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 ぞくりと感じる悪寒を、は直に感じた。
 今まで、コレまで生きてきた中で、もしかしたら一番身の危険を感じたのかもしれない。大型の魔獣に襲われそうになった時よりも、ヒトと退治する事となった時よりも。自然と手をポーチへ、その中のケータイへと滑らせる。恐くない、怖くないから。(わたしには、なかまが居る。)落ち着いて、ゆっくりと深呼吸をした。

「これで決定。そっちが本物だね?」

 そう言って、ヒソカは手馴れた手付きでトランプを切る。どう見てもそのカードは、ただの紙のようにしか見えなくて、しかしそれは、先程の頬を掠め、叫んでいた『自称』試験官の顔面へとに突き刺さった。

「試験官というものは審査委員会から依頼されたハンターが…」

 ヒソカが投げたトランプは7枚。自称試験官に3枚、サトツに4枚。言った通り、猿には無残にも1枚も避けられる事なく全てが刺さったが、サトツはそれを全て指で受け止めた。これで誰が本物の試験官だなんて、あからさまだろう。それでも、ヒソカの行った行為に、誰も話そうとも、動こうともしなかった。

「あの程度の攻撃を防げないわけないからね。――おや?」

 と、そこでヒソカは言葉を止める。正しくは、を見て止めたのだ。
 受験者は皆、ヒソカを見ていた為に、同じくを見る。注目を受けたはいやまさかこんな早く約束を破ると思わず、冷や汗をかいた。

「君に当てるつもりはなかったんだけど、そっちがその気なら、つい、ね?」
「……え?」

 ふ、と頬を押さえると小さく痛みを感じた。ポーチからケータイを取り出し見てみると(のケータイのデスクトップは、画面が暗くなると鏡になる。)そこには真新しい切り傷のようなものが出来ていた。とは言っても、あまり深くはないが、何故だか小さくとも傷が残りそうだと思えるものだった。
 そして、何をするつもりなのか、静かにヒソカは近づいてくる。ゆっくりと、彼の手がの頬に近づいた瞬間、は感じた事のない恐怖を再び感じた。

「っな、なんですか?!!」

 つい何時間か前と同じように、はブーツから車輪を出し後ろを見ずに後退、そして手にはカチャリと音を立ててポケットナイフ。それがあまりにも突然の事で、周りは反応出来なかった。だからか、によって尻餅をついている人が何人か見受けられた。
 元々、あの車輪はが動く事によって動いている訳ではなく、機械だった。それでも無事後退できたことに、彼女は場違いだと思いつつも安息の溜息を零す。

「良い動きだ」
「………はあ、どうも」
「…だけど、」

 中途半端な所でヒソカは言葉を切る。それを、不思議に思いながらとりあえずナイフを仕舞っていると、ぽん、と頭に手が乗った。ヒソカの手だった。

「まだだ。君はまだまだ強くなれる」
「……っ!!」

 その言葉はこんなシンとした場所だったと言うのに、たまたま魔獣の吼える声と重なり、恐らくにしか届いていないのだろう。どうして、こんなに早く近づけたのだろう。どうして気付かなかったのだろう、どうして、と言う言葉がの頭を渦巻いた。

…、大丈夫なのか?」
「ああ、顔色が悪いぞ」

 黙りこんだに、クラピカとレオリオが近づく。いつの間にか、走ることは再開していたらしい。もうこの場所には数人しか残っていない。話しかけられたことに、は驚いた。あまり話し込んでいた訳ではなかったから、二人はとっくに走り出していたのかと彼女は思っていたからだ。

「あ、ああ……ウン、ありがとう…」
「しっかしよぉ、本当にあのヒソカって野郎は見境無いな!」
「そうだな、女性に手をあげるとは男の風上にも置けん」

 正確には直接ヒソカに殴られたわけでも、何でも無いのだが。
 それでも、二人はを心配してくれていた、と言うのは十二分に彼女に伝わった。もう一度、ありがとう、を言おうかとした所、いつの間にか最後尾になっている事に気付き、は急かした。「は…、早く行こう、二人とも!」



