※2014年2月に書いたものでしたので、2019年現在の連載内容と矛盾がありますがふんわりと感じ取って楽しんでいただければ幸いです。

夜が暗闇にならない理由
( ゴンキルアレオリオクラピカクロロ )

michiru(現:散らない花は美しいか)
( セネルモーゼスジェイウィルワルター )


ゴンの場合



「わあー!ありがとう!オレ、すっごい嬉しいよ!」

 まるで手放しで喜んでくれるゴンの反応に、思わずも笑顔になった。一体このイベントはいつから始まっているのか、どうして始まったのか分からないけれど、何事もきっかけというものは大事である。ただ何でもない日に突然物をあげるよりか、こうしたイベント毎に乗っかる方が、もらった方も気が楽だろう。

 無邪気に笑うゴンは括りつけられる袋のリボンを解いた。そこから出てくるのは2つのチョコチップマフィンでその二つを彼は上から下まで、持ち上げたり、回転したり眺めた。

「もしかしてこれ、が作ったの?」
「うん」別に混ぜて焼くだけだし、と言おうとしたのだが、それをゴンは遮った。
「すっごい!手作りのお菓子なんて、ミトさん以外からもらった事ないよ!」

って料理できたんだね!」というゴンから嫌味は感じない。そういえば、ハンター試験中はゴンとは少しだけ離れていたからバレてなかったのか。レオリオやクラピカからは散々の評価だったために、あまりこの期待を崩したくはない。は曖昧な表情を浮かべて、否定も肯定もしないで黙る。

「でも女の子って大変だよね。こういうの用意したりとか」
「そうかな……。でもわたし、何だかんだ今までこういうのまともに作った事なかったから楽しかったよ」

 何度かあげようと思った相手はいたけれど、いたけれども、妙なプライドが邪魔をしてあげられなかったのだ。一つだけ用意するだなんて、ガチすぎるし(いや本命ではあるんだけれども)、やはり失敗したらという先が恐ろしい。何事も平和にいきたいのだ。

「食べてもいい?」と、ここまで開けたというのに、そこだけは聞くようで、ゴンはワクワクとした表情を隠しきれていない。
「……いいよ!」
「いっただきまーす!」

 パク、とゴンは大きな一口で食べる。その様子をは内心ハラハラとしながら見ていた。人に料理を振る舞うことそうなんてない。自分用に適当にこしらえることはあるけれど、それを客人に出せというのなら頑固拒否するレベルだ。
 何度か味見はした。形悪いのは全て自分で処理したし、渡しているのは比較的見栄えも焼き色も問題なさそうな物達だ。それでも、もしかして何度も味見をしたせいで、舌が馬鹿になったのではないか、とか、元々の好みの差だとか、嫌な予感が頭を駆け巡っては消えてくれない。

 が、その不安をかき消すかのように、ゴンは大きな声を出した。「美味しい!」

凄いね!」と、もう一口。
「ほ、本当?」
「うん!手作りのケーキってどこか味に優しさっていうのかな、そういうの感じるよね!」

 その後も絶賛するゴンは見、やはり一番先にあげたのが彼で良かった、とは心の底から思った。

「もしまた作る時があったら、絶対オレにも宜しくね」



キルアの場合



「いや、アリかナシかと言えば、ねーだろコレ!」

 あんまりな言い方である。

 そう文句を言うキルアの手元にはピンク色の袋があり、解いたリボンはぐしゃぐしゃになりながらもソレと共に握り占めている。キルアが差しているのはその中に入っていたお菓子の話だ。中にはカラフルに彩られたマフィンが入っており、何味かと言えば、正直でも分からない。レシピをあさっている時に、ビビットやパステルに彩られたアイシングが面白そうだと思い、とは言え、それをゴンやクラピカ達に渡すのはどこか気がひける、しかし作りたい!と思考の結果、キルアの物のみ。このようなものになったのだ。

 中に入っているものは2つ。片方は全体的に黄色で、片方は全体的に青色をしている。その上にはアラザンやチョコレート菓子などで盛りつけてあり、ゴテゴテしていた。高さもそれなりにあるので、食べる時に苦労しそうなデザインである。

「えー……手作りだよ?」
「見りゃ分かるっつの」
「……キルア、何か不機嫌じゃない?そんなに不満?」
「違ぇーよ!」

 否定はするものの、いつもより確実にご機嫌斜めだ。頼まれていたならまだしも、ただ(まあ一応)好意で渡しているものなのだから、そこまで怒らなくてもいいじゃないのか、とさすがにもムッとした。

「キルアがそんなにグルメだと思ってなかった」
「そうじゃねえっつってんだろ」
「……甘いの嫌いだった?」
「だから……、もういい。気にすんな」

 前にニコニコとチョコロボ君とかいう駄菓子を食べていたのは見たことはあった。極度の甘いもの嫌いというものではないだろう。
 モヤモヤは晴れないし、気にするなと言われてもからすれば説明もなしに怒られて文句をぶつけられたというのに言い終わったらそれで終わりだなんて虫が良すぎる。キルアは黄色のマフィンを取ると、それを一口食べた。

