その頃はまだ夕暮れ時、季節が冬のせいかまだ晩い時間ではないのに、もうほとんどが真っ暗だった。寒くてかじかんで来た手でバッグをあさり家の鍵を出しながら、家の前に立っていた。予定の時間より晩くなっちゃったから、早く準備しないと。 (あった)ようやく鍵が見つかった所で、隣の家から誰かが出てきた。 彼は、 「……綱吉じゃない」 「ああ、」 隣に住んでいた沢田綱吉と言う男は私の幼馴染。子供のときだったか、周りからはツナツナって呼ばれていたのだけど、私はずっと綱吉って呼んでいたから、今もそう。中学の時はよく顔を見たけれど、高校に上がってからは家がお隣なのにあまり会う機会がなくなった。あまり、と言うより、全く、と言うのが正しいかも。 私が進学校に行ったせいもあるし、まず綱吉は高校に通っていなかった。そして家を空けるのも多かった。別に家庭の事情があったわけでもない、中3になってからは成績も少しは伸びたみたいで、別に高校に入れないほどの馬鹿だったわけでもない。 綱吉には就職先が決まっていた。 「久しぶりだね。この家に帰ってくるの」 「うん。最近ちょっと忙しかったから、ね」 『なんで忙しかったか』は言わない幼馴染は苦く笑う。 こんな顔、私は見たことはない。私が知っている幼馴染の綱吉は、困った時は本当に困ったような顔をして、楽しい時は満面の笑みになる。単純って言えば悪口のようだけど、それがぴったりな言葉。だから私はこんな曖昧な綱吉は見たことがない。ほんと、綱吉は変わった。 彼の就職先はマフィアだそうだ。マフィアのなんとかって言う名前のファミリー。 そんな馬鹿なこと、と中学卒業間際こっそり教えてくれた綱吉に言いたくなったけれど、当時頻繁に起きる事、中2の時からの綱吉の変化を考えると、全くありえないものではなかったかもしれない。でも、私の中のマフィア像と言うのはもっとこう、黒いサングラスをかけた長身の男が黒い帽子を被って物陰に潜むような、そんな感じだったから、綱吉とは真逆だった。 (そんなの、綱吉には似合わないってば) 綱吉は心の奥から色んなものが変わっていた。もしかしたら中3の時から既に、綱吉は私の知らない人だったのかもしれない。けれど私はなぜだか信じたくなかった。 「…どこ、行った?」 「ん?なにが?」 「………国」 「ああ。 えーとね、チェコに…ハンガリー…フィンランド…あ、これでヨーロッパ全部周ったかも」 「へえー」 それは良いね、と続けようとした口を止める。綱吉は仕事で行っているのだ、しかも、殺しの。それなのに呑気な感想は言ってはいけないかもしれない。私みたいな一般人が馬鹿みたいな発言を、一応マフィアのトップにも数えられるとかいうファミリーのボスに言ってはいけないのかもしれない。これは、彼とは違う一般人としての最低限度のマナー。 (…マナーなんて、知らないよ。私一般人だもん。察しろ綱吉) 語尾を伸ばしたままだったため綱吉は何も気にかけていない、ただ優しい顔をした。やっぱり、こんな顔見た事ない。ただの癖でやっている事かもしれないけれど、知らない。私はこんな癖する綱吉、見た事ない。 ほんと、変わった。変わりすぎてもう誰だか分からないほどに、もしかしたらこの人は綱吉の皮を被った誰か違う人なんじゃないかって疑った。でも、垣間見る顔は、声は、私の知っている綱吉だ。こんな中途半端なことは止めてよと心底思った。 (変わるのなら、顔から姿から全部変わってよ。中途半端に、残さないで、) 「あー……獄寺とか、山本は、…元気?」 「うん。最近凄いんだよ二人とも!」 「どんな感じ?」 「この前はね、二人だけで…………ああ、ごめん。何でもないや」 「昔ほど獄寺君は山本に突っかからなくなったしね」と綱吉は言う。 つい、楽しそうな顔をした綱吉が見れたから。つい、話を聞こうとしてしまった。だけど駄目なんだね。私とは、違うものね。 気まずそうな顔をする綱吉を曖昧な笑顔みたいな表情を作って誤魔化した。そんな顔されたら問い詰めるだなんてことはできない。こんな顔をさせたいんじゃないのに。ああ。 何かしでかした時によくするこの表情は彼の癖。