多分、この一年はあまりよくない一年になりそうだ。

 とにかく、香水臭い。だけど去年のこの部屋はニンニク臭く、もうニンニクは食べれないと思ったほどだ。けれど、これも無い。ちょっとだけ、母さんの匂いを思い出した。
 どこかキラキラした眼はダンブルドアのキラキラとは違う。どちらかと言えば『ギラギラ』していたのかもしれない。
 着ているそのローブは、そういえばどこかの有名なブランドの物だった気がした。顔はカッコいい部類には入っているけれど、何分キラキラ(いや、ギラギラ)しているせいで、どうも何とも言えない。

「皆さん始めまして!私の名前はご存知だとは思いますが、改めましてギルデロイ・ロックハートです。さて、えー勿論何度も読みすぎてボロボロになってであろう教科書を出して下さい!ああ、違う、それではありませんよ!」

 バチ、とそれは私になのか、それとも他の誰に決めているか分からないウィンク。それを受けた私は睨む前に、まず呆れた。ポカーン、と、自分で言うのもあれだけど、いつもは『すました』様なタイプだったから、久々に年相応な顔をしたのかもしれない。
 今年は首席になれたり、もちろん5年生からの監督生もなんら問題もなく続いている。勉強は真面目に行った。なのに、どこか何か間違っていたのだろうか。

「それでは今日は…抜き打ちテストをしましょう!」

 教科書はどうした。
 彼がアナログに手で配るそのプリントにはビッシリ文字が、書いてあるわけなく、簡単なアンケートに見えた。「なにこれ…」出来うる限り小さく呟く。『狡猾なスリザリン』と呼ばれるけれど、いくら狡猾だからと言って関わりたくない奴だっている。それなのに大声でこんなのを馬鹿に出来るものか。絶対突っかかられる。

『ギルデロイ・ロックハートの好きな色は?』(……知らないから…)

 本当に、この教師は何がしたいのだろうか。鼻歌交じりで教科書(と言うよりは自伝)を捲るロックハートを睨むつもりで見ていると、ふいに眼が合う。

「おや、…ミス・?出来れば輝かしい私ではなくプリントを見てもらえると嬉しいな」
「………はい」

 あの視線を何をどう勘違いしたのか、嬉しそうに指摘をする。教室の中でまばらにクスクスという笑い声が聞こえた。もちろん周りは、私がロックハートを睨んでいる事に気付いていたのだろう。だけど、それがどうにも冷やかしに聞こえて、どうしても嫌だった。

「さて、それではもう時間ですね。」
 と、ロックハートがプリントをまたも手で回収する。あれほど言っていたのだから、きっと派手な魔法でも使うのかと思ったけれど、そちらの面では地味なのだろうか。それとも、ただ呼び寄せ呪文などの浮遊術が苦手なのだろうか。それとも、回収する時にわざわざ握手を求めて(ちなみに出血サービスらしい)いるので、手で回収することに意味があるのか。
 さっそく手に入れたプリントを期待するようにペラペラ捲るけれど、捲れば捲るほど、彼の顔はちょっとずつ曇っていく。

「ああ……違います、違います。私の野望はそれではありません!」

 本気で怒っているわけではなさそうだけれど、どこか不満そうにブツブツとプリントを捲っていく。「誰一人一問も正解者がいないなんて…」 
 それどころが、このクラスではもしかしたら全部書かずに提出した奴もいるのではないだろうか。7年生になった今はもうとっくに慣れたけれど、1年生や2年生のように寮の同学年全員で同じ授業を受けるわけではない。選んだものを好きに出来るのだが、去年のクィレルが担当だった時もこんな感じだった。

 とはいえ、私は真面目に授業を受けたい。来年の6月にはN.E.W.T(通称、めちゃくちゃ疲れる魔法テスト) があるというのに。どうせ今年も一年で辞めていくのだ、そんな先生が今年来なくてもいいじゃないか。
 はあ、とため息をつくと、急にロックハートが歓喜の声を上げる。

「やっとですか!…ミス・!私の好きな色は?」
「―――は?はい?」
「さあ、皆さんに聞こえるくらいの声で!」

 好きな色、と言われてもそんなの知らない。それとも、先ほど適当に書いた色が当たってたのだろうか。だけど、適当に書いたものなのだから覚えている訳がない。紫系の色を書いたはず。モーブ?いや、もっと薄かったはず。クロッカス?いや、違う。ラベンダー?いや、青すぎる。

「ライラック?」
「そう、そうです!さすがですミス・!」

 さすが、というのはもしかして先ほど私がガン見していた事を言うのだろうか。
「一人しか正解者がいなかったというのは哀しいことですが…それと共に嬉しいことでもあります!スリザリン一点!」
 思わず眼を見開いた。まさか今のような事で得点をもらえるだなんて。それは周りも同じのようで、私に対して『羨ましい』というよりは、ロックハートに向かって『ムカつく』と言っているようだった。

