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「ここか…」

 は眠い目を擦りながら辺りを見回す。特にこれと言って変わった様子もない町。本当にここにハンター試験があるのかと、直感的にはそう思った。だが、そう思いながらも折角(半ば強制的だったが)連れて行ってもらった場所。きっと確かな情報だったのだと納得して、歩き出した。

 ここはザバン市ツバシ町。確かにここで第287期ハンター試験が行われるのだが、はここに道案内(ナビゲーター)の手を借りて来たのではない。本来ならば、ナビゲーターがいないと『どうやって先に進むか』などを知る事は出来ないが、たまに情報をどこからか持ってきて自力で辿りつく者もいた。そして彼女もその一人であった。が、それは余計なほどお世話をした者のおかげであった。



「だーから難しいんですよ!いくらお料理マシーンは作れましたけど、それを携帯するって、そんな、魔法みたいな事不可能なんですよ!……え?何ですか、ぼそぼそと。………とりあえず無理ですからね!そんなの!それに、わたしは今ちょっと立て込んでて今すぐに受けられるものはないんですー!え?用事?へへへ、秘密でっ……」

 切られたケータイをぽかんと眺め、は少しムッとしながら充電器に刺した。電話の相手は得意の客だったが、面倒になると電話を切る癖がある。性格が読めない彼と打ち解けられたのはほんの最近ではあったし、立場的にはお金をもらっているの方が下であるのは間違いないのだが、こうして話せる人間というのは稀だった。

 それはつい先日の事。はいつ終わるか分からないハンター試験に備えて、全ての仕事を終わらせた夜だった。(と、言ってもオーダーメイドが故に時間はたっぷりともらっていたので、そこまで締め切りが迫っているものは無かったが。)
 そして就寝に就き、程よく眠気が膨らんできた時だった。つまり一番幸せな瞬間だった。突然開いた出窓。先ほどまで遠くで聞こえたごうごうと言う吹雪(1月上旬というのはこの地方で雪が降る季節だった。)がよく聞こえる。いきなりの事に戸惑いながらも警戒しながら、窓を覗き込むとそこには見慣れた人物が居た。

、ハンター試験会場が分かった」

 額にターバンのようなものを巻いた青年、クロロだった。
 確かには彼にハンター試験を受けるという事を話したが、いきなりの事についていけるはずもなく、少しの間考えたが頷く以外に何も相槌は浮かばない。

「あ…はあ……?」
「早くしないと無駄な試練を受けることになる…急ぐぞ」
「急ぐ…?」

 どうして急ぐのだろう、とは素直に思った。今日は新年明けた一月二日。ハンター試験が始まるのは毎年決まって一月の七日。そして試験の申し込みをした時に知らされた会場の場所はザバン地区。ザバン地区と言うのは、ここから約半日飛行船に乗っていれば着く場所なのだ。
 それなのに何故今すぐ行く必要があるのだろう。
 そんなの質問を無視してクロロは急かした。だが、いくら急かされても今彼女は寝ていたのだ。つまり寝巻き。しかも寝起きで、若干寝ぼけている。けれど、自分は命令されているのだと、わけも分からないままはほぼ脳で何も考えずに着替えを始めた。彼女の意識がはっきりとしたのはシャツを脱ごうとした瞬間。

「ぎゃ、ぎゃあああああ!!」

 は思わず叫んだ。目の前のクロロは平然な顔をしているが、彼女にとっては叫んでもいい状況だった。
 寝込みの所をいきなり来られるのも確かに可笑しい。だがもはやそれは置いといて、それよりまずなぜこんな真ん前で異性(もちろんを指す)が着替えようとしているのに、目を逸らしたりしていないのだろうか。
 クロロは眉を寄せたが、脱ごうとしていたシャツを戻し、一向に着替えようともしないを見て、やっと気付いた。

「なんだ、見て困るような身体だったのか」
「…!!!」

 そう言うと窓を閉めた。
 もちろんこれは彼なりの冗談、だったのだが、気になっている異性に言われて喜ばれる言葉でもない。は放心状態のまま、半脱ぎのまま固まり、それから着替え始めたのは約5分後の事だった。



 あの後が乗ったのは気球だった。そんなまさかと思ったけれど、なんでも空のルートを行く方が一番早いらしい。だがあの豪雪の中、気球に乗るには大層度胸が必要だったし、他社製品のものに乗るのは的にも癪だった。