私の知っている癖。 と、綱吉は腕につけている高そうな時計を見て「あ」と、声を上げた。すると同時に黒くて長い車、リムジンが到着した。中からは黒いスーツを着てサングラスをかけて、私の想像するマフィア像をそのまま実体化したおじさんが出てきた。「ボス、お迎えに上がりました」 「それじゃあ、俺はここで」 「うん…じゃあ、ばいばい」 「またね」 また、と言って綱吉は車に入る。開いていた窓が閉まると、完全に彼の姿は黒に飲まれた。こっちからは綱吉を見れないけれど、向こうからは私が見えるんだろう、と私は適当に手を振った。そして排気ガスを出しながらリムジンは去る。 その丁度また、反対側から車が来る音がする。残念ながら先ほどのような立派なリムジンでもなんでもない。ただの引越し会社のトラック。 「こんばんは!引越し会社の佐藤です。様でいらっしゃいますでしょうか?」 「はい。えっと、運んでもらいたいものは家の中にあります」 「畏まりました!」 そこからそこの会社の制服を来た社員たちがが私に挨拶をした。そして、私が玄関を開けると何人かが部屋にまとめてある服やら、クローゼットなど大きな家具を持ち運んだ。今までずっと綱吉の家の隣の、親の家に住んでいたけれど、今日はちゃんと自分の家を持つために、マンションへ引っ越すつもりだった。 もちろん、綱吉にはそれを言っていない。それにあいつのケータイの番号も知らない。彼も私のを知らない。綱吉は高校生になった途端、ケータイの番号もアドレスも変えた。確かその時私にも教えてくれたけれど、私はなんだか悔しくて、書いてくれた紙を破って捨てた。でも綱吉からメールも電話も、一度も来たことがないんだ。それなら、捨てたって。 (私もアドレスを変更したっていうのに、綱吉のせいにしようとしてる) どうせ引っ越すなら遠くへと思った。だから引越し場所はここから遠く離れた街。正直、一度も行った事が無いところ。誰も私を知らないところ。新しいところで新しい暮らしをしたかった。家を出るたび帰るたび、隣を見る生活から抜け出すつもりだった。 (いくら待ってもつなよしが、かえってこないところへ) だけどその癖は直らないのか、引越して一ヶ月も経つのにまだ隣を見てしまっていた。けど隣は空き部屋。高さも丁度良い5階で、日差しも暖かく駅に近いこの場所。だからすぐに誰かが越してくるのかと思ったけれど、なかなか埋まらない隣の部屋。そしてまた今日も一度隣を見てからエレベーターへと向かった。この癖は直りそうにない。 ああ、そういえばこの前、家の周りが騒がしいなと窓から下を見たら、一ヶ月前に見たような真っ黒に光ってるリムジンが止まってて、中から綱吉みたいな茶髪の人が出てきてさ、それで私の部屋のチャイムを、鳴らしたんだ。ピンポーンって間抜けた音が部屋に響いたんだ。 入る時に妙にハイテクなセキュリティ認証が必要なのに、どう乗り越えてきたのか知らないけど、誰かが確かに鳴らしたんだ。聞こえたんだもん。 でも、そんなバカみたいな話しないと思って、私は居留守を使った。リビングで耳を塞いで、ソファーのクッションに顔を埋めた。うそだって。幻聴だって。 だってさあ、最初は綱吉が私から離れたのに、私が離れたら追っかけてくるなんておかしい事じゃないの。私はいつかいつになったらって隣見てたのに。私が追いかけても追いかけても止まってくれなかったのに、さあ。 やっぱあいつ本当バカでダメだ。未だダメツナだ。ダメダメのダメツナだ。どれだけ銃学んだって、社会学んだって、あいつは一生ダメツナなんだ。 本当ムカつくから悔しいから私はここで変わってやるって、引っ越したその日に思った。変わって、変わりまくって今度綱吉に会った時にはあいつに驚かしてやるんだ。綱吉の知らない私の癖いっぱい作って、私さえも分からない私になってやるんだから。今まで使わなかった顔いっぱい作って、今まで使わなかった声いっぱい言って変わってやるんだ。 くやしくて、かなしくて、どうしようもないくらい泣きそうになるから、変わってやるんだ。 (ああおもいだすのはいつだって、ちいさなつなよしとちいさなわたし) |