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「さて、これでもうこの建物を一歩出たら、諸君らはワシらと同じ!ハンターとして仲間でもあるが、商売敵でもあるわけじゃ。ともあれ、次に会うまで諸君らの息災を祈るとしよう」

 ハンター協会会長・ネテロはそう淡々と合格者に告げた。あまりにきっぱりとした言い回しに、は思わず吃驚した顔をしてみたが、そんな表情をしているのは彼女のみだった。周りを静かに見渡すが、全員当然という顔をしている。思えば、ハンターという職業について分かっていないままライセンスを取ってしまったのは自分一人だけかもしれない、とはそっと手持ち無沙汰気味に、ポケットの中の携帯電話をこするようにいじった。

 ゴン達は、キルアに会いに行くと先程聞いた。だって本当はそうしたかったのだが、仕事用の携帯電話が忙しくなる様子を見て、レオリオが「こっちは俺達に任せろよ、それは、お前しか出来ないだろ?」と、苦笑気味に提案をしてくれていた。ありがたいと思いながらも、その様子を見て、は嫌な意味で懐かしい気持ちになった。若くから仕事をしていると、こういった経験が数多くあった。他に優先することがあるだろうと、目の前の人を放って、引かれる後ろ髪なんて気にしないふりをしなければならない。
 だけど、これは自分が選んだ道なのだと大人になったは既に理解していた。こうやって行きていくと誓ったのだから、果たさなければならないのだ。

 とはいえ、一段落ついたらゾルディック家に迎えばいいのだ。場所はわかっているし、何も寂しくはない、と。しかしまあ、こう考えつくことこそが寂しいということなのではないだろうか、と考えていると後ろから声がかかった。



 クラピカだった。試験中は様々な表情を見てきたと思うが、今は一段と穏やかな顔をしていた。確かに試験はもう完全に終了しているのだから当然かとは思い直す。

「どうかした?」
「………ここじゃない所で話したい。まだ時間はあるか?」

 そのままの体勢で聞こうとしていたのだが、クラピカが指したのは近くの小部屋だった。まだこのあたりで居ても、ハンター協会の役員等々に怒られることはないだろうが、クラピカこそ時間はあるのだろうか。そんな疑問が顔に出ていたのか、クラピカは極めて優しい表情で、少々笑うような声で補足した。「そんなに時間は取らないよ」



「―――この通りだ」

 ドアを開けて、閉めて、二人で向かい合った瞬間、クラピカは頭を下げた。唐突なその行動に、焦ったようには「え、分かんない、んだけど、ま、まずは頭上げて欲しい」と頭に浮かんだ言葉を考えないままに吐き出した。
 クラピカと入ってみた小部屋は、中央に小さなテーブルと2脚の椅子があるだけで、後はダンボールが積み重なっていた。部屋に入った時に、丁度椅子があるからと、そこに座ろうとしたはただただ鳩に豆鉄砲食らったかのような顔をするしかなかったのだ。

「……ストラップの件だ」クラピカは引き続き、頭をあげる気はないようだ。「君に無断で私は壊してしまった。試験中はバタバタしていたのでその後の話が出来なかったが、その謝罪をきちんとしたいと考えていた。……本当に、申し訳ない」

 先程からはしどろもどろの言葉ではあるが、頭を上げて欲しいと訴えてはみているものの、おそらく彼女からこの謝罪に対するアンサーがない限り、ずっとこのままでいるつもりなのだろう。

 ストラップの話をされるのはなんとなしに予想は立っていた。それ以外で二人きりで話すことなんて現時点でないだろう。わざわざ二人になったのはきっと、クラピカが謝っている姿を誰かに見せたくない、なんていう格好悪い理由なんかではなく、自身がこの事をそっと、忘れようとしていたことを分かっていたのだろうか。現に今、はこの場所で良かったと安心していた。

「もういいよ。もう、なかったことって思うようにしてる、から……」

 そうだ、なかったんだ。それはストラップを貰ったことじゃない。クラピカにストラップを壊されたことをだ。もちろん、ストラップはまだ無傷だ、なんて戯言をいっていう訳ではない。全てなかった。何もなかった。そう思えば全部リセットされる。

「……は本当にそれでいいのか」
「うん、その方がスッキリする気がする」

 だから顔をあげてくれるといいな、とは念を押すようにクラピカに言うと、彼は渋々というようにゆっくりと顔をあげた。その目はまだ、に言いたいことがあるようだが、それをこそが許さないような空気に、クラピカは口を閉じる。

