君は小さく、それから突然言うんだ。「愛してる」って。

 それを私は聞き流すように「うん」って頷いて、お茶を飲んだ。だっていきなり「愛してる」なんて、ムード云々の前に何て返せばいいの?この言葉は軽いけれど、私にはとても重い。
 苦くてちょっぴり甘いリョクチャが口いっぱいに広がった。その言葉の後に彼を見ると、なぜか私みたいに苦いお茶を飲んでいないのに、まるで飲んだかのように、苦い顔をしているのだ。それから、苦く笑った顔で「うん」って、納得したように、私と同じ言葉を繰り返す。

 コーヒーカップのカチャカチャ言う音だけが、ちょっとだけ部屋に響く。

 彼がお茶を飲む時は、リョクチャをユノミに淹れて、ズズズと音を立てて飲む。だからちょっと、私のこの白いコーヒーカップがどこか、この部屋には浮いているのかもしれない。けれど、このユノミは、彼の分しかないから私はいつだってこの白いカップ。ユノミはマグカップに似てるけど、マグカップほど私はリョクチャを飲めない。

「やっぱりリョクチャは苦いよ。お砂糖ちょうだい」
「そんなのきっと、ジャッポネーゼは許さないよ」
「いいの。私もスパナもイタリア人だから」
「・・・残念だけど、ウチの作業室に砂糖はないよ」

 彼はそう言って、またお茶を音を立てて飲んだ。行儀が悪いなあとは思うんだけど、コレが日本の風情が溢れるとかそういうので、彼はズズズと飲む。この飲み方をすると、ちょっと冷めて飲みやすいらしい。確かにリョクチャは一気に飲むには熱い飲み物だ。
 ストローをさせば、と言う提案もしてみたけれど、ユノミにストローなんて見たこと無い、との一点張りだ。新しくそういう個性もどうか、と言ってはみたけれど、彼はとにかくジャッポーネらしくしたい、らしい。
 スパナが眠そうな顔をこちらに向けた。

「ねえ、」
「どうかした?」
「・・・・・・愛してる」

 少し考えた後、「うん」って、私は言う。それからスパナは、また私からすれば『よく分からない顔』をして、「うん」って繰り返すんだ。

 彼曰くジャッポーネらしい部屋には、ガクというのがあって、そこにあまり見ないカンジとやらのもので『酢花゜』と書いてある。なんでも、スパナの名前をジャッポーネ風に書くとそうなるらしい。私のイメージするスパナの色は、黄色とか飴の青色とか、ツナギの緑とかだったから、ガクの色はそういう明るい色が良いんじゃないかとしたけれど、フレームが黒いからこそガクなのだと言う。
 だけど『酢花゜』と言う文字を見て、ジャッポネーゼである入江正一隊長は絶句と言うか、驚いた顔をした後に「読めるには読めるけど」と言いにくそうに言っていた。なんでも、ジャッポネーゼの場合、カンジを組み合わせる時に意味が必要なのだと言う。『酢花゜』だと、ヴィネガーとフィオーレ。つまり『酸っぱい花』のようだそうだ。あと、それからジャッポネーゼにはPやBなどの音がないから、濁ったりする場合にはダクテンやハンダクテンとか言うのがが必要だけど、カンジには使えないらしい。ふいに、「入江隊長の、カンジの意味ってなんですか?」って聞いた見たけれど、少し考えた後「・・・・・さあ、どうだろ・・」と逆に考えさせてしまった。カンジには意味が必要だけど、分からないと言う時もあるのか。

 何分、難しい文化だ。





「ジャッポーネっぽい、って、思いますか?」

 私は彼に会って早々、そんな質問をしてしまった。だけど、この前の『彼』ではなく、別の彼。…と言うのは別に、『恋人』としての『彼』ではなく、ただの名詞の置き換えとして考えてもらいたい。
 『彼』は目を真ん丸にした後、言葉を確認するかのように私をまじまじと見た。

「・・・・何が?」
「スパナが、です」
「・・・・・・・ああ、そう」

 入江隊長は、とっくにスパナの『日本狂』っぷりを知っていた。それは、スパナがジャッポーネ出身の入江隊長に話しかけまくったと言うのもあるけれど、私がいちいち、こう、隊長にこのような質問を聞いているせいでもあった。私からすれば、もう既にスパナはジャッポネーゼっぽいと思うのだけど、育ちも生まれのイタリアだったのでこういうのは本場に限る。隊長は『またか』と言う呆れた顔をしたけれど、その話を流さず律儀に答えてくれる。
 そういえばこういう性格こそがジャッポネーゼなんだと、スパナが言っていた事を思い出す。