「そういえば、先ほどの話の続きなのだが…」

 クラピカが顔色を窺うように、それでも聞きたそうにに聞いた。

「……何だっけ?」
「君の家名は、だろう?」
「あーあーあー!そうそう!お前は『あの』なんだった!」

 今思い出したかのように、レオリオは叫ぶ。その大声にか、それとも、『』という名前にか、前を走っていた数人がチラリとこっちを見た。

「あのの娘が何でここに…」
「本当にガキなんだな」
「どうせ、暇潰しだろ。俺らと違って、金なら有り余ってるだろーよ」
「け、命落としたって金では買えねえっつの」

 どこかで、そんな会話が聞こえる。恐らく、このレオリオとクラピカの二人には聞こえていないだろう。特別、耳が良かっただけが聞き取れた言葉。一番聞きなれていて、一番、聞きたくなかった言葉。
 目を伏せ、黙り込んだをレオリオは覗き込んだ。

「……どうかしたか?……もしかして、言っちゃいけなかったか?」
「ち、違うよ!いいの。何でもないから。」

 は大きく首を振る。「……で、それがどうかしたの?」

「それが、って…」
「…君は世界的に有名なブランドの跡取り娘なのだよ?」
「うん」
「……ん、まー俺としたら、こんなノリの方がいいけどな!」

 に、と笑うとつられても笑う。クラピカはそれを、苦笑するように見つめると、ポツリと呟いた。その言葉は何気なく、ただ、思った事を口に出した。

「しかし、ここまで幼いとは思って居なかったな」

 このクラピカの呟きに、の動きは止まる。幼い、と言うのは、もしかしたら先ほどの見知らぬ者達の辛辣な言葉よりも、もっともっと、聞きたくない言葉だったかもしれない。いや、知り合いだからこそ言ってほしくなかった言葉と言うものか。

「おう、そうだな。もっとす!っとした姉ちゃんかと思ってたぜ」
「……全くお前は…。……?」
「……あの、さ、クラピカ達、いくつ?」

 この『いくつ?』には説明するまでもなく、年齢を意味していた。

「17だが」
「俺は19だぜ」
「………あのねえ…、」

 にこ、とは笑った。「わたしも同じくらい、なんだけど」

「………失礼、もう一度お願いする」
「ク、クラピカ!こんな所でボケるな!!…それ、マジか?」

 至って真面目な様子に、レオリオは慌てた。女性に、年齢を聞くことはタブーで、ましてや実年齢より上だと言うのもマナー違反だ。とは言っても、のような年頃の娘の場合は少し違う。一生懸命背伸びをして、大人ぶっている子がいるのだ。それは、も同じで。
 むっと頬を膨らますその様は、本当の子供かのように思えたが、クラピカは言いそうになる口を押さえて、宥める形でに話しかける。

「い…いや、しかし、それは、その、可愛らしいという意味で…」
「………可愛いと幼いは違うもん」

 そう、初めにクラピカは『幼い』とに言ってしまった事が問題だった。これがもし違う言葉だったら、弁解の要素はあったかもしれないが、これではどうしようもない。先ほどからずっと黙っていたレオリオは、ツンとしているを見、まるで泣いているかのように目を片腕で覆った。「分かる!その気持ち分かるぞ、!」