「わたしもごめんね。なんか変なこと言ったし、遠慮なかったよね」
「君は――……、いや……、」
「………気になってることあったら聞いてもいいよ」

 珍しく語尾を濁らせるクラピカに、は笑いかけた。その先の言葉も、何となく予想が立っていた。秘密にしていることなんてそうない。聞かれればほとんど答えることが出来るだろう。クラピカが、ハンター試験で出会った彼等がのことを本心ではどう思っているのかなんて、知る由もないが、は既に信頼に値する人たちだと勝手に思っていた。

「失礼を承知で聞くことを許して欲しい。」と、クラピカははっきり言う。「は、今までどう生きてきたんだ」

 彼の言葉にしては、随分アバウトだと、は感じた。だけど、その言葉が全てを物語っている。その言葉に何を返すか、よりは、どう柔らかく返すかを考えていたが、あまりいい言葉がすぐに浮かびそうになかったので、そのままの言葉をは吐いた。

「……わたしね、孤児なんだ」

 思えば、誰にも話したことない話だったから、これを他になんていうかの練習なんて全くなかったのだ。次からはこれで勉強になるな、と場違いなことを考えた。
 は明るく言ってみたのだが、クラピカは相変わらず暗い表情だ。しかし、全くの見当ハズレの事を言われた訳ではないのか、一度、言葉を選ぶように思考した後に、呟いた。

「………流星街か」
「……うん、よく知ってるね――って、クラピカは博識だから知ってて当然かあ」
「君が『外の』と言った時に真っ先に浮かんだ所だ」

 クラピカは、まるで気まずい話をするようにから目線を外した。

「確かに、あそこまで世界に属してない地域はないもんね」と、懐かしむようには笑う。「あ、でも小さい時までだけだよ。拾われたから今はちゃんと住所持ってるしね。……とはいえさ!流星街出身って実際問題珍しくないよ、めちゃくちゃ人もいるしね」
「……すまない、こんな話をさせてしまって」
「黙っていたい訳じゃなかったからいいよ。うん、だからさ、」

 不自然な所では言葉を切った。そして大きく息を吸って、震える口で吐く。まるで無く寸前のように、目が潤んでいるようにも見えた。

「わたしの根っこって、本当はああなんだよね。引きこもり研究家、みたいな顔してるけど、本当はもっと野蛮で、意地、汚くてさ」

 力なんていらない、なんていう理想論を達成出来れば、見ることが出来ればは小さな頃見た惨状を忘れるための術になると考えていた。脱却がしたかっただけだ。肉体的な力が全てだといった大人達を指さして否定がしたかった。

 しかし、結局は力ある大人の自分が残っただけだ。
 
 の目が行き所をなくしたかのように、足元を見つめていると、クラピカは口を開いた。

「……私は、あのの行動は全くおかしくなかったと考えてる」
「え………」
「失礼ながら私が言えた義理でもないだろうが、大事にしてたものなんだろう。それをああされて、笑っていられる方がよっぽど人間として欠陥しているはずだ。そうだろう?」

 至極当然、というようなクラピカの顔をはまじまじと見る。

「そ、そうかもしれないけれど、限度はあるじゃん」
「まず第一に、限度を超えた行動をしたのは私だ。責め立てられてもおかしくないし、そもそも、あの緊迫した場の話なんだ」

 先程まで言葉を選ぶように慎重に口を開いていたはずだったクラピカは堂々と、いつものようにハキハキとした口調でをなだめた。そして、でも、だって、と不安そうな顔をする彼女の頭に優しく手を乗せた。

「――だから、そうやって線引をしないでくれ」

 その言葉に、は一瞬呼吸が出来なくなるような錯覚が起きた。気がついた時は目から涙が流れている。受けとめてほしくて言っていた訳じゃない。だけれど、その暖かさが溢れていくようで、温かい気持ちでいっぱいだった。

 いつだったか同じような言葉を『父親』にもされていた。ひだまりのような安心するような言葉。

「こ、子供扱いしないでよ」涙を指で拭いながら、は続ける。「わたし、本当の年齢知らないんだけど、クラピカよりもっと上なのは確かなんだよ」
「は……」
「お、お父さんがね、変な人で拾ってくれた日を0歳ってして―――クラピカ?」

