「ありえない」
 自分にしては、比較的はっきりとした物言いだっただろう。言葉をオブラートに包んで喋るのは日本人の血が流れている、それこそ『はっきりとした』証拠だ。ただ、クリスマスプレゼントのようにラッピングした気持ちは、受け取った人によって態度はまるで違う。喜ぶのか、悲しむのか、煙たがるのか。私は目前にまで迫った男を睥睨した。「ありえない」気がついたらもう一度同じ事を言っていた。ああ、そうだ。ありえない。
「ありえない、って何だよ。悪い?」
「そうですね、こんな所でセックスしようとするなんて」
「へえ。もうその気だったんだ」
「…気分が悪い」
 ふうん、と彼は楽しそうに笑った。私は、絡む身体をどうにか後ろに後ずさりながら離れてはみたが、あまり意味の無い抵抗だろう。
 ああ。私たちは先ほどまで任務を全うしていた。久しぶりに入ったSランク級の殺し。人を殺すことは、好きなもんでも趣味でもない。ただ、仕事として割り切っている。学も何にもない私には参謀なんて無理だ。それなら、戦場に駆り出されたほうが全然マシ、いや、喜んで私は銃を握る。そして撃つ。殺す。そして終了、のはずだった。
 冷たい風が頬を過ぎる。ここにはもう、私たち以外誰もいない。生きてはいない。
 この男、ベルフェゴールと言う先輩はどこか可笑しいことは知っていた。絶対に馬が合わないだろう。正反対の人間が、意外にも仲良くなれると聞いた事があるが、それはただの一例だ。性格が逆であろうが似てようが、心腹の友になれない者は必ずいる。そういうのは一回100円で出来るガチャガチャのような、ランダムの巡り会わせだ。
 彼は快楽殺人者だ。殺しと言うのが常時起きているこの世界――大げさな言葉かもしれないが、これが一番しっくり来るのだ――に居て、そこを「ありえない」と嫌悪することはなかった。それじゃあお前は一体何人を殺したのだ。そう、私の得物が語りかけてくる。
「俺、の事けっこー好きだよ」彼は、あたかも私が知っている事かのように話した。
「初耳です」
「だろうね。言ってないから」
「…後からじゃ何べんでも言えますしね」
「お前、後輩の癖に生意気だな。アイツに似てきた」
 制服のファスナーにかけてきた手を払うと、ベルフェゴールは愛用のナイフを私の頬に当てた。一体、今までどこに持ってたのだという早業だ。「でも、アイツにナイフは効かないけど、お前には効く」アイツ、と言うのが誰か、私にはすぐに分かった。私と同期に入った、あの男。アイツは幹部クラスまで階段を駆け上がるように上がっていった。
「そう、ですか」
「ああそうだよ。アイツはつまらねえの。だから脅し足りない」
「…脅し足りない、ってなんですかソレ」
「俺、定期的に誰か虐めねえの気が済まないタチだから」
 それはそれは最高に面白い性格をしている。呆れて声も出なかった。だけど、例えナイフを向けられたって、借りてきた猫みたいに大人しくしているのは私のタチではない。
 私の相棒でナイフを力いっぱい弾いた。簡単にナイフはどこかへ飛んでいったけれど弾いた瞬間、ベルフェゴールはそれを思いっきり私の頬に寄せたせいで、切れてしまった。傷口が外気に触れて、少しスースーする。
「いいねえ。抵抗されるのは嫌いじゃないよ」
 長い長い前髪のせいで、いつもどんな表情なのか分からない。口元で判断するしかなかった。そして、そんな彼の今は、きっと、楽しんでいる。
 こんなに廃れたこの場所で、誰かが来ることは無いに等しい。手や背中から感じる、冷たいコンクリートの感触を嫌に生々しく感じた。ああ、ああ、ありえない。
「先輩と、交流持ってもいいんじゃない?」
「いえ、充分持っています」
「もっと親密にならない?」
「い・ら・な・いです」
 わざわざゆっくりと、区切って言ってみると「生意気だな」と、彼はもう一度言った。
 風を切る音を耳にしたと思ったら、気がついた時には既に私のジャケットは切り裂かれていた。全く分からなかった、と言う目で、ベルフェゴールを凝視すると、彼は楽しそうにナイフをくるくると回していた。悔しい。が、まだ後この中のワイシャツ、それからパンツに下着もある。まるで野球拳だ、と私は呑気に考えた。
 と、ネックレスとして首から下げていた赤水晶が何も知らない表情で顔を出す。「やっぱお前、俺の事好きだろ」不明瞭なベルフェゴールの一言だったが、そういえばベルフェゴールの好きな色は赤だったな、と、内心舌打ちをした。「赤は血の色、俺の色」
「じゃあ、サンタクロースは先輩のためにいるんですね」
「………何、男から貰ったのか」
「違います」私は下を向くように目を閉じた。すると、パッと、これをくれた人が頭に浮かび上がった。はっきり言えばあの人は性格が悪い、と失礼ながら本心で思っている。
