「ああ、おかえり、父さん」
「ただいま」







 28年前に僕は生まれた。日本にある並盛町という小さくも無くかと言って大きな街でもないところで、僕は母親の腹をドカン!と突き破って生を受けたのだ。冗談だ。

「ねえ、あなた。わたし、この子はとてもすごく大物になると思うの」
「とてもすごく大物……?うん、そうか……。……そうなるといいな」
「ええ、ええ、本当に」

 そういって、ハハオヤは僕をなでた。暖かな手だった。まだ髪の毛が生え揃っていない頭をゆっくりとなでる暖かな手。チチオヤはハハオヤの突拍子の無い言葉に苦笑を浮かべていたけれど、僕らを見る目は暖かくて、あたたかくて。

「あなたの名前、何にしようかしらね」

 僕が生まれた28年前の5月5日はよく晴れたまさしく日本晴れだったという。子供の日にぴったりだったと母はよく言っていた。
 僕はあまり泣いたり、喚いたりする子供じゃなかった。僕は、そうだね、例えば高校中退するような人間とは違うからね。――とか言いたい所だが、まあ、大抵の赤ん坊がそうのように僕だって例に洩れずその通りだった。残念な話だ。

 腹が減っては泣き、物が落ちれば泣き、外で犬が吠えれば泣き、車のクラクションで泣き、雨の音になぜか泣き、何かあれば泣き、泣き、泣き。泣くのは赤ん坊の仕事だとは言うけれど、よくそんな「もの」をここまで育てたなと思った。だけど、それが親の仕事なのだろう。

 親になってみて、ようやく僕も分かった。絶対子供が出来たって無関心だと思っていた。だけど、僕が思っていた以上に、わが子というものは可愛いもので、一生懸命愛でている自分が可笑しくてなんだか笑えた。あざ笑っているんじゃない。幸せなんだ。そりゃあ、人によって幸せなんて違うだろうけれど、そんなにも毎日毎日愛情を注げるものに出会えたこと、僕にとって、それはとても幸せなんだ。昔の僕にこの僕を見せたら、きっと、びっくりするだろう。中学の僕なんかは本当にびっくりしちゃって、顔は冷静なまま椅子から転げ落ちるかもしれない。背中めちゃくちゃ痛いだろう。






「つーか俺の服、父さんと同じ洗濯層で洗ってもらいたくねーんだけど」
「君は最低だね。極めて卑劣だ。仕事帰りで疲れている父親に対してその口か。その口がそんな事を言うのかい」
「いててて!!頬つねるな!つーか、つーか触んな!」






 ああ、それともちろん―――いや、そんな僕の今は置いといて、過去話に戻ろうか。

 そうして泣く喚く暴れる――最後の言葉は幼稚園の入っていつの間にかくっ付いていたのだ――をしていた僕は小学校に無事入学する事が出来た。僕は黒曜小学校に入学した。並盛町に住んでいるのにどうして?と僕は何度か親に聞いたことがあった気がするけれど、『ガック』というものがこの世には存在しているらしい。小さい頃の僕はあまり納得はいかなかったけれど、そうだと言われたらそうでしかない。物分りはまずまず良いほうだった。しかしその後に名案の如く浮かんだ、「ガックのせいでガックリ」という渾身のギャグは母親にも父親にも全くウケてもらえなかった。

「恭くんは一人で教室行けるもんね?」
「当たり前じゃないか。ぼくはそこまでコドモじゃないよ」
「良い子さんね。じゃあお母さんは先に入学式の会場に行ってくるわね」
「うん。……カメラとかいらないからね」

 しかしこの頃の僕が一番きかない年頃だっただろう。人の注意と言うものが全て煩わし感じてしまい、幼稚園ではよく問題を起こしてた。その度に母さんは呼び出され、頭を下げていた。僕はそれが理不尽で可笑しい事だと思っていた。すみませんすみませんと母親は色んな方面に謝り、そして僕の頭に一撃食らわす。僕は自分が正義だと信じてやまなかったから、こういう時に出てくる母親は悪の組織の一員だと幼い脳みそはそう変換していた。

