試してみたくなった。というと、嘘かもしれない。

 あなたのきもちを確かめてみたかった、なんてからっぽの唇で音も呟いてみたけれど、嘘だった。かも。でも、例えるならほら、攻略ウィキで私は右の道が正しいって知ってるけど、知ってたけど、「じゃあ左行けばどうなるのかな」っていうそんな気持ちだったのよ。もしかしたら誰も知らなかった、皆が皆右が正しいって言うから誰も気付かなかった左の道に宝箱があったかもしれないじゃない。そう、試してみたくなったの。嫌いだった訳じゃないんだ。今からすればこれは言い訳?冗談?やっぱり、うそ?

 どれが、うそ?

 大好きな人を見つけて、大好きな人と付き合って、大好きな人と結婚して、それが最高の人生だって私は思ってた。ううん、今でも思ってる。
 でもさ、大好きな人見つけて大好きな人と付き合って大好きな人と結婚して、って事は例えば私が今の年齢でまずセカンドステップの「付き合う」事をしてしまったら、平均寿命の70歳までその大好きな人と一緒なの?

「難しいよ」

 そう彼は言った。嘘よ、初恋は叶わないなんてバカな事言わないで。叶わないことなんてないの。叶わせればいいの。難しい問題なんて時間がかかるだけよ。解けばいいわ。解けないものなんてないの。大丈夫、大丈夫よ、私、かわいいの。かわいいから。

「……まだ、いたのか」

 隣で掠れた声がした。彼の声じゃない。違う彼の声。急にしたものだから私が見つめていた機械が、まるで手からすべり落ちるかのように、するりと離れて、そしてベッドの下に落ちた。ちょっとだけ大きな音がしたけれど、取る気にはならない。だってもうとっくに壊れてるんですもの。

「何よ。いちゃ悪いの?」
「………別に」

 彼は、獄寺隼人はぶっきらぼうにそう言った。ここにいるのが他の誰かだったらよかったわ。と私はひどい事を考えた。でも口に出して言ってはいないからまだ大丈夫ね。心の中で言った悪口は心の中で謝ればいいの。それでおしまいだわ。

 これでおしまいだわ。


 彼女は、という女はバカだと思う。と言うのを、彼女に直接言った訳ではなかったが、アイツはバカだ。もしこれをそっくりそのままに言ってしまえばきっと(と言うか絶対)怒るだろうが、まだ言ってはない。それなら大丈夫だ。勘の鋭い女だとは思うが、俺の考えてること全てを分かるわけではない。当たり前だ。分かったら読心術を備えている異端者だ。

 さて、どのくらいバカかと言うと鳴らないケータイ電話とずっと睨めっこして、そしてそれを電話が壊れているせい、とでも考えているくらいのバカだ。アイツのケータイは壊れてなんかない。もしここで俺が奴のケータイにメールでもしたらKYという奴なのだろうか。それとも、電話までかけて壊れてなんかねえって電話越しに言えばいいのだろうか。
 だけど数日に一回は届く迷惑メールを見てお前は何を思っている?期待してメール開いた後、何を思って電話を投げている?精密機械だぞバカ。やっぱりこいつはバカだ。

「獄寺、あたしね、働きたくないから高校行きたくないんだ」
「どういう事だよバカ」
「あ、またバカつった。しね獄寺」

 しかし思い返してみると、中学の頃のもバカだった。俺が住んでいるボロアパートの隣に、父親と住んでいたようで、所謂父子家庭で、でもそこの父親はとくに問題もなさそうな人でむしろ、どうして離婚したのかってくらい気前のよくて優しそうな人だった…と、自身が言っていた。

「とりあえずさ16歳でどこぞのおんぞーしと結婚して、あたしお城に住むの」
「はえーな」
「早いよ。凄いでしょ?ほら、一回高校行っちゃえば結婚だ何だって報告するの面倒じゃん?てか結婚したらやめなきゃいけないのかな…」

 そうブツブツ独り言を続けて、はまた目の前のノートに目を落とす。

「……獄寺氏ぃー…終わらないでござりまするぅ…」
「ンなバカみたいに宿題溜めといてたお前が悪いだろ」
「獄寺もじゃん」
「俺は頭いいからすぐ終わるんだよ」
「ハイハイごめんね。あーもー学年末にいきなり提出とかないでしょー…」

 その時からはバカだったけど、その時の方が、普通に笑えてた。気がした。毎日毎日ありえない将来設計を真顔で話してたり、宿題が終わらないからと笹川や黒川に泣きついたり、掃除をサボる奴らを箒で追っかけて結局は自分もサボってたり。泣いている所を一回見たことあったけれど、それは派手にすっ転んで生理的現象で泣いただけ。バカだ。

