1

 おい、とか、ねえ、とか人を呼ぶときにどうだろう?
 …ちょっと紛らわしい聞き方をしちゃったけれど、『どうだろう?』というのは『どう思いますか?』と言う事だ。

 だって、誰彼構わず名前は誰にだってある訳で、たまにちょーっと変わった名前はあったりするけれど、その名前を呼ばないとは勿体ないと思う。勿体ない、と言うか、呼んでもらえないとちょっとくらいはイラっとくるのでは無いだろうか。いや、誰だって思うだろう。…もうどっちでも構わない!とにかくあたしはイラつく方だ。
 一回二回ならまだしも、これまで一回も名前を呼ばれてないとなると、あたしだって、てめぇコノヤロウあたしの名前を百回書き取りさせたろうかっ、というもの。

 友達ならまだ良い。良い、と言うか気にならない。それが、好きな人ならどうだろう。

 …ええ、ここで注目すべき所は「好きな人」である。決して「恋人☆」では無い。つまりは、全て全て全てあたしの逆恨みと言うやつだ。ええ、これは悪いですか。ええ、悪いですよね!!分かってるよ、本当。知ってる。知ってるはず。でも納得はしたくない14の春。乙女的には「名前で呼・ん・で♪」と、即興歌詞とリズムを作って歌いだしたくなるほど心苦しくもどかしい。それが言えないからだ。当然だ。胸を晴れるくらい当然な話。
 ああもう、目に見えないエネルギーの流れが大地から足の裏を伝わってぼくの腹へ胸へそして喉へ声にならない叫びとなってこみ上げてくるようです。春に、じゃなくて年中。

「ねえ、この前休んでたよね?はい、コレ」

 そして、そんな今日もまた、アイツに「ねえ」だとか「君」と呼ばれる。
 シカトでもすれば、あたしの名前を呼んでくれるかもしれないけれど、それが出来ないからずっと困っているんだよ!(※逆恨みです)

「あ、ありがとう。…ねえ、えーと…、このプリント、何?」
「選択科目のプリント、明日までだから」
「…そ、そっか」

 しかも、絶対にこの男…雲雀恭弥はあたしと会話する気がないと思う。口下手な方ではないかと自覚している私でも「そ、そっか」しか返せないとは何事だ。いや、きっとこれは好きな人相手だからきっと緊張して「そ、そっか」なのだ、きっと絶対。

 決して、雲雀恭弥があたしと会話したくないとかそんなじゃない。

「……どうかした?」
「え?」
「いや…プリント、受け取ってよ」

 そう言って雲雀恭弥はあたしにプリントを押し付けると、さっさと来た道を引き返す。何で、クラスで渡さなかったのか、とかそういうのはよく分かんないし、多分なんとなくだろう。アイツは不思議ちゃんなのだ。少しの間だけど、観察して分かった。

 あたしは廊下でポカンとしていたけれど、チャイムの音に気付き急いで教室に戻った。

2

 一週間経った。つくづくあたしは、「ねえ」で呼ばれている。もうあたしの名前は『ねえ』でいいかもしれない。呼ばれ続けて、何かあたしの中で『ねえ』と言う言葉が可愛い言葉に聞こえてきたのだ。今度ハムスター飼ったらそいつの名前にしよう。ねえちゃんかわいいね〜!あ、違う意味になった。

 ていうか雲雀のあの野郎は、同じ委員会のリーゼントの人には親しげに「哲」とか呼んでた。本名はクサカベテツヤ、らしいけど。全く本当に何?テツヤだから哲っすか?ッハ!男同士のあだ名とかすんげえキモいんだよ羨ましい!!!!(※逆恨みです)
 これでは、あたしの中でいつの間にかあたしの名前が『ねえ』ってなっちゃって、雲雀恭弥が100メートル先で「ねえ」って言っても振り返りそうだ。…いや、実際振り返っているんだけど、不思議な事にそれは全部あたしに話しかけているために良しとする。