 急に動きが止まった彼の顔を覗き込むが、決していい意味で驚いている訳ではないその表情にも同様に動きを止める。じっと見ているその目の色は深く、何かを悩んでいるようだ。チカ、と光るように、まるで目の色が一瞬だけ赤く見えたが、もう一度瞬きするといつもの色だった。

「………先程、流星街出身者の話をしていたが、今も繋がりはあるものはいるか」
「え?……今?」
「――質問を変えよう。蜘蛛……幻影旅団は知っているか?」

 クラピカは、の頭に置いていた手をいつの間にか離していた。その代わりに、その手を肩に置き、尋問するように問うた。その先の彼女は質問の内容よりも、彼の突然の変化に驚いてしまっていて、上手く言葉が出てこない。先程まで笑い合えていたのに、笑いかけてくれていたのに。
 無意識か、クラピカが置く手の力が静かに強くなっていく。

「答えろ」

 冷えたその温度に、は息を飲む。掴まれた肩は確かに痛いが、それよりもこの目が鋭いナイフのようで、体中に突き刺さるようだった。

 現状、どうしてこんな風に彼がなってしまっていたのかは全く見当もつかない状態ではあったが、一先ず質問を考えなければとは思考を巡らせた。

「ま、待って、クラピカ、何の話をしているの?何を答えればいい?」と、一度深呼吸をする。「流星街の知り合いは確かに多いけれど、引き取られてから一度も戻った事ないし、生きてるか死んでるかも知らないよ。ゲンエイリョダンのこともちょっと何の話か……これじゃ駄目かな?」

 恐る恐るそう返すと、クラピカはハッとした顔をした。そしてすぐさまガッチリと掴んでいる肩を離すと軽く謝罪を入れた。

「……すまない、事を急いてしまって迷惑をかけた。君が関わっているはずがないだろうに……痛かったな」
「だ、大丈夫。……えっと、クラピカでも焦ることあるんだね」
「………完璧な人間な訳ないだろう」

 が冗談交じりに言ってみれば、クラピカも少々笑った顔を返してくれたことでホッとした。未だじんじんと痛みは残っているが、それよりも先程の変貌を聞いてもいいのかとは顔を伺っていると、察したのか、クラピカは短いため息をつく。「には話していなかったな」

「私の一族は4年前に盗賊に滅ぼされた」
「盗賊……?」
「それが、幻影旅団だ。近しい人は彼等を『蜘蛛』と呼ぶ」

 クラピカの自白に、はただただ頷いた。つい先程まで自分の話をしていたことも忘れ、神妙な顔で口を開いた。

「……クラピカはその人達を探すためにハンターに?」
「ああ、同胞の為にも何としても情報が欲しい」
「ハンターでしか行けない場所もあるしね……」
「その幻影旅団員のほとんどが流星街出身で構成されているんだ」
「………なるほど。居た頃は噂でも聞いたことないな……少なくとも18年前にはなかったよ」
「…………そうか、私はまだ遠いな」

 クラピカは自嘲的に笑うが、ピクリと動きが止まる。「何故18年前と断定が出来るんだ?」

「その時まではいたしね」
「……物覚えがある状態で?」
「うん、それより前は月日どころか数字も分からなかったけど……」
「……すまない、話が繰り返しになるが君は一体何歳なんだ……?」
「それは分からないんだよね。けど、思えば実年齢20は超えてるかな」

 さすがに2歳で流星街にいたとしても、喋ることも出来ないだろうし、ここまではっきり覚えていないだろう。
「でもさっきも言ったけど、拾ってもらった日から数えて今18年目だから、18歳って思ってくれたら嬉しいな」と、は笑うがクラピカは納得出来ないようで、手を自身の頭に置き、うなりながら考えていた。

「……一応説明なのだが、先程私は、君がもし私の想像する年齢じゃない場合、流星街でどういったコミュニティーを築いていたのかが見えなくなってしまっていたんだ。年齢が違えば、出来ることも増減する」
「…………『私の想像する年齢』?」
「そこは黙秘させてくれ」

 別にいいけどさ、とはふてくされたように返す。
 そんな彼女に違う話題を提供するためか、クラピカは人差し指を立てた。

「――人生脚本を知っているか?」
「ううん、初耳かな」
「人は子供の頃に決めたことを繰り返して生きていくという話だ。もちろん、適当な夢なんかの話じゃなくて、それは周りからの評価だったり、指示だったり、自然と身につくものだ」
「……うん」
「そこからはきっと、逃れることはできないだろう。強く根付いたものだ」