 そして、そんなバカな事をしながらは中学を卒業した。

 言ったとおり、アイツは高校には行かなかった。だからと言って、16で結婚して城に住んだ訳じゃない。中卒ではあまり雇ってくれるところなどない。ましてや父子家庭。これも少しだけだが障害はあっただろう。半年ぶりにと会った時には、アイツは水商売をしていた。
 その年でよく働けたなと聞くと、多少誤魔化したと化粧したは笑って答えた。その様子を見て、俺は恥ずかしい話「少女が女になった」のを見たんだなと素直に思った。

「獄寺も来てみる?安くしたげよっか?あ、大丈夫。お酒出してるだけでいかがわしいお店じゃないよー」

 いつから変わってしまったんだろう。(もしかしたらこの時から変わってしまっていたのだろうか)

 まるで背伸びしているみたいに化粧するをみて、俺は「無茶するなよ」と言いたかった。言うつもりだった。だけど、その時のケータイ電話が鳴り、その瞬間、は知らない表情になった。

 中学の頃はよく笑ってた。ガキみたいに、顔を崩すように。その時のも笑った。だけどそんな笑い方なんかじゃなくて、本当、なんて言えば良いんだろう。「女の顔で笑った」と言えばいいのか。
 その顔を見た俺は思わず黙ってしまった。見惚れたなんて気持ち悪いもんじゃない。絶句だ。知らない女が目の前にいたもんだから。

「ああごめん、また今度ね」

 そういうと俺の知ってるは笑った。

 そして「また今度」は、そしてまた半年後になる。
 俺が無事高校2年生に上がれた春。もうその時にあったは別人だった。別人とは言っても、所謂「二度めまして」という状態。女のしか残っていなかった。どうやらは、ケータイ電話をなくして電話帳も何もかもデータがなくなってしまったようだ。そしてなぜ俺に連絡が来たのかと言うと、俺のアドレスが比較的短く、そして覚えやすく、それからおまけに中学の時からアドレスを変えていないためだった。
 水商売をしているが中学同期で今でも連絡を取り合っていると言う人物はそういない。生活リズムが違うからだ。それにいくら地元が同じだからと言ってメールアドレスのために家に押しかける事もバカらしい。それに昼間しか時間が取れないだろう。

 だから、俺にきた。その時嬉しいという気持ちなんてなくて、正直に言うならば「うわ、来た」という気持ちだったと言うことを告白しよう。

 新しいケータイ電話を買ったらしいのタイピングがやけに遅く、うまく状況把握も出来なかった俺は仕方なく一回電話をして、少しだけその時と喋った。
 女のを実感したのはこの時だ。もう、喋り方が違っていた。イントネーションていうか、ふざけて「しね」なんて言わないであろう声だった。きっと電話の向こうではもっともっと知らないがいるのだろう、と思った。ああ、本当に電話でよかった、とも思った。面と向かって会ってしまっては、俺は彼女を「」と呼べないと思ったからだ。

「どうしたの」
「…とりあえず、落とした」
「知ってる。ケータイ会社に連絡は?」
「したよ。…止めてもらってる」

 ところどころ声が突っかかって聞こえるのはきっと、泣いているのをバレないようにしたいのだろうか。隠しているようだけど、すぐに分かった。

「なくしたもんは仕方ねーよ」
「でも、」
「また買えばいいじゃねえか、稼ぎはいいんだろ」
「………」

 押し黙るの様子を、電話越しで感じて、きっとこれは「好きな奴からのメール」でも保存しているんだなとか直感した。半年前のあの顔。きっとそれもそいつから。とっくに別れて他の人の付き合ってるとかいう可能性だってあるけれど、だけどこいつのアドレスにはずっと人名らしい言葉が入っていた。もし、なくすまでアドレスを変えていないのなら、ずっと付き合っていたんだろう。こいつがアド変のメールを送りそびれていたのなら例外だが。

 そういえば言い忘れていたがは家を出ていた。あのボロアパートをだ。あのまともそうな父親を持つだ。16で水商売なんて反対されるに決まっている。俺は最初、承諾されていたのかと思ったけれどそうじゃなかった。父親をだましていた様だ。コンビニでバイトをしてるとか、そうとでも言ったのだろうか。いつだったか、そういうような喧嘩を壁越しに聞いた。初めて聞く、彼女の父親の怒鳴り声だった。
 散々喧嘩をし、その流れで出て行ったようだった。これは確か俺が高1の秋。

