今は昼休み。30分あるこの時間を、いつもなら昼食を取るのに使うのだけれど、今日はあまり空腹を感じないし、食べたくもない。だからなんとなく歩いていた時、

 協力してくれますか、と女は聞いたのだ。その女はみょうに古臭い匂い(しいて言うのなら、祖父母の家の匂いのような)を放ちながら僕へと近づいてくる。

 僕は顔をしかめたまま、建前上とりあえずはその言葉の意味を3秒ほど考える素振りする。だけどまず日本語としてなってないであろう依頼に答えなんて出てこないものだから、「さあ」と目線を外しつつ言った。

「いやぁ、あなたに手伝ってもらわなきゃいけないんですよぉ」
「依頼の意図が掴めないし、まず君は誰だ」
「あららごめんなさいねぇ。わたしは飼育委員です。隣のクラスの」
「…飼育委員?並盛にそんな委員会はないけれど」
「言うならば愛好会です」

 女は照れるように首筋の髪をぐしゃぐしゃ弄りながら答えた。彼女の髪はギリギリ地毛で通るかどうか危ういくらい少し明るい茶色で、その肩まで伸びた茶髪は癖毛なのか、ぴょんと跳ねている。

 愛好会だか何だか知らないけれど、まず飼育愛好会なんてどう考えても言葉としておかしいだろう。ペット愛好会の方がまだ流せる。(って何考えてるんだ僕)
 それよりまず、こんな目立つような女が同じ学年だった事に、僕は素直に驚いた。並盛中学、全ての人間を覚えている訳ではないが、この女が今まで目立ってなかったと言うのなら一体誰が目立っていたのか。

 このまま無視をして彼女の横を通ろうとしたのだが、進もうとした時に女は屈んだ。それがあまりにも突然だったから、思わず僕は立ち止まってしまう。

「………邪魔なんだけど」
「いえ、靴の紐が…」

 突然屈むから何事かと思ったじゃないか、と聞こえない程度に呟いて、僕は一歩踏み出そうとした。が、思う以上に、いや、明らかに足が動かない。

 下を見ると、靴紐は結ばれていた。『僕の』靴紐が、彼女の『靴紐と』だ。

「…何してるの」

 溜息を吐くように、僕は言うと、女はなぜかまた照れたような顔をして僕を見上げた。この女はなぜ変なところで照れるんだ。絶対おかしい。

「こうでもしなきゃ、委員長はどこか行ってしまいそうなので」
「…普通に止めて貰いたいし、君は風紀委員ではないでしょ」

 「そうですねぇ」と、直す気がないような顔で言う彼女を見、僕は動くのを止めた。それにまず、僕を『委員長』と呼べるのは風紀委員だ、と言う意見を無視している。

 自分勝手な人間に、こうしてペースを持っていかれるのは耐え難い。こういう場合は先手必勝。僕は彼女が何か言う前に素早く口を開いた。

「何がしたいの?」
「調べものですよぉ」
「…僕を使って?」

 ニコリと彼女は笑う。「あなたを使って」

「……飼育委員の悪趣味に付き合うつもりはないんだけれど」
「そこまで変な事じゃないですよぉ。ただの生命学です」
「へえ、大層な議題だね」

 話を聞く体勢にはしておいて、僕は腕を組んだ。それにしても、彼女はずっと屈んだままなのだけれど、それにはどんな意味があるのだろう。まさか上目使いとか言う色仕掛けのつもりなのか?確かに上目使いにはなってはいるけれど、残念ながら特別な感情は持ちはしない。

「………立たないの?」
「立ってもいいんですか?」

 質問を質問で返すな、と僕は思ったがここで突っ込んだらきっと脱線してしまう。

「立っちゃったら、わたし達めっちゃ近いですよ」
「…それは靴紐を結んだままだからで、だから早く解きなよ」

 そりゃあ、互いの靴紐を結んでいるんだから、足の位置的に顔や体がかなり近くなるのは分かる。気付いていなかった僕も僕だけど、しゃがんだままでいるのなら早く解けばいいのに。