「甘……。なんか、ざりってした」
「無理して食べなくてもいいよ」は面倒そうに言った。
「……オレが悪かった」

 ようやく謝ったものの、キルアは相変わらず難しい顔をしながら咀嚼していた。「レモンみたいな味がする」とは言うが、レモンを入れた記憶はないし、着色料も色付け用のただの粉だったし、視覚的な味の錯覚だろう。それを言ってしまえばまた文句を言われそうな気がしたので黙ってはいたが。
 とはいえ、アイシングはほとんどが砂糖だ。余程の甘党ではないと一個食べるのでさえもキツイかもしれない。文句をいいつつ食べてくれるキルアにようやくはほんの少しだけ同情心が湧いた。

「……わたしこそごめん……。キルアならふざけられるかなって、コレにしちゃった」
「………おい、てことはオレ以外はまともな奴作ったってことかよ」
「まともっていうか、普通の奴かな」
「……ふーん」
「だからキルアのが一番お金かかってる」
「それ、本人を目の前にして言う事?」

 とは言うものの、いつもの調子に戻ったようで、心なしか食べる速度も上がっているように見える。何でここまで回復したのかは分からないが、ぶり返してまた気分を悪くする必要もない。ここは大人になれとは自分自身に言い聞かせた。
 正直言うと、金がかかったのは特に問題ではない。何だかんだコレ以上働かなくても生きていける資産は十二分にあるし、かかったと言っても菓子を1個2個作った程度なんてたかが知れている。わざわざ言ってしまったのは腹いせが強いのだ。

「下、味ない」
「上がかなり甘いからね」
「茶が飲みたい」
「今飲み物ない」

 なんとまあ、文句は付きないもの。流すと決めた以上、深く考えてしまっては負けだ。ほぼ無心で聞いていたのだが、キルアは一つを食べ終わったようで、包み紙をくしゃりと丸めた。

「……ごちそーさんでした。あ、あっちの屋台で焼き鳥売ってたから食おうぜ」
「くっ、即効でしょっぱいもの取ろうとして……」
「いーだろ別に。奢ってやるから」

 キルアがの腕をひいて歩き出したものだから、仕方なしについていくことにした。

「……これの返しって、何がいいの」
「え、くれるの?あんなに嫌そうにしてたのに?」
「そんな事言うならやんねーからな!」
「えー……。何でもいいよ。普通で」

 返しが欲しくてあげた訳じゃないし、と続けるを横目にキルアはポツリと呟いた。「今まで貰った事もねえんだから何が普通なのかも分からねぇよ」




レオリオの場合



が作ったのか……?」

 恐る恐るというようにレオリオは聞いた。まるで劇物を見るようなその視線に腹が立つが、散々だったあのハンター試験での惨状を目撃されているのだから仕方ないのだろう。しかし、あの試験は生物という得体のしれないものを扱ってはいたが、今回使ったのはほとんど小麦粉とチョコレートだ。そんな顔をされるのは心外である。

「今回は魚は入ってないから大丈夫だよ、多分」
「最後が怪しすぎるぞ!」

 味見をしている時に、初めは美味しいと思いながら食べていたような気がするけれど、それは確か、ただ腹が減っていたからかもしれない。後半は大量に作りすぎてしまったそれらの処理に追われ、もう甘いモノは散々だとも思った。つまりは味に対して保証は出来ないということである。

「まあ……折角作ってもらったんだからな、ありがたく頂くよ」

 と、レオリオは袋をしまった。

「……そのままゴミとして捨てるってことはしないよね?」
「っまっさかー!食うに決まってるだろ?」
「へえーーー?」
「俺を信じろよ、!」

 別に目の前で食べて欲しい訳ではない。というか、感想を待ってしまうので、ひっそりと食べてもらえるのはありがたい。だがさすがに生ゴミ行きしそうなこのレオリオの様子を放っておくわけにはいかなかったのだ。半ば冗談のつもりで聞いたのだが、このオーバーなリアクションは大変怪しい。

「ほら、さすがに俺だって分かってるって。溶かして固めるなんて簡単だしな!」
「……焼いてる。それマフィン」
「そ、そうか。でも決まった時間、オーブンに入れちまうだけだしな!」

 間接的に励まされているんじゃない。完全に蔑まされているんだ。

「……もういいよ」
、あのな……」
「レオリオが今度一生本命チョコ貰えないように祈る」
「それ呪ってんじゃねーかよ!!ていうかお前が言うとマジに聞こえるから止めろよ!」

 精一杯想いを込めて手を叩くと、こつかれた。




クラピカの場合



「クラピカ、あのこれ」

 ピンクの袋を差し出した。それに対して、きょとんとしたのはわずかで、すぐに「なるほど」と言いながら彼は受け取った。そしてそのまま袋を開け、中に入っているマフィンを食べる。
 そして沈黙。食べているのだからそれは無言になるのは仕方ないのかもしれないが、この流れ作業のような動きに、は戸惑いを隠せなかった。普段のクラピカだったらもうちょっと何か一言くらいあってもいいじゃないのか、等と思うが、今のこの動作を静止したとしてもその先に何を言うか悩む。そのまま様子を伺っていると、食べ終わったクラピカはこちらを向いた。