「俺もいつだってそうだった!幾ら10代だっつっても周りは信じてくれねえ!」
「レ、レオリオ?何を…」
「何度童顔と言うのに憧れた事かッ畜生!!」

 思わずとクラピカは走っているにも関わらず、器用にもレオリオから離れる。未だ男泣きしている彼を横目に、達は何だかおかしくなって笑った。

「ごめんね、クラピカ!やっぱなんでもないや!」
「そうだな、…には『ああ』なって欲しくないからな」
「…って、何だよお前ら!俺を一人置き去りにしやがって!」

 ふう、と息をつきながら、はずっと手に持っていたケータイを、折角だからとまた鏡をみた。その時、クラピカがそのストラップに首を傾げる。

…、すまないがそのストラップは…」
「あっこれ?コレねー!貰ったの!」
「おうおう、なんだか嬉しそうだなあ。コレか?」

 と、古臭く親指を上げた。その動作に、は思わず吹く。

「ち、違うよ!!」
「なんだぁ?もしかして好きな奴からか?え?」
「……だからレオリオ、おっさん臭いって言われるんだよ!」
「ああ、そうだな。私も同意見だ」

 またぎゃあぎゃあ騒ぎ出すレオリオを、クラピカは笑いながら見ると、また、のストラップを見た。大事そうに仕舞うは、たまたまクラピカの視線に気付く。

「クラピカ?」
「いや、なんでもないさ」
「……そう?」

 彼女はそれを貰った物だと言っていた。それも、どうも大切そうな人からの。そんな、贈り物にまさか、『盗聴器』がついている筈ないだろう。クラピカは再び笑って、少し感じた違和感を取り払った。



 外は薄暗くなっている。元々ここは薄暗い所だから、今ではもう真っ暗になっていた。が、ここに滞在する者達はそれを不便だと思ったことは無い。暗くても、視えるからだ。
 とは言っても、こんな所にいつでもいる訳でもない。そんな彼は、今日はたまたま現在の拠点であるここに寄って見たら、あまり立ち寄らない人物がいたから、何となく残ってみただけだ。

「団長ー…団長ー?ずっとイヤホン差したままどうしたの?」

 金髪の青年・シャルナークは、眉を顰めて明らかに『不機嫌』だと言う上司の顔を見て、さらに不思議に思った。彼のイヤホンのコードを辿っていくと、小さな機械につながれている。この仏頂面の彼は、ラジオや、流行の音楽を聴くような人ではないし、それに例え暇潰しだとしてもこんな顔をして聞く者はそういないだろう。と、観察していると、それは盗聴器の類だと知る。

「…もしかして、ハンター試験受けるって言った子を盗聴してるの?」
「……」
「アタリでしょ?…それでその子居ないから、いつもゆったりと本読んでいたスペースが無くなったって訳か。しつこいにも程があると思うよ?」
「…………」
「てか、受験した子って誰?折角俺、協力したのにそっちの情報一つ寄越さないなんてアンフェアだねーもう協力しないよ?」

 確実に、無視されていると気付いているけれど、シャルナークはしつこく続ける。恐らく、団長と呼ばれているこの男・クロロが反応するまでずっと続くだろう。
 クロロは観念したように、ボソっと言った。

という娘だ」
?…ウワ、嘘…そんな子と繋がりあったなら言ってよ!」
「………」
「でもさ、今回のハンター試験、ヒソカも受けてたよね?大丈夫なの?」
「……もう手遅れだ」
「え?死んだって事?」

 滅多な事を口にしたが、それを咎める者はいない。それより、死など、彼らとはいつだって隣合わせでいたのだから、今更というものか。

 クロロはイヤホンを取った。それをシャルナークは、もう盗聴は終わりなのかと思ったけれど、その機械本体からイヤホンを抜いた事によって、音は大きくこの場に響く。これではたまたま通りかかった者にこの盗聴が聞こえるかもしれないが、他に、この場には誰もいない。居るはずが無かった。

「違う。…だが、接触はしてくるだろう」
「興味示しちゃったか。ドンマイだね」

 全く思ってない事を、シャルナークはしれっと言った。

「でもさあ、そんな有名処の娘なんて、すぐに盗聴器なんて気付くと思うけど」
「いや、そこは大丈夫だろう」
「なんでさ」

 と、そこで丁度クロロが仕掛けたストラップの話題になる。それにシャルナークは注意して、聞いていたが、一方クロロは何も問題がないかのような顔をする。

『あっこれ?コレねー!貰ったの!』

 その、嬉しそうな彼女の一言で、すぐにシャルナークは分かった。彼の言いたい事、意味が。すぐに。そして、呆れた意味での溜息をついた。

「…ああ、もう団長ってば人が悪いなア」

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