「それでは、もう一度教科書を出して下さい」
 彼は沢山の決して好意ではない視線を、見ないふりでもしているのだろうか。


?あなたまさかファンだったの?」
「そんな訳ないから」
「そうね、良かった。本当に。あんなのに熱上げてるのってキャラ違うものね」

 それはどういう意味なのか、隣のリズを睨む。
 確かに、キャーキャー言うのは私のタイプではないけれど、リズのタイプでもないだろう。17歳にして枯れたものだと、少し切なくなるけれど、こんなのに夢中になるよりはマシなのだろうか。いや、マシであってほしい。

「これでもしかしたら、お気に入りの生徒になるんじゃない?」
「何、私にteacher's petにでもなれって?」

 本当に嫌になる。「ヤダよ、先生の後ついていくって」

「嘘に決まってるでしょ?…と言うか、もうペットじゃない」
「誰の」
「スネイプ先生」

 ドカン、と大きな音がなる。私が無駄に分厚い教科書を落としたせいだ。「おや、大丈夫ですか?」そんな声が聞こえたが、それを軽く流して、再び睨んだ。

「馬鹿言わないで」
「ああ、もう本当に冗談の通じない子」
「それで結構結構」

 笑えない冗談だ。確かに、薬学には興味があったから何度も質問していたし、居残りだって喜んでした。それなのに、そんな眼で周りから見られていたとなるとショックだ。もしかしたらスネイプも気持ち悪がってたかもしれない。ただ、ちょっとばかし熱心なだけだったのに。それに、私が興味があるのはスネイプではなく、『薬草学』だ。
 それなのに、それなのに。(むしろあんな地味ーな奴、こっちから願い下げよ!!)と、自分でも訳も分からない怒りの矛先があちらこちらに向かう。

、機嫌直して〜?先生が心配するわよ?」
「あの人、自分にしか興味なさそうじゃない」
「んー、まあ、ハリー・ポッターには興味ありそうね」

 リズの言うとおり、彼の講義は何度も『例のあの人』だの『ハリー』が出てくる。それほど、お気に入りになる生徒だったのだろうか。自分が覚えている上では、スリザリンという肩書きを消したとしても、ちょっと出しゃばりすぎなイメージはあった。とは言え、祖母から昔聞いた話、あの父親も父親だったらしく、むしろ今の方がまだマシだと話していた。
 ふと時計を見ると、もうちょっとで授業が終わりそうだった。と、言っても彼はまだ熱っぽく話していて、もしかしてオーバーするのではと嫌になった。

「おっと、そろそろ終わりですね…。ミス・、ちょっと残っていただいても?」
「は?…え、ええ。じゃあリズ、先行ってて」
「そうね、私お邪魔だもん」
「……リズ」

 まだ言うか、と搾り出すように彼女の名を呼ぶ。「分かったわよ、次は魔法薬学だから遅れないようにね」
 冗談を通じない私だと言うのに、それでも冗談を言うリズはきっと、この世界で一番憎たらしくて、一番優しいではないのだろうか。(本人には、いえないけれど)


 誰もいなくなった教室。シンとしていて耳にはとてもいいけれど、眼にはとても悪い人物がいるために休めそうにはない。

「もしかして、ミス・のご両親はホグワーツ出身かい?」

 紅茶を淹れる手を止めないで、急に彼は言う。

「ええ、そうですよ。…よく知ってますね」
「そうか、そう!やっぱりね、同期…ではないが、良い先輩だったよ」

 嫌味のつもりだったのに、それを知ってか知らずか、ニッコリと笑った。なんだか自分が悪いことをしている気がして、居心地悪そうに腕を組んだ。とは言え、先輩と言ったら同じ寮だったという可能性が高くなり、私の父さんスリザリンだったけれど母さんはハッフルパフだった。ただ、正直な話どこからどう見てもロックハートは、純血主義のスリザリンではない。

「先生は何の寮だったんですか?」
「私かい?……ハッフルパフだったよ」

(やっぱり、)そこは出来損ない、とよく言われる寮だ。
 とは言え、一番あそこは『優しい』人たちが多いところで、一番平和に学校生活を送れる所ではないだろうか。私はこんな性格だからか、スリザリンに入れられたけれど、もし今また選べるというなら、ハッフルパフでのんびり過ごすのも悪くは無い。

「……羨ましいです」
「え、そうかい?…ハッフルパフが好きというなんて変わってるね」
「…のんびり過ごせるじゃないですか」

 あなたほど変わってませんけど、と言いそうになる口をなんとか抑える。

「母さんと、仲良かったんですか?」
「…もしかしたら、君のお母さんはもう私を覚えていないかもしれない」
「なんでですか?」
「いやあ、なんとなくだよ。…覚えてくれていたら嬉しいのだけど」

 ぼんやりと、甘い匂いが漂って、高級そうなカップに紅茶が入る。澄んだ色からして、紅茶を淹れる能力は本物なんだろう。実際これまでロックハートが魔法を使っているところを見たことがないので、そっちの腕が嘘っぱちでも、この飲み物は嘘をつかない。
 わざわざ彼がこうして私を呼び止めていることに対して予想は出来た。ただ、一生聞きはしないだろう。

