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 ハンター協会副会長、パリストン=ヒル。
 もちろん先程まで参加していたハンター試験にいた会長・ネテロとも最終試験前に少々話したが、このように話した記憶はないし、そもそもネテロだって今後話題に上がれども会うことはないだろうと思っていた。偉い人間なんだ。遠い人間なんだ。ハンターを心から志願していた訳ではないが、縁あって合格出来た以上、それなりの敬意を払うべきだと考えてはいた。敬意を示して何かをする訳ではないが、会長の名を汚さないようプロハンターとしての自覚を持つ、とか。ともあれ、試験終了ということで一度ハンターやなんやから離れ、いつもの日常に戻ると思っていたのに、それに親しい人間の接近があるなんて想像だにしないだろう。

 たどたどしいながらも、せめて失礼のない程度に最低限の会話を続けようとは考えていただったが、すっかり絶句してしまって、目線を泳がせた。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、パリストンは視線をから一切逸らすことはなく、話し始める。

「あはははは! そんなかしこまらないで下さいよ。何も新人いびりのつもりはないんですよ?僕は『優しいハンター協会』がモットーなので!」
「あ、はあ、はい、そう、なんですね……」
「今年は面白い方々が入会したようですし、僕もワクワクして仕方ないんですよ」

 全くもって、頭から冷水を浴びせられている気分である。ニコニコと胡散臭い笑顔を浮かべる人間から優しいハンター協会と言われたって、何も信憑性はない。小さな子供でも言えそうな言葉だというのに、彼が言うと圧がかかるようで、恐らくきっと、表向きはそのように動いているのだろうとは感じ取れた。

「いやあ、もっと聞きたいなあ。若い経営者の苦悩!大変ですねえ……もっとちゃんと引き継いでくれればねえ……」
「っそ、それほど若くもないので、わたしより若い人はたくさんいます」
「――ああ、そうでしたね、貴女は………っと、失礼しました!女性に年齢の話はタブーですね」
「………よく知っているんですね」

 思わずポツリと一言。ネテロも父親のことを知っていたのだから、もしかしたら同様の知識程度にはわかっているのかもしれない。自分の出生について、わざわざ隠し立てしている訳ではないが、言うならば『聞かれなかったから』という子供の言い訳のようなものだ。
 自身が養子であるだとか、出身が流星街であるだとか、それらは全ての名には相応しくない。わざわざ大声あげていうものでもないし、名乗るときに必要なものではない。生まれてから今までずっと、です、という顔で客先に行くしかないのだ。
 父親が内心どう思っていたのかは分からないが、そういった話は彼の死後に広まっていったようなのだから、彼も彼で、なんとか抑えていたのかもしれない。全く持って、泥を塗る行為しかしていない現状に、唇を噛み締めた。

 そんなの様子も気にせず、パリストンはニコニコと笑う。

「噂には聞いておりましたが、実のところあまり知らないんですよ」
「……パリストン、さんなら、そんなこと言いつつもな気がします」
「死人に口はないんですよね、これが! 僕は実際に行って見て確認したいタイプなので、生きる証人であるさんと是非お近づきになりたくて」
「わたしなんてとてもそんな人間では……」
「ハハハ、過度な謙遜は決して美徳ではありません。知名度で言えば、僕なんかよりもずっと有名人じゃないですか」

 「若くて女性であること。これはメディアも黙ってませんよね!」またしても刺すような言葉である。パリストンという人間は、決して声を荒げることはないが、優しく見せかけた毒薬を仕込んでくるようで、はどうにも息苦しかった。
 これまでの人生、メディアに取り上げられた良いニュースなんてほとんどないというのに。

 しかし、下手な遠慮をしてしまったのはであり、彼にそう返答するのは確かに悪手ではあっただろう。しかしながら、彼の話しように、自分は今、見極められているのかもしれないと察した。興味のないものに首を突っ込むほど暇ではないだろう。それならば、彼の興味を完全になくすしか無いのだが、降りかかる吹雪のような対応に、思わず良い対応を考えてしまいそうになるのは仕方ない。が、そう思ったところで、現状、ここまで冷たい言葉を与えられている以上、相性が最悪だということはパリストンもきっと分かっているだろう。

「……悪名で有名になることに意味はありません」
「あれ? 僕は何も悪い噂の話なんて――」
「そうですね、そうなんですけれど、わたしはあなたから感じ取れるのはそれしかないんです」

 思わずこれは言い過ぎたかもしれない。だが、ほぼ初対面の人間に対して、その人間の親に対して『死人に口なし』とは、いくら偉い人間であっても礼儀がないのではとは感じていた。そもそも、自慢できるほど良い出身ではないがマナーの問題を指摘できる立場であるのかは彼女自身甚だ疑問ではあったが、これはもう人間性の問題だ。

