可能性なんていらなかったのだ。

 例えば僕が何かで一番取れる可能性だとか、朝5時に起きちゃって二度寝しても寝過ごさない可能性だとか、勉強を何もしないで受験に受かる可能性だとか、それこそ未来への可能性だとか。もちろんこんな『可能性』を勝手に作って縋って、それを頼りに生きている僕も僕なんだけど。
 最初から「そんなのはない」と、キッパリとすっぱりと誰かが言ってくれれば良かったんだ。やれば出来ると有耶無耶にしてくれないでよかったんだ。RPGのように皆が均等にレベルが上がればいいのに。何事もやって出来るなら、苦労はしない。

 つまる所、僕は怖いのだ。可能性が広がっている事が。

 この先何が起こるか分からない。今お金を使っていいのだろうか、と言うのが一番分かりやすい例えなのかもしれない。ゲームでもお金の使い方に迷っているんだから、現実ではもっともっと悩んでいる。もし、マラソンのように、距離が決まっているのだったら「ここが力使うところ」とか、そういうの考えられるかもしれないけれど、僕はゴールを知らない。人生のゴールは結婚だといつだったか聞いたけれど、そのゴールまでにお金を貯めなきゃいけないしその先の方がもっとお金を使うのだ。







「ねえ、結婚はゴールなの?」

 いつの間にかこんな質問を、彼女にしてしまった。その問から数秒後、火を止めフライパンから皿へと盛り付けている彼女はようやく自分に対しての質問――ちなみにこの部屋には僕と彼女以外誰もいないはず、だが――だという事に気付いたのが、顔をあげた。今日はパスタだ。

「あら、結婚は人生の墓場なのよ?」
「……君ねえ……。そういうのは男の方が言うものだと思うよ」
「じゃあ白蘭は墓場だと思ってないの?」
「そういうんじゃなくて……」
「何?」
「もう少し君は夢を見なきゃ」

 肩を落とし、彼女の作った昼食に目を落としつつ言った。彼女、はそんな僕に対してケラケラと笑うばかり。

 とはいえ、僕はマラソン選手ではないから、どこでどのくらい力を使えばいいか分からない。もし聞いてみたりしても、個人個人でどこで力を使うなんて分かれるだろう。それならば僕はいつ力を使えばいいのだろう。

「あ、もうこんな時間」

 と、彼女はフォークを口に入れたまま、だらしない格好でソファーの下に落ちていたテレビのリモコンを拾い上げ、テレビをつける。すぐ戻ってくると思ったんだけど、ずっとそのまま、フォークもそのまま、テレビを食い入るように眺めた。

「だらしないよ」
「今だけよ」
「………ふうん……」

 僕はとくに気にしてもない指摘を彼女にして、そして自分もダイニングテーブルに肘をつけてテレビを見た。馬が走っている。スタートしてからどのくらい経ったか分からないけれど、結構1番から最後尾までは離れていて、どの馬がどの馬なのか違いは全く分からなかったけれど、奇抜な色した服の騎手のおかげでどうにか判別が出来た。

「……競馬って」
「何よ、ダメなの?」
「幾らかけたの?」
「秘密」

 出来ればそこは否定してほしかったものだ。秘密、と言った瞬間だけこちらを見たはまた画面へと。
 馬は嫌いじゃないけれど、馬が好きと言うのと競馬が好きというのはまた違うだろう。いや、同じ人もいるだろうけど、皆が皆そうとは限らない。

がギャンブル好きだとは思ってなかった」
「やだ、意見の相違かしら?」と、はニコニコとよくある離婚原因を言う。
「……だから否定してってば」
「多分、白蘭が思っている程じゃないわ」

 そして、「勝った!」とは拳を握った。

「え?その馬が1番なの…?さっきまで最後じゃなかった?」と僕が指摘するのはピンクの色した騎手。先ほどまで僕が見たところまではずっと一番後ろを走っていたのだ。「こんな全国区で放送されてるであろうもので一番最後を走ってるなんてどんな気持ちなんだろう」なんて、勝手に同情していたものだ。