 そして次にがこのボロアパートを訪れたのは俺が高2の夏。ほぼ一年ぶりだ。ようやく謝る気になったのだろう。
 隣に住んでいた俺に何の連絡もなく、は来た。せめて俺に連絡を入れてくれればよかったのに。それはなぜかと言うと、そこにはもう彼女の父親なんていなかったからだ。
 が家を出て、そして年が明けて、春が来てからだったか。引っ越したのか、実家へ戻ったのか、俺にはわからない。ただ、家を出る時に、俺の所に挨拶に来た父親はげっそりと痩せていた。そして俺はこの2日後に来た、のケータイなくしたという連絡を聞いて、なんとなく辻褄があった。

 の父親はこっそりと、毎日公衆電話でのケータイへ電話をかけていたのだ。そしてなくしたことにより、電話は通じない。完璧に縁を切ったと思ったか、もしくは、きえて、しまったのか。
 そこでもう最後の絆だったこのボロアパートから出ようと決心したのだろう。安直な推測だがきっと70%くらいはあってるはず。

 そんなもう誰もいないアパートへ帰ってくる。朝日が見えてきた早朝、俺は外で大きなものが落ちるような音に反応し、目が覚めた。外にはもちろん、大きな荷物を持ったがいた。誰も住んでいない部屋のドアの前に呆然と突っ立っているが。

 その時から俺との関係はこんがらがってきたのだろう。じゃああの時俺はすっかり傷心のをほっといて部屋に戻ればよかったのか?違うだろ。何かが違うだろう。
 つまるところ俺は「とりあえず入れよ」と自分の部屋を案内したわけで。そして高2の俺と大人のは、朝っぱらからやっちゃったわけで。

 あの時の俺がおかしかったのかもしれない。ただの中学の同級生だろ。何してんだよバカ。盛った猫かよ。ああそうか。俺もバカだったのか。


 床に落ちたケータイは鳴らない。連絡はこない。きっと、これからもこないだろう。そりゃあそうでしょうね。なんてったって私は浮気した薄汚い女になってしまったんだから。浮気なんてどこのカップルにでもあることでしょう?少しするくらい許してくれてもいいのに、ねえ。あの人は頭の固い人だった。構ってくれないからちょっと他をすっかけただけだなのに。ちゃんと構ってくれるならそっちに尻尾を振って戻ったわ。

「獄寺」

 私は首を傾けて天井を少し見上げてるように言った。相変わらずのボロアパート。こんな天井の汚れ、そういえばうちにもあったような気がした。

「なんだよ」
「…えっと…学校はいいの?」
「今日土曜日だっつの」
「ああ、そうだったわね…」

 考えてみればこんな事に付き合わせちゃった獄寺はまだ高校生だ。もうちょっとで高校3年生になる。私だって、ちゃんと高校に通っていれば高校生だったはずだ。そのはずなのに、なぜか最近私は獄寺を子供みたいに扱っているかもしれない。学生っていうだけで、なんだかかわいい響きに聞こえるのかもね。いつからだろう。高校生の獄寺なのに、まるで、中学生の獄寺を相手にしている気持ちになる。だから、私もまるで水商売してるちゃんじゃなくて、中学生のに戻ったような、そんな気持ちになる。
 だから、獄寺の隣が落ち着くのかもしれない。昔からこいつは大人っぽい顔というかフケ顔してたから、高校生になっても変わらない。中学生の獄寺君。だけどしてる事は中学生の私たちじゃあ絶対しなかったようなこと。

 もし本当に、昔に戻ってあの頃の私たちにこんな話をしてみたらどうなるのかしら。きっと、私は、私を殴るでしょうね。もちろん、本気なんかじゃなくてふざけるような力加減で。そんな事ある訳ないじゃん、ばか、って。

「……ねえ、もし過去に戻れるなら獄寺は何したい?」
「はあ?なんだよいきなり」
「いいから、何?」
「…お前が家に戻ってくるのを、阻止する」
「家に…って、去年の夏?」
「ああ」

 そういえば、その時に初めて関係持ったんだっけと私は懐かしむように笑う。力ないように、まるでため息をつくかのように笑う。

「…は?」
「私は……中3の頃戻って、…うん、高校受験する」
「あんだけ言っといて高校行くのかよ」
「お城になんて住めないからね」

 久しぶりの言葉は、私を夢心地にさせた。そうだ。私はずっとお城に住むなんて言っていたんだっけ。ふんわりとあの頃聞いていた音楽が頭の中に流れたような気がした。まるで中3の私が蘇ったよう。
 そう考えていたらなんだか泣きたくなってきた。顔を抑えて、思わず泣いてしまいそうになる私の上から声が降ってきた。

「おいバカ、簡単に城に住む方法、教えてやろうか」



君と僕のミッドナイトシアター