おれは彼女が好きだった。

 クラスどころか学年も違ったけど、だけど、なんて言われようがコレは揺るぎない事実。好きだった。初恋みたいにキラキラしたものじゃないけど、おれは彼女が純粋に、ただ好きだった。関係を望まないのか、って言われると正直おれも、まあ…完全に否定は出来ないけれど、好きだった。

 彼女は無口な子だった。自分で言うのもアレだけど、おれはどちらかって言うまでもなく社交的な人間。だけど彼女と話したことはほんの数回だった。それも、彼女はただ返事すればいいのを「は、はい」みたいにちょっとつっかえて、まるで古いカセットテープとなんら変わりなく答えるだけだった。
 周りの女子が彼女を避けているのはなんとなく分かった。とは言ってもシカトとかはされてないだろうから、イジメではない。彼女は、よくいる「クラスに溶け込めない子」だったと思う。

 だけど、彼女は可愛らしい顔立ちをしていた。失礼な話し、そういう子と言うのはおれの中で、太ってて顔にポツポツと出来物が出来てて、なんて典型的なイメージがあったけれど、彼女は可愛らしい子だった。(髪は、いつもボサボサだったけど。)多分もっとちゃんと髪をセットして化粧なんかもしてみれば、この中学の中で可愛いと評判の青木さんよりかなり目立つ子になれたと、おれは思う。

 だけどだけど、それはおれが勝手に思っているだけで、もっとちゃんとしても変わらないかもしれない。じゃあ、おれはなんで好きになったんだ。はてさて、好きな子の条件ってなんなのだ。顔だのスタイルだの、体の相性なんてそんなのいっぱいあるけれど、おれは雰囲気かなあと思う。きっと彼女なら傍にいても落ち着ける。失礼な例えだけど、犬、と言うか猫みたいに似ている。別に、飼いたい、ペットにしたい、とかちょいまずい発想はないけれど、ただおれは傍に置きたかった。

 おれが彼女を好きになった理由は本当に単純。おれが二年の後半(彼女が一年の後半)、転入してきたばっかの彼女は校舎をウロウロとさまよっていた。友達はおろか、喋った人ですら指折りの彼女に頼る人はいなかったのだ。
 そんな事情もつゆ知らずのおれは、もちろんそのままスルーするつもりだったけれど、急いで焦ってしまっている彼女がおれにぶつかったから、おれは話しかけた。

「どうしたの?」「あ・・・・・・え、と・・・」「迷った・・・わけないか」「わ、私、転校して・・・きて」「あ、ああー!そいやそんな話しあったなあ」

 盛り上がる話しではないけれど、建前上笑顔を作った。それでもまだ彼女の緊張はほぐれないのか、表情は硬い。長ったらしいスカートが小さく揺れた。

「どこ行くの?」「し、職員室です・・・」「こっちの校舎じゃないよ、あっちあっち」

 と、おれが先を歩くと彼女は驚いたように声を上げた。

「行かないの?」「い、きます」「・・・遠慮しなくていいよー」

 一歩一歩、と歩く。
 その時おれは、すげえときめいた。まさに沈黙が苦にならない。会話はほとんど無かったけれど、おれはずっとニヤニヤしていたと思う。たまに目が合うと、その子はキョトンとおれを見て、不思議そうな顔をして「どうか、しましたか?」って聞くんだ。「なんでもないよ」って、おれは何でもあるのにそう答えて、また笑う。彼女を、好きになったから。

「せ、先輩は・・・」「っつーの、君は?」「・・・・あ、・・・えっと・・・」「・・・名前、は?」「な、凪って、言います」

 名前を言いずらそうに言う、と言うのはおれの短い人生経験上あんまり無い、と考える。だけど、それを『何故?』と考えるほど、おれの思考力は皆無だし、まず人と会話しながら考え事なんて難しい。

「・・・凪はケータイ、持ってる?」「は、はい」「じゃ、アドレス交換しない?」「・・・・え?」「あー、別に悪用しないって!ほら、暇な時メールしよー」「・・・」「うわ、そのケータイ、限定色じゃん・・・すげ・・・」「あ・・・、い、いや、これは母が・・・」

そんな彼女は、死んだ、らしい。

 暗い顔で学校に来る彼女の親を見た。噂で、あの子の親は有名女優ってあったけれど、それは本当だったみたいで、その日はざわついていた。確かにあの女優さんは綺麗な人。だけどあの子と親子、と言うのはなんだか繋がらない。だって、女優は舞台にあがるけれど、あの子は、多分(絶対)、舞台には足を踏み入れない子だ。

