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「申し遅れましたが私一次試験担当官のサトツと申します。これより皆様を二次試験会場へ案内いたします」

 先ほど起こった事件なんて見ても聞いてもいない、というように試験が淡々と説明を終わらせて、第一次試験が始まる。
 どうやら、まずは持久力を測るのか、あのスーツの男が先導してマラソンのような形で受験者が追っていく。いくら走っていても、この地下ならではの密封空間の空気しか感じられない。
 とは言ってもこのくらいの持久走、例え一日続いても、この銀髪の少年、キルア=ゾルディックにしてみれば朝飯前というやつであった。その隣にいるのはゴン=フリークスというキルアと全く逆の肌の色・黒の髪の色をした少年も、どこでこれほど修行したのか分からないが、全然平気そうに、周りの汗だくの大人をすいすいと追い抜いていく。

「なんだ、ハンター試験がこんなんとか、正直拍子抜け」

 キルアが走りながらもポツリと言う。

「あ、ねえキルア。だったら今のうちにそのスケボー貸してよ!」
「なんで今なんだよ!壊されたら嫌だから、駄目」
「えー!釣竿貸すからさー!」

 ゴンが先ほどから、気になっているのはキルアが腕で抱えてもっているスケートボード。初めて会った時に、それを乗りこなしているキルアを見て、『自分も乗ってみたい』と素直にそう思っていたのだ。
 もしかしたらいきなり何が起きるか分からないというのなら、今この少し遅れても大丈夫な時に借りようと思ったのだが、どうしてもキルアは頷いてはくれない。

「だーかーらー駄目だっつの!お前コレが何のスケボが知ってんの?」
「……有名な奴なの?」

ブランドの。お前だって名前くらい聞いたことあるだろ?」



「持久走………」

 は一人、嫌そうに呟いた。

 どんな試験でも受かる自信はあった。それは確信ではなかったけれど、意地でなんとかなるのなら、とそこは軽い気持ちだった。現に持久走とは言っても、道具の使用は制限されていない為に、恐らく自分は例えひどく疲れたとしても大丈夫だ、と言う状態ではあった。だけど、こんないつまで走るか分からないもののために、大切な大切な燃料を無駄に使ってしまうのはとても心配だったのだ。
 サトツと名乗った男は、ただ自分についてくるだけが第一次試験だと言ったけれど、その試験がいつまで、どのくらいで、なんて一つも言っていない。これはほとんどの受験者に対してかなりの圧力になっている。1キロ走るのに、100メートルの速度では走れない。だけど、遅れたら、置いて行かれる。

「はぁ…」

 それはため息なのか、息切れなのかよく分からない。
 だけどには既に、『疲れた』という感情がうるさいくらいに脳裏に渦巻いて、なかなか集中できない。胸のポケットから時計を取り出し、時間の確認をするけれど、まだ一時間さえ経っていない。こんな小さながそのくらいで疲れるのは当たり前、と言われるかもしれないけれど、それを認めてもうここに居る意味なんていない。力がなくとも証明してみせる、とは言えど、それまでに力は少なからず必要なのだ。
 ただ、今は生理的に疲れたと思っているだけで、彼女は後一日走ろうが訳なかった。には、何年か前までハンター様に頼らず自分で材料を取りに行ったりしていた頃があったのだ。
 とは言え、疲れるのは、疲れる。本気を出せば〜と言うやつだが、こんな第一次試験でいきなり本気を出したとして、それで力を全部出し切ってしまえばどうだ。物事には効率の良し悪しがあるのだ。

「………はあ、」

 今度は確実にため息だった。は誰もいない場所、なるべく邪魔にならない一番端で立ち止まり壁に手をついて、一度大きく足を地面に叩き付ける。それを両足すると、右足を地面に着けたまま少し引いた。のブーツについた小さな車輪は、勢いよく周り始める。それを確認すると、壁から手を離した。

 慣れているものとは言え、一番初めの不思議な浮遊感にはいまいち慣れない。
 そしてそのまま、地を滑る形で、なるべく自然な足取りで目の前の人たちの後を追う。これを使って先頭にまで軽く行けたけれど、は先頭よりこの一番人数が多い中間で、バレない程度にゆっくりと行った。