 女は僕と靴紐を交互に見やると、「協力してくれますか?」と言った。

「だから、何に?」
「そんな難しい事ではありませんよぉ」
「……だから、」

 今は暇かと言えば暇だった。
 けれど、暇だからと言ってこんな意味の分からない女に付き合ってるよりは寝ている方が十分に、十二分に充実した時間の使い方だろう。それにどんなに暇すぎて死ぬという状況でも僕は首を縦には振らないだろう。
 断るのに手っ取り早い方法と言えば殴る蹴るかすればいい。別に、女だからとかそういう事を考えたくない。…が、こんな不思議すぎて、もう何が不思議なのか説明しづらい女を殴って、もし、もし笑顔になられたらどうだ。そんな感じの性癖を持っていたら、どうだ。もうトラウマものじゃないか。これからの僕の一生に関わる。

「まぁ、散歩みたいなものと思って下さい。じゃ、行きますよぉ」

 僕は人を殴る時にあまり顔を見ない。いる、殴る、ハイおしまいだ。簡単なスリーステップ。僕にだって生理的に無理な顔や性格だってあるんだ。本来なら殴りたくも、触れたくもない顔を(プライド的に)殴らなきゃいけない時、顔をジロジロと見てしまったのなら躊躇いが出来る。

「あ、そういえばわたしの名前はって言います。よろしくお願いします、委員長ぉ」と、座ったまま僕になぜか握手を求め、仕方なしに僕は手を差し伸べる。握るつもりはなく、もうほとんど手を出しただけだったが、は強く握った。

「僕、一言も行くって言ってないんだけど…」

 とうとう外れた靴紐に目線を下ろし、僕は彼女の後を追った。そういえば、いつか廊下で「変人」の話題を聞いた気がしたなあと思い出しながら。






【ファイルT:子牛の発生】

「…なんだい、これ」
「最近わたしの委員会に持ってこられたニュースです」
「……君は、」
「あ、わたし元々は新聞委員ですよぉ。わたしも委員長です」

 結局は飼育委員ではなく新聞委員で、しかも委員長で。ああ、全く持って意味が分からない。僕はすぐに考えるのを止めた。

「最近、並中に子牛が発見されているようなんですよ」
「それで?新聞委員としては何がしたいの?」
「ただのネタですよ、新聞の。まあでも、飼育委員としては飼いたいですねぇ」

 校庭を見たり、草陰を漁っていたりきょろきょろしているものだからどんな顔をしているのかは知らない。だけど、あんまり『良い』顔ではないだろうけれど、色んな意味で『良い』顔なのだろう。

「だけど、こんな校庭で子牛なんておかしいでしょ」
「おかしいからこそ、スクープになるんです」

 ようやく僕の方に振り返り、はっきりとした眼差しでそう言うけれどあんまりカッコいいとは思えない。素直に馬鹿だなと思える。

 それに、僕にはなんとなくだけれどその噂の発端に心当たりがあった。あえて言わないのは彼女一人で頑張ってもらいたいと言う親心のようなものでもなく、さっさと諦めてくれないかなあと言うものでもなく、ただ面倒なだけだ。ここで彼女が何も見つけられなかったとしても、僕に影響はないだろう。逆もそうだろうけれど、見つかって調子乗られては困る。

「子牛……、子牛ってどのくらいの大きさなんでしょうねぇ」
「さあ。小さいんじゃないかな」
「えぇーと情報によると、人間の子供くらいだって聞いたんですけど…牛ってそんなに小さいものでしたっけねぇ…」

 予感は的中した。

「委員長?どうかしました?」
「いや…、でも、いないんじゃないの。今は」
「何か知っているんですか?」
「……隠れてたって見つからないものじゃないでしょ」

 咄嗟に頭に浮かんだ言葉をポンポンと繋げて言うと、「そうですねぇ、子供サイズの牛なら隠れてても目立ちますよね。白いし」と、どこを納得したのか分からないがは頷いて、手に持つクリアファイルから紙を取りだした。どうやら、他にも調べ物はあるらしい。

「時間も押してますし、次の行きますか」


【ファイルU:耳なしオバケ】

 次の紙にはそう書かれていて、またしても心当たりのある僕は溜息を吐きたくなった。あんまり、沢田綱吉などとの群れと親しい訳ではない僕が、こうして気付くほどだというのに、新聞委員の連中は何も思いつかずこの女に任せたのか?ちょっと二年の教室を覗けばいつも喧しく騒いでいるだろうに!