「少し半焼だ」
「えっ、え、そう、ごめん……」
「多分オーブンの熱が強すぎたんじゃないか。少し弱めるか、上に何かアルミを被せて焼けば焦げないはずだ」
「う、うん」
「で、チョコチップは焼き菓子用のが市販されているだろうから、上からトッピングしている風にするならそっちを購入した方が見栄えもよくなるだろう」
「………そう、ね」
「ということで、本番、頑張れ」

 そういう事か、とは気まずい思いのままクラピカから目線を逸らした。決してクラピカはコレがあまりにもまずかったからまた作って来いと言っている訳ではない。から物を受けとりたくないから厳しいことを言っている訳じゃない。
 彼は純粋に、アドバイスをくれという意味だと捉えているのだ。ここは適当に笑って流すべきかと考えたが、いつかはバレてしまうこの嘘を突き通す必要なんてない。

「……クラピカ。今日何日だと思う」
「突然どうしたんだ?今日は………」

 クラピカは笑顔をひきつらせた。その様子には気まずそうに笑う。「今日がね、本番だったよ」

「こ、これで!?っいや、違う!そ、そうか、そうだったか、えっと、それは、そのだな」
「普通にまずかったようで、誠にすみませんでした……」
「違うんだ。、ちょっと私の話を聞いてくれ」
「いや充分聞いたというか、もういいというか」
「本当に申し訳ない!」

 ハンター試験中も、クラピカはに良くしてくれていた。よく実年齢がどうだの言われる事があったが、クラピカからすればどう足掻こうともは小さな少女も同然だ。思わず世話を焼いてしまうのは殆ど無自覚であった。それが全ていい方向へ向いているかと言えば、無論そうではない。

 キルアやそれからまだ食べてはいないだろうけどレオリオにも酷評だったので自分の料理の腕などもうわかりきってはいるが、まさかこう切り返されるとは思っていなかったので、虚しい気持ちでいっぱいだった。
 
「――ていうかクラピカにとってコレは何だったの!?料理の先生なの?!」と、思わずは声を上げた。
「す、すまない。そういうつもりではなかったのだがそういう事かなと……」
「あげる相手にそういう事させる訳ないじゃん!」
「っそうだな。悪い」

 バタバタと暴れるをどうどうと抑えると、クラピカは何度も謝る。どうして何も怪しまずあの行動をしてしまったのかなんて、自分でも分からない。直感で行動するのは危険だと胸に刻んだ。

「ラ、ラッピング、綺麗だったぞ」
「リボン結んだだけじゃん!」
「その、女子らしい綺麗な結び方というか……」
「もうそれ以上広げられない話題で褒めようとしないでよ!!」




クロロの場合



「配り終わったんだな」
「ただいまです……」

 工房へつくと、そこにはいつも通り、クロロが本を読んでいた。ここをこうして鍵を開けっ放して放置していられるのも彼がいるお陰だろう。会った人は少なったが、どこかどっと疲れた気がする。心身ともにやられた。はふらふらとしながた定位置につくと、息を吐いた。というか、ゴン以外があんまりだった。ベタ褒めして欲しいと我儘いうつもりはないが、はっきりし過ぎだろう。

「で、」クロロは本を閉じた。「他にもまだあるだろ?」

 期待しているというよりは、さあ出せよという挑戦的な表情だ。対して、疲れきった顔のはそれを見、気まずそうに視線を逸らした。

「いや、ないですけど」
「…………聞こえなかったな」
「ないんですって。クロロさんの分、用意してないですもん」

 殆ど料理の腕などバレてはいるだろうが、はまだまだ見栄を張りたいのだ。友達程度の人には軽々しく渡す事は出来るが、クロロにそれは出来ない。これでもし、彼らに褒められ続けたのなら、気を良くして「今からでも用意しちゃおうかな」なんて考え直したかもしれないが、結果は想像通りだ。あと一ヶ月二ヶ月は料理なんてしたくない。

「台所に大量のケーキがあったが」
「あ、見てたんですか……。アレは余りですよ。作りすぎちゃったやつ」
「それは食べて駄目なのか?」
「………駄目ってことはないですけど……」

 けれど、だ。ふざけてアイシングをかけたのもあるし、中を割っていないものもあるから、半焼のものもあるだろう。どこか楽しみにしている彼の意味は分からないが、とりあえず出せたものじゃないのだ。
 どうにかして上手く切り抜ける方法を考えていると、クロロは立ち上がった。「持ってくる」

「えええー!本っ当に勘弁して下さい!」
「残しておいたってが食べるんだろ?じゃあ俺に分けてくれたっていいじゃないか」
「…………文句言わないで下さいよ」

 許可を得たということで、クロロが台所へと向かっていった。仕方なしにもそれに従いついていくと、台所からは甘い匂いがふんわりと香った。いや、ケーキがあるのだから、それは勿論するのだが、そうではない匂いも混ざっている。

「……何でここがクロロさんの荷物置きになっているんです?」

 が指摘するのはダイニングテーブルに上がるチョコレートだ。見覚えのないパッケージだし、綺麗にラッピングのされたそれらはきっと、クロロが他からもらったものだろう。あまりいい気分にならないまま、は紅茶を沸かす準備を始めた。火を付けヤカンを置いたあと、椅子に座るクロロへとカップケーキを並べる。
 焼きあがった後にあまりに酷いのはすぐに胃の中だったりゴミにだったり投げたので、比較的見栄えだけは悪くはないこれらだが、一軍は既に人の手に渡っているのだ。多少見劣りしているのは仕方がない。

