考えてみれば凄いことである。夢を見ること。…いや、ちょっと今理解していただけなかったかもしれない。わたしは説明下手だから、ごめんなさい。
 『夢を見ること』は勿論凄いことなのだけど、そのうちの、『夢で見た場所』や『夢で見る人』などが凄いというのが言いたいのだ。だって、今わたしが見ているものは、全てこの世界に存在しているから見えるだけであって、夢の中では一切ソレらは存在しない。夢の中の家、夢の中の学校、夢の中の友達、そして夢の中のわたし。全てわたしが記憶したものを映し出しているだけ、だけなのだ。絵を描くことは苦手なのに、わたしは何も見ずにその全てを再現できている。凄いことだ。

 見たこともない草原とか、森とか町とか建物とか、わたし達は夢の中で創造している。出会ったことのない人と、行ったことのない場所で笑い合っている。それが夢だから普通なのだと、わたしは今まで不思議に思っていなかった。だけど、一度凄いと思えばもう止め処なく様々なことを考えてしまう。
 もしかしたら胡蝶の夢のように、どちらが本当なのか分からなくなってしまうかもしれない。わたしは誰かが夢を見ている『誰か』かもしれないのだ。

 …なんて、そんなことある訳なかったりする。どっかで聞いた、ホッペをつねって痛かったら現実で、痛くないなら夢なんだと。簡単な判別方法。頬に手を当てるフリして、わたしは少しつねってみた。痛かった。

、それじゃあ俺はもう行くから」
「…うん。じゃあね」
「Arrivederci,Ciao」

 彼はそう言うと、わたしにキスを一つおとした。チュ、とわざとらしい音を立てて顔を離すと、ひらひらと片手を振って部屋から出て行った。

 堂々と頬をつねる。痛い。だって今は現実だから。

 彼は、ランボという男は決して浮気性な訳ではない。フェミニストというか、とにかく女性には優しい人なのだ。一緒に歩いていたって、つまりはデートしていたって困っている女性が居たら誰でも助ける。それが、おばあちゃんだったり子供だったりするのならわたしは気にしないけれど、わたしや彼と同年代の人に話しかけるのはとても複雑な気持ちになってしまう。

 「不満があったら言って」と、彼はいつだったか言っていた。だけど、コレを言ったとしても、すぐやらなくなるだろうか?それに、言ってしまえば彼の性格を否定しているようで、怖いのだ。じゃあ俺以外の人と付き合えば、と、そのような事を言われてしまいそうで怖いのだ。わたしだって、嫌いになれるものならもう嫌いでいられる。だけど、すきなのだ。誰にでも分け隔て優しい彼がすき。だけどわたし以外の女の人にあまり優しくしないで、と。すきだから悩んでいるのだ。

 彼みたいに容姿端麗じゃないから、不安。もしわたしが絶世の美女だったら、どんな人だって負けない。自分が嫌いなわけじゃない。だけど、どんなにすきでもわたしは絶世の美女だなんて思えない。当たり前だ。絶世の美女じゃないんだから。
 わたしのどこが好き?なんて聞けない。もし、その好きなところを上回ってしまう人がいたら、その人のところに行ってしまうのだろう。

 ああ、コレは不満なのか、ワガママなのか。それくらい誰かが教えてよ。教えてくださったらきっと、わたしは一歩前に進めると思うんだ。

 そして私は眼を瞑る。つねっても、叩いても殴っても痛くない夢の中へ。


 そう、彼女は言っていた。確かソレは一週間前。眠い目をしていたから、半ば寝ぼけていたことだろう。もしかしたら言ったことさえも覚えていないかもしれない。そこで何を言っていたかというと、実は結構どうってことのない一言。俺が勝手に覚えているだけ。「行かないで」と、俺のコート袖を掴んで言ったのだ。

 その日は確か、久々に彼女・にワインやお菓子などを持って会いに行った事を覚えている。久々と言っても、一週間程度のもの。だけど、仕事上プライベート方面の連絡を全て絶っていたから、本当に一週間恋人に音沙汰なしだった。所謂、危険な仕事についているもんだから、俺はその間に死んでしまったかもしれない。彼女に安否を伝える前にいなくなっていたかもしれない。

 死ぬのはもちろん嫌だ。痛いのは昔から好きじゃない。だけど、俺が死んで一人残してしまうというのももっともっと嫌だ。せめて、死ぬ前に俺が何か言いたい。電話して、そうだな、何と言おうか。傷の具合によっては一言で終わってしまうかもしれないのだ。さよなら、とだけは言いたくないし…、ああ!そうだ。なんだ、悩まなくたってすぐに思いつくものなんだな。