 何時間経ったのだろう、と時計を確認する。すると、もう既に針はこの場所に来た時の間逆の数字を指していた。つまり、いつの間にか六時間経っていたのだ。
 は、ぼーっとしているだけでも、安全装置の付いたこのブーツはスイスイと運んでくれていたので、本当にあっと言う間だった。それに、その間ずっと、新作について考えられていたので、暇というよりは、有意義な時間を過ごせたのかもしれない。期限も少しずつ直ってきた。
 周りの人たちは、いつの間にか目が据わっていて、数人かは我武者羅に前しか見ていなくて、そのまま転ぶ人もいた。そしてその人のせいで、後ろの人が倒れ、また倒れ、ドミノ状態になる。この靴の安全装置、と言っても本当にギリギリで回避するために、も冷や冷やしっぱなしだった。
 そして、先頭組の足音が変わったと思い、顔を見上げた。

「階段だ」そう聞こえたのはちょっと前からか。

 先の見えない階段は、まさに地獄のように見え、周りからチラホラと、「ここで脱落者が増えるな…」という、それはもしかしたら自分も含まれるのでは、という嫌な予感も含めた声が聞こえ始めた。
 この靴のまま、無理に階段も登れたのだけれどは再び足を地面に叩きつけ、そのまま階段を登った。その行動に、意味はなかったけれど、理由はあった。

 力が要らない、なんて言ってみたけれど、それは力なき者の言い訳でしかない。そんなのはわかっている。実際にこうしてここまでこうしてこれたのは何のおかげかと言われれば答えられない。その意思を、は曲げるつもりはなかったけれど、とにかく今は、自分の足で走りたい気分だったという事に、と自分自身を納得させた。
 久々に、いきなり急に自分の足で走るものだから、ちょっともつれそうになりながらも上へ上へと着実に進んでいく。太もも辺りに効きそうだなあ、と呑気な事を思っていると、叫ぶような声がの耳に届いた。

「金だ!金さえあればなんでも買えるんだよ!!」

 そちらに顔を向けると、短髪、黒髪の青年がもはや着ているものを脱いで、半裸の状態で走っていた。その首には、スーツの名残なのかネクタイだけが空しく巻かれており、滝のように汗が流れ出ている。

「金さえあれば俺の友達は死ななかった!」

 それを一緒にいるであろう金髪の人(には、その人の後姿しか見えなくて男女の区別が付かなかった。)に言うと、居心地が悪そうに舌打ちをした。人の生死に関わった話をしていても周りは気付きは、しない。一人一人、今は自分に必死なのだ。

(いや、いや、いや、)
(この人たちは例え余裕がある時だって、手を差し伸べてはくれない。そう、道端の猫。勝手に運ばれて勝手な所にまた捨てられる。食べるのは人間が捨てたゴミ。まるで実験するみたいにフザけてあげるホントは食べれないモノ。車で轢かれても気にするものか。そして引き返すためにもう一回轢いて、Uターン。)
(わたしは、しっている。)

「っひゃっ!」
「わっ…、も、申し訳ない」

 いつの間にか考え込んでいたのか、は先ほどの金髪の人にぶつかった。後方からは長い髪と中性的な声のため、性別の判断があまりつかなかったけれど、真正面からちゃんと見れば、自分と同じくらいの男性だと直感した。

「………お、お嬢ちゃんよ」

 その隣に居た、同じく先ほどの黒髪の青年が小さく言う。

「お前さんまさか、ここまで走ってその表情なのか?!」
「………はい?」
「…確かに、私達でさえここまで汗だくだと言うのに……」

 二人にまじまじと見られ、思わずは目線を逸らす。まさかここまで頑張っていた人たちの前で「今までずっと機械でした☆」は、言えずにただ黙った。
 汗をかいていない、という訳ではなかったが、まだ数十分しか走っていない彼女の顔にはまだうっすらとしたものだった。確かに、彼らは服までびっしょりと濡れている状態なのだから、疑問に思うのは正解だ。はとくに脱ぎもせず、つなぎの腕を肘までまくっている程度だ。