「追い込み馬っていうの、最後に追い込むから」
「……アー、分かりやすい説明ありがとう」
「それはどうも?」

 ずっと後ろ走っていた馬が一位になる、可能性。






 と言う女の話をしておこう。

 彼女と僕とが会ったのは今から数年か前。正しくはちょっとよく覚えてないと言うか、会ってはいたけれど話はしていなかったからだ。
 高校は違かったけれど、バイトが一緒だった。確か僕の方が少しだけ先輩で、でも僕がキッチンで彼女はホールだった。バイト仲間と言うのは普通、休憩時間とか話すものだろうと僕は思っていた。もちろんそうだった。だけど、と言う女は少し協調性に欠ける女で、休憩になるとすぐどこかへ行って、そして上がりになると誰よりも先に帰る。どうしてそんな奴とここまで仲良くなれたのかが不思議なくらいだった。
 この性格は彼女曰く、「人見知りだっただけ」らしく、まあ確かに仲良くなってからのはよく物を言う人間になってきたなと僕は納得した。

 は、この他に後は大型飲食店とコンビニエンスストアで働いている。3件掛け持ちとは、いくらフリーターでも多すぎだと僕は思うけれど、こことコンビニの方は来るお客が少ないからあまり人を入れないと言う。だから基本的に多く入っているのは飲食店の方。
 高校時代のバイトが『ああ』だったので、今ののバイトはどうなのかと気にはしているが、彼女なりに上手くやっているようだ。

 彼女がこうしてフリーターをしている発端として、一つは大学受験の失敗だ。
 僕が受験のためバイトを止めた後もはバイトを続けていた。そのくせ、僕と同じ大学に入りたがっていたのだ。だけどの頭は悪くなかった、というか、僕より普通に良かったと思う。だけど落ちたのは、別にバイトのせいじゃない。曰く、「試験中に寝ちゃった」との事。あ、バイトのせいかもしれないや。
 とにかくそのせいで親から散々怒られ――きっとバイトのせいで何とかとか言われたのだろう――追い出されて、そして春から一人暮らしするという僕の部屋に転がりこんできたのだ。この頃はまだとあまり親しくはなかった。もちろんそれはも知っていて、チャイムを鳴らし玄関先に立っていたは僕に対して「初めまして」と言ったのだ。初めましてというのもどうかと思うけれど。
 と言うか、その時僕は素で驚いた。夜中じゃなければ大声あげたと思う。が言うに、「適当にうろついてたら、見慣れた苗字の表札見つけて、ほら、白蘭君の苗字って珍しいじゃん」確かに僕の部屋は一階の角部屋だけど!もし違う人だったらどうするつもりだったんだろう。
 は後輩には人気のある人だったから、二個下の沢田君とか笹川さんの所にいけばいいのに、とか思いながらも追い返すのも面倒だったから僕は家に入れた。
 はあまり食べる人じゃなかったし望む人間でもなかったから、親からの仕送りや僕のバイト代にダメージはあまりなかった。それに、はまだバイトを続けていたから、バイト代は全額僕にくれた。もちろん断ったけれど。

 ここで一つ疑問が出来た。何で僕はこんなただのバイト仲間にここまでしてやってるんだろうと。よしみにしても僕は献身的すぎると思った。そこでようやく気付いたのだ。

「僕、君が好きなのかもしれない」
「奇遇ね。私も今それを考えてたの」

 僕らの『告白』と呼べるものはこんな感じであっさりと終わった。そして一ヶ月後、は親に引き取られる。親もここまでが粘ると思ってなかったようで、彼女はどこにも連絡してなかったようで、母親が行方不明の届けを出そうと踏み込もうとしていた矢先だった。

 そして現在、僕は大学3年生。はフリーター3年生。彼女は食べていければいいと考えているタイプの人間らしく、今でもフリーターで満足しているようだ。これが2つ目の理由。







「白蘭、明日は暇かしら?」
「明日……?えーとね……」

 突然かかってきた電話の応答をする為に、カレンダーを見ようと移動した。今月はかなり忙しい日と、全く忙しくない日が交互にあるかのようで、かえってずっと忙しい時よりも逆にバタバタしていた。

「明日は、ウン、午後から暇だよ」
「午前は?」
「大学の授業。お昼前に終わるけど」
「サボっちゃえ」
「……なんで?」

 ため息を吐くように僕は言ってしまった。今月は忙しい日と忙しくない日が交互にある。明日が忙しくない日、今日は忙しい日だったのだ。眠い中必死に授業を聞きつつ、そして家に帰る暇もなくバイトに行き、帰ってきたのはつい先ほど25時。本当はもっと早くに上がれたんだけど、バイトのちょっと強引な先輩と呑むことになってしまった。むしろ、こんな早くに切り上げられてよかったと言っていいだろう。僕も疲れていたけれど、先輩も何だかんだ呑むよりは寝た方がいいくらい疲れているようだったからタクシー拾って強制送還させた僕は偉いと思う。