「まあ・・・前よりは大分、様になっているんじゃないのかな」
「・・・そうなんですか?」
「だって、もう花を花瓶に入れただけで生け花とは言わないだろうし」

 それはカドウ、とも呼ばれるジャッポーネ発祥の芸術らしく、こちらでは例えるならフラワーデザインのようなものだろう。でも確かに隊長の言うとおり、スパナの部屋に珍しい事にただの花瓶があると思ったらそれを「生け花だよ」という彼はどう考えても変だった。

「じゃあジャッポネーゼらしい、って思いますか?」
「スパナを?・・・僕はそうは思わないし、彼は日本人になりたい訳じゃないよ」

 そうだ。もし、彼をジャッポネーゼらしいと言うなら、入江隊長はいったいなんだと言う。それに隊長の言うとおりスパナは一度も「日本人だったら」とも、そのような事を連想させる言葉も言っていない。意外とイタリアもイタリアで好きなのだろう。

 こうやって、隊長がスパナについて言えるというのは、二人は昔からというレベルではないかもしれないけれど、ミルフィオーレ結成前からの知り合いだったからだ。知り合い、と言っても友人ではないのがこの二人。
 次に口を開こうとする私より先に、隊長はそれを制した。

「とにかく、仕事始めるよ」





 ふう、と欠伸が出そうになるのを堪えた。だって目の前で仕事をしている人の目の前で、ただ座って眺めている人間が眠そうにしているなんて失礼だ。多分。
 今日は結構早く仕事が上がったからスパナの所に来てみたのだ。スパナだってミルフィオーレの人間なんだから部隊には所属はしているものの、そんなの肩書きだけだ。彼の成績の結果、比較的自由にスパナのしたいようにさせている。羨ましいけれど、私だったら言われなきゃ何も出来ないし、それにスパナはやる事はやっている。誰も出来ない、古くなったモスカの修理とか、新型の開発とか。彼は表立ってはそう出ないけれど、エリートだ。

 こっそりと持ってきた紅茶を飲みながらスパナを見つめた。

、もうちょっとで終わるから」

 この視線に気付いたのか、彼はこちらを見ずに答えた。ギュイーンギュイーンと歯医者の50倍はうるさいこの部屋だから、もしかしたら聞き間違ってるかもしれない。
 集中すると周りが見えないって言うから、もしかしたら私は忘れられているんじゃないかとドキドキしたけれど安心した。私は「うん」と頷いて飲み終わったカップを置く。
 ギュイーンと言う音が止んでから、彼は言った。

「今日の夕飯はソバにしよう」
「え、えー・・・一昨日の日曜のお昼もソバだったよ?」
「じゃあウドン」
「昨日の夜。・・・麺類から離れよう・・」

 『今日の夕飯』を話す時点で既に分かるかとは思うけれど、一応半同棲中だ。一応、って言うのははっきりと私とスパナの関係が決められていないからだ。
 同棲場所は私のマンションだけど、ただ最初は近いからと、終電に乗り遅れたスパナを家に呼んだ事から始まった。その時、私はスパナをそう意識していなかったし、向こうもそうだと思っていた。だけどその時いきなり告白されて、思わず自室に引き篭ってしまった。ドアに張り付いたまま、まさかピンチなんじゃないかとバクバクと鳴る心臓を抑えながら、事情を整理していると、外からスパナが近づいてくるように、床がギシギシ唸る音がした。
 そして、静かに言ったんだ。「愛してる」って。

「・・・・・・はジャッポーネの料理、嫌い?」
「・・・嫌いじゃないよ」

 少しだけ嘘をついた。
 だけどテンプラは美味しいと思う。他にもいっぱい美味しいものだってあるけれど、やっぱり自国のものが恋しくなってくる。嫌いじゃない。嫌いじゃないけれど、毎日は無理だ。今、スパナはもうここに個室を支給されているけれど、ここは食堂だから部屋にはキッチンが無いため料理は出来ないから、日本料理を食べに作りに私の家に来ている。