 出来損ないのの嫡女。その成果はサッパリで、売上は全盛期の半分以下。ここまでは本当の話ではあるが、実はギャンブル狂だとか、実は同名で5人はいるだとか、ついには借金までして家名にすがってるなんて噂まで聞いたことがある。彼だってそんなもの鵜呑みにしているわけじゃないだろう。言っている通り、だから直接話しかけていたのだろう。

 だが、人寄せパンダを見るような態度で話しかけられて笑っていられるはずがない。こんなちっぽけなプライド、捨てたほうがもちろん楽だろう。そうすれば、適度に媚びへつらって、おこぼれのような仕事をお座りして強請ることだって可能だ。が挑戦し続けなくても、そうやっていけばの名前だけは守ることは出来るかもしれない。

「結果として出せてない以上、何を言おうとも負け犬の遠吠えでしょうし、弱い犬こそよく吠えているだけ、ですが、」と、は歯を食いしばる。「名前を馬鹿にされて、笑っていられるはずがないでしょう」

 『』の名は大切な貰い物だ。大切なプレゼントを足蹴にされて何も言わないなんて自分の性分に合わない。あまり人に強く言う経験がないため、はバクバクとした心臓がうるさく感じた。

 息苦しく、口で呼吸する。座っているのにその感覚はない。もし今立っていたのなら、そのまま倒れてしまっていてもおかしいくらい、全神経が頭にしか回らない。所謂興奮状態であるとは思うのだが、そんなにさらに氷水が降るように、目の前の男は無邪気に笑った。

「アッハッハ!これは失礼!アハハ、いやー面白いですね、では――ちゃんと成果が上がったら、僕もちゃんと対応を考えましょうかね?」

 何を言っても彼に響かないことは分かっている。分かっているつもりではあったが、顔色を全く変えずに笑うパリストンを見てると、風船が萎むように脱力するしかなかった。
 知ったような顔をしていても、冷え切った現実に慣れた訳じゃない。どうしようもない感情は、彼の言うとおり、どうにかなった時にようやく解消されるのだろう。それは果たして何年後か、はたまた、一生来ないのか。

さん、僕は励ましは苦手なのですが……でもきっとこれから良い事ありますよ!運は良さそうですしね!」

 前もって身構えていた保険のような言葉なんて、自分を落ち着かせるビタミン剤であって、そこから何か変わる訳じゃない。自分自身が変わるしかないんだ。
 窓を向くと、しんしんと雪が降っていた。そろそろ到着するのだろう。

「………ええ、そうですね」
「あれ、もういいんですか?若い主張、とても参考になりましたよ」

 彼の言う『若い』は言い方を変えた『幼い』なのだろう。そのまま曖昧な言葉で彼の存在を無視したかったが、運ばれてきたホットの紅茶を彼はに手渡した。その所作もケチのつけどころがなく、は黙って受け取るしかなかった。

「貴女も不幸ですね。もっと違う未来があっただろうに、こんな事になるなんて」

 いや、そんなこと、と確かに言おうとしたのだが、更に言葉を続けたって、彼を説き伏せられる訳じゃないだろうし、何もこの行為には意味はない。悔しいほどに、自分の立場をまざまざと見せつけられるだけだ。

 次第に流れてきた車内アナウンスを聞いたは一気に熱い紅茶を飲み干し、荷物を掴み立ち上がるとパリストンに一礼した。それだけで良かったのだが、彼のニヤけた顔を見ているとどうしても口が開いてしまう。パリストンはゆっくりとを見上げた。その余裕気な表情は何を言ったとしても、何をしたとしても崩れることはないだろう。

 だけど、笑わせてくれるな。

「あなたにはこんな事さえ不幸に見えるんですね」


 足早に電車から駆け降りると、は物陰に隠れた。予想通り、駅の大通りには、カメラを持った人らがいる。いくら落ち目のとは言えど、読んで字のごとく炎上しているのだから報道陣が集まっているのだ。おそらくローカル局の人間だろうか。逃げている方が一番面倒なことになるだろうが、今はそんな対応をしている場合じゃない。先ほどまで家から遠いところにいたのだから皆の顔を知っていることはなかったが、ここまで来るといくらか顔は割れてしまっている。どうにかタクシーにでも乗れればいいのだが、と思考している個人用ケータイが鳴った。

『もしもし、!?』
「ゴン?」
『良かった!繋がったよ、レオリオ!』
『いーからと話せって』
「………どうしたの?」

 つい数時間前に分かれた彼らだった。ディスプレイにはレオリオの名前が出たが、電話口にいたのはゴン。確か、彼は持っていないと言っていたのでレオリオからケータイを借りたのだろう。全く変わらない彼らのテンションに安堵した。

