ストーリーの始まりは何て事ない合図から始まる。人の悲鳴から、水の音、鳥の鳴き声、果ては草木が枯れる時赤ん坊の誕生、その音が鳴り響いた時から全ては始まる。

 何かを乞う声が聞こえた。いや聞こえない違う嘘だ、聞こえる。


 私は自分が特別な人間だと思っていた。学校に居るとき授業中強盗みたいな奴等が出てきた瞬間私の中の不思議な力が(相手もその力の使い手だったり)、文化祭大勢の前でライブ(出来ればボーカル)、なんてありきたりな妄想はさておき、自分だけ特別な人間だと思っていた。だけど実際は非力な帰宅部どころか音楽関係なんて一瞬手を出したキリだ。その上学校での成績は中の下。どうせなら学校一の馬鹿、と言うのもあるけれど親の目もあるからちょっと位は気にしなくてはならない。これ以上成績落ちたらケータイを解約されてしまう。
 しかもこの前電車の中で痴漢にあったけれど、別にカッコいい男の子(スーツを着こなしたサラリーマンでも歓迎)が助けてくれる訳でもなく、勇敢に立ち向かうわけでもなく呆然と耐えていただけだ。気持ちよく壁によりかかって寝ていたと言うのに最悪な寝起きだった。生ぬるいおっさんの手の感触がまだ残っている。正直、お父さんの顔もまともに見れない。

 私は、ただ普通だった。これなら多分きっと前世も普通だ。前世なんて確かめようもないのだから、きっとどこかの偉人の生まれ変わりなんて考えもう虚しい。努力もしないでただソコの場所に憧れていた。いや、もしかしたら努力せずに手に入れた人もいるかもしれない。けれど、それこそごく一握り。それが私だ、と言う事は天地がひっくり返ったって無いだろう。

 ところで、人間は生物の中で唯一絶望をする生き物らしい。その代わり希望を持つ面も備えられているらしいけれどさ、ぶっちゃけ絶望と希望を比べたら絶望の方が多いのでは、と思う。だって空は自力じゃ飛べないしいつまで待ってもアトムみたいなロボットも出来ないし日本の借金は多くなる一方だし。
 絶望というか、もうフルコースで出ているのはないだろうか。もうお腹いっぱいでデザートは入らないのに、次はなんだ。ああ、そういえば絶望を持つ人間だからこそ、自殺するらしい。自分に絶望して、自殺するらしい。鏡を見てカメラを作って自分を見て、絶望するらしい。けれど全て壊そうと思ってもそれは出来ない。もう、全世界の人間は自分を知ってしまっているのだ。

  *

 そして、私は鏡を見た。私は普通の人間だ。それがそのまま死ぬまで永遠と繋がって、普通に死ぬものだと思っていた。大きな病気にかかったって、それはもうきっとこの世界では誰かがもうなっているような医学的に解明されている病気。私はとりあえず安らかに死ねればそれでいい。
 何かを乞う声はもう、聞こえない。
「・・・・・嘘・・・・・・・・」
 聞こえない代わりに手からスルリと何かが落ちた。ナイフだ。今私がこの手で彼女を刺したナイフだ。いや、違う刺してない、いや、けれど刺した。
 カシャンと音をしてナイフはそのまま床に落ちる。鋭利な歯は私の足にぶつかってちょっとだけ切れた。痛くはない。だけど、よく見れば私の身体はボロボロで、でも私の血はあまり流れていない。痛くない、いや、痛いのかもしれない。夕日が差し込んでいるから、そのせいで赤さが増しているのかもしれない。私の息は、乱れていた。

 黒曜中のコケ色の制服に私の血か、誰かの血が滲んでいる。倒れているのは私の友達、大親友。もう『私』にズタズタに切り刻まれているからあまり見たくは無い。顔だけ、嫌味のように一つも傷はついていなくて、寝ているようだった。この服の血は誰か、私の血か、違う彼女の血だ。こんなただの廊下で何が起こったのか。それは私が彼女を刺し殺した、それ以外は、ない。
 そこで、バタバタと走る声が聞こえる。心臓がひっくり返りそうになるくらい驚いた。足音の向こうを見ると、同じ学年の樺根が、私と目があった瞬間驚いた顔をした。
「あ・・・・さんどうしたんですか?!」
「・・・樺、根・・・」
「こんな格好で・・・・・何か、あったんですか?」
 そう言いながら、樺根は彼女を身体をメシリと踏み潰す。その瞬間、彼女の体はピクリと動いたけれどそれは生きているからじゃない。切り刻んだその傷口から、何かが飛び出した。見たくないだけど見なくてはならない。視線を下に落としていると、樺根君が今気付いたかのように、彼女の身体からどいた。
「え?ええ?・・・さん、これは・・・」
「・・・・・・じゃない・・・私、じゃない・・・」
さん?」
 困惑した顔をして、私の顔を見つめる。

 嫌だ、嫌だ、こんな訳分からない事をして裁判に掛かりたくない。新聞の記事になりたくない。嘘だ、誰がやったんだよ、こんな酷いこと。私この子と、今日これから映画を観る話しをしていたんだよ。その後はカラオケだって話していたんだよ。酷いよ、誰だよ、酷い、あんまりだ。彼女はまだ15歳になってなくて、来週誕生日だったんだよ。お祝いにケーキ作るねって、私料理駄目だから2人で盛り付けしようね、って。ああ、誰が彼女をやったんだよ。酷いよ最低だ。私は、最低だ。