「ねえ」

 ああ、ほら、今日もこうやって「ねえ」って呼ばれるから、あたしは迷わず振り返った。

「どうかした?」
「どうもこうも、君さあ、あのプリント出した?」
「……あ、きょ、今日までだっけ?」
「……そうだよ」

 いつも通りの仏頂面で、雲雀恭弥は答えた。なんで、こいつがあたしのプリントを持っていて、しかもその提出の有無を知っているのかはもう『雲雀…だし…』という変な暗黙の了承があるからほっとこう。
 あの選択科目のプリント、と言うのは、まさか高校みたいに文系理系とかそういうレベルのじゃなくて、漢検を取りたいなら国語、理検を取りたいなら理科、というような、あまり固く考えずに移動教室という形で行う授業の事。それが、選択A・B・Cと三つあって、多ければ人数調整があるから、友達と選ぼうにももしかしたら離れ離れ、という危険性もあるひどいものだ。
 それを今出せ、と言わんばかりの雲雀恭弥だけど、まだあたしは誰にも科目選択の相談をしてなかった。

「ま、待ってよ。プリントはあるけど、あとで担任に自分で出すからさ」
「駄目、今」
「…え…ええ……」

 それでも、他の子に言えるような「うるせえよ失せやがれ!!」とかそういう暴言は言えない。いや普段からキレキャラな訳じゃないけど。惚れた弱みとは本当に恐ろしい。こいつの目の前じゃ、あたし、いつものふざけた笑い方とか、変な演技とか、全く出来ないし。

「じゃ、じゃあさ、アンタは何選んだ?あたしもソレにする」
「………」

 雲雀恭弥は黙ったけれど、あたしからプリントを受け取ると、胸ポケットのボールペンで記入欄に数字を書いた。…そういえば、このプリントって一生返ってこないんだよ、ね…。

3

 気持ち悪いほどだった。

 3つ全部、雲雀恭弥と同じにしたけれど、1つ2つくらい同じになるだろう、と思っていたら全て見事に同じだった。嬉しいけれど、そりゃあお祭り騒ぎだけど、気恥ずかしいのだ。好きな人と一日中一緒にいたいの☆と言う人がいればヘッドロックかけたろか、といううら若き恋する乙女の心境だ。てへっ。

 この貼り出されているプリントは、このクラスの分の生徒しか載っていないけれど、当然の事にこのクラスが一番知り合いが多いんだから困る。だって、自分のを探しているうちに「あれ〜この二人ずっと一緒ダネ(笑)」とか言われてたら死ねる。でも思えばそうそう、人のなんて見ないよな、見ないよね?ね?

 しかも、雲雀恭弥はあまり人数が少ないところを選んだのか、並盛の出席番号は男子女子の順番だから、絶対的にあたしより早く雲雀恭弥の名前があるのだけど、その、雲雀恭弥からあたしにかけて、誰一人同じ科目を取った人がいない。つまり、つまりは、漢検の勉強とかそういうのは、出席番号順に座る。前後になる確率が、あるということだ。

「し……死ぬ……」

 あたしはポツリと呟いた。今日からそうそう、選択Aがあったのだ。
 だけど、考えてみれば雲雀恭弥って、あまり授業に出ていないじゃないか。例え選択科目だから人が少ないからって、出る確立は少ない。それを思い出し、嬉しくなる反面、やっぱり残念だ。

 ふう、と黒板に書かれた席順の元、一人寂しく席に着く。やはりここは、あんまり人がいないのか、少々真ん中に寄せられていた。
 そのまま、ぼーっとしていると、隣に誰かが座った。例の、『哲』だった。今日も神々しいばかりのリーゼントはやっぱりウザい。やっぱり、ってまるで前にもウザいウザい言っていたような口ぶりだけど、こんなに近くで見たのは初めてだ。でも、凄くウザい。それから『哲』っていう呼び方も本当ウザい。ああもう鉄腕アトムでも改名したら?(※逆恨みです)

 授業は始まった。と、言っても、ただただ渡されたワークを解いていくだけだから、とくに盛り上がりもしない。たまにちょっと、教え合いがあるだけだ。こんな少人数でやっているのだから、しょうがないのかもしれない。
 元々、自分で選んだものではないからあたしのやる気は皆無だ。適当な字で、適当に問題を解いていくと、耳にドアが開く音が届いた。振り返ると、雲雀恭弥がいた。