 別れ話でよくあるのが、意見の相違。そうなって別れちゃうのが嫌だから、私は嘘をついた。





 ジャッポーネに関して、今まで全く知らなかったけれど、スパナと話すうちに入江隊長に聞くうちにつれてだんだんと知っているものが増えた気がする。知識が増えたと喜ぶべきかどうか分からないけれど、でも昔よりは嫌と感じる時も無くなった。それは、スパナがジャッポーネについて話す時に、その話す内容が理解出来るようになったから、かもしれない。そこで知らないと言えばその事について説明し始めるのは有り難いけれど、結局何を話したかったのかは分からないままで終わってしまうのが一番つまらなかった。もちろん、言わなかったけど。

「隊長、隊長、私の名前を漢字で書くとどうなりますか?」
「え?・・・・・それは難しいな・・・」
「隊長の名前は英語で書けるのに、どうして?」
「前にも言ったけれど、漢字には意味があるんだ。僕が考えたとしても当て字にしかならないよ」

 そうですか、と私は手に持ったメモ帳とペンを下げた。

「でも突然どうしたんだい?」
「・・・・ガクが・・・」
「・・・・・・・額?」

 スパナみたいに、名前の書いたガクを飾ろうと思ったのだけれど、とシドロモドロに伝えると、隊長はポカンとした顔から、いきなり笑い始めた。今まで見たこと無い大爆笑している隊長。そのせいで、あちこちにいた彼の部下・私の同僚達が不思議そうにこちらに振り返った。

「き、君も随分、変わったね・・・」

 大分笑いの波は収まったものの、まだ隊長はピクピクと痙攣したみたいに言葉を発した。

「前はもっと・・・、いや、前は嫌そうな顔をしてたよ。日本の事を話す時にね」
「・・・・そうでしたっけ」
「本当だよ。てっきり僕は、スパナの事も嫌いだと思ってたし」

 私は思わずメモ帳を落としかけた。なんで、いきなり日本の事からスパナに飛ぶのか、いや、それ以前になんで嫌いと言う事になっているのだろう。隊長は私と彼が半同棲しているって知っているはずだというのに。
 いつの間にか周りは視線を元に戻し、自分の作業に戻っていた。

「スパナは押しに強い男だから、流されてるのかなあって・・・」
「そ、そんなに私、彼に冷たかったですか?」
「日本については本当に、ね」

 思わず立ちくらみそうになる。私としたら100パーセント、愛情を向けていたはずだ。だって好きじゃなかったら何度も家にあげないし、ご飯だって一緒に食べない。だけど、隊長と言う第三者から見れば冷たい人間だったのか。
 と言うか、それだったらスパナはどう思っていたんだろう。『冷たい』と称され時ながらだけど、まさか彼が冷たくされて興奮するとか、そういう性癖じゃないと願いたい。

「・・・でも、僕なんとなくその理由分かった」
「え?」





 今日、私は仕事が休みだったけれど、スパナは仕事があった。だから、私は夕飯に彼を招待した。あんまり料理の腕はいいって訳じゃないけれど、最近得意なジャンルが出来たのだ。ただ、その本物を食べたことがないから、私好みの味付けに偏っているかもしれない。
 最近ペアが多くなったお皿と、コップを食器棚から取り出して、私はずっと時計と睨めっこしている。別にスパナが遅れている訳じゃなくて、ただ、なんとなく。

 インターフォンの音を聞き、私は下の扉を開けた。もちろん、来客はスパナだった。

「・・・・・休みの日に、が家呼んでくれるって珍しいね」
「そう?」

 声のトーンはあまり明るくない。もしかしたら研究中に失敗でもしたのかもしれない。それで、修理出来ないまま、うやむやのまま帰ってきたのかも、しれない。
 そんな適当な事を考えながら、私をあまり見ないスパナを横目で見た。

 結構スパナは気分屋だ。だけどそれを私は不愉快に思った事は無いかもしれない。私は基本的に、ジャッポーネ風に言うならば『長いものには巻かれろ』だから、例えいきなりスパナが不機嫌になっても「ふーん」としか感想はない。もちろん、私が悪かったら謝るけれど、もしかしたらこれが隊長の言っていた『冷たい』所なのかもしれない。
 と、そんなこんなでエレベーターは私の部屋の階を指した。