 花屋で買った花束を握り直すと、ふと前方できょろきょろと辺りを見回している女性を見つけた。下を見たり、バッグの中を漁ってみたり。探しものか、と目線を下に逸らすとピンクの可愛らしい財布があった。

「すみません、これは貴女のでしょうか?」
「え?…あ、ありがとうございます!今、探していたんです!」
「そうですか。見つかってよかったですね」

 俺は笑うと、彼女も手袋を着けた手を口にあて微笑んだ。
 いつもより寒いなと息を吐くと、丁度そこに雪が降ってきた。俺は上を見上げてみると、数え切れないほどの雪の粒が仄暗い空から降り注いでいた。

「あの…もし宜しかったらこれからお食事どうですか?」
「とても嬉しいのですが気持ちだけ受け取っておきますね」
「あ…えっと、では連絡先、など、」
「……すみません、恋人を待たせていますので」

 と、俺は言うと、彼女はちょっとだけ口を引きつらせ、「そうですか、無理言ってごめんなさいね」と溜息混じりに返した。そして、早足に俺から離れる。悪いことをしてしまったか、と考えてはみたけれど、必要以上に知り合いを作らなくてもいいだろう。言うならば、仕事上の都合だ。彼女はもしかしたらスパイ、と考えようには考えることだって出来る。最低限、危険な目には会いたくない。

 こうした時、ふと思い出すのはだ。彼女こそ、殺し屋でもなければ何でもない。一般市民だ。俺の仕事について話してはいないが、きっと感づいているだろう。血の臭いをつけて彼女の家を訪れたことはないが、女性は勘が鋭いという。

 ああ。行く前に連絡を入れておかないと。別に部屋が綺麗でも汚くても、に会えればなんでもいいのに、彼女は「どうして連絡いれないの!」と怒って俺を玄関に立たせて掃除を始める。今日はご機嫌ナナメなのかな、と心配するけれどすぐに笑顔に戻る。俺はそういうの可愛らしいところがすきだ。上手くは言い表せないけれど、そこがすき。

 今フと思ったけれどどこがすきなんて初めて例としてあげたかもしれない。言葉として形に出来ていなかった。は、俺のことに「優しいところがすき」と言っていたけれど、そんなの曖昧だ。俺より優しい人なんていっぱいいるだろう。だから、不満があったらすぐ言ってもらいたいのに、は一つも言ってくれない。
 だからか、この前の「行かないで」は今でも鮮明に覚えていた。が初めて言った不満。可愛らしいわがまま。もっともっとわがままでいいのに。
 ああ、不満はないはずなのに、不安でいっぱいだ。

 いつまでは俺をすきでいてくれますか。

 そんな感情の表れを、夢にまで見た気がする。確かそこは真っ白な空間で、俺とがポツンといるのだけど、俺たちは笑顔で話しているんだ。面白くて面白くて、お腹抱えるほど笑っていて、だけど顔を上げると違う人が目の前にいた。全く知らない人、見たことのない女性。がいなくなったと言うのに、俺はまだ笑っている。だいすきな人が居なくなったというのに、だ。

 腹の中ではお前は誰だと思い始めているのに、そこから抜け出してを探そうとしない。それじゃあ、さっきまでいたは今誰と話しているんだろう。夢の中の話だから、と深く考えるのはおかしい事かもしれない。だけど、だけど、はどこに行ったの?知らない男と話しているの?だったら、だったら、と考えてみるけれど、結局あの場で彼女に会うことはなかった。

 俺の中のは、来なかった。
 …でもやっぱそれは俺の中だけ、だからであって、現実のだったらきっと、俺と一緒に居てくれる。現実の俺だったら、いなくなっても探してあげる。そうだ、これでいいんだ。いつまですきでいられるかなんて、重い言葉を言うよりもまずする事がいっぱいあるんだ。先なんて、考えられないほど。

 だけど今は連絡を入れないと。でももうちょっとで家についてしまうようだ。この坂を下ったらもうすぐ。ヤバイ、考え込み過ぎたか。何と言おうか、外で待つのもアリだけど、今日は寒い。出来れば早く家に入ってしまいたい気分だ。

 何を言おうか。あれ、そういえばさっきもこんな事を考えていたね。それなら、

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「愛してる」

 死ぬ瞬間、俺は絶対こう言おう。すごくすっごく体中が痛くて、声を出すのもつらいかもしれないけれど、絶対言う。何度も言うように痛いのは嫌いだけど、君に想いを伝えられて死ねるのなら俺はそれでいい。 (その時はどうか泣かないで)