「ほらこれ、浮揚ガスが放出されすぎて面倒でしょう?バラスト入れなきゃですよ。浮力を維持するための技術がもうとっっくの昔に開発されたってのにここは古いんですねー。時代はスーパー・プレッシャーなんです。多分上が頑固親父気質なんでしょうね」
「あーはいはい、何言ってるか分からないが黙ってろ」
「………」
「ああ、そうそう。もしザバン市についたら紙に書いてある所に行け」
「…………も、『もし』ってどういう事ですか!?」

 そして結局着いたのは一月六日の夜。途中途中で休みを入れていたためにギリギリだったが、乗っている時は本当に着くのかと冷や汗と愚痴が絶えなかった。

「――そうだ、これをやるよ」
「え?なんですかこれ。お菓子?」
「……開けてみろ」

 寒さに凍えながら小さな紙袋を開けた。するとその中にはキラキラとしたものが入っていた。ビーズとストーンで作られたストラップだ。少々子供っぽくはあるが、精密な編みこみのそれに、思わずは目を輝かせた。

「こ、これ……」
「前祝いって訳じゃないぞ。が合格するか分からないしな」
「……貰っていいんですか?」
「ああ、寂しがらないようにって選んだんだ」
「っ!!」

 は声にもならない声をあげる。彼から物を貰うのは初めてだった。自身が声に出してまで物をあまり欲しがらないというのも一因ではあろうが、こういったサプライズを貰えること自体を憧れなかった訳ではない。

「ありがとう、ございま、す!」

 興奮ですっかり暖まってきたはいそいそとオフ用のケータイに取り付けた。その様子に、クロロは微笑む。

「なくすなよ」
「なくしませんよ!絶対!」
「じゃあ暴れて壊すなよ」
「そんなここ一点だけってことありませんよ!」

「それならケータイ全部壊してる!」と不吉な事を続けるが、顔から笑みがとどまることがなかった。
 きっとこの世界で今一番幸せなのは自分なのだろうと、は思った。



 クロロに言われたとおり、はある定食屋に立った。なんでもここで暗号を言えばすぐに会場に着くらしい。その暗号は確かに定食屋だったら普通過ぎる言葉だったけれど、それ故に不安だった。
 はドアを開けた。

「いらっしぇーい!!」

 別にそこからが会場になっている訳ではない。ごくごく普通の定食屋の風景。もしかして座るべきか迷っている所で、店長と見られる男性が中華鍋を揺らしながら聞く。香ばしい匂いがの鼻を掠めた。「ご注文は?」

「ス……ステーキ定食…?」

 彼の耳がピクリとかすかに揺れる。そして、こちらと目を合わせた。

「焼き方は?」
「…弱火でじっくり」
「それではお客様、奥の部屋へどうぞー!」

 と、女の従業員に連れられ部屋に入る。そこは部屋と言うか、狭い密室のようだった。そしてただ、真ん中のテーブル上の鉄板には良い具合にステーキと見られるような肉が焼かれている。「ごゆっくりどうぞ」

 従業員はそう言うと、笑顔で去った。そしてガタンと僅かながら部屋は動く。

「……エレベーターか…」

 はそういうと、椅子に座った。目の前のステーキは、確かに美味しそうなのだが、何分朝食はもう済ませている。それに今からどんな事をするのか分からない為に折角の腹八分目を越すのもどうだ。一切れぐらい食べてもバチは当たらないだろうが、一度でも待てしたものを食べるのも、変なプライドが許さなかった。
 下に着くまでの時間、は必死に耐えた。

 モニターが100階、と表示され、ドアは開く。やはりせめて一口でも食べれば良かったと、ドアが閉まる音を後ろで聞きながらは思ったが、恐らくここへの侵入点はここのみで、出てしまわねば次がつかえてしまうだろう。

「はい、番号札」どうするべきかと考えていると、下から声がかかる。下を向くと小さな人が肩にカゴをかけて、そのカゴの中には手のひら大ほどの番号札が沢山あった。
 その番号札を受け取ると、は辺りを見回す。

(……地下道…みたい……)

