今日はとくにする事がなかった。けれど外に出ようと思っても、雪が降っている外を見たらこのまま応接室に引きこもっていたい気分になった、が、足はいつも通り、同じ時間に屋上へと向かって行った。顔が腕が足が寒いと訴えているような、感覚を感じながら。

 元々屋上は一般の生徒は立ち入り禁止の場所だ。中学になったら、高校になったら屋上で昼にご飯だのなんだの、そういうのはアニメや漫画でしか出来ない。建前上学校を取り締まっている教師だって、特別なにかある時にしか立ち寄らないだろう。それに年中ほとんどの時、鍵がかかっており、一般人は壊すしか行く方法は無く、そこになぜ彼が行けるのかというのは、彼の権力といったものか。とにかくこの学校では、この地域では誰も彼に文句一つ言わない。たまに彼自身が自分に対する愚痴を聞くときがあるが、それをいちいち殴って黙らせる事はしない。ただ彼は目の前で無駄に群れられるのが嫌いなだけで、個人個人の意見なんて、どうでもいいのだ。
 どうだって、いいのだ。

 いつものように、冷え切った鍵穴に鍵を入れるつもりだったが、予想外にも念のための確認とドアノブを軽く回すとそのままドアは外へと開いていった。彼、雲雀恭弥はそのまま数秒止まってしまったが、すぐに意識を取り戻し一歩、屋上へと足を進める。

(誰も、いないじゃないか)

 雲雀は辺りを見回したときにそう思ったが、自殺防止の無意味に高いフェンスの向こうに白い人影が見えた。少し目を細めて見てみると、実際は白くなんかはなくて、ただ周りの積もる雪がここ並中のブレザーの色をかき消していたのだった。そのブレザーを着た人は、雲雀からでは後方しか見えなく、男女の区別さえつかない。ただ、頭の位置が低いことから座っているのは分かった。

 彼は極力足音を立てないように近づく。

「ねえ、君そんな所でなにしてるの」
「んー……空を飛ぶ練習、かなあ」
「(……まさか覚醒剤でも飲んだ?)」

 そう思ってはみたけれど、近づいても何一つ取り乱さない事から自殺志願者ではないと、雲雀は確信した。(でも薬飲んでいるやつだったら、本当に迷惑だ。)そのままゆっくり近づいていると、フェンス越しの人は、少女で、足を宙でバタバタと仰がせていた。これでは下にいる人が恐怖を覚えるのではと、下を見たが人通りの多い場所なのに誰一人彼女の存在を気付いてはいない。考えてみれば、自分が地面を歩いているときにわざわざ上を見上げるだろうか。そんな自問自答の答えは分かりきっていた。

 白い息を吐きながらフェンスを見上げるが、簡単には登れない上に、登って下に落ちる可能性だって十二分にある高さだった。

「そういえばあなたって風紀の人?」雲雀の腕章を指す。
「そうだよ…。というか、君本当になにしてるの?」
「ん…?おかしいなあ。風紀の人は話すのが嫌いって聞いたのに」
「……それって、"群れるのが嫌い"の間違いじゃないの」
「ああー、なるほど」 周りの雪で小さな雪だるまを作りながら彼女は頷いた。「なんだっけ……あなた、雲雀恭弥くん、だっけ」

 あまり耳慣れしない響きに、雲雀は少しだけ反応が遅れた。大抵名前を呼ばれるときは、『委員長』とか『先輩』だし、雲雀君、なんて呼び方、大人しかしない。だから何だ、という訳でもなく、ただ珍しいだけ。それでも彼は言いたい事が纏まらなくて、適当に浮かんだ単語を言った。

「……同じ学年?」
「うん、確かね。私、学校にあんまり来たことないんだ」
「ふーん…、そんなので進級できるの?」
「あ、訂正。あんまりクラスに行ったことないんだ」

「保健室登校中!」と彼女は持っていた小さな雪だるまを宙へと投げる。雲雀は驚いてギリギリまでフェンスに顔を近づけ下を見たが、雪だるまは運よく誰も居ない所、誰も見ていない所に落ちた。ガシャン、とフェンスはうるさく鳴る。

 確認後に雲雀は彼女を見たが、彼女のほうは雲雀を見ようとしないで、ただただ雪だるまの落ちたほうを見つめる。どんな表情してるだとかは分からない。
 ここからは顔はよく見えない。

「危ないとか思わないの」
「どうだろう。当たったことないしなあ」

 ぎゅ、と彼女の小さな手で雪玉を握ったと思ったらすぐに投げた。

「いくらただの雪玉でもここからじゃ危ないよ」
「……てか風紀くんのほうが危ないと思うけどなあ」
「僕がなにしたっていうの」
「いつも鉄棒振り回しているじゃない」
「……ああ」