 僕はてくてくと廊下を歩く。決してどこぞの子供みたいなテュルンだとかポロンだとかそういう音はしない。

「……きみ、さ」
「わ、たし?」
「ああ、そうだよ。邪魔なんだけど」

 口を大きくあけて一文字ずつ丁寧に喋ったことだろう。子供特有の喋り方だ。
 入学式だというのに泣きはらしたであろう赤い目と赤い鼻をして廊下でうずくまっていた少女がいた。少女は僕をじっと見るけれど、動こうとはしない。今日この日の為に買ってきたであろうピンクの服の裾を握り締めずっと握り締めていたのかちょっぴり皺になっていて、僕はなんとなく「こいつは面倒なやつだな」と直感した。

「じゃま」
「……」

 普通なら、きっと普通の子供なら、下駄箱で靴を脱ぎ、受付を済ませ、親と一緒に教室まで来て、そして親は体育館へ行く。そんな流れが普通の新一年生の流れだ。例外というと、面倒くさがりな母親を持つ僕ぐらいで。教室についたのならそこで辺りをソワソワと眺めたり、もしくは教卓でニコニコするセンセイとやらを観察していたり、意外とこういう時に歩き回ったりする子供は少ない。
 それならばどうしてこの子は、と思ったところもあるけれど、そんなの僕には関係ないし、とりあえずこうしてドア近くで立っていられることが邪魔だと思う事の方が大きかった。

「な、なんでそんなこと言うの!?」

 少女は突然立ち上がって、目を吊り上げて、僕にそう叫んだ。さっきまでベソベソ泣いていた少女の変容に全くついていけなかった僕はただただ目を丸くする。

「え、だ、だって……君、邪魔だし」
「じゃ、じゃまなんて言わなくていいじゃん!」
「……じゃあ何て言えばいいの?」

 そういうと、少女は口ごもった。「えっと」や「う」「あ」など、まるで言葉を知らない幼児のよう。(いやまあ去年というか3月までは立派な幼稚園児だっただろうけれども)そこで僕は優位に立ったと確信した。こいつよりは上だと思った。もし本当の大人ならここで謝るべきだろう、が、幼稚園の時からの悪がき根性はまだ残っていた。

 だけど。

「う……」
「……?」
「うえええええええ!!っこ、こんなとこっ………」
「………えっ?」

 そいつは大泣きを始めたのだ。まるで、今まで細い紐で荷を支えていたのがぷっつり切れたかのように、大音量だ。悪がきではあったが、つるんでいたのは同じような奴らばかりで相手が人が泣くというのは体験したことがなく、初体験で、僕はとても慌てていたことを覚えている。

「来たくっ……なかっ……た……っうわあああああん!!」

 一体彼女は何で泣いているのだろう。確実に他のも含まれている泣き方に僕はどうする事も出来ずそして駆けつけた僕の母親にとりあえず何も言わずに一発殴られ、この女はもしかしたら悪の帝王かもしれないとなぜか思ったのだ。






「そういえばさ、今日学校で悪口の言い合いの遊びになったんだよ」
「……へえ、低俗だね」
「もっとマシなコメントねーのかよ。まあ、それでさ、俺の番になったときに「お前の父ちゃん童貞!」って言われてさ、何か一瞬凄い納得して悲しい気持ちになった」
「…………………」
「えっ、もしかして………マジ?」
「「マジ?」じゃなねーよ!そういう意味での沈黙じゃないからね!?」
「頬つねふはー!!!!!」






 そしてまた月日は流れる。



 小学生というのは早い。いや、実際は長かったのだが、今思い返してみると、大分サクサク進むのだ。一日一日が新しくて、よくまあアレだけ早起きなど出来たなあと今更関心する。朝起きる度にやりたい事で満ち溢れていた。校庭で遊ぶ予定、教室内で遊ぶ予定、まあ、全部遊ぶ予定だったけど、でも、毎日が同じことの繰り返しだったはずなのに、寝るたびにリセットされるように、毎日が見るものが違っていて、本当に本当に楽しかったのだ。

「将来の夢。6年2組

 ちなみに、あの時の「悪の帝王」とは特に仲良くなったわけでもなかったが、クラスはずっと一緒だった。長い髪はたまに結んでいるが、そこの家は誰一人指先が器用ではないのか、いつもアンバランス。いつだったか「これ、アシンメトリーだから」とか言ってるのを聞いたけど、格好つけてんじゃねえよと本気で思った。

