メリーゴーラウンドは
夢路を進む

09

例えるならば、隠していた宝物が見つかったようなそんな感じ。この喪失感はきっとそうなんだ。坂道のことを、仮でも宝物と表現するのは恥ずかしいけれど、これが一番しっくり来る。私が今までひっそりと温めていたものが今になって拾い上げられているよう。でもそれって、

(坂道に失礼だ)

 ずっと見つからなくて良かった、と言っているよう。アニ研を応援しているつもりで、別に何もして無くて、このままでいいんじゃないかなんて思っている自分もいたんだろう。気持ちが悪い独占欲なのだ、と一人ごちる。それを全部自分の中に秘めていれば良かったのだろうけれど、そんな姿を他人に見せてしまったという恥ずかしさもある。

 どんなに、まあ、実は違うんじゃないかって切り替えようにも、いや、そうなんだと実感するしかないのだ。もう降参だ。ずっとモヤモヤ考えていたけれど、これが答えというならそれまで。考えたからってまた違う結論が出ることはない。それより、そうじゃないんだとまた新たに思考を巡らせるほうが時間の無駄にしかならない。

 巻島先輩がいなくなった木陰で、私はぼんやりとしながら米を噛んでいた。いつもならバランスよく食べようと思って無くても、ご飯とおかずは同じだけ減るように食べていたはずなんだけれど、今日はおかずだけ食べてしまった。ボケ過ぎである。それも早くではなくゆっくりと食べてしまったせいで、こんなにも米が残っているのに、結構お腹いっぱいだ。残しても後で食べられるわけじゃないし、なんとかしないとと私はゆるゆる咀嚼する。こうやっていればいつか無くなるのだ。ご飯は食べればなくなる。高校生が考えたとは思えない結論だ。

 そろそろ昼休みも終わってしまうし、気がつけば周りの賑やかな声もなくなっていて、遠くのどこかから聞こえる話し声がちらほら聞こえる程度。こんな広いところで一人になったよう。

「………」

 そう表現すると、あたかも私が一人でいることが嫌だというように聞こえるかもしれないが、実のところこの空間は悪くないと思っている。こんなにも世俗と隔離されているようだけれど、どこか安心できるそんな世界。

 この前までずっと、春なのにどこか寒気を感じていたけれど、受け入れられたからか今はこの陽気が心地よかった。

「…………よう」

 ああ、近くで誰かが話していたのか、と、思った。先程までここには私のテリトリーかというように思っていたけれどこれでは全く失礼な話だ。フと顔を上げると目が合う。手足が長くて、どこかダウナーっぽくて、長い緑の髪の、

「……………ま、巻島先輩……?」
「気付くの遅すぎッショ」
「す、すみません、わざとでは」
「………いや、俺も黙ったままで悪かった」

 いつからいたのだろう。そう考えようと思ったが、それよりも『どうしてここにいるのだ』という現況が気になってしまった。それが顔に出ていたのか、巻島先輩は、「大した話じゃねえけど」と目線を下げる。

「ほぼ初対面の人間から言われるのは癪だろうが」そして、気まずそうに口元に手を置く。「まあ、これは別に俺個人で勝手に考えてることだし」それから、自身の髪の毛をいじった。「ハイと言えっていう事ではねえし」そこで、ウンウン頷きながら腕を組んだ。「なんつーか、ホラ、一つの提案?そういうもんなんだよ」すると、何かを決心したかのように、先輩は一つ咳払いをする。

「――お前、自転車競技部に入るつもりはないか?」

 躊躇していたわりには一息で出てきた言葉だった。

 どこかで聞いたことがあるような、ないようなそんな提案に私はすぐに何も返すことが出来ないでいた。したことといえば、それを上手く飲み込むように、ゆっくり呼吸をしたくらいで。

 巻島先輩はそんな私の反応に焦りが出たのか、「だから!あくまでそういう可能性の話だ」と口早に上書きする。それがどこか申し訳なくなり、ようやく私は頭の中で整理を始めた。

「……あ、えっと……入る部は考え中で……」
「………この前の体験入部はどうだった」
「自転車競技部、の、ですか?……運動部とは無縁だったのですが、皆さん頑張ってて、それにみ、……寒咲さんとか、裏方も忙しそうで」
「大変そうだったか」
「そう、だったと思いますけど、楽しそうでした」

 好きじゃなきゃ続かないだろう。自転車競技部とは言っても、毎日走ってばかりということでもない。筋肉自体のトレーニングもあれば、実際今手が回っていない裏方の仕事、自転車のメンテナンスなどもある。
 それがどうして続けられるかなんて、好きという感情以外には難しい。幹がどうしてあんなにも自転車に熱心なのか全く分からないけれど、愛情はひしひしと伝わってきた。それはまるで、坂道の趣味への熱と同じで、人に言ってしまえば「全く違う」と否定されるかもしれないけれど、私には同様に見えたのだ。

「………さっき、」

 巻島先輩は先程の私の返答に安心したのか、焦った表情ではなく、真面目そうに口を開く。

「お前が言っていたことが引っかかって。……羨ましいだの、眩しいだの、って」
「……あ、すみません、変なこと言って……」
「………余計な世話ってのは分かってるけどよ」