 死んだって、実感は無かった。
 会える日より会えない日の方が多かったから、きっといつかまた会えるだろうって思ってた。だけど、もちろん会えるはずなくて、日に日に、胸がムカムカするし、朝の人がいっぱい居る昇降口で無意識に彼女を探してみては、長距離を走ったみたいに口で呼吸をするようになった。

 本気だった。本気でおれは彼女が好きだったんだ。好きだったからこんな苦しくなった。苦しく、なれた。たかだか中学生が何想ってんだ、って。これから人生何年あるんだろう。おれ、平均まで生きれるか知んないけど、死ぬまでこんな想い、繰り返すのかと考えると、すごく、嫌になった。
 好きがこんなに鬱な感情だと知らなかった。恋とか恋愛とか愛とか、もっともっと綺麗なもので、裏なんてなくて。もしおれが『主人公』だったのなら、きっと彼女は生きているのに。失恋で終わりはしないのに。
 ああ、神様なんて酷い奴だ。おれ、無宗教だけど。


「・・・君、君!」
「ぅえ!?・・・あ、ああ、何?」
「・・・・・・もう、何、じゃないってば」

 今、そんなおれの隣に居るのは最近出来た彼女さん。告白したのは向こう。正直に言えば、おれは彼女を知らなかったけれど、おれを好きって言うのなら、おれも好きになれる気がしたから快く了承した。少し、お節介な子だけど、良い子だと思う。

 そういえば今はその子と、所謂制服デートというか放課後デートというものをしていた。どこに行くか、とかは決まって無かったけれど、今日は学校が早く終わったから長く居れる、という事でぷらぷらと歩いていたのだ。

 少しむくれたその子を見、おれは焦った。

「あ、あのさ!並盛に評判の良い店出来たからそこ行こ!」
「・・・・・・うん!」

 ふう、とさり気無く溜息をつく。
 折角のデートなのに、ずっとぼーっとしていたおれが悪いし、それに、話題転換しなきゃずっとあのままの雰囲気だ。おんなのこは複雑なようだ。おとこのこも複雑、ですけど。


 駅前の新しい店、と言うのはカフェの事だ。制服だし、と言うか、中学の制服だから、ちょっと入るのに戸惑ったけれど、彼女が引っ張ってくれたのでおれは引きずられる形で店に入る。お洒落な店内はどうもおれには似合ってない気がした。

「並中生、多いねえー」
「そーだね・・・」

 彼女さんの言うとおり、店には幾らか並中生の姿が見える。そういえば、ここは並盛町なのだから、並中から近いんだっけ?それなら、おれらの方が侵入者なのかな。とか、変な事を考えながらメニューを見る。やっぱりこういう所は高い。だけど、こういう時は奢らなきゃいけないって、親戚のねーちゃんが言っていたからおれはさり気無くお金の出しやすい場所に行った。

 席に着いた時、丁度隣のいっぱいの席には並中生が溜まっていた。何度かぎゃあぎゃあ騒いでは、店員に注意をされている。面白いものがあったけれど、おれは小さく彼女に謝る。

「この席に座っちゃって、ごめんね?」
「ううん、どこにいても同じだよ」

 と、彼女はケータイを見ながら答えた。
 基本的に、物分りいいし、良い子だとは思うけれど、二人の時ケータイを見ながら話される所は、おれはすきじゃない。現代っ子な感じはするけれど、おれはどこを見て喋れば良いか迷う。
 買ったコーヒーを一口飲むと、いつの間にか隣の席に座っていた子供と目が合う。ぼわ、と膨らんだような髪型が印象的な子だ。多分、男の子。

「ガハハハハ!こいつら『でーと』してるんだもんね!」
「・・・・・・・うん?」
「っあはは!この子面白ーっ!」

 ケラケラと彼女は笑うけど、すっかり笑うタイミングを無くしたおれは、どうとも言えない顔をしてしまう。
 そしてその子供は、彼女のケーキを凝視した。「ブドウ・・・」

「・・・・なあに?君、ブドウが好きなの?」
「でもおれっち知らない人からは貰わないもんねー!」
「いいからいいから、はい、あーん」

 すっかり蚊帳の外だ。しかもその子供今普通にブドウ食ったよおい。
 頬杖を付きながら、その二人の様子を見ていると、おれの横に誰かが慌てて来た。振り返ると、そいつは並中の制服を着ている男で、冷や汗をかきながらぺこぺこ礼をした。

「す、すみません!!本当にすみません!!うちのランボが・・!」
「いや、いいよ…そこまで。おれの彼女も、何か楽しそうにしてるし」
「・・・本当・・・、ですか・・・?」