「貰ったんだが、あまり好きな味じゃなくてな。にやるよ」
「贅沢」
「一度はいらないって言って遠慮したんだからな」

 そう言いながらクロロはアイシングのかかったカップケーキを取った。「面白い色だな。食べ物の色をしてないぞ」
 水色のソレを楽しそうに眺めている彼を横目に、は茶葉の入ったポットにお湯を注ぐ。カチャカチャとカップを用意している間にも、クロロはそれを食べていたようで、口元を抑えて考えているような顔をした。

「想像より甘くないな」
「え、本当ですか?かなり甘くないです?」
「初めて食べたからな。もっと砂糖の塊を食べているのかと思っていた」
「砂糖の塊と言えばもうほぼそうなんですけど」
「そうなのか?」と、もう既に1つを食べ終えた。

「こう、挑戦的なものを食べてみたかったんだが、他は普通なんだな」と、クロロが差すのはこの中では8割ほどを占めるただのチョコチップマフィンだ。あまり共に食事を取ったことがなかったのだが、クロロの食べるペースは早く、スイスイとなくなっていった。
 そんな勢いのクロロをただ眺めながら、はというと、先ほどのクロロのチョコレートを一つ取る。

「アイシングの材料、まだ余ってますし、作ろうと思えば何色でもいけますけどね」
「……どうしてそれを先に言わない」
「えー、アイシング気に入ったんですか?」
「面白い方がいいだろ?」

 その理屈は何一つ理解出来なかったが、は台所の端を指した。「あそこにありますよ」

「俺はオレンジがいいな」
「黄色と赤はありますよ」
「そうか」
「………もしかして、わたしが作るんですか?」
「ん?だってそうじゃなきゃコレはの作った菓子じゃなくなるだろ?」

 だから先ほどから一歩も動こうとしなかったのか。なぜ、と思う反面、こうも楽しそうにしてくれているとじゃあやろうかなという気になってしまうのが恐ろしい。全くこの人は、人を使うのが慣れているというか、それとも、自分自身が単純なのだろうか。は心のなかで小さく笑った。

「どのくらい作ればいいんですか?」
「全部でいいんじゃないか」
「ぜっ……。クロロさんが責任持って食べなきゃ余りますからね」

 そもそもアイシングは固まるまでそろそこ時間がかかるが、と思ったが、ここで時間を潰す事なんていつものことだ。カップケーキを一度回収していると、クロロは言った。「なんか、楽しいな。こういうの」

夜が暗闇にならない理由side fin



セネルの場合



「何だよコレ」

 セネルは渡された箱をしげしげと見つめた。いつもおかしなことをする人間だと思っていたが、物を押し付けてくるようなことは今までなかったし(彼女は『物事』を押し付けては来た、が)、では他に誰かへの届けものかとも邪推したものの、この渡してきたの笑顔から察するに、きっとこれはセネル自身への贈り物で間違いないのだろう。
 茶色の包装を巻かれたその箱は、紙だというのにどこか優しい手触りだ。それを包むように上品な赤のリボンが目を引いて、物としてはそう重いものではない。

「セネル様は甘いものはお嫌いですか?」

 ということはこれは甘いものだろう。彼自身、好き嫌いはないが、そういう質問は渡す前か、その準備をする前にするべきなのではないだろうか?相変わらずのこのマイペースさにセネルはそっと心の中でため息をついた。

「別に。で、何だよコレ」
「チョコレートです」
「……まあ、菓子だとは思ってたけど、で、一体何なんだよ」

 何かを貸していたということでもないし、何か礼をされるようなことをした覚えもない。中身は分かったものの、分からないことはまだまだある。何でもハイハイともらえるほど純粋ではないのだ。
 しかしまあ、彼女の手元には同じような箱の入っている紙袋があった。これも量産された一つかと考えると、肩の力が抜けたような、そんな肩透かしを食らったようだ。特別な何かではきっとない。だがこのように丁寧に包装されたものというのは今まで生きてきて貰ったことがなく、まだどこか非現実的だった。

「ああ、セネル様はご存じなかったですの?」と、は嫌味を言うようではなくただ純然に頷いた。「わたくしも先日知った事なのですが、遺跡船では今日は甘味を配る日と聞いたのです」
「ソレに何の意味があるんだ」
「日頃の感謝を形にしているんだとか」
「………そうか」
「……あら、どうしてそちらを向いてしまうの?」
「っ何でもいいだろ!」

 振り回されてばかりだったが、嫌なものは嫌というセネルだ。本当に嫌悪していればとっくに放っておいている。つまりはまあ、好きで行っていたわけで、それがこういった態度で返ってくるというのは気恥ずかしいものだ。何か見返りが欲しかったわけではない。チョコレートが特別好きな訳でも勿論ない。それでも、早く頬の熱が冷めてくれないかと、咳一つ吐いた。

「つまり、その、これはアレか、……あー、俺からも何か渡した方がいいのか?」
「………どうなのでしょう?ただ、女性が主に盛り上がっているようでしたので、男性の方は……」