「夕飯、頑張った・・・・・かも、よ」

 ダイニングテーブルに並ぶ料理を、私は少しだけ照れた表情で説明した。「頑張った」と言い切りたかったけれどそこまで自信は無い。味見はしたけれど、それは私だけで、他に誰かに振舞っては居ないし、それにジャッポネーゼ料理を振舞う相手はスパナだけだ。
 なかなか反応のないスパナの顔を覗き込むと、眼を見開いたまま止まって、そして我に返ったかのように目線を他に逸らした。

「・・・・・・無理しなくて、いいよ」
「スパナ?」
「ウチが勝手にジャッポーネが好きって言ってるだけだから、が合わせる必要は…」

 その言葉にどこか「ああ、やっぱり」と私は納得して、それから少し寂しくなった。スパナに対してではなくて、自分に対して。本音を言えば、初めはジャッポーネが好きじゃなかった。その理由は自分では分からなかったけれど、やっと分かった。隊長の言っていた通りだった。

 スパナの言葉に静かに首を振ると、ようやく彼は私を見た。

「スパナからいっぱい教えてもらって、やっと面白くなったんだよ」
「・・・・・うん、嫌そうだって分かってた」

 それに軽く笑うと、私は言った。

「折角練習したんだから、食べて」
「・・・・・・練習、って?」
「・・・まさか初めて作ったものを自信持っては出来ないよ」

 そういえば付き合い始めからそうだった。休みになるといつの間にかジャッポネーゼ料理を調べていて、練習していた。だから勝手にその料理に飽きていた。考えてみれば、もしかしたらスパナ以上にジャッポーネの料理を食べていたかもしれない。

「あー・・・その、なんて言うか・・・」

 スパナがバツが悪そうに顔をしかめた。

、正一と仲良いから・・・・・・。休み、とか・・・」
「・・・・・・・・・・は?」
「ごめん」

 俗に言う『浮気』を疑われていたと言う事なのだろうか。思わず私は凍りついたけれど、スパナは『一応は謝ったから』なのか、のんびりと座った。なんだか色々な事が分かったしまったと、頭を抱えた気持ちになったけれどそのまま席に着いた。

 ハシが使えるスパナとは違って、私が持つのはフォーク。

「・・・やっぱり、ジャッポーネ料理はタタミの上で食べるべきだよ」
「文句言わないで食べてよ。・・・・・美味しい?」
「ん、」

 初めて見る料理もあるのか、物珍しそうにスパナはあちこちを見つつ、ハシを進めた。そういえば料理を作って美味しいかどうかを聞くのは初めてかもしれないし、わざわざこの料理が美味しいと大声出して食べた事が無かった事に気付く。スパナは不味いも美味しいも言っていないけれど、食べているという事はきっと大丈夫なのだろう。

「ねえ、
「何?」

「愛してる」





「・・・分かったって、何を分かったんですか?」
「だから理由だよ。君が日本を嫌ってた理由」
「・・・・・・・・・教えてもらえますか?」
「想定だけど、多分嫉妬してたんじゃないかな」
「よくある話ですけど・・・」
「そうだね、でも、一番コレがしっくりくる。だってさん今、どっちも好きでしょ?」





「ねえ、、突然でごめん。…でも、ウチはアンタが好きだよ」
「・・・・・・・」
「ドア、開けて」
「・・・スパナ、さんは、なんで・・・」
「コレといって理由はない。・・・だけど本当だ」
「あ、開けても変な事しませんか?」
「・・・・何言ってるの、しないよ」

「私、スパナさんとあんまり会話したこと、ないのですが」
「そうだね。でも、アンタはウチを招いてくれたから、つい口が」
「・・・・・つい・・・・」
「・・・初めは正一のだと思ってたけど、違うみたいだし」
「い、入江隊長・・・?なんで・・・」
「でも好きなのは本当。でも、アンタはウチを知らない」
「・・・・・うん」
「日本ではこういう時「お友達から」って言うんだって」
「へ、へえ・・・」
「でもあんまり良い方向に行く訳じゃないみたいだから、ウチはその答え嫌だ」

「だから単刀直入に言うよ、愛してる。アンタは?」





 彼は小さく、それから突然言うから、私は聞き流すように「うん」って頷いた。

(愛してるって言ってくれなくても、)