 何もないような地下道だった。そして先は真っ暗。側面から天井にかけて、所々に管が通っている。まだちらほらとしか人は居ない様だが、明らかに運動出来ますという人たちばかりだ。ひょろ腕のはどうしても浮いてしまいそうだが、時たま女性も見えたのを励みに行くことにした。
 貰った番号札、50番を胸につけながら歩いていると、ふいに誰かにぶつかる。転んでしまう、と思わずその人の腕を掴んでなんとか体勢を持ち直す。

「……大丈夫かい?」
「あ!すいません…」

 頭を下げて詫びる。(……なんだろう、この感じ。)はとても嫌な感じがしたが、とりあえず顔を上げるべきかと思い、顔を上げた。
 そこには奇抜なメイクをした男性、しかも背はよりも何十センチも高い。元々自身が小さいというのもあるが、彼は平均身長よりも幾分も上だろう。彼女の身近な大人というとクロロになるが、そのクロロと並んだとしてもずっとずっと高い。

「いえいえ。前方には注意をするべきだよ」
「あ…あはは…」
「………ところで君、それはわざとかい?」
「はい?」
「――や、なんでもない」

 青年は面白そうに笑うと、を上から下までまじまじと観察をした。それは無機質に鑑定されている商品のようで、寒気がした。と、そこで、仕事用のケータイが盛大に鳴ったことにより、離れる絶好のチャンスが来た。

「すみません、それでは!」大分引きつった笑顔だっただろう。



 背中には冷たい鉄の感触がする。いつの間にかメールのやりとりを終えたと思ったら、寝ていたようだ。メールの相手はいつもどおりの常連の人だった。もう携帯出来る料理マシーンへの固執はなくなっていたようだが、代わりに掃除機を作ってくれというのだから話がよくわからない。

 しょぼしょぼする瞳を軽くマッサージする。アレから何分、いや何時間か経ったのだろうか。先ほどまで参加者はまだ数えられるほどだったのが、もう数えられない、というよりは数える気になれない人数であった。

(あの人、400番台だ…)

 となると、自分の二桁番代は、なかなか貴重なものになる。そうとなれば一桁でも取れば良かった、としょうもない事を考えているとふいに影が落ちる。顔を上げると、体格のいい男性が立っていた。
 その男は、愛想のいい顔をしてに微笑む。

「見ない顔だな、新人(ルーキー)か?」
「えーと、そうですよ」
「なるほど。まあ嬢ちゃん、分からない事があったら俺に聞いてくれよ?」

 『嬢ちゃん』扱いをされて、少しは不機嫌になるも、男は続けた。

「俺は37回受験してるからな」
「さ、さんじゅ……・?」
「ベテランってこった!何か聞きたいことあるか?」
「うーん…」

 これまで37回受験した事があるという事は、37回落ちたという事で、そんな人に何を聞けばいいのだろう。そこまで出ていれば試験傾向などが分かるのだろうか。けれどそれでも失敗しているのだ。それでも挫けずに受験しているというのは良い事かもしれないけれど、もしかしたら、もしかしたら裏があるのかもしれない。
 けれど、だからと言って今こうして彼に冷たく接するのもおかしい。

「それにしても、嬢ちゃんは荷物が少ないなあ」
「……そうですか?」

 そう言いながら周りを見回すと、確かに誰彼構わずほとんどが小さいとしてもバッグやリュックを背負っている。そういう彼も、登山にいくような大きなリュックを背負っていた。は、腰の工具やケータイの入っているウエストポーチと、もう何かあった時何かをすぐ作れるように一つ板を持ってきているだけで、確かに少ないかもしれない。それに、着ているツナギのポケットには、とくに物は入れていなかった。

「それにその板、何に使うんだ?」
「き、企業秘密です…」
「なんだそりゃ、あ、そういえばコレあげるよ」と、渡されたのは一つの缶。「お近づきの印だ」
「あ、ありがとうございます」

 それを受け取り、飲もうとするとポーチ内のケータイが震えた。ケータイは二台持っていたが、片方は仕事用なので必ず先ほどのように音がなるようにしている。となると、このアドレスを知っているのは、親しい人間となるのだ。
 今連絡してくるような人がいただろうか、と思いながらケータイを開く。ディスプレイには『クロロさん』と書かれてあり、メールであった。

『言い忘れた事があるんだけど、新人潰しのトンパという奴がいるらしいから親切にしてきた奴には気をつけろよ。見かけは40〜50辺りの男だ。なら、もう見破っている所だと思うけど、一応。』