「この前テレビでホームヘルパーさんのお仕事を見ました」

 ああ、そういえばこの前の日曜にやっていたな。と、如何にして定規戦争、略して定戦で無敵になれるかを研究していた僕は片手間に思い出した。ちなみにやはりドクターグリップのグリップを最大限まで活かせる方法を考えていたところだった。
 わりと、若い介護士の女性だった。テレビに出てくるような一般女性の顔面偏差値は、まあ、その、触れたくはないが、比較的キレイな人だったと思う。そして一緒に出てきた同僚の男性と楽しそうにしてるものだから、取材者が「旦那さんですか?」と聞いていたが違うらしく、既に他の男と結婚しているそう。まあ結婚してそうな顔してるしな、と座椅子に凭れ掛かりながらぼーっと見ていたら、後ろで母が「これは浮気する顔よ」と険しい顔をしていた。失礼な人だ。

 自分の夢というタイトルの文。僕は適当に書いたが(ちなみに警察官になる予定だ。この800字無い文によると)、ほとんどがみたいに綺麗事や叶わないような夢を並べているだけだった。ケーキが食べたいからケーキ屋になりたい、なんてのはさすがに居なかったが、全部全部、みんなみんなが同じに聞こえた。「こんだけやりたい事があるんです」って、「夢持つって素晴らしい!」って。青すぎて寒気がした。






「ンだよ、学校で起こったことは全部報告しろって自分が言ったくせに……」
「報告するべきものとそうじゃないものの違いくらい分かるだろ。何全部包み隠さず言っちゃってるの」
「……………オレだって隠してるのは隠してるっつの」
「命令だ。言え」
「っ!だから!言ってることとやってることが違うだろ!実の息子の胸倉掴んでるんじゃねーよ!オレは自由を求める!」
「もしかして好きな子の話?ハハッ、そんな馬鹿げた話を隠すなんて、君は本当に子供だね。何年何組?」
「お前の方がガキじゃねーか!」






 ――とは言ったものの、仮初の夢だった「警察官になる僕」だったが、何だかんだそれなりの正義感というのは持ち合わせていた。中学は見事並盛学区だったので、黒曜小から並盛中学へ進学出来たが、どうにも隣の、黒曜中学校は不良が多いという。そのせいで、度々並盛中生が被害を受けているとなれば風紀委員の僕が行くしかない。思い立ったが吉日の僕はすぐさま黒曜中に向かった。とりあえず猿山のボスを探していると、度々見知った顔が見えた。同じ小学校だった奴らだ。中学になって変わっていなかったり、凄い変わっていたり。一番ビックリしたのは小学の時は眼鏡かけてオカッパだった見るからに優等生だった奴がパツ金になっていた事だ。思わず本来の目的を忘れるところだった。

「おい!テメエ、人のシマに上がりこんでんじゃねえよ!」
「……シマ?君達さあ、恥ずかしくないの?……ああ、恥ずかしくないからこんな事していられるんだね」

 こいつ等はヤクザ物の見すぎだと僕は直ぐに判断した。そいつが占領している部屋は所詮「教室」だ。決して廃墟とかどこかの地下ではない。僕は思わず失笑した。あまりにも、小さい。それに煽られてか、ヤクザABCDEFが僕に飛びついてくる。何分、ここは机が多いため、動きづらかったが、それは向こうも同じこと。少々苦戦はしたがなんとかなった。

 シメた後に持ち上げていた机を床に置く。ひどく落書きされているものだ。今の時代そろそろ「夜露死苦」に変わる何かが生まれてもいいものだと暢気に思った。他にも色々、ペンでの落書きならまだしも、ほとんどがカッターだ。その器用さは他に使えばいいのに。ふ、とその中に見知った名前が刻まれている事に気付いて、僕は目を細めた。ああ、染まってしまったのだ。ホームヘルパーになりたいと夢見ていた少女は、もういないのだ。






「あ、コーヒー淹れてたけど、飲む?」
「普通、何も言わずテーブルまで持ってくるだろう……」
「お前はオレに何を求めてるんだよ!亭主関白してんじゃねーよ!顔に熱湯かけるぞ!」
「素っ裸にして外に放り投げてやる」
「すみませんでした!!」