「オバケ…、もうブレザーの時期だっていうのに寒くなりますよね。あ、委員長はいつも学ランでしたねぇ」
「…………」

 ケラケラは笑う。どういう冗談なのか、僕に笑ってもらいたいのか、いや、あの冗談で笑えというのか。それにいつもって、夏はさすがに着ていないんだけど。

「さて…、でもコレ先ほどの子牛と同じ日に発見されているみたいですね……」

 大真面目に彼女はそういうものだから、正体が何か知っている僕は思わず口元を押さえた。騙しているつもりはないが、一種のドッキリのようで面白いものだ。もちろん、僕は教える気は一切ない。

「委員長は、オバケとか信じますか?」
「信じてるように見える?」

 自分も質問を質問で返している事にふと気付いた。

「どちらかって言えば信じてそうですねぇ」
「…残念ながらハズレだよ」
「そうですか?都合のいい時には信じてそうですけど、違いましたかぁ」
「………それは君じゃないの?」

 非科学的なものは信じるタチではない。だから、何度も言うようだけれどの言う事はハズレであって、僕の本当の気持ちに気付いてくれたのは君だけだ!なんて展開はない。全く持ってない。僕に求めないでもらいたい。

「でも耳なしオバケかぁ…。見つけても飼おうとはさすがに思わないですねぇ」
「怖いのかい?」
「んー牛とは違って、多分元が人間でしょうし…、人間を飼う趣味は生憎…」
「…そういう意味で嫌なんだ」

 まあ、の言うとおり、人間の姿をしたものを飼おうと考えるのは一種の…いや、なんでもない。

 一通り探して、諦めたのか彼女は立ち上がった。その顔はまだ疲れてなさそうだ。

「次行きましょう、次」


【ファイルV:物音の聞こえる消化扉】

「消化扉って何個ありますかねぇ?」
「…数えた事もないよ」

 赤くて、四角い消化扉。あちこちにあったと頭では分かっているけれど、数なんて知らない。教師でも知らないだろう。知っているとすれば定期的に点検する人物か、物好きか。知ったって意味のない情報を知るものは少ない。いや、消化扉が意味はない訳ではないが、使うような非常事態が起こるのは滅多にない。

「どんな音がするの?」

 どんどん、馴れ合っていると言うか、この状況に慣れてきたようで、自分自身に少し嫌悪感を抱いた。

「沸騰する音とか苦い匂いもするそうですよぉ」
「……へぇ、コーヒーでも淹れてるのかな」

 思わず呟いたその言葉から、またしても僕はフと『それ』が誰なのか思い描いてしまう。…いや、まさか三回連続ではないだろう。いや、いや、消化扉と言えば小さくて、彼も小さいのだからちょっと何かすれば入れる…いや、いや、いや、信じたくない。縦のサイズが大丈夫でも、横幅が足りないだろう…いや、彼ならば改造くらい…いや、いや、いや、いや!

「コーヒーですか!結構、委員長は鋭いですねぇ」
「さ、さあ…。この仮説が当たってるって分かった訳じゃないでしょ」
「そうですねぇ…消化扉でコーヒーは淹れられませんしね」

 あっさりとはそう言ったけれど、ありえるかもしれない所が恐ろしい。自分の学校を好き勝手されるのは嫌だけど、まさか消化扉に忍び込むなんて思っても無かった。

「でも、消化扉は置いといて隠れ基地みたいで面白そうですね」
「……そうかい?」
「あれ。委員長は小学生の頃しなかったんですか?隠れ家造り」
「してないよ」

 都市化が進んでいるとは言え、ここ並盛にはまだまだ緑はあるし、ちょっと歩けば山だってある。だけど、だからと言っていきなりそこに基地を造ったりはしないし。むしろ僕の場合一緒にする友達が……いや、本当に何でもない。

