さて、どうやら困った事になった。好かれてると思ってたのに嫌われているようだ。




 それはどういう事なのかと、説明するのになんら問題はない。嫌われていたのだ、骸に。
 いや、まずあたしと骸について説明しなくてはならない。簡潔に言うなら恋人、深く説明するなら婚約者。その事はあたしらに近い人だったら誰だって知っている事で、だからと言って隠している事でもない。それからその婚約している理由が、『都合がいいから』と言うのも皆さんご存知だ。
 どう都合が良いのかと言うと、それは遺伝子だ。六道輪廻を持つ骸と、あたしで。あたしについてはとりあえず『ちょっと特別』程度に考えてくれてていい。どうせ説明はしない。
 つまりは、子孫の繁栄で、つまりは、骸とソレをしろと言うことで、さ。

 そう考えるとドキドキとすると言うか、ゾッとする。

 なんで好きでもない男とそんな事してしかも子供産まなければいけないのか。これは誰に言われたからと言うわけではない。骸が言ったのだ。「今日から僕らは婚約者です」と。そんな事を顔はいい異性に言われたらあたしだって満更でもなくなるけれど、やはり相手は骸だった。恋人らしくされた記憶も一切ないし、一緒に外出どころか一緒に居る時間さえない。
 正直ふざけるなと。こちとら、ほんのちょっとリアルにちょっとガチにちょっっとだけ、期待していたあたしは何なのかと。
 でも、考えてみれば最初から骸は、あたしをあたしじゃなくてなんて一個人じゃなくて、エンドロールに『町人A』みたいな、まともな名前さえ彼の頭になかったのかもしれない。全く、あたしはどれかって言えば待ち人だと言うのに。町人だけに。

[何それ、巧いこと言ったつもりー?]

 しかもこの通称『婚約者』は骸の信者から見れば相当ウザいらしい。その信者と言うのは、某キンパと某メガネ。そんでもってその某メガネはいつの間にか目の前にいて、あたしとMちゃんのラブラブ電話を聞き耳立ててるようです。最低野郎だ。

 それをあたしはわざとらしく、座っていたソファに身を沈めて大きな声で言った。それを壁に寄りかかっていたメガネ、柿本千種は嫌そうに顔を歪める。あの金髪、城島犬といい、こいつといい、あたしの事を嫌いすぎではないだろうか。しかもこいつの場合は本当に典型的な『女子!!』という陰湿系だ。城島犬みたいに、今にも噛み付くような顔しているのもアレだけど、これも相当だ。前に、交流を量ろうとしてこっそり名前で呼んでみたら目ざとく反応した。勿論、かなり嫌そうな、反応。目を細めて、明らかにこちらを睨んでいた。
 柿本千種ははあ、とため息をつくように言葉を吐き出す。

「別に聞き耳立ててないから・・・・・・」
「・・・・・・聞いてんじゃん」
[もーもういい?電話代ギリギリなんだけどー]
「ああ、ごめん!ありがとねMM。んじゃばいばいーっ」

 もっともっと電話したかったけれど、あたしのケータイからもピーピーとか言う充電が切れそうな音がして、慌てて切る。充電は一個。このまま放置しているだけでもあっという間に電源はゼロになって落ちるだろう。
 それなのに、この柿本千種と二人でぽつーんはキツい。あたしがどんなに交友的に接しようと、向こうがソレを嫌がるのだ。充電も、こんなボロの、ただ寝泊りしているだけの建物では出来ない。いつもだったら、コンビニとか、ケータイショップ行って充電するけれど、今はザアザアと言い表せるほどの音を立てて雨が降っている。

「・・・・暇・・・・・」
「・・・・・・・・・」

 暇、だと言っても柿本千種がなんとかしてくれる筈もない。いつもだったら、いつもだったら彼はあたしと二人っきりになりそうになる前にさっさとドコかに行くはずなのに、なぜか今日はずっとこの大ホールにいる。チラチラと柿本千種の行動を見逃さないようにしているけれど、先ほどからずっとあの壁に寄りかかったままで、何もしない。あたしと目も、合わせない。このソファの向かい側に、もう一つ、最近盗って来たのだか買ってきたのだかのソファがあるのに、そこにも座ろうともしない。あたしが座っているよりこっちよりも、比較的どこか完璧にそっちの方が綺麗で、座り心地も良かったけれど、それは城島犬が持ってきたものだから座りたいけれど、どうにも座りにくいのだ。

 ザアザア、雨がうるさいし、それに寒い。それに、骸はどこに行ったのだろう、あの馬鹿、本当にどこに行ったのだか。ああ、そういえば城島犬とどこか買い物とか言っていたような気がする。骸がいたからって別に柿本千種が無口なのは変わりないけれど、そこまで嫌な雰囲気ではなくなる。
 とにかく帰ってきたら骸に言わなければいけない、この制服だけじゃ寒い、って。

 自身の腕を抱きしめるように、ぎゅうと服を握って、そのままソファに横向きで倒れこむ。横向きだったから、視線の先にはまだ柿本千種がいる。でも、どこにいたってあたしの存在なんてシカトだろう。