「馬鹿なのに難解大を目指してるなんて、……ああ、お前は馬鹿だったな。馬鹿なら仕方ない。無駄な事と有意義な事の違いもわからないんだ」

 それを、極めて正論を叩きつけられた馬鹿な生徒Aはそれを言い放った担任の胸倉を掴んだ。(とは言え、所詮女と男なので担任は余裕顔だ)
 今日はなんでもない水曜日だった。週の真ん中だからってダレてもいいと勝手に思われている可哀想な曜日だ。ただ今日はいつもと少しだけ、ほんのちょっとだけ違って、この前行われた模試の結果が返ってくる日だったのだ。僕達高校2年生は今人生を左右する問題を解かされている。とまあ、格好良く言ったが、所詮このくらいの選択肢はもう出ている。しかもどれを選んでも二重丸をもらえる。選べばいいのだ。間違いのない選択問題を解くなんて、目を瞑っていても出来るのだ。

 A.大学へ進む。 B.専門学校へ進む。 C.就職する。 D.その他

 この馬鹿な生徒AはDを選び最早死ぬしかないだろう。なぜなら、馬鹿だから。馬鹿は就職も出来ない。こういう奴に限って、勉強する意味が見出せないなんて言い出して勉強することを放置するのだ。いい学校に、いい会社に就く為に必要なのだと当たり前なことを誰がわざわざ言うのだ。もしかしたら、そこでアドバイスしない事で、競争率を下げることだって出来る。これは最高に簡単なギャンブルだ。

、もう分かっただろ。大学へ進むなんて無茶な真似はやめろ。受験料が無駄になる」

 担任は極めて冷静に言う。

 馬鹿な生徒A、は僕の小学生の同級生だった。高校で再会して、随分風貌は変わってしまったが、変わってないところだって多かった。プライドが高く、いつだって自分中心。それが彼女のマイナス面で、プラス面だ。高校で年を増すごとに濃くなっているような気がする化粧を今日はあまりしていないようだ。ネイルだのなんだのと張り切っていた指にはペンだこ。ああ、何て馬鹿なんだろう。今更気付いても、今更レースに参加してももう遅いのだ。

 最高に簡単なことだ。この世界は全て才能が構成している。そうじゃなければ、こんなにもランキングに溢れない。1番になりたがらない。

「………本ッ当に最低だ」
「…………?」
「お前みたいな教師も、全部!全部!!」






「で、」
「あん?」
「もう一回言ってみろ」
「いだだだ!そろそろ頬千切れるぞ!反応が悪かったのは謝る!んで何の話だよ!」
「………学校の話だよ」
「学校?……そうだなー、うーん、特にもうないなー」
「…………一日の半分を費やすくらいに学校行っても何もないの……?」
「そ、そんな可哀想な子を見る目でオレを見るな!クソッ!」






「後先考えない『純粋なちゃん』がまだ存在してるんじゃないか。ほら、僕の目の前に」

 そう言うと、はまるでお気に入りのぬいぐるみをぶんどられたような子供のような顔をした。いいや、同じ顔だけどシーンが違う、かな。そう、例えるなら、そうだな、プレゼントを一日遅れでもらったけれど、いまいち実感がわからない顔をしている。

「な、何いっちゃってんの。なんか、今日のヒバリおかしい、へん、いみわかんない」
「そう思うならそう思ってていいよ」
「……やっぱ何かおかしい………」

 2年ぶりに、が高校を中退してから約2年ぶりに再会した彼女は、前より少し痩せていた。2年前は健康体といえるくらい、普通の体系、だったと思う。それが今じゃきっと、まだ学校に通っていたのなら「細いよねー」と話題されるくらいには細くなっていた、と思う。やつれている訳じゃない。でも、変わった。

「……可愛いだけで、済まされればよかった。もう子供じゃないんだ、私」
「僕らはとっくに子供じゃないよ」
「………え?」
「小学校の時から言われてただろ。もう子供じゃないんだから、って」

 僕がそういうと、は少し声に出して笑った。確かに、と頷いて、もう一度笑う。

 僕がここを通ったのは偶然だった。ここは、なんでもない、ただ近くにコンビニがあるというだけの道路。いつも使っている道じゃないし、いつもなら視界に入る程度のもの。だけど、きっとこうして、こんなイベントがあったんだからハズレじゃなかったはずだ。