「苦い匂い、苦い匂い……しないですね」
「今日はいないんじゃない?」

 今日は、と本気で考えている僕がいた。


【ファイルW:山のヌシ】

「……まだあるんだ」
「はい、もうちょっとです」

 と、彼女は笑うけれど、クリアファイル内の紙の量は異常だ。分厚いせいか使い古したのか、少し下や上が裂けている。

「でも、今回のはこれ、学校で見つかったの?」
「うーん…、学校で見たと言う人も居れば、近所、本当に山で見たという人も…」
「………信憑性は?」

 今度こそは何も思い浮かばない、と半分嬉しく半分物足りなく考えながら僕は聞く。本当に、なんだか協力的になってきているのは気のせいだと信じたい。

「信用は出来ますね。全員、学年も性別もバラバラですが見たものは一致してます」
「ふーん、ところでどういうの?」
「それはですねぇ……、」

 彼女はパラパラと資料を捲る。きっとあの中に色んな情報が詰まっているのだろう。あんまり興味は沸かない。

「全体的には緑で…、」
「緑?蛙みたいなものかな」
「や、甲羅があって…、」
「……………」
「小さければ亀って感じですかねぇ」

 なんてね☆というようには言う。が、またしても、またしても、予想が出来てしまった僕からすればそんなのシカトだ。
 こんなに世の中上手く言っていいのかというくらい上手く言っている。これが一般的に『上手く』なのかは知らないけれど。

「それじゃあ探しに…」
「待って」

 五時間目開始まであと10分切った、とは走る勢いだったが、それを僕は止めた。

「今は学校にいるんだ。分かるよね?だったら学校から出るのはよした方が良いんじゃないのかな?僕はそう思うね。そういうのは放課後にやりなよ」

 一気に言いたい事を全て言い切った。久々にこんなに長く喋ったかもしれない。言い終わった後、彼女はきょとんとしていたが、僕の言いたい事を理解すると、頷いた。

「…そうですね、じゃあこれは後回しで」






 彼女は腕時計を見た。

「後、一分で五時間目ですね」

 今居るのは校庭だ。もうタイムリミットになってしまったけれど、まだ探し物は終わっていない。あの後も、比較的サクサクと進んでいったから(もちろん、僕が「それは諦めよう」みたいな事言って飛ばしていったんだけど)作業スピードに問題はなかっただろう。ただ、多すぎただけだ。
 結局ファイル何まで続くのかは分からなかった。…って、何名残惜しそうに思っているのだろう。不思議だ。きっと、彼女が意味不明だから、僕も混乱しているんだろう。

「それじゃあ、わたしはもう行きますね。今日はありがとうございました」
「……別に…」

 腕を組んでそう言ってしまった事を、少し悔やんだ。

「あ、最後にいいですか?」

 あの分厚いクリアファイルを抱えつつ彼女は振り返る。

「何。」と、僕は組んだ腕を下ろした。
「調べるのを忘れてたものがあって…」
「…もう時間ないでしょ」

 僕の腕に時計はないけれど、恐らくもうちょっとでベルは鳴るだろう。遅れてもいいのか、と言うように僕は言ったけれど、彼女はこっちを見たままだ。

「いや、いやぁ、これは重要な事でした」
「…新聞委員として?それとも飼育委員?」
「どっちでしょうねぇ」

 目を細めて笑い、僕に一枚の紙を渡した。さっきからずっと見ていたファイル何とかって書いてある紙と一緒。

「……これは?」
「今日、何も収穫がなかったので今度の新聞はこれでいいかなぁと」
「無理にそういう事しなくてもいいのに」

 僕はその紙を小さく折りたたんで、ポケットに突っ込んだ。もちろん捨てるつもりである。
 だが、新聞委員として興味をもたれたのならいいけれど、飼育委員として興味を持たれていたのなら少し危機感を持った方がいいかもしれない、と、下らない事を思った。

 キーンコーンカーンコーン

 鐘が鳴るのを僕等は校庭で聞いた。

「僕は人間なんだけど」
「えぇ、えぇ、この昼休みでよく理解しましたよぉ」
「……手に持ってるもの何」
「ああ、うち、神社なんです。この匂いを嗅いでいると化け物は姿を現すとおじいちゃんから教えてもらったのですが……」

 そしてはチラりと僕を見上げる。それにしても全く、化け物とはひどい話である。それよりもまずそんな話を信じていたを馬鹿らしく思えた。物事に興味津々なのはいいけれど、もう少し大人になれ。

「で?もし僕がそうだったらどうしたの?」
「飼ったんじゃないですかねぇ。私鳥好きですよぉ」
「寒気がするね」
「そうですねぇ。でも、だけど、人間を飼う趣味はないですって」


【ファイル]:不死鳥ヒバリ?】


インスタント・フェニックス

「……というか思ったけど、結局僕はどっちの鳥なんだい?」