「母さんは、どんな人でした?」
「そうだね。寮を愛している人だった」
「…先生は、嫌いだったんですか?」
「彼女が好きというのなら、私も好きだよ」

 純粋に、分かりやすかった。彼は、私の母さんが好きだったのだ。
 なんとも、複雑な気分になる。もう母さんは結婚しているし、もう私だっているのだ。えらく鈍感な人だとは思ったけれど、もしかして自分の気持ちに気付いていないのだろうか。覚えていないと自覚しているというのに。
 母さんと、父さんは、学生の頃から付き合っていたと言う。それを、どんな気持ちで彼は見ていたのだろう。私は、知るよしもないし、知りたくもなかった。

「一見ハッフルパフとは思えなかったな…」
「…そうなんですか」
「ああ、そういえばスリザリンの先輩と結婚したんだったね」
「まあ…私も、ですし」
先輩達は今─…」

 と、そこでドアが大きく音を立てて開く。「ミス・!」
 扉から現れたのは、スリザリン寮監・魔法薬学担当教師。いつも通り不機嫌そうで不健康そうな顔を堂々と下げて、こちらまでずんずんと来る。このゆったりとした空間で、ロックハートとスネイプの組み合わせはあまりにもミスマッチだった。

「……スネイプ先生?」
、もう授業は始まっているのだがね」
「え……あ!もうこんな時間!」

 それほどまで時間が経っている事に気付かなかった。次の薬草学も、リズと一緒だったから、きっとリズがここに私がいるという事を教えたのだろう。(それにしても、)わざわざこなくてもいいのではないだろうか。
 これは私がスリザリンだから、で納得していいのだろうか。きっとリズが余計な事を一言二言吹き込んだに違いない。スネイプはきっと、ロックハートが嫌いだから。

 半ば引っ張られるように私は教室を出た。


「こんなに何を話していたのだ」
「いや、ただの世間話です」
「ほう、我輩には君と合うような話を奴が出来ると思わんがな」

 確かにそうだ。と心の中で激しく頷いたけれど、授業の話をしていたわけではない。とは言え「ロックハートが私の母さんが好きだったとか」なんとか、なんて言ってしまってはあの人が幾らなんでも可哀想だし、第一にまず私が嫌だ。
 何を説明しようか、逆にもう黙っているか考えていると、一つ考えが浮かんだ。

「先生は、私の母さんと同期だったんですよね?」
「いや…、2つほど上だった」
「…あれ、そうだったんですか」

 話を逸らす事だった。思いのほか、スネイプはそれに乗ってくれたようだし、後はこの話題で薬学の教室まで持ちこたえればいい。と言っても、親の話でそう盛り上がれるほど話題は持っていない。それに、親と年が近いからと、スネイプに親の話を今まで一度も聞いたことはなかった。
 少し考えてから、私はまた話題を持ちかける。

「あ、先生はハリー・ポッターの父親と一緒でしたね」
「……その話は出さないでいただけるか」

 そう言われて、出さない人間がいるのだろうか。

「いやあ、私ちょっと面白い話聞きまして、先生が生徒の頃……」


 静かな廊下に低い先生の声が響く。
 さすがに調子に乗りすぎたと思い、言葉を紡ぐ。昔の苛められた過去なんて忘れたいのかもしれないけれど、そんな10年以上も前の事笑って話せないんだろうか。(そりゃあスネイプが笑ったら逆に嫌だけど。)もちろん、こんな楽観的な意見をいじめられっ子だったスネイプに言えるはずもない。いや、スネイプ以外にだって無理だろう。どんなこともその人にしか分からないことがある。その時死ぬほど辛かったのだとしたら、今だって恨んでいたって仕方がない。その時死ぬほど、好きだったのなら、それもまた同じ話。簡単には解決出来ないんだろうか。
 変な事を考え始めた私を、反省したとでも思ったのか、呆れた口調で言った。

「全く……本当にあの2人と似ているな」

 その言葉に、また先ほどの事を思い出す。きっと、ロックハートは私の母さんを、私を通してみた。スネイプも、また同じように私の両親を、私を通してみているのだろうか。
 それは、授業中にコソコソ笑われるより、嫌だった。

「先生…、私は私です」
「ふん、まさか君のような人があの人たちに敵うわけがない」

 確実に、嫌味だ。
 生徒に対してもこうだとは、確実にモテない。そういえば、どこかの地方のマグルは30過ぎても『アレ』だと、魔法使いと呼ぶらしい。どういう経緯でつけたか分からないけれど、確かに、スネイプは魔法使いだとこっそりと笑う。
「……何を笑っている」

 それから少し早足で行くものだから、駈けた私のボルドー色の髪がふわりと揺れた。

先生が好きだと言ったライラック色。母さんも好きだったライラック色。