 ある程度は過ごしてはいたが、二人揃ってそこまで詳しいというものでもない。セネルは元から知らなかったし、だって多少調べたものの直感的に行動したものだから実際の事情はよく分かっていない事が多かった。ただそういう風習があるだけで、歴史があるものでもない。

「ただ、言ってしまえばわたくしが一方的にお礼をしているだけなので、気になさらないで下さい」

 噂を聞いて、フと浮かんだ人たちへ何か出来れば良いなと、そんな簡単な思考。何かをして欲しくて渡しているのではないと、は笑むが、セネルはまだ納得いかなさそうな表情をしていた。

「そうじゃなくて何か俺の気が済まないんだよ」ボソリと呟いてから、セネルは顔を上げた。「これは今日一日、そういうイベントの日なんだよな?」
「はい、そうらしいですよ」
「……分かった」

 そうして数時間後に手製のプリンパンを貰い、内心戸惑いながらもは礼を言った。その達成感溢れる表情をするセネルに対して、今日は「基本的にはチョコレートを渡す日」であると伝えそびれていた事など言えるはずもないのだ。




モーゼスの場合



 グランドガルフは遠くからでもよく目立つものだ。お陰ですぐに見つけることが出来たと、その傍らで寝っ転がっていたモーゼスに近づくと、何より先にグランドガルフ――ギートがの匂いを嗅ぎつけ、足元へ寄ってきた。

「――ん?何じゃ?」

 誰かが来たのは気付いていたのだが、それがまさかだと思っていなかったモーゼスはゆっくりと起き上がった。はて、と彼は色々と思考を巡らせる。何か問題事でもあっただろうか。それともどこかに連れて行けというお願いだろうか。いやいやいや、彼女曰く何もしてないのに鍋がどうして焦げるのかという疑問は三日前に「お前は料理場に立つな」という事で解決したし、モフモフ族の村に行きたいという突然の願いは二週間前に聞いてやった。
 特定の職についている訳じゃないモーゼスはそれは自由に使う時間なんて人並み以上は持ちえている。が、その分毎日を生き抜くのに必死だ。あまりばかりにかまけられるものでもない。

「……モーゼス様は寒くはないのですか?」
「寒いっちゅーのは気の問題じゃ。心頭を滅却すれば火もまた涼し!」

 それは意味合いが逆である。

 というのもこの辺りは先週に雪が振り、まだその名残が見える。年中寒そうな格好をしているモーゼスではあるが、一応羽織というものは持っているらしく、今日は周りの人間と比べれば薄着ではあるが、彼にしてはまだ着込んでいた。着込んでいたって寒い季節だというのに、それなのに外にいようという選択肢はにとって疑問でしかなかった。

「風邪をひいてからでは遅いのですわよ。――と、そうではなく、どうぞ」
「……おおー!アレか、あの、女子が盛り上がってるアレの日か!ヒョオオオーー!!」

 差し出した箱をぽかんと眺めたのは一瞬で、すぐに合点が言ったようにモーゼスは立ち上がった。どうやらこのイベントは遺跡船でしか広まっていないようなのだが、ここで暮らす彼からすれば『アレアレ』言ってるとはいえ知っている行事だったようである。
 余程甘味が好きだったのだろうか。飛び跳ねそうなくらい喜ぶモーゼスに、渡した本人も心が暖まるようだった。

「やはりご存知でしたのね。いつもお世話になっております」と、深々礼をする。
「いやあ~そんなお世話っつってもワイの方こそ――ってオイ!」
「はい?」

 喜んだ顔が閉じたオルゴールのようにピタリと止み、怒ってはいないが真顔に戻ったモーゼスの態度が分からず、はただ首を傾げた。
 頭をガシガシとかきながら、モーゼスはを見た。貰えたという事で浮かれてしまっていたが、彼女は他にも同じような箱を紙袋にいれていたのだ。

「もしかしてコレは所謂、歳暮か何かか?」
「今日はお世話になっている方にチョコレートを渡す日、ですよね?」
「……ああ……そう………」
「まさか、意図を汲み間違えておりましたか?もし本来の意味を知っているのなら教えて頂きたいですわ!」
「……そういうのもあるっちゅー話じゃの」
「では、そうではない場合もあるということですね?」

 身を乗り出しては聞くが、向こうから聞こえてくるのは「あー」だの「いやー」だの、要領の得ない答えばかりで、おそらく教える気などさらっさらないのだろう。しかし、そんな態度のみで諦めるではない、が、モーゼスもさすがに頑固な彼女の性質を知っているのだ。何とか策を練らねばならない。だが頭の回転で彼女に勝てるとは到底思えないし、もしとある情報屋ならばこういう時に上手く交わせただろうが、全てに置いて色々と手遅れな部分も多い。となると、

「っ!?モーゼス様!どちらに行かれるんですか!?」

 体力勝負しかないのだ。モーゼスが走りだしたと同時に、頭の良いギートは足止めのようにの周りをグルグルと回って通せんぼをした。魔獣使いで本当に良かった。
 遠くからの声が聴こえるのを振り向きざまに確認しつつ、この後どこに逃げ込むか考えた。そして願わくば今日一日過ごす間にこの疑問を忘れてくれていればいい。それまでどこかで潜むしか無い。あんなに喜んでしまった理由が発覚してしまうのはさすがに恥ずかしい。

「絶対に教えて貰いますから!」

 勘弁してくれ!




