに写して撮って、それをニヤニヤご満悦な顔で見る趣味はない。 それともを撮れというのか。それこそ恥ずかしい。見られたらどうしろって言うんだ。 目の先に、ごみ収集所が見えて来た時、後ろから声がかかった。「スパナ!」 「………?何してるの」 「あ、あのね…っ」 「ん?」 走ってきたのか、切れ切れの声で、何かを言おうとしている。 「そ、その中……」 「箱の中?…捨てちゃ駄目なものでも入ってた?」 「うん、多分…」 は心配そうに、じっと、ウチが抱えているダンボールを見ている。ウチはまずダンボールを見、それからをまた見た。 開ける、と言うのは簡単だけど、今の状況それほど簡単ではないかもしれない。だって、このダンボールにはガムテープが何十にも貼り付けられている。人が映っているのもあるかもしれないし、写真だから、と言うなりの考慮かもしれないが、これでは逆に気になりますよと言っちゃいたいほどのガムテープだ。 文字通りの手作業をして、下手をすればダンボールごと破いてしまうかもしれない。残念ながら今はハサミもカッターも持っていない。当たり前だが。 「また撮ればいいじゃん」 もう一回戻って、そしてもう一回運びなおすというのを頭の中でシミュレーションしたけれど、それはどう考えても面倒なことだ。用事があると言いつつ実はないのだが、だが、面倒な事は極力したくない。 とは言え、にとってすれば大事な写真だ。ウチはまずい事を言ってしまったかもしれない。思った事をそのまま口にする悪い癖が出てしまった。 「………うん、わかった」 申し訳なさそうに言うに、罪悪感が広がる。ウチは「あ」だの「え」だの、しどろもどろになりつつもダンボールを地面に下ろして、ガムテープを剥がそうとした。 「スパナ!」 先ほどと全く同じように、に呼びかけられたので顔を上げると、パシャリと言う音。顔を上げた先にはの顔はなくて、そこには黒いカメラがあるだけだ。色々と可能性を考えてみるけれどこの空間の中でその音が出せるのはそのカメラだけで、そしてそれはウチに向いていると言うことが事実だ。 ウチは思わずポカンとした顔のまま、そのまま地面に腰を下ろしてしまった。 もう一度を見てみるけれど、彼女は少し照れた顔でカメラを横に構えている。だけ。 「…そんなにびっくりしないでよ。わたしがカメラ持ち歩いているのは知ってるでしょ?」 知っている、知っているけれど、と頭の中でだけ反論する。 少し冷静になってきてからこれはどういう事なのか、と考えてみるけれど、それだと余計に混乱してくるだけだ。今自分が何を言おうとしているのかが分からなくなってきた。 つまり、つまりは、だ。はウチの写真を撮ったという事だ。ここに嘘偽りなんてない。今起きたことなのだから。そしてこれは何故起こったか。それはが捨てる写真の中に『捨ててはいけない大事な写真』を混ぜてしまったからだ。いや、ここで既にもう矛盾が生じていないか?さっきウチは「撮り直せばいい」と言ったけれど、どうしてそこでウチを撮る?その写真イコール、ウチ?いや、いや、いや、それはない。『=』じゃない『≠』なはずだ。だけど、今のこの事例上、ウチは間違っていることになる。 嘘だ、うそ。ばか、ありえないってば。 「………すっごく恥ずかしいことしたわ、今私」 「…ウチは、すっごく訳分かんないんだけど」 「え」 きょとん、とした顔になってはウチを見つめた。そんな顔になりたいのはこっちの方だ。 「えーっと……」 は気まずそうに、落ちている箱に近づき、そして彼女は自身のジャケットのポケットからカッターを取り出た。なんだ、カッターを持っているのならあんな事言わなくて良かったじゃないか。初めから言ってくれれば良かったのに。 写真を入れている箱の中は、いつも見た事がなかった。 好奇心で、既に開いている箱を覗き込んだ。変に几帳面な彼女らしく、写真が綺麗に並んでいた。この写真を見ていれば今日一日時間がつぶせるんじゃないかな、と思っていると、はウチの目の前に一つの写真を出した。 「あの、なんていうか、こんな話し」 「…昔これ、スパナに見つかっちゃって…覚えてる?それがめちゃくちゃ恥ずかしかったんだ」 それは、昔見たウチが写っている写真。 なんだよ。一体何の話だよそれ。ああもう、初めから言ってくれれば良かったのに! |