『どうもこうも、家大丈夫なの!?』
「………ああ……よく知ってるね……」
『今ね、ハンターライセンスで電脳ページを見てたんだ!そこのニュースを見てたらの名前があってね』

 別にそこまでは聞いていないのだが、ゴンは丁寧に説明をしてくれた。『オレ、あんまりこういうやつみないから操作は分からなかったんだけど、クラピカが見せてくれて……レオリオもクラピカも心配してるよ』

「うん………ありがとう………」
『……あれ?なんか音こもってる?、大丈夫?』
「う、ん」

 泣くつもりはなかったのだが、ゴンのまぶしいほど明るい言葉に、鼻の奥がツーンとした。ゴンはどうやら音がおかしくなっていると思っているようなので、どうかバレないでいてほしい。
 情けない話だ。一人になった途端、何も出来ない自分を思い知らされるよう。ハンターになったって同じだった。だけど、ハンターになったって何も変わらなかったとは思いたくない。このつながりはきっと、掛け替えのないものだ。何が不幸だというのだろう。最後にパリストンに告げた言葉は捨て台詞にしかならなかったのだが、どうしても、そこだけは否定がしたかった。
 一面しか見ていないのに、裏側まで見たような顔はしないで欲しい。

 流れ出る涙が止められなくて、黙っていると、電話口からごそごそと動く音が流れた。

『ちょっと代わるぜ、、お前本当に大丈夫か?』
「レオリオ……」
『……まいってるみたいだな……まあ仕方ねえか……。申し訳ねえけど、俺達はそっちに迎えねえ、だけどお前なら問題ないだろ!思えば今回のハンター試験合格者唯一の女なんだぜ?』
「……それは……ちょっと意味分からない……」
『困らせることを言うな。……、私は今君がどれほどの損害を被って、どれほどの対応を強いられているか分からないし、私たちと電話をしている場合ではないのかもしれない、が、何かあったらすぐ電話をしてほしい』
「クラ、ピカ………」

 電話越しで本当に良かった、と思えるほど今自分は破顔しているかもしれない。いくら人通りのない物陰といえど、何とか表情を戻そうと強めに目を擦った。

「うん、大丈夫、ありがとう、落ち着いたらまた連絡するね」

 ピ、という無機質な電子音でさえどこか暖かく感じる。自分一人で生きているわけじゃないと思うとここまで力強くなれるものなのか。思えば、ハンター試験に置いて、自分一人で何とかなったということは少ない。助けあっていったんだ。それは果たしてハンター試験を合格するのに正解なルートか分からないが、既にライセンスも受け取っているのだから、これは合格こそ全てだと感じた。
 プロハンターになれたのだから誰も否定することは出来ない。ハンターに負けない力を持ちたかった。だけど、結果的に、ハンターの力を借りた。しかし、それは他にだってきっと同じこと。

 果たしてこれから、このライセンスを上手く使えるのかなんて、そんな未来はよく見えないけれど、この出会いにただ今は感謝をしたくてしかたなかった。
 は荷物からライセンスを出そうとしゃがむと、丁度自分が立っていた位置・頭の位置にザクと音を立てて何かが刺さった。――刺さった?

「………か、紙………?」

 そこにあるのは何かの切れ端だった。紙は刺さることはない。だってペラペラだもの。現に今も、ぺにゃんと重力に負けた部分は下に垂れ下がる。だが、端はちゃんと壁に突き刺さっており、は困惑する。

「クレームしに来たよ」

 と、そこに聞き覚えのある声が届いた。
 絶対に振り向きたくない、確かめたくない、と思っていても、近づいてくる足音、視界の隅にちらちらと映る長く艶のある黒髪が想像通りの人間だとご丁寧に証明してくれた。

「君の家、燃えたんだって?これからどうするの?」
「こ、これから一度現場を確認して……」
「もう意味ないでしょ。全焼してるんだよ。何を確認するの?廃材?」彼はの肩を掴むと、自分の方へ向かせた。「それにさあ、まずはクライアントに謝罪でしょ」

 これまた数時間ぶりにみたイルミの顔に、はまた別な意味で泣きたくなった。イルミの光のない目がこちらを見ている。その事実だけで絶命してもおかしくない。

「は、はひ……」
「なんて、嘘だよ。びっくりした?」

 ぱ、とイルミは手を放した。何も力の入っていないの体はそのまま壁にもたれかかる。
 うそ、という言葉をゆっくりと脳に溶かした。冷静に考えてみれば確かに、イルミがこういった小さなことを気にする人間ではないことくらい分かっていただろうに。こういう状況、記憶に新しい。「あの、その……イルミさんの冗談は洒落にならないんですよ……」

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