「私明日の午前は暇なの」
「……午後は?」
「日付変わるまでバイトよ。働いてるんだから当たり前じゃない」
「いつまでフリーターやってるの?正社員ぐらいになりなよ。誘われてるんでしょ?」と、僕は先週の話を思い出す。
「やーよ。社員の面倒さ何て高校の時からこの目で見てるわ」

 それは僕も知っているつもりだった。なんせ、僕とははバイト仲間。中途半端に飲食店などの社員になっては大変な目に合うだろう、といつも思っていた。きっと、偉くなれば下をこき使える分楽になるんだろうな、とも下っ端の僕は思ったけど。

「じゃあ、君が休めばいいじゃん」
「私は働いてるのよ?」
「学生は学ぶことが仕事なんだよ」

 きっとお互いにイラついているだろう。はこんなにしつこい女だと思っていなかった。それとも今の時間だから少し性格がヘンなのだろうか。もう少しで短針は2時を指す。彼女はともかく、僕は午前の授業があるのだからそろそろ寝たいところだ。ただでさえ、疲れている。

「明日の10時、駅前で待ってるわ」

 ばいばい、と言って彼女は電話を切った。







 一週間前、僕はの働く場所の一つであるゲームセンターへ足を運んだ。のスケジュールを聞いてはなかったから、いたらいいな、くらいのレベルだったのだが、見事にはそこにいた。は初め、普段ならいないはずの僕を見ると目をまん丸にさせたけれど、フと笑って小さく手を振って、そして奥で呼ばれたのかそちらに向かった。

 来たからと言って、彼女に用事がある訳でもなく、ただの暇つぶしで来たのだが、考えてみれば働いている最中にペチャクチャと話せる訳がない、だろう。幾ら人が少ないとは言え、今日は日曜日。家族連れからカップル、女子高生などでにぎわっていた。

 一人でゲームセンターを周るのは結構寂しいものだな、と思いながら、僕は適当に選んだUFOキャッチャーをする事にした。来たからには貢献しとこうと思ったのが一点と、後一言でもと話したいなと思うのが一点。

「あっ」
「お兄さん下手ですねえ」

 後ろからしたの声に、振り返ると、営業スマイルを浮かべた彼女がそこにいた。先ほどまでしていなかった『取り方教えます』というタスキをしていた。「後少しで取れたはず」と僕は恥ずかしげに言い訳を口早に言うと、「じゃあもう一回します?」とは答えた。

「君はどうなの?」
「ここの商品だったら何でも取れますよ」
「……本当?」
「試しにやってみますか?」

 聞きなれないの敬語に頷くと、はどれにしようかと辺りをきょろきょろと見回した。

「あれやってよ」僕が指したのは、一番大きなぬいぐるみの入ったもの。

「いいですよ」
「出来るんだ」
「……言っておきながら出来なかったらかっこ悪くないですか?」

 ちょっとだけムスっとして、下の機械を開けると、お金も入れていないのにボタンが点滅した。そしてはアームを動かす。一回目、失敗。

 笑いが抑えられなかったのがバレたのか、は僕をキッと見た。「失敗じゃない!です!こうやって動かしてから取るのが普通!」

 どんどん敬語が崩れてきているを面白く見ていると、既に二回目は開始していた。今度もゆらりと動くだけ。だけど、先ほどよりずっと落ちるところに近づいている気がして、僕は黙って見るめる。

「私ね、飲食店のバイトで、社員にならないかって言われたの」
「へえ……なるの?」
「なったら自由の時間が減りそうだから断ったわ」
「なるほど」

 そして三回目。とうとうぬいぐるみは落ちた。

「どう?」誇らしげには言う。
「……凄いね、こういうの得意だったんだ」
「コツとかパターンを掴めば取れるわ」
「ふーん……」
「もしかしたら、でやってるとお金が飛んじゃうんだけどね」