 気まぐれで、まるで夢見る乙女を絵本から取り出したかのよう。彼女は白馬に乗った王子様を信じているんじゃないか?なんて、きっとこの性格は会えば分かる。わたしはお姫様なのよ、とか世の中を自分中心に考えていそうだ。そのくせ、後輩の私には優しくてたまに物をくれる。食べ物とか、アクセサリーとか。この赤水晶だってそうだ。根っからの悪い人、ではないのだろう。世話好きな先輩。でも、私は、すきじゃない。
「いいから、早く避けて下さい。重いです」
「ヤダって言ったら、はどうするの?」
 質問を質問で返すな、と言いたかったけれど、考えてみれば私は質問をしていない。それなら、希望を質問で返すな?これは可笑しい言葉だ。
「ねえ、このまま乗っかってたらは死ぬの?まあ俺はそういうプレイでもいいけど。なあ、聞いてんの?俺、無視は嫌いなんだよね。それとも聞こえやすくしてあげようか?」
 重さじゃなくて、彼のナイフで殺されそうだ。私はそんな当たり前な事を思考していたが、ここはそんな事考えていないで、ベルフェゴールの問に答えた方が得策だろう。このままでは、彼は私の耳を切り落としそうだ。
「死な、ないんじゃないですか」
「そう?でもそれも、つまらないな」
「…ベルフェゴール先輩は、私に死んでもらいたいんですか」
「俺の性格、なら知ってるだろ?」
 絡み付く蛇みたい。気持ち悪かった。私が露骨に嫌な顔をしても、彼は面白そうに笑うだけ。目は見えないから、どう笑っているか分からない。だが彼は今、嗤っている。
 赤水晶が括りつけられていた紐を切り、そして水晶が私の身体を転がる。ベルフェゴールはそれを拾って、遠くへ投げた。どこかへ飛ばす為、いや、見えなくする、ため。
「どうせ、こんな事ハジメテじゃないんだろ。別にいーじゃん」
「残念ですが、安売りしてません」
「相手が俺でも?」
「相手があなたでも」
 ふ、と私はあの赤水晶が投げられた先を見た。見当たらない。あの体勢でそこまで遠くへ投げる事は出来なさそうだからきっと、物陰に隠れているのだろう。私の大嫌いな先輩から貰った大切なネックレス。矛盾しているかもしれない。だけど、その通りなのだ。
「ヴァリアー内で、誰と寝たことある?」
「……いきなり、何ですか」
「いやあ、もしスクアーロとかとあったら気持ち悪いなあって」
 あんまり好きじゃねえ奴と穴兄弟ってどうよ、とベルフェゴールは私の顔を覗き込んだ。
「…さあ、どうでしょうねえ」
「あ。まさかこうやって抵抗するつもり?俺、そーゆうのいざとなったらどうでもいいけど」
 少しくらい時間稼ぎが出来ると思ったのだが、こんな常識外れな事をする奴に、こんな反発は無意味だったか。「…ありせんよ」私は小さく言った。本当の事だ。
「へえ、ないんだ。あるかと思った。…例えば…」
「先輩は、あるんですか」
「、俺?」
 意表を突いてしまったか、ベルフェゴールはぴたりと身体が止まった。チャンスか、と私は自身の身体を動かそうとしたけれど、右手首を強く握られた。痛い。
 考えるように、ベルフェゴールは黙った。なにやら、まずい質問だったか。私はじっとこの質問の答えを待った。ヴァリアーに女性隊員はいるが、全体的に見て男よりは断然少なかった。今このご時世、力よりリングのレベルで勝敗は大抵決まるが、最悪な場合肉弾戦は避けられないものだ。マラソンをして、一番遅い男子に勝てたって、トップの男子には勝てない。そういう事だ。そして、その数少ない女性隊員から答えを探す。
「……うるせえよ」
 ベルフェゴールが搾り出したように言ったその言葉は、誰に投げかけたのだろう。
「先輩は、」
「うるせえっつってんだろ。黙ってろ」
 怒鳴るようで、だけど静かな低い声。私は思わず目を閉じた。
 今度思い浮かぶのは、去年のクリスマス。予定は決まっているの、と聞いた。決まってる、と彼は言った。仕事が入っていると。私は安心して、そっかと呟いた。そして、私は見た。クリスマスは、あの人と居たのだ。ただのマグレかもしれない。だけど、『居た事』は事実だ。二人して幸せそうな顔をしていた。裏切られたと思った。私の方が、入隊当初から知っているのに。あの人は私の足元にも及ばないレベルなのに。ああ、ああ、ありえない。
「ベルフェゴール先輩、」
 私の大嫌いな先輩。私の大嫌いな先輩からもらった大切なネックレス。綺麗ですねと褒めたらくれたあのネックレス。それをつければ私もあの人みたいになれると思った。こう考えてしまっていた時点で終わっていたかもしれない。私は負けたと思っていたかもしれない。だってだって、アイツを見ていたら、自然とあの人にも眼がいくんだ。ああ、ああ、もしかして彼も入隊当初から。
「私は、あの人じゃないです」
「…うるせえ、っつんだろ。お前は、このまま俺に抱かれちまえばいいんだ」
「私は、」
 ベルフェゴール先輩の顔が、さっき以上にもっともっと近づいた。私は目を瞑って抵抗せずにキスを受け止める。こんなに近づいたって、私は、私達は。

 目を瞑った先に、どこかであの赤水晶がきらりと光った気がした。




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