 こうしなさい、ああしなさい。あなたはこれ、あなたはあっち。きっと大人は何気なしにでも子供に命令をすることがある。そこからゆっくりと子供は自分の物語を生み出していくのだと、クラピカは説明した。

「だけど、それを突然書き換えてもいいのではないだろうか。のように、また、私のように」
「え、クラピカもなの?」
「ああ。恥ずかしい話だが、子供の時は喧嘩っ早い性格をしていたんだよ」

 本当にそう思っているのか、クラピカは少々照れくさそうに言った。はそんな彼の姿が想像出来なくて、ぽかんとする。

「……わたしは難しいこと分からないけど、また今回みたいにさ、昔が顔を出してもまた書き換えられるかな」
「ああ、きっと大丈夫さ」

 よかった、とが頷こうとした所で、扉が大きな音を立てて開いた。「ゴン、にレオリオ?」と、が声かけた通り、そこには二人が立っていた。ゴンの方は気まずそうにしているが、レオリオはどこか怒っているようだ。

「お前らな!いつまでそうやってくっちゃべってるんだよ!タイムイズマネーだ!分かるか?!」
「……君という人間はこういう時まで浅ましいものだ」
「ご、ごめんね、クラピカ。大事な話をしてたとは思うんだけどレオリオが……」
「なんだよ!俺だけのせいにするのか?!ゴンだって気になってたじゃねーか!」

 突然騒がしくなった室内に、とクラピカは一回顔を合わせてみては、二人揃って苦笑を零すが、の内心は安心した気持ちでいっぱいだった。この関係がとても心地よいのだ。

「あれ、……泣いた?」
「え」

 サッと目に手をやるが、そういえば少し前に泣いていたのだ。それを目と勘の良いゴンには誤魔化せるはずがない。「……ちょっとね」
 
「そっか……。……あのね!女の人は泣いた分だけ綺麗になるってミトさんが言ってたから、きっとももっと綺麗になるね!」

 これはゴンなりの励ましなのだろうか。何も根拠のない話ではあったが、一生懸命説明する姿には「きっと、じゃなくて絶対の方が嬉しかったな」と茶化すことができた。



「それじゃあ、オレ達は先にキルアを迎えに行くね」

 建物から出てすぐの場所。十字路で別れが近付いた時、意気込むようにゴンがに声をかけた。
 これからすぐキルアの元にいけるわけではなく、電脳ページをめくるために、まずはインターネットカフェを探すようだが、目はこれからの冒険にキラキラしているようだった。

「うん、わたしも片付いたら連絡するね。……あ、ゴンはまだ何も連絡先無いんだっけ」
「おう、ってことで連絡は俺かクラピカに頼むわ」
「了解!」

 二人の電話番号の他、念のためにホームコード、電脳コードを控えて、は彼等から離れた。何メートルか歩いたところで、はふと後ろを振り返る。

 広い通りだったので、3人は並んでカフェへ移動していくようだった。何を話しているか分からないが、いつもどおり、ゴンが大げさに動いて、レオリオが身振り手振りを加えながら喋っていて、クラピカが相槌を打っている様が手に取るように見えた。ゴン達がどう知り合ったのかは分からないが、元はハンター会場にこの3人で到着したという。しかし、ここにはキルアという人間がいてようやくピースが埋まるような気が、はしていた。

 今からでも追いかけたら間に合うだろうか、なんて、うずく身体をどうにか抑えていると私用の携帯電話が鳴り出した。ディスプレイに名前は出ないが、ここに電話してくるならおそらく知り合いだろう。

「もしもし、です」
『ああ、ああ!ちゃん、良かった、繋がった!』

 その電話口の向こうはガヤガヤと喧しい。まるで祭りかなにかのような騒がしさだが、それよりも緊迫感があるようだ。

「――――あ、パン屋の」と、はこの電話の主が5軒隣のパン屋の主人だということにようやく気付き、思わず声を上げた。
『あの、あのね、落ち着いて聞いて欲しいんだけど!』

 うっかり声を忘れていたことに突っ込みはなかった。相変わらずパン屋さんの後ろは大きく盛り上がっているが、主人はもう息切れ切れに話すものだから全く要領を掴むことが出来ない。そんな彼の続きを待つのに少々飽きたは視線を空に移す。今日も青々としていて、深い空だった。

『君の――家が――燃えているんだ!』

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