ジェイの場合



「ああ、把握しました。この前まで家が妙に焦げ臭かった原因はやはりさんのせいですか」

 げんなりした顔でジェイは渡された箱を受け取った。

「あら、ごめんなさい。バレてしまったのですね」
「そりゃバレバレですよ。部屋の隅々までどこか甘い匂いまでしてましたし」

 が『遺跡船では日頃の感謝を込めて異性へチョコレートを渡す日がある』と聞いたのはひと月程前の話だった。そしてすぐに頭に浮かんだのは眼前のジェイを含め、共に時間を過ごしている彼らだった。そういう事ならばと準備を始めようとしたのだが、何分彼女は料理などした事がない。
 ということで、ある程度情報を集めた後に、咄嗟の誤魔化しのききそうなモーゼスを適当に言いくるめ、モフモフ族の村へと訪れた。彼らは博識であるし、準備をするには持ってこいの立地だ。その中でも親しいキュッポ達に相談し、菓子作りを学ぼうとしたのだが、なんと料理初心者のは溶かして型に流すことさえも出来なかったのだ。さすがにそれには自身、自分に驚き、そして関心した。人間というものは練習を繰り返さなければ何一つ出来ないものだと。

「で、渡されたものは市販の物だなんて、本当にさんって枠から外れませんよね」

 いや、出来たと言えば出来たのだが、純度100%、が作った言えばそうでもないものは出来なかったのである。は完璧主義だ。中途半端なものしか出来ないのなら、買えばいいじゃないかと閃いたのが二日前の事。それまでは必死にモフモフ族の村に篭もり特訓をしていたのだが、それは無駄に終わってしまったのだ。何日も家を使わせてもらっておいて、残飯以下のものを大量生産しておいて、これでは申し訳が立たないではあったが、それでも、共に料理した時間を楽しかったらまた来て欲しいと本心から言ってくれた彼らはもしかしなくても聖者かもしれない。

 いつも通り、刺のあるジェイの言葉だったが、それに反抗できるすべなんてなかった。が珍しく苦笑を零していると、さすがの彼も少しだけ焦ったような声を上げた。

「まあ、ありがたく頂戴させてもらいますよ。高そうなものですし」と付け足したところで、さすがにこの理由はどうかと自分自身にため息を吐く。「……すみません、普段戴き物なんてないので、ちょっと、言葉が選び切れてません」
「……そうなのですか?」
「賄賂の様なものはありますけど、そういうものは受け取りませんし」

 そもそも不可視のジェイは姿を現さず、書面で全ての対応をまかなっている。それのついでに上乗せしたような金額や、見るからに高値な物がついたりもするが、それらは全て丁重に送り返している。金の為に仕事をしているのではなく、仕事のついでに金がついてくるだけなので、そこまでの執着などないのだ。

「開けてもいいですか?」
「ええ、勿論」

 赤のリボンを外し、丁寧に包装を剥がした。しっかりとした箱の中には8つほどの一口サイズのチョコレートが綺麗に並んでいる。きっとこれは一個幾らという、それぞれしっかりとした値段がついているものなのだろうなと、ジェイは一人思った。

「あまりこういうものに詳しくありませんが、チョコレートにも色々あるのですね」
「詰めて頂く際に、一人ひとり選ばせて頂きましたの。あ、情報屋様のものはラム酒の強くないものを選びましたわ!」

 誇らしげには言うが、『自分だけ』と意味するそれは馬鹿にされているとしか思えないジェイは適当に「そうですか」と流した。まるで宝石箱に並ぶそれを一つ、口に運ぶと、程よい甘さが口に広がる。想像の通り、高いチョコレートだ。もしかしたらコレはから渡されたからそう感じるだけで、同じものを他の人から渡されたって、そうは思わないかもしれない。

「それはプラリネが中に入っておりますの!わたくしも好きで、よく食べるのですよ。コーティングされたミルクチョコレートの甘さやヘーゼルナッツのバランスがとても――」

 余程好きな店のものだったのか、いつもとは訳が違う饒舌の良い彼女にわずかに驚いた。まるで自分の事のようによく褒めている。無論、不味い事なんてないし、こういったものに慣れていないので絶賛出来る訳ではないが確かに美味しいものではあるだろう。

「美味しいと思いますよ。ただ、」フ、と思い出すのは今日の朝、冷蔵庫の隅に隠されていたもの。「……微妙に焦げたガトーショコラ、も、美味しかったですよ」




ウィルの場合



「……ああ、すまない。ただ驚いてしまったんだ。まさか君から貰えるなんて思ってなかったのでな」
「そんな意外でしたの?」
「まあ、もとよりこの風習は遺跡船でしか聞いたことがないから、知っていて驚いたのもある」

 遺跡船では今日は親しい異性にチョコレートを渡す日、だという。それは人生の九割以上を大陸で過ごしていたにとって寝耳に水のようなイベントであったのだが、そのようなものがあるのならば習うべきだと早速行動に移したのだ。ただの物を渡すような行事なら兎も角、日頃の感謝を伝えられるというのなら便乗しても悪いものではないだろう。
 今まで親族以外に物を贈った事などない為に、色々と悩み、苦労した点もあったが、渡すもの自体の指定はされていたので幾らかは楽だった。最終的に手作りなんて無謀な事なんて止めて購入するという手段に落ち着いてはとりあえずこれから先も台所に立つことはそうないだろうなとひっそりと思った。