「い、委員長!おはようございます!」
「ああ、哲、おはよう」

 いつもなら、絶対に絶対に来ない人が、来た。皆、びっくりしている。私もだ。
 唖然となっていたのは、隣のリーゼントも同じで、雲雀恭弥の姿を何度か瞬きしつつ見た後、すぐさま立ち上がって、礼をする。ああ、もう哲とか本当に駄目だよコレ。何が哲だよふざけんな。日本全国の哲さんに土下座周りするべきだお前は。
 それに考えてみれば雲雀恭弥は、あたしの前の席で、それにリーゼントの斜め前だ。急いであたしは、前に向きなおすと、あたかも『ずっと真面目にやってました』みたいな雰囲気をかもし出そうと心がける。恐らく意味はないけれど。

4

 雲雀恭弥が近づいてくるのが分かる。だって、誰も身動き一つしないみたいに、じっと黙っているからだ。あたしも、シャープペンで何かを書いては消している。

「ねえ、」

 あたしは思わず顔を上げそうになるけれど、考えてみれば今、あたしより『仲が良い』であろうリーゼントがいるのだからそっちだろう。あたしは、ぐ、とペンを強く握った。

「へ、へい」
「……哲じゃないよ。ねえ、聞いてるの?」

 顔を上げれば、いつもの仏頂面。あたしは耳と目が悪くなったのかと思った。
 きっといつもより目を1・5倍くらい大きめに開けて、その先を見る。いる。いる、よね?幻覚とかそういうのじゃないよね?そしたら私泣くよ。コンマ0以下のスピードで泣くよ。
「……え?」
「……君さ、字、こんな汚かったっけ」

 馬鹿にしたように、雲雀恭弥は薄く笑う。あたしはそんな雲雀恭弥の顔と、テキストを見比べる。汚い、というより、もうこの字は頑張らなきゃ読めない。
 こんなに汚かったのか!と消しゴムで消す作業をしていると、再び雲雀恭弥は言った。

「ねえ」
「………あたし?」
「君以外に誰がいるの?」

 そりゃあ、リーゼントだろう。…とは、まさか言えなくて、「そ、そっか」とあのよく分からない答えを返した。はたしてコレは会話する気は、あるのか、無いのか。

 授業は終わった。無駄に同じところばかりを勉強したかと思う。だって結局、もしかしたら雲雀恭弥がまた、あたしの字にイチャモンをつけてくるのかと、そう思うとどうしても一文字一文字を丁寧に書いてしまって、納得がいかないと書き直した。ぶっちゃけ、ここの所の問題だったら問題文見なくても答えを全て書ける気がする。
 少々痛くなった手で、あたしはワークを閉じた。書いて消して書いてを繰り返したこのノートは凸凹が出来すぎている。見られたくは無かった。

「ねえ」
「……あ、ああ、うん、あたしか。…何?」

 本当は「ねえ」と言われた時点で、あたしの神経は全て雲雀恭弥に向かっているんだけど、リーゼントが近いし、向こうの気もしてくるから、気付かないふりをする。少し棒読みかもしれない。

「……てか『ねえ』だけじゃ分かんないってば」

 雲雀恭弥との会話が終わった後、うっかり、あたしはそんな事を小さく雲雀恭弥の背中に向かって言った。聞いて欲しくはなかった。だって、きっとよく分かんない答えを言われて「そ、そっか」になるんだから。少しでも、の期待は多分駄目。

「………君もね」

 雲雀恭弥は振り返らず、チラリとこっちを向いて言った。そして、さっさと教室を出る後姿を、リーゼントが追う。やっぱウザいなアイツ。(※逆恨みです)

ああ、そういえばあたしは雲雀恭弥の事を、いつも何と呼んでいたんだっけ?


ふりかえるその言葉
(思い出せない、というより、思い出してもあたし雲雀恭弥を呼んでないじゃん)