 そいつがオドオドと聞いているのはきっと、おれらのこの制服は、あまりここでは見ないからだと思う。一応名門の私立ではあるけれど、でもだからって偉い訳じゃない。
 おれが何となく、溜息をつくとそいつはビク、と体を揺らした。

「何でもない何でもない!・・・てか、並盛って黒曜中とも仲良いんだ」
「あー・・えっと、あいつ等は・・・・」

 おれらの視線の先には、黒曜の制服を着た3人組。黒曜中は、結構評判がアレだったけれど、一緒にいると言うのは、多分仲がいい、はず。
 一人は俯いてよく見えないけれど女子のようで、もう二人は男子。一人の男は静かだけど、もう一人の金髪は中々うるさい。さっきからずっとギャンギャン騒いでいたのはあいつだったのか、と納得。
 くい、とコーヒーを飲むと空になった。いつの間にか、そんなに時間が経っていたのか。

「ツナー!おれっち、ブドウ貰ったんだもんね!」
「分かった、分かったから引っ付くなって!」

「あれ、君も飲み終わっちゃった?」
「うん、・・・・じゃー・・出る?」

 デートなのか、デートじゃなかったのか。だけど、彼女は楽しそうにしているからいっか、と思いながら席を立つ。彼女はまた、ケータイを手に取った。そして、何かを操作すると、それをバッグに入れて、さっきの男の子の所に向かう。

「じゃ、またいつかね!」
「おう!ばいばーいっ」
「・・・な、なんか邪魔しているみたいですみません・・・」
「・・・・・・言うなよ」

 おれは、先ほどの少年に小さく謝られる。なんだか、彼女は素敵な出会い?を果たしているのにおれの方は謝られてばかりって、どうよ。
 それで、彼女はもうあのちっちゃい子との別れが終わったのか、おれの手を引いて店を入ってくる時のように歩き出す。その時、黒曜中の奴ら、というか、あのうるさくしてた男子と目が合って、軽く睨まれた。

「ケッ!何見てんだバーカ!!」
「う、うん?ごめんな?」
「あーウゼ!すぐに謝る奴マジうぜー!!」

 凄いどうしようもない循環だ。折角謝ったのに。

 隣にいる彼女を見ると、眉を寄せていて、どう見ても、機嫌がいいとは思えない。そして、ぐい、とおれの腕を強く引っ張って、「早く行こ!」と急かした。
 もちろん、睨まれて凄い嬉しい、とかそんなの一切ないから、おれも直ぐに行こうとしたんだけど、その、そいつの隣の隣(『そいつ』が一番奥で、その子目の前。)にいる黒曜中の制服を着た女の子に物凄く見覚えがあった気がして、どうしても思い出さなきゃ嫌な気がしたから、おれは動けずにいた。

 じ、と見つめていると、その子はさらに俯いた。やっと、答えが喉まで来たところで、おれはまたぐいと引っ張られる。

君、行くよ!」
「あ、ああ、ごめん」

 おれは咄嗟に、こっそりとその子に何かを渡すと、すぐカフェを出た。


「・・・・・いや、おれ、何してるんだよ」

 あの子に渡したものは、ケータイだった。勿論おれの。

 家に帰ってきて、何となくケータイを探したのだけれど、無い事に驚いて、それからなぜあの子に渡したことについても驚いた。多分、本当にこっそりと無意識にだったから、おれとあの子以外知らないだろう。いや、だけどケータイが無くなるとか困る。

 とにかく、パソコンのメールから、ケータイを持っているか確認しておこう。

 何を送るか、パソコンの前で少し固まったけれど、適当に、「おれのケータイ持っていますか?」と、おれは打ちなれていない、たどたどしい右手の動きでメールを送信した。
 10分くらい待っていると、メールは来た。『持っています』と。良かった、メールを開けたんだ、という変な安心感を抱きながら、おれはまた打った。

「渡してごめんね。君、今どこ?」『黒曜センター』「遊んでいるの?」『違います』

 そんなメールに、おれは固まった。もしかしたら家出をしているのかもしれない。あんな大人しそうな子が、とか思ったけれど、そういう子の方が思い切った行動をするのかもしれない。

「一人?」『今は一人です』「質問ばっかでごめん。いつもは何人?」『三人です』

 こんな絵文字(パソコンだから無理だけど。)も顔文字もない淡々としたメール、結構久しぶりかもしれない。それが新鮮とか、良いとか悪いとかじゃなくて、なんだかひたすらおれは懐かしかった。

「おれ、今から行っていい?」『駄目です。危ないです』

 ふ、と時計を見ると、もう23時を過ぎていた。こう見てみると、メールを数分の間に行っているように見えるけれど、彼女は使い慣れないであろうおれのケータイを使っているから、少々返信が遅かった。