「ま、まあまあ!……えっと、あ、二人の名前は何?」
「ん?俺はレオリオってんだ」
「私はクラピカ」

 走りながらも、二人は悠長に名乗った。

「レオリオにクラピカだね!わたしは、よろしく!」
「ああ、宜しく頼む」
「…………?」

 ニッコリと笑った金髪の少年・クラピカとは正反対に、黒髪の青年・レオリオは首を傾げた。未だ、なぜかレオリオはの名前をブツブツと繰り返している。その様子に、クラピカと顔を見合わせていると、急に彼はポンと手を叩いた。その顔は、興奮が冷め切らないといった感じだ。

「お前…、、だな?」
「……うん?…それが?」

 ただ、自分の名前をフルネームで知っているだけだ。この世界の個人情報というのは守られているようで実は守られていないらしく、まさにハンターにでもなれば、そんな権力のない人間一人の誕生日から住所まで調べることなんて容易なことだ。それに、自惚れているわけではないけれど、自分の名前は全世界に知られている。
 つまり彼女は『有名人』の枠組みに入るのだ。そんな事も露知らずか、がそれがどうしたという表情をしていると、クラピカまでもが驚いた顔をした。

、だと?まさか君は…」

「外だ!!」

 クラピカが最後まで言う前に、誰かが叫んだ。それに3人して一目散に階段を駆け上がると、確かに外ではあったけれど、あまりそれは喜べないものだった。
 むわりと肌に纏わり付く嫌な感じ、嫌な空気。「ヌメーレ湿原、通称・詐欺師の塒…」静かにサトツが説明を始めるのを、はそのまま流した。恐らくサトツは、どうせまたここから何キロメートルまで走る、だとか、後何時間です、とかを言わないと思ったからだ。

「……霧、濃いね…」
「ああ、これで見失ったらヤベーな」

 まだ第一次試験は、持久走はまだまだ続くのだ。外に出れば終わりだと、ちょっと期待していたはガックリと肩を落とす。それに対してクラピカは苦笑をもらしたけれど、彼女とは違い、ちゃんと説明は聞いているようだった。
 しょうがなく、道具の手入れでもしてようかと思っていると、影に何かが見えた。その影は人型で、多分受験者ではない。それに対して悪い予感がしたけれど、何か考え出す前に、サトツの説明が終わったようだった。

「しっかりと、私のあとをついて来て下さい─」
「ウソだ!!」

 先ほど影を見たところから、男が飛び出してくる。色素の薄い髪の彼は、長袖のパーカーを纏っていて、なんだかこことは場違いに見えたし、身体はみょうにボロボロだった。そんな彼の手には不気味な生き物がいた。

「そいつを偽者だ!!試験官じゃない、俺が本当の試験官だ!」

 大声でそう叫ぶと、受験生がボソボソと相談のような、会話が聞こえる。次第に、次第に目の前のサトツという男に不審を抱き始めたのだ。(だけど、)と、は思う。それだったら何故、今更出てきたのだろう。あの時、始まった時、近くにハンター試験内部関係者だって数人居た。それだったら、サトツは何故自然な感じで始められた。もし偽者だった、まず関係者に疑われる。
 とは言っても、その彼が握っている人面猿が、サトツに似ていなくもない、と失礼な事も考えてしまう。隣のレオリオに至ってはもう確実に目の前の彼を信じている。

 とりあえず、彼はその人面猿を倒してここに持ってきている。その猿を眺めていると、ピクりと眼が動いた気がした。いや、眼は閉じているのだけど、瞼が少しだけ揺れた。それには気付くと、こっそりとゴーグルを眼にかける。そしてそのまま、眺めていると、やはり何度かピクピクとまぶたが動いていた。そして、薄く、誰にも見えない程度に、薄く、眼を開けたのだ。
 いつの間にか、の手は懐の銃に伸びていたらしい。そんな自分の行動に驚いて、慌てて手を引っ込めていると、何かが空気を切った。

「くっく なるほど、なるほど」

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