 ゆっくりと眼だけを上げる。目の前の男は偶然にも他の受験者を見ているようでが見ている事に気付いていない。彼は、当てはまりすぎている。でも、だからと言って『新人潰し』とは何をするのだろうか。ぱ、と手元にある缶ジュースを見た。自分だったら何をするか。缶ジュースを使って何をするか。
 考え込んでいると、今度は違うケータイが鳴る。喧しくなったせいで、目の前の男がこちらに向き直した。

「ちょ、ちょっと仕事のケータイ鳴っちゃったんで失礼します!ジュースありがとうございました!」
「あ、ああ…」

 新人潰しの男・トンパは残念そうにそう言った。




 出来うる限り離れて、比較的人の少ない所で立ち止まる。メールではなく電話なので、きっと先ほどの彼ではないのだろう。先ほどの業務依頼とも言いがたいメールは一方的で、やっと形が決まりそうなときに相手からぶちられたのだ。こうなってしまえばきっと今日はもう返ってこないのだ。なんとなく分かって来た。

「はい、こちら。ご用件はなんでしょう?」
『……』

 中々返事のしない相手に、「もしもし?」と声をかけるも、無反応だ。こういうイタズラ電話はよく非通知設定でかけてくるけれどディスプレイにはちゃんと番号が並んでいた。それなのに無言電話とは、結構度胸のいる事だ。
 もしかしたらお客さんかもしれない、という気持ちがあるために切ることも出来ないでいると、急に声が聞こえた。笑い声だ。それも、聞き覚えの有る。

『ハハハ…ッ!』
「……クロロさん?何やってんですか…」
『いや、初めて業務用の声を聞いたもので…ククッ』

 なんて性格の悪い。
 確かに、あんな愛想の良いのなんてお客さんか本当に知らない人にしかしないけれど、ここまで笑われるなんて最悪だ。この男にはデリカシーというものはないか。いや、あったならもっと年上として尊敬としているだろう。『ところで、』

『新人潰しには会ったか?』
「……多分」
『今年は毒入りジュースらしいぞ、まさか貰ったなんてないよな』
「お土産にして持って帰って差し上げあげます?」

 明らかに、明らかにクロロはが騙されたと思っている。(思ってるんじゃなくて、本当ギリギリだったんだけど)ここまで性格が分かられているなんて、嬉しいやら、哀しいやら。

 だけどこう話している間にも、もしかしたらすぐに試験が始まってしまうかもしれない。ソワソワしているのさえも電話越しで分かってしまったのか、クロロが言う。

『試験が始まるのはあと5分後だ、説明聞き逃すなよ?』
「あ、当たり前です!…ところで何の用だったのですか?」

 理由はあるだろう。まさか、あの時丁度『新人潰し』と会っていた、なんて事が分かるなんて人間業じゃないし、暇だったからとかそういう理由で電話をかけてくる人でもない。(こっちのケータイにかけたのは、多分冷やかしだと思うけれど)

『新人潰しもなんだが、あまり関わって欲しくない人物がいる』
「……どんな人ですか?」
『分かりやすい奴なんだが―…』

 言いずらそうに言った瞬間、遠くで叫び声が聞こえた。
「ギャアアアア!!」驚いて、首に下げていたゴーグルを眼につけながらそちらを見る。眼が悪いわけではなかったけれど、コレには双眼鏡などと同じレンズが使われているのだ。
 見つけた先は、人が距離を置いているために皮肉にも見やすかった。

「腕が……ない?」

 自分の一言に信じられなかったけれど、叫んでいる男は確かに両腕、肘より少し上から指先までない。それは本当に文字通りで、切り落とされたであろう彼の腕はどこにも見当たらない。完璧に、消えていたのだ。遠すぎて声は聞こえないけれど、きっと、あの飄々としている青年がやったのだろう。
 は、その青年に見覚えがあった。
(あの人、さっきぶつかった…)

『……どんな奴がやった?』
「背の高い…メイクしてる人、です」

 もしかしたら、あそこで腕がなくなり、痛みで苦しんでいる人はだったのかもしれない。そう考えると気分が悪くなった。単純な吐き気のようで、少し違う。どこかから何かが込み上げてくる気がした。

『そうか、回りくどい事は言わない。そいつにだけは近づくな』

 音もなくただ、息を飲んだ。

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