「………ヒバリ、私、変わった?」
「……変わったかな」
「そう………」
「でも、」少しだけ僕は考えた。「びっくりする程少ししか、ほんの少ししか変わってないから、逆に驚いたよ」

 言う事を躊躇ったんじゃない。ただ、自分の頭の中での整理が追いつかないみたいで、焦って、文字を整頓をした。でもまだおかしい。がさっきから僕の事を「変」というのも何だか頷けた。いつもよりも、よく喋る僕だった。

「アハ、何それ、へんなの。やっぱ今日のヒバリ、ちょっとおかしいかも」
「じゃあ、変わったんじゃないかな。2年ぶりだし」
「……そうだね。2年も、経ったんだもんね」

 は下を見た。何もない、ただの道路。ああ、そういえば、ここは小学生の時の通学路だったか。10何年前は、ここをどういう気持ちで通ったんだろう。どんな気持ちで、人と話していたんだろう。通学路一つ一つに思い出が残っている。だけど、小学校の6年間、365日が6回もあったのに、その全ては思い出せない。なんて薄情なんだろう。所詮、思い出なんてそんなものだろうか。

「はーあ、まあいいや。じゃあね、ヒバリ」
「……どこにいくの?」
「そんな顔しないでよ。家に帰るだけだよ」ポケットに手を突っ込んで、照れくさそうに、「ほんとは誰かの家に押しかけようと思ってたけど、ちゃんと家に帰って、親に謝りにいくよ」
「そう」

 そして彼女は僕の横を通り過ぎた。が、それもすぐ止まる。他の誰でもない、僕がの腕を止めたのだ。

「え?」
「………、電話は持ってるよね」
「ケータイ?ま、まあ持ってるけど……」
「僕の番号、教えておくよ」

 やっぱり、今日の僕は何だかおかしいかもしれない。財布の中から名刺を取り出して、それをに手渡した。普通、プライベート用と仕事用と、携帯電話を分けるべきだと思うけれど、僕の場合は一緒だ。どちらにせよ、あまり電話を使わないから。「それでもし、また困って、誰かの家に押しかけようってんなら、力になってあげてもいいよ」

「………もっと早く言ってくれれば今日今すぐ行ったのに……」
「駄目だよ。ちゃんと親に叱られに行かなきゃ」
「えー……うーん……」

 はそれをポケットに突っ込むと、僕の顔を見ながら続けた。「あ!そうだ、ヒバリもうちに来てよ!一緒に謝ろうよ!」

「え、嫌、っていうか、僕がいる意味でしょ」
「いいじゃんいいじゃん!行こう!」
「いやだから―――」

 と通学路を歩いたのはあっただろうか。あったような、なかったような。ぐいぐいと僕を引っ張るを見ていると、ありもしない思い出が甦ってくるようで、僕は少しだけ混乱した。思い出なんて、そんなものだ。あるあると思っていれば、いつの間にか本当にそれがあったように思えてくる程度の、簡単に偽装が出来るものなんだから。




「だってさ、何もかも覚えてる訳ないじゃん」
「笑った話とか、そういうのは」
「内輪ネタすぎるしなー」
「ふうん」
「何もかも、当たり前すぎんだよ。話すのも笑うのも、当たり前すぎて、当たり前に覚えてない。覚えなくても、明日また笑えるから、惜しいと思わない」

 彼はそう言った。が死んでから10年経ち、彼も13歳になった。目の所の面影は、きっとに似ている。男の子は母親に似るというから、さらにそう感じるのかもしれない。僕としてはもっと父親を崇めるような子供になってもらいたかったけど、どうしてこうなったか、彼は思春期の娘のように僕を邪険に扱う。お前は男だろ。

「父さんもそうだろ?」
「……まあ、そうだね」

 彼の淹れた微妙な味のするコーヒーを飲みながら、僕は窓を見た。今日は雪が降っている。きっと明日には積もるだろう。

「当たり前すぎて、僕も何も覚えていないよ。同じ日は二度と、ないって言うのに」





23:59


(それでも変わることのない思い出を、僕は「こい」と呼んだ)