「ウィル様は大人気なのですね」

 と、が差すのは既に家の机いっぱいになっているチョコレートの山。さすがはウェルテスの保安官様である。最近は街を開けることが多かったが、これだけでもうしっかりと住民に慕われているのが伝わってくる。
 しかしまあ、これをウィル一人で処理する事にはなるので、もしかしてこれは迷惑になったか、と考えたが、彼は迷惑そうな顔をせずに受け取った。

「悪い気はしないが、義理もこんなに集まると圧巻だな」
「……義理?」
「ああ、そうだろう。全く、俺にかけるのならもっと本命の方へ力入れてもいいのにな」
「……………本命?」

 義理や本命とは、一体何の話をしているのだろうか?これは日頃の感謝の証ではなかったのか?思い返せばモーゼスの反応も不思議だったが、感謝に義理と本命があるのだろうか。

「……まさか君はただチョコレートを渡す日だと思っている訳じゃないだろうな?」

 悶々と考え始めたを見たウィルが恐る恐るというように聞いた。ただ物を渡す日ではないという事くらいは分かってはいるが、どこか食い違いの生じるようなこの違和感に、は不安から視線を泳がせた。

「あの……、今日は日頃の感謝を込めてチョコレートを渡すのだと聞きました」
「それではまるで勤労感謝の日だな…その意味もあるのかもしれないが…」
「では、元の意味とは?」
「こう改まって説明するのも気恥ずかしいが、本来は意中の異性に告白というか…そういうものをチョコレートと共に贈る日なんだ」呆けているを前に、ウィルはどう説明したものかと悩みながらも続ける。「なぜ、チョコレートなのかは分からないが、とりあえず、そういうきっかけの日らしい。それが転じて、いつの間にか義理が生まれて、気軽なものになっていったというか……」

 遺跡船というものが発見されたのは15年程前で、人類の長い歴史から見れば比較的新しい。だが、新しいからこそ文明の発達は目覚ましく、そして、移住してきた人々の様々な国の文化が入り乱れている。その中で生まれたこのイベントであったのだ。形式ばって行なう程固いものではないからこそ人々に浸透しやすいが、その実、こうした誤解が生まれていくのもまた悩みどころか。

「……実際、そちらの意味で捉えている方って多いのですか……?」
「どうだろうか……。俺はこうした機会に街の人から貰う事が多いからそんなオーバーには受け止めないが、人によるんじゃないか」
「わ、わたくしも!義理です!!」
「あ、ああ、そんな強調しなくても大丈夫だ。さすがに分かっている」

 必死な彼女をなだめるようにウィルは言う。そんな事百も承知ではあったが、さすがにここまで否定されても虚しいものだ。

「……これのお返しの日というのが一ヶ月後にあるのだが、君は何が欲しい?」

 ウィルは胸を張れる程、女性の心が分かる訳ではない。いつだって贈り物をする時は悩んで最終的に無難な物を、という展開が常だった。だからこそ、こういうものは聞いた方が早いと踏んで、自身に問いかけたのだが、彼女はまたその言葉にぽかんとする。

「お返しというものがあるのですか…?」
「ああ、貰っている以上返すのは当然だろう。固く考えるものではないさ」
「……それはつまり返しを期待して贈るという方もいらっしゃるのでしょうか?」
「………まあ、いない、と言えるものではないかな」

 上手く濁す事が出来ない。実際それを想定して適当にばら撒く人だっているのだ。そんな簡単な図を想像出来ない彼女ではないし、かといって、嘘をでっち上げて今を誤魔化せたって、いつかはバレてしまう。
 悶々と考える彼女を横目に、ウィルは苦笑を零した。

「そういった気軽なものなんだよ。君が俺達に感謝していると同じように、俺達だって何かをしたいという気持ちはあるんだ。だから、もし何かが返ってきたとしても、素直にありがとうと言ってあげる事だな」




ワルターの場合



「どうしましょう……」

 先ほどまで今日はただ『日頃の感謝をチョコレートに込める日』だと信じきっていたはショックを隠しきれていなかった。特別な意味はなかったのだが、知らなかったという事実は罪である。だからどうするか、ということでもないが、心境を俗に言うのならば「マジかよ」というもので、繰り返すが、そんな気持ちなどなかったが、知ったことにより、最後の一つが渡しづらくなったのは事実である。今日は本来ならば、『意中の異性に思いを伝える日』らしい。

 好きなチョコレート屋で買ったものだから、自分で処理するのは苦ではない。しかし、あの人にはこの人にはこれと考えながら買ったものなのだから、ちゃんと届けたいという気持ちはあるし、本来の意味はともかく、日頃の感謝を込めたものだって問題はない。はずだ。

 こんなどこか心もとない気持ちでいるのは、今度は待つ番であったからか。最後の一人、ワルターへ渡そうと決めた時から、元から彼に手紙を送っていた。この日のこの時間にここに来てくれ、と。半ば強制的な手紙だっただろう。しかし、彼は下出にでたからと来てくれる人でもないのだ。ならば約束とこぎ着けてしまう方がいい。これで来なかったとしても責めるつもりはないし、全ての自己満足だった。
 がしかし、そのいつもの調子で決めてしまったために、まるで怒られる子供のような気持ちで待つしかなかった。もしかしたら来ないかもしれない、来ないほうがありがたいかもしれない。驚くほどマイナスな感情だ。

 時計を確認しては見るが、先ほどから一分も動いていない。まだこんな時間か。こういう時の時間というものは本当に進むのが遅くて困るものだ。だって、まだ一秒も。――一秒も?