「さむ・・・・・・」

 ずっとソファの一箇所だけに座っていたから、横たわった場所はとても冷たかった。顔面にモロ前髪が覆いかぶさって、不気味な状態になっているだろうけれど、でも、どうせそこにいるのは柿本千種だけだ。なのに変に意識して、前髪掻き分けるのもおかしいし、それに寝顔を見られたくない。それなら、これで丁度いい。
 寒いのに眠れるって、雪山の話だっけ、と思いながらあたしは目を閉じた。



 少しだけ暖かい。だけどやっぱり寒い。だけどだけど、眠っていたからか身体はちょっと火照っている。ゆっくりと目を開けると、向かい側のソファに柿本千種が座って、多分寝ているのが見えた。
 まだ寝ぼけている目を瞬かせて、あたしは周りを確認する。ちょっと、様子がおかしい。あたしは先ほどまで、寝入る前までちゃんと、柿本千種が座っている『向かい側』のボロいソファに居たはずなのに、今はその『向かい側』の新しいソファに寝ていた。夢遊病だったのだろうか、それだったら相当恥ずかしい。

 とりあえず、もしかしたら見間違いとか、実は最初っから新しい所に座っていたのかもしれない、と考えるけれど、さっきまではスプリングがギシギシうるさい方に寝ていたし、この手触りは間違いなく、新しい方。
 夢遊病説が大きく膨らむ中、あたしは起き上がる。すると膝に黒曜中の上着が落ちた。脱いでいたっけ、とそれを持ち上げるけれど、どう見たってあたしのにしてみれば大きいしむしろ今あたしは上着を着ているし、向かい側を見ると彼は上着を着ていない。薄いシャツを、彼らしく柿本千種らしく、全部閉めていた。

 おかしい、おかしい、おかしい!

 だって、柿本千種はあたしが嫌いなはずだ。嫌いだからと言って殺しはしないけれど、それは逆に考えれば死なないようにはしてくれていて、でも、別に、こんな事しなくたってあたしは死なないはずだ。こんな、わざわざこんな事をいきなりされても困る。
 あたしは起こさないようにゆっくりとソファから離れて、柿本千種に上着をかけた。

「・・・・・・・何」
「・・・・・そっちこそ」

 目を閉じたまま、柿本千種は言った。
 あたしの体温でその上着が若干ぬるくなっているのを起きている彼に返すのはちょっと気が引けたけれど、もう半分かけてしまっているので、そのままあたしは手を離した。

「柿本千種…、君いみ分かんない」
「・・・・・・・・・」
「嫌いなら、きらいでいてよ。・・・困る」

 どう何を困るか自分でも、それこそ『いみ分かんない』だったけれど、とにかく困るような気がした。柿本千種があたしを『嫌い』でない事が、なぜか。何かが、何かが嫌だった。崩れる気がした。まるでパズルみたいに不安定な何かが、この雨みたいに激しく音を立てて崩壊するような気がした。嫌だった。それは凄く、嫌だった。
 ゆっくりと、彼は目を開ける。でも、視線は床だった。

「・・・・・・オレ、アンタが嫌いだよ」
「うん、・・・知ってる」
「まるで生きている理由が全部、骸様へ、みたいなアンタがきらいだ」
「・・・・・は・・・?」

 今の感情を全て、上手く言葉に出来ない。一つでも思いついた事を言ってしまえば、それは暴言になってしまう。喉の辺りがムカムカして、脳みそで言葉を考えては取り止める。柿本千種が何でその事を嫌っているのは知らないけれどただ、馬鹿にされている気はした。

「そ、それは君らも同じでしょう?なんであたしばっかり・・・っ」
「ああ、オレらも同じだ。だけど…、ムカつくんだよ」
「・・・あたしが骸の婚約者、だから?」

 そう聞くと、柿本千種は頷いた。そして、だんだんと視線をあたしに持ってくると、睨んでいるのか、悲しんでいるのか悔やんでいるのか、分からない顔をした。

「そうだよ、アンタが骸様の婚約者だから、ムカつく」
「・・・・・」
「アンタが、何も考えないで行動するからムカつく」
「・・・・・・・え?」

「・・・・・アンタが、オレの事を考えないで名前で呼ぶから、ムカつく」

 柿本千種はまた目を閉じた。彼の言葉の理由を必死で考えてみるけれど、さっきの上着の意味とか、寝ていたソファが変わっていた事とかを、必死で考えてみるけれど、全てがありえない答えに行き着いた。ありえない、それはどんなに考えたってありえない。多分、ありえちゃいけない。
 あたしは、じっと柿本千種を見つめるけれど、全然反応してくれない。

「柿本千種、ねえ、それって・・・」
「・・・骸様は全部知っている」
「・・・・・?」
「だから骸様はアンタに優しくなんか、しない」

 そう、柿本千種は呟くと、ずっと立っているあたしを見上げて、自嘲気味に笑った。その笑いと言葉は、もうあたしの考えを肯定しているもので。あたしはゆっくりとしゃがみこんだ。そこは柿本千種と同じ目線で、久々にちゃんと目を合わせた気がした。そしてそのまま触れるだけのキスをすると、そのまま二人揃って再び寝るように目を閉じた。

 さて、どうやら困った事になった。嫌われてると思ってたのに好かれているよう、だ。
という定義(定理