 は落ちたぬいぐるみを先ほどの位置に戻しながら言った。

「何度もやれば出来るかもしれないけど、でも、こうやって3プレイ500円で取れるんだったら2000円も5000円もかけるのはバカバカしいわ」
「まあ、ね」
「ところで、今日は何の用?」
「ああ……いや、とくに用事って訳でもなくて、なんとなく」
「暇な人ね」
「今日はたまたまだよ」







 初め僕は、『やれば出来る』というのを否定してしまったが、実はそんな事はないかもしれない。が言ったとおりだ。やれば出来るんだ。ただそれにはお金や時間などを使うことによって。
 僕は我侭だから、才がある人物と同じような時間でやろうとしているだけだった。僕には何もないのに。ある訳ないのに。

 ああ、やはり可能性というやつは怖いものだ。

 僕にも出来るような気がしてくる。ずっとずっと時間をかければ僕だって出来るかもしれない。だけど、その時間は10年20年、もしかしたら僕の寿命よりももっともっと長いんだ。

 どうしてここまで悩んでいるのかというと、僕はよりもずっと気の合う女性と知り合ったらどうしようと最近はずっと考えているからだ。些細なことでの喧嘩。それこそ意見の相違。たまにどうしても面倒になってくる時があった。さっきの電話だってそうだ。僕は好きで大学に通ってるし、彼女だって好きでフリーターをしている。休めと言われてハイと頷けるはずがない。

 もしそんな可能性があるというのなら僕はを捨てるのか?いや、だってもしその可能性があったら僕を捨てるのか?生涯たった一人の人はなの?ゲームみたいに主人公とヒロインが決まってれば良かったのに。同じように皆のレベルがあがってくれれば良かったのに。ああ、そういえば恋愛シミュレーションゲームというのもあったな、と一人苦笑。

 どこかの歌のように「あなたに出会えてよかった」と言ってしまうようなものになってしまうのだろうか。

 ああ、やっぱり僕は我侭なんだ。最低な男。

 それでも今の僕はの事を誰よりも好きなのだ。もうちょっとくらい、いやもっともっと自信に思ったっていいじゃないか。好きだ。すきなんだ。なのに、どうしてこんなにも不安なんだろう。
 たまに不安に押しつぶされそうになってしまう時がある。それは、たまにフと浮かぶ、デジャヴを感じた時によくだ。会った事もない人に会った事ある気がして、そんな可能性あるはずないのに、その会った事もない人を僕は殺した事があるような気がしてくるんだ。まるで僕がこれから殺してしまうかのように、思えてしまうんだ。

 もしかしたら僕は過去に何か凄い悪いことをしたんだと、そう思って僕は自分を落ち着かせている。そんな可能性あるか分からないけれど、でも、『今の僕が誰かを殺す』可能性よりは随分気が楽になる。
 大丈夫、可能性は無限大なんだから、信じれば大丈夫。

 ああ、ほら僕はやっぱり可能性を作って、縋っている。







 次の日、起きた時間は今から支度をして、大学に行けば丁度いいという時間だった。もし、もう少し遅く起きて、今からじゃ大学に行っても、という怪しい時間だったら僕はの元へ向かってかもしれない。だけど、こんな丁度いい時間に起きたんだ。
 そんな事を考えながら僕は大学の校門をぬけた。
 今日は久しぶりに晴れた日で、抜けるような青空だった。これだけで少しだけ気が晴れた。もう少しちゃんと話せばも分かってくれたはずだっただろう。昨日は、僕も彼女もちょっとおかしかった。寝てスッキリした。

 不思議なイライラが冷めてきた僕は『ごめん』とでもメールを打っておこうと、バッグの中のケータイを探していると、目の前に影が入る。

 そこには僕がいた。

 僕は頭がおかしくなかったかと思った。同じ人間なんているはずがない。ああほらもしくは、ここに大きな鏡がある可能性とか、水の反射の可能性とか、ああ、ああ、頭がおかしくなってきた。

 思わずケータイでに連絡を取ろうとする。そして待ち受け画面を見て、ようやく僕は今日が何の日か、そしてなぜあんなにもが中着していたのかを気付いた。

 今日は、僕の誕生日だったんだ。

「初めまして、『僕』」

 『僕』は笑い、そして、



暗転。


GAME START


(大学へ行き『自分』が来た可能性と彼女の元へ行き回避する可能性を持っていた男の『チョイス』)