 もうこの米地獄から抜け出してしまおうと、弁当を片付け始めていると、立っていた巻島先輩は私の目線に合わせるようにしゃがんだ。

「お前………それを今後、誰にも言わないだろ」

 いや、とすぐに否定しようとして、私は口ごもった。これでは肯定しているようなものだ。どうだろう、と考えては見たけれど、まだ自分という人間を解析し切れていない部分がある。中学の時に気付いた表情の件もそう。なにか思いついた時に「もしかして」という発想がないと自分を省みることはない。

「………そうかもしれないですし、そうじゃないかも、しれないです」

 煮え切らない答えを吐くと、巻島先輩は息を吐いた。呆れているわけではなく、自分自身を落ち着かせるかのような少し長いため息だった。

「言わねェよ、多分。……俺だったら、『じゃあ一人でどうすればいいか考えよう』って切り替える。人に言うまでも無い、どうでもいい話だ」
「……確かに近いかもしれないです」
「補足するけど、俺が『どうでもいい』って思ってる訳じゃねえからな」
「私……自身が、どうでもいいと思ってるという事ですか?」
「ああ」

 予鈴が鳴った。あと5分で午後の授業が始まる。時間つぶしのためにここまで来たのに、今は時間が進むことがなんだか怖かった。

「俺と似てるって言いたい訳じゃねえけどよ」

 巻島先輩は膝に手を置き、立ち上がった。私は手を止め、それをただ眺める。

 私と先輩は少しだけ似ていると、勝手に思っているところはあった。それは会話が繋がらないところとか、いい意味じゃないからきっと彼には一生言わないだろうけれど。
 今回の話だって、巻島先輩の考える結果は、聞けば頷けるものだった。こういう話が、悩みとか相談すること自体が恥ずかしいから出来ない訳じゃない。聞かれたって適当に誤魔化しそうなのも、相手が嫌だからな訳じゃない。どうでもいいんだ。本当に。わざわざ議題をつける程でもない些細なこと。だから自分だけで解決しようと思ってしまう。

「お前が今までどうやって、何してきたか分からねえ。けど、『聞いた』俺から言えることは、……俺が最高だと思っているものを勧めることだけだ」

 不器用に笑う先輩へ、私は思ったことがそのままポツリと口から流れ出た。ほとんど無意識だっただろう。

「優しいんです、ね」

 ひどく陳腐な表現だ。下手をすれば馬鹿にしてると思われても仕方ないくらい、単純で何も装飾のない言葉。だけど、それは新しい発見なんてものじゃない。考えなくても巻島先輩という人は優しい人なのだ。プリンのことも、わざわざ部室前声をかけてくれたことも、こうして、たった一言がきっかけで戻ってきてくれることも、全部全部。

「そういうんじゃねえよ。……言ってほしかったことを今勝手にしてるだけだ」
「それが出来るんだからこそ優しいのだと思うんです」

 例え偽善ということであっても何も関係ない。落ちてきたものを拾うように、すくい上げるように出来る人なんて限られている。私自身率先して物事に挑める人間ではないために、もしかしたら他の誰かが、と考えてしまうことも多い。

 少しだけ、似ていると思っていた。

「検討、してみます」

 本当に少しだけだったと、それが分かってどこかホッとした。

 検討と、口に出してみたけれど、今の所、引き受けようという気持ちも、やっぱり止めようと思う気持ちもどちらも弱く、何をどう考えたらいいのか分からなかった。このままでは部活の届け出もないので止めるということになるのだが、本当にそれでいいのか?と聞いてくる私もいる。

 手を差し伸ばしてもらえたことは素直に嬉しい。だけど、どうしても嬉しいという感情だけでは無いのだ。言ってしまえば、彼からのこういった提案がなければ、こんな時間を使わなかったのだと。好意を好意としてそのまま受け取ればいいのに、どこかで斜に構える私がいるのか、全くもって可愛げのない。

 今、検討という言葉を私から出したのは、正直に言えば、返答に困ったからというのもある。だからこそ、考えなくても言える範囲ことを言ってみたのだが、「ここで会話は終わりです」と、あたかもこれが線引になってしまった。巻島先輩は何も言わずに私から視線を反らした。

 そういうつもりではなかったのだが、と、フォローを入れたくても、上手い言い回しが浮かばなくてただ口呼吸になるだけ。私はなかなかに口下手だったのか。

「………」

 手を引いてもらえそうなのを振り払ったのは私自身だ。ここでむしろ、下手にまたこちらから手を伸ばしてしまったら、またこういうことになってしまうかもしれない。この段階で手を下げて良かったのかもしれない、と、彼の気持ちも考えず、聞かず、私は駄目だと思いながらも自分を正当化している事に気付いた。

「あ」

 と、巻島先輩が声をあげるので、その先を見ると、先日会ったことがある顔が見えた。「金城」そうだ、そんな名前だった。ガタイが良くて迫力のある部長さん。金城先輩はジャージを着ていた。次は校庭で体育なのかもしれない。

「巻島?そろそろ授業が始まるぞ」
「………………あのよ」

 金城先輩の指摘の返答ではない言葉に、彼は訝しげに巻島先輩を見た。そして、巻島先輩はその長い指で私を指した。そして、先ほどとは違って、真っ直ぐに迷いなく声を出す。

「一人、マネージャーをゲットした」

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