「おれは大丈夫、今から行く」

 有無は言わせない。おれはパソコンをシャットダウンして、こっそり家を出た。

 とても、懐かしい感じがした。あの淡々とした文章に。なんだか、誰かの声が、そのまま頭で再生させて、とてもおれは泣きたくなった。本当はずっとどこかに居るんだって思ってたあの子だ。

 おれの家から、黒曜センターはそう遠い訳じゃない。すぐに自転車に跨ると、ふいにぽたりと一滴だけ、涙が出てきた。なんでおれは泣いているのだろう。悲しいわけじゃないのに。目を無理矢理腕で拭うと、ペダルをこいだ。


 黒曜センターについたのは、何時なのか。つい、ケータイを探してしまったけれど、考えてみれば今そのケータイを取りに来たのかと思い出す。

 昔、一回だけ来た事のある黒曜センター。色んなものがあって、広くて楽しかった事を覚えている。
 でも、今じゃあ錆びれてしまって、それに夜だから凄く恐い。肝試しをするような感覚でおれは立ち入る。この場所に、彼女は一人で居るのかと思うと、なんだけ勇気が沸く。びゅうびゅうと寒そうな風が強く吹いた。

「どこにいるのー・・・?」

 おれは小さく聞きながら歩き回る。持ってきた懐中電灯のおかげで、見落とすことは無いだろう。そのまま、ズンズンと進んでいくと、比較的綺麗なテーブルの上に、おれのケータイが置き去りにされている事に気づく。
 となると、近くにあの子がいるのかと、おれは辺りを見回したけれど、人気がしない。

 不思議に思いながら、とにかく時間を見ようと、ケータイを開く、と、そこはメール編集画面だった。書いている途中で、どこかに行ってしまったのかと、不安になったけれど、そこに書かれた文字を見、おれは固まった。『ずっとすきでした』

「え・・・・・・」

 ずっと、って、それはおかしい。だって、おれはあの子と今日初めてあったんだから。いや、嘘だ。だっておかしいだろう。こんなに上手く話しが進むわけが無い。だって、おれは主人公じゃないんだ。

先輩」

 そんな時、どこかからか、あの子の声が聞こえた。おれがずっと好きだったあの子。

「ちゃんと挨拶できなく、て、ごめんなさい・・・」
「な、ぎ・・・」
「だけど、これだけは言わせてください・・・・・すき、でした」
「・・・・・・・・おれも」

 ああ、おれは、主人公なんかじゃない。やっと分かった。だってさあ、例え、彼女が奇跡的に生きていたっておれは凪の旦那にも彼氏にもなれないんだ。

「おれも、すきだったよ凪の事。・・・全然、話したこと無かったけど」

 何だか、無性に泣きたくなって、おれは思わずうずくまる。自転車に乗った時は、一粒の涙で充分足りたけど、今じゃ全然足りない。すきな女の子の前で泣くとか、一番したくなかったかっこ悪いことかもしれない。だけど、止まらない。おそらく、おれらはもう会わないだろう。後、おれが何年生きるか分からないけれど、きっと会わない。

 凪は、どこか遠くなった。

先輩の隣は・・・、心地よかった、です」
「・・・・・・ありがとう」
「だから・・・・、さようなら」

 何が、『どこかからか、あの子の声が聞こえた』だよ、近くにいるじゃんか、おれの馬鹿。なんぜ近づけなかったんだよ、おれのばか。



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 気が付くと、おれは家の駐車場で、呆然と自転車のハンドルを握っていた。驚いたけれど、不思議と慌てるほど驚かなかった。ゆっくりと、目をこすったけれど、全然乾いていて、逆に少量の涙が出る。

 家に入り、握っていたケータイを開くと、時計はまだ0時を指していない。まだ、23時だった。他に何か、変わっているものや、変わっていないものがあるか、と探してみると、どうやら凪がおれのケータイで打ったあの文章たちは残っていた。

 おれは彼女が好きだった。
 クラスどころか学年も全く違ったけど、だけど、なんて言われようがそれは揺るぎない事実だった。好きだった。初恋みたいにキラキラしたものじゃないけど、おれは彼女が純粋に、ただ好きだった。

 アドレス帳を開くと、凪の文字は無かった。一度も、彼女からメールが来た事はなかった。いつか来るかなーと思っていたけど、全部おれから無理矢理送って、無理矢理会話を続けさせているようなものだった。

 ふいにパソコンをつけて、先ほどのメール画面を開く。すると、新着メールが届いていることに気付く。開いてみると、それはおれのアドレスからだ。『分かりました。分かりやすい所に置いておきます』そして、長い長い改行。


『ずっとすきでした』
おれは多分泣くことしか出来ない子供だ