 雲雀が納得したように、いつものように全く音も立てずにトンファーを取り出した。「そう、それ!」彼女はなぜか嬉しそうに微笑む。

 ようやく彼女は雲雀側に振り向いた。元々肌は白いのか、この雪が降るほどの寒さの下では所々赤くなっていた。ブレザーだけでコートも何も着てないため、雲雀は、勝手に彼女はこういうのには慣れているから、あんまり寒くないんだなと勝手に勘違いしていたが、顔は正直にも寒いと言っているのがなんだか笑えた。

「……」彼女が口を開こうとした瞬間に、校内放送がなった。

─風紀委員長の雲雀恭弥さん、校長先生がお呼びです。至急職員室にお越し下さい繰り返します…─

「……お呼び出しだね」何事も無かったかのように、すぐに取りやめて笑う。
「はあ…面倒だな。用がある方がくればいいのに」
「だって、校長先生風紀くんの場所知らないんじゃないの?」

 再びバタバタさせた足も、ソックスで隠れていないところは赤くなっていて、寒いというより痛々しかった。今まで気付かなかった。あんまり、見ていなかったから。

「……風紀くん、行かないの?」なかなか行こうとしない雲雀に彼女は首をかしげた。
「君さ、寒くないの?」
「うーん……寒いんだけど、寒いのが、嬉しいっていうか…」
「は?」雲雀は地声を上げた。
「だって、こうしてると寒いでしょ。で、どんどん痛くなってくるじゃん。」
「…まあ、ね」

「なんだか痛いって生きてるって実感出来る気がするー」と、言ってまたバタバタさせたが手でフェンスを掴んでいるわけでもなんでもないので、危なっかしい「そんな事いつまでもしてたら落ちるよ」雲雀は呆れ声で言った。

「……あのね風紀くん」

 雲雀が「何」と言おうとしたときに再び校内放送がなった。

─風紀委員長の雲雀恭弥さん、校長先生がお呼びです。至急職員室にお越し下さい繰り返します…─

「あは、全く同じの放送だね」
「…うるさいし、行くよ」

 ドアの方へと体を回転させて歩く雲雀に彼女は大声で「ばいばーい」と言った時、もうその瞬間、「あ」その声で雲雀はある事を思い出した。

 一回逆にした向きを、再び元に戻して、彼女を見た。

「そういえば、君の名前は?」
「私?私はだよ」
「分かった、だね」

 満足気にそう呟くと再び向きをドアに向けて歩き出した。


「あれ」

 の小さな声が聞こえ思わず振り替えると、先ほどまでが座っていた場所には誰も居なくなっていた。雲雀は全力でフェンスまで近づき、下を見ようとしたが下まではよく見えなくて代わりに「人だ」「落ちた」という声が、嫌になるくらい、聞こえた。
 ここからは、姿さえ見えないのだ。
キープアウトキープアウトキープアウトキープアウトキープアウト


 これは所謂、『後日談』になるのだが、の正体は(と言うまでもないが)、彼女は雲雀のクラスメートだった。本当に同学年だった、というのもあるが、まさかクラスメートだとも思っていなかった。保健室登校、と言っても、イジメでもなく、体の問題でもなく、ただ、なんとなく保健室登校だったらしい。だからきっとコレは並盛中学校の歴史の中で語り継がれはしないだろう。なぜかと言うと、は悲劇のヒロインではなかったからだ。所謂の、カワイソウな子ではないからだ。そんな奴にスポットライトは当たらない。ニュースに載ったって、新聞に載ったって、いつかはなくなる。
 なんでもない一生徒がここで、この場所で死んだという事実はきっと10年後もう消えてなくなっているだろう。そんな事ある訳ない、と誰かは言うと思うだろうが、だけど、きっと、なくなっているのだ。

「はあ……」
 彼女が死んだ場所、屋上で雲雀恭弥はため息をつく。一体、あの空間はなんだったんだろうか。ただ自分がいて、彼女がいたあの空間。そして、今、自分がいて、彼女はいないこの空間。
 もし、が絶世の美少女だったのなら、きっとここは花いっぱいになっていたのだろう。だけど、そんな事もなくて、ただおざなりの枯れそうな花がチンケな花瓶に突っ込んであるだけ。
 彼女は、一体何を思ってここにいたのだろう。現在雲雀が立っているのは、あの日彼女がいた場所。フェンスの向こう。まるでこの姿は、第三者から見れば、大切な人を想っての後追い自殺に見えるのだろうか。だけど、雲雀にとってはまだまだ初対面の人間。それに、彼だってまだ死ぬ気はなかった。
「君さ、」雲雀は誰かに話しかけるように呟いた。「ここから、雪球投げてたよね。あれ、楽しいの?」その問いかけは、多分、誰にも聞かれないまま、空へと消える。
 そこで、ガシャン、と遅れて音がした。だが、わざわざ下を見るのも面倒だと、彼は思い立ち上がって屋上を去った。

 雲雀恭弥が去った後には、花も花瓶もなくなっていた。どこに落ちたのか、というのはここからでは見えないので分からない、が、きっと彼女の落下地点に落ちているだろう。