 必死で弁解を考えていると、樺根は一息間をおいて、言った。
「・・・大丈夫です。僕は、さんは悪くないって、分かってます」
「・・・・・・・・え・・・?」
「だって、貴女は優しい人ですから」
 と、照れた笑いを浮かべた。それはどうにもここの場所には不似合いで、違和感があって。心なしか、寒気がした。先を聞いてはいけない、気がした。
さんは、どんな事もよく、率先してやっていますし」
「・・・・・うん・・・」
「そういうの、僕からしたら凄く憧れるんです」
 そう言っている樺根は、そういえば生徒会長の手伝いをよくしていた気がする。そっちの方が、普通なら凄いと褒めるべきなのに、今は他の人を褒めている余裕はない。どうやって、この場を過ごすか。この、彼女の身体を、死体をどこに置くか。
(ああ、もう警察行かない気か、私)

さんは、優しい人です」彼は先ほどの言葉をもう一度言った。
 優しい人だと褒められているものの、そういえば、私はあまり彼と話した事がない事に気づいた。と言うかむしろ、クラスさえも分かっていない。何組だったか。大抵のクラスに一人くらいはさすがに知り合いはいるのだから、教科書を借りに行くときとか、見ているはずなのに。「だからね、さん」

「こんな人たちくらい殺したって大丈夫です」
「・・・・・樺根・・・ねえ・・・アンタ・・・・」
「こんなゴミ、殺した方がいいんですよ」
 つまりは、私は悪くなくて私は彼女を殺した。いや、それは違う。人は人を殺してはいけないのだ。悪いことなのだ。誰がソレを初めに言ったのか分からないけれどいつの間にか全世界の人間はソレを知っている。悪いことなのだ。
 人を勝手に殺しては行けないし生かしてもいけない。非情な世界だとは思うけれど、これで育ってきた私はこれが普通だとしか考えられない。どこかの民族だったら、わざわざ出生届なんていらないかもしれない。けどここは日本。全て届け出を出して申請しなくてはいけない。国家が守ってくれると、言っているのだ。「それに・・・」
「僕、コイツがさんの悪口言ってるの聞きましたよ」
「え・・・・・・・」
「『異常に付き纏ってくるんだけど、うぜえ』だそうです」
「何それ・・・・アイツが?まさか・・・」
「・・・これから、映画だったらしいですね」
 ニコニコと笑う。「今から行くんですか?折角、今日学校が午前授業だったのに?」
 そうだ。今日は午前授業だったから、制服のまま映画観に行こうって言ったのに、「掃除待ってて」って言うから教室で待っていたのに、いつまで待っても来なかった。いつの間にか吹奏楽部の演奏が聞こえてきた。昼は持ってきてなかったから、お腹が空いていた。とりあえず飴を口に押し込みながら、待った。いつか来るかなあと思っていたから。それで、教室の外からクスクスとした笑い声が聞こえたから出てみたら誰かいた。気になったから見に行った。彼女だった。その子は他の何人かと一緒にいた。それ以降の記憶は無い。
「酷い話ですよね。待っていたのに、ソレを笑いながら見てたなんて」
 違う、と否定したいのに声が出ない。私は、それから何をした?疲れていたのはどうして?追い掛け回したから?追い掛け回して何をした?何人を、殺したの?
 嘘だ嘘だ嘘だ。違う、私は何もしていない。記憶にないんだ。私はやっていない。
さんがしたのは正当防衛だ。貴女は自分を守ったのです」
 相手を殺して、私は何を守った?ただの小さなプライドじゃないのだろうか。誰にも負けるようなチンケなプライドを、ただ友達と思っていた人が居ただけで守ったのだ。もうとっくに傷ついているプライドを、必死にもがいて守ったのだ。

 だけど、だけどだけど、私は認めたくない。私は、やってない。違う私じゃない。

「ちが、う・・・・私・・・殺して・・ない・・・」
「・・・・・成程、まだこの程度じゃ殺してない、と」
 そう言うと樺根は、落ちていたナイフを持ち上げて、ソレを彼女に刺した。彼女はもう悲鳴を挙げる事も泣くこともないけれど、切り裂くように刺すものだからぐちゃぐちゃとした何かが、私が一生過ごしても見るはずないと思っていた『中の物』が飛び出す。見たくないけれど見なくてはいけない、見て笑わなくてはいけない。
「樺根・・・・やめて・・・」
「嫌いなら面と向かって言えばいい」
「・・・・・・・」
「だけど、彼女は仲良いフリして影で笑ってたんですよ?」
 最後に蹴り飛ばすと、少し早口で続けた。「僕なら許せない」
「さあ、最後に止めを刺すのは貴女です」
「わた・・・し・・・・」
「・・・・・そう、」
 彼からナイフを受け取ると、私はナイフを高く挙げた。

 許せない、どうして黙って友達のフリしてたの。馬鹿にされるくらいなら、学校で一人で居た方が良かった。その方が、私は特別な存在だと考えて、想像の世界に逃げられた。私は自分で自分の想像の世界を封鎖した。全てはありえないと分かったからだ、知ったからだ。私はもうどこにも逃げられない。「まだ、『死んで』いないので」

 深く、深く、傷のない彼女の顔へナイフを刺す。そこでまた叫び声が、聞こえた。



 何かを乞う声が聞こえる。いや、聞こえない違う嘘だ、やはり聞こえない。

『昨日午後4時過ぎ、黒曜中学校で死亡事件が起こりました。被害者はその学校の生徒で3名、意識不明の重体でしたが3名とも病院に運ばれた後、死亡。・・・容疑者はその子らと同じクラスの生徒でした。学校の校長らは「問題のない良い子だった」と眉を潜めて現状を報告しておりました。犯行理由は未だ不明、警察側はこれからも犯行の動機について聞き出す模様・・・。
───続いてのニュースです。』