「……まさか時計まで読めなくなっているとは思っていなかった」

 壊れている、と気付いたと同時に、物陰から声が聞こえた。それは待ち人であったワルターで、その様子からするにどうやら少し前からここについていたようである。

「そ、そんなまさか。時計が止まっていただけですわ!………あら、時計『まで』とは?」
「少なくとも空気が読める人間ではないな」と馬鹿にしたようにワルターは言う。「で、用は何だ」
「あ、そうね、用……わたくしがあなたを呼んだのですものね……」

 落ち着いて、と自分自身に言い聞かせる。先ほどまでのようにスッと渡してしまえばいいのに、どうしてここまで焦っているのだろう。頭の中は堂々巡りのようで、考えれば考えるほどこじれていく。冷静になろうとして、思わず他の話題をぶつけた。「ところで、今日はちゃんと来て下さったのですね。優しい人だわ」

「ッハ、違う。偶然この辺りに予定があっただけで、貴様のはついでに決まっている」
「………」
「いいか?俺にたまたまココ近辺を見てこいという命が下ったから村の外に赴いただけだ」
「そ、そうですわね……」
「………貴様、………いや、とにかく用を言え」

 いつもと様子の違うを見はしたが、言及する必要はないと判断したワルターは急かすように言った。さすがにここまで言われてしまっては、もう後戻りは出来ないだろう。
 はいつもの凛とした雰囲気はどこへやら、おどおどするように頼りなさげに、後ろ手に持っていた紙袋から最後の一つを取り出した。それに対し、不審な目を向けていたワルターだったが、自分に向けられていることを暫くしてから察し、しぶしぶというように躊躇いつつ受け取った。

「…………」
「……………………」
「………………………………」
「……おい、これはただの義理だろう」
「っええ、まあ……お世話になっておりますということですわ」
「じゃあ、この妙な雰囲気は止めろ!気色悪い!」

 はっきりとしたワルターの性格は悪い部分もあるが、良い部分もある。もしかしたらこの空間は、こんなワルターの性格ではなかったら、もっと気まずいものになっていたかもしれない。気色悪いとなじられていい気分になるわけなんてないが、どこかもやもやとした気持ちが吹っ飛んでいくようだった。

「……あなたはご存知だったのですね」頭に浮かんだ疑問をは言う。「そもそもこれはあなた方が始めたことなんですか?」
「大方これはチョコレートだろうが、そんなものを渡す風習なんてない。陸の民が勝手に変えたことだ」
「変えた?」

 ワルターは面倒そうにこちらを見た。

「本来はチョコレートでもないし、渡す側も違う、それだけだ」と、説明はそれだけのようで、それ以上は何も言わなかった。
 彼らが今日のこの日をどう過ごすのかは想像することしか出来ない。誰がどこでどうやって、この分かつ2つの種族を繋いだのかは分からないし、ただ図らず、似たようなイベントが出来たのかもしれない。だが、この細い糸のような結びつきは確かに息づいている。確実に描いた丸が交差しているのだ。

 先ほどまで変に緊張していた気持ちはどこかへ飛び、はそっと笑った。その様子をワルターは不思議そうに見るが、目線が合うと、すぐに逸らした。

「今日は……」

 ワルターは踵を返す。引きとめようと手を伸ばすが、思えば予定があったと言っていた。それに話すこともないかと腕を下ろしたが、なかなか彼は進まなかった。

「はい」

 何か言い残した事でもあるのだろうか。それを促すためには相槌を打った。今のワルターの様子はまるで先ほどのと動揺で、らしくない。何かを戸惑っているようで、動きがスローだ。

 どのくらいただ立っていたのだろう。一瞬だったかもしれないし、何分も経っていたかもしれない。確認しようにも、の時計は壊れているし、かといって、ワルターに今は何時かを問えるほど鈍感でもない。そろそろ悴んできた手に、はぁと息を吐いて暖める。気がつけば雪が降ってきたようで、その手にも、粉雪が舞い降りてきた。
 すっかり背を向けてしまったワルターに、どうするかを考え、ただ適当な質問を投げかけた。

「そういえば、あなた方は今日はどんなことをするのですか?」何を迷っているのかは分からないが、こうした世間話から広げられないだろうか、とは考えた。
 その投げかけに、ようやくワルターは振り返る。

「今日は、……花を贈る日なだけだ」

 そうして差し出したのは一輪の、バラ。刺の処理はしてあるようで、小さく結んだリボンが風に揺れる。そこら辺にあったもので代用しているわけではないだろう。きっと、この日用の花なのだ。はそっと受け取るとその花びらに積もった雪を優しく払った。

「どちらも素敵な日ですね」

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