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「本当、最近の君は見るたびにひどい顔をしているよね。もっとバカみたいな顔してたはずだと思ってたんだけど」
「……偽物かもしれないですね」

 普段、イルミと話す時は、コントラクターとクライアント、客と店員、それを意識して話している。彼の弟であるキルアとは、出会い方が出会い方だったし、だって彼を友達と認識しているので親しげに接していた。同じゾルディックといえど、そもそもイルミとは、ビジネスとして、としか接していなかったのだから自然な流れだろう。

 しかしながら、近頃連続で騙されている立場からすれば何か一泡吹かせようと思うのが人間のいじらしい所か。もちろん、本当に一泡吹かせられるなんて――

「いだだだだだ」
「ああ、冗談だったんだ。ごめんね」

 の頬を限界まで引っ張ったイルミは、ごめんねのごの字も思ってないような声色で謝罪をした。これこそ分かっていた話だろう。彼には敵わないなんてことくらい。
 今まで感じたことのない強い痛みだ。頬だけではなく、口の中全体に痛みを覚えた。他人の変装を疑ったとしても、肩のゴミを取るように、何気なしに力強く顔にダメージ与えるのは普通しないだろう。イルミがこうだからこそ、やけに人間味のあるキルアがまさか彼の弟と思うわけないだろう。怒りよりもただただ今はこの痛みを何とかして欲しいという懇願の顔になってはいるが、次に出てきたイルミの言葉で絶句する。

「本気でやったら千切れる所だったね、ハハ」

 現実味のない言葉をこれまた無感情な声が届けるのを見守っていたではあったが、は、とそういえば聞かねばならない事を思い出した。
 
「イルミさんはどうしてここにいるんですか?」
「ハンターライセンス」
「……はい?」
「仕事で欲しかったって言ったよね」
「聞いたような気がします」

 要領の掴めないイルミなりの文脈に、反論したい気持ちを抑えてはとにかくそのまま頭に詰め込んだ。そういえばそんな話をトリックタワーで聞いた気がしないでもない。それから、最終試験でも。このご時世、ハンター様に出来ないことはないと言えるくらい、ハンターライセンスの汎用性は高い。だからこそ倍率もとてつもないし、死ぬ危険だってあった。

「でも、何でも出来そうなイルミさんが必要になることってあるんですか?」
「何その買いかぶり。俺にだって無理な事はあるよ。仕事で海外行く時はビザ取らなきゃいけないし」

 暗殺者が観光ビザでちょっと一狩り行くのをは想像して一人失笑した。

「でももうライセンスあるからそんな面倒な事しなくていいんだけどね」
「……ちゃんとビザ取ってたんですね」
「てゆーか何かあっても殺しちゃえばいいんだけどさ、その方が面倒だし」

 警察や警備員は決してそこらの雑草ではないのだが、そのくらい気楽にイルミは言った。彼らにとって人間とはそのくらいの存在だということはよく分かっていたが、面倒という理由がまだ人命より重いことは嬉しいのか、悲しいのか。
 ともあれ、ハンターライセンスと今ここにいる理由を結びつけてみるが、あまり上手く繋がらない。一つ言うならばイルミからすれば今ここは海外になる訳なのだから、既にライセンスの利用しているだろうということか。

「全く面倒な依頼だよ。殺し屋にターゲットを言わないなんてさ」
「仕事でここまで来たんですか?」
「俺の話聞いてたの?」
「………えっと、はい……」

 自分が悪いのか、とは思わず口ごもる。思い返してみても、何か見逃していることはないし、ちゃんとした会話が出来てない方はどちらかといえば、イルミ自身だ。とはいえ、それはイルミからすれば逆なのだろうか。
 彼のこういう所は良く言えばミステリアスだと、対クライアントとして意識するならそうは思っているが、が個人的に彼を評価するならただのコミュニケーション障害だ。彼とちゃんとした日常会話が出来た気はしないし、来る依頼だって実際ちゃんと出来ているか確認しても分からない時がある。

「イルミさんが、ハンターになったので、ライセンスを使って、ココに来た、んですね?」
「うん」
「で、ここには仕事出来たとして………」と、ココまで言った所では止まった。

 彼に確認を取るように、状況を整理してみたのだが、これ以上は彼の『仕事』に関わってしまう。誰を殺すの?と不躾な質問をするつもりはないが、そういえば先程「ターゲットを言わない」とも言っていた。
 イルミの仕事に同行したこともないし、仕事をしてる所を偶然見るようなものでもないのだが、彼の性格からノープランということはないだろう。グルグルと考えて見るが答えには辿りつかない。伸ばした線が最後の点を探してずっと彼方へ消える。

「ああ、そっか」

 イルミは少しだけ目を見開いた。驚いたのではなく、ハとしたよう。「言ってなかったね。今回俺が用あるのはなんだ」

 オレガ ヨウアルノハ  ナンダ

 呪いのようなそんな言葉を聞いた瞬間、は他に何か情報を入れるより先に、靴の車輪を出すよう、地面に叩きつけた。久しぶりにコレを使う、とちゃんと稼働した車輪で全力でバックした。しかし、そこから何が出来る訳でもなく、冷や汗をダラダラかきながら、少々離れたイルミをただ見つめるしかなかったのだが、こんな小細工で彼から逃げられるはずがない。一瞬で捕まり、もうコレ以上動かないよう首根っこを掴まれ、もうおしまいだと書けなかった遺書をまた悔いているとイルミは言った。「勘違いしてる気がするけど俺の依頼者が君だって言ってるの」

「っぐえ、え!?いやでもわたし、依頼なんてしてないですよ……」文字通り首根っこを持ち上げられているので襟が喉に食い込んだ。
「うん、からは聞いてないけど」
「………どういう事なんですか?」
「元々の依頼者は君の父親だよ」
「え……」

 もう逃げるつもりはないだろうと思ったのか、イルミは手を離し、は地面に足をつけた。身体はともかく、心の疲労が激しすぎたこともあり、そのままへたり込む。

 いや、いや、いや、彼は今なんて言った?は考える。今の話を総合すると、の父である彼が、生前イルミに頼んでいたのだろう。いやでも、彼は人を殺すなんて思わない人種だ。虫も苦手だったから虫も殺せない。いやまあ、それは意味が違うが。いやだが、それこそ、「ターゲットを言わない」の意味するところなのだろうか?

「父、がイルミさんに頼んでたんですか……?」
「正確にはゾルディックにかな。俺は前から聞いてたんだけど」
「……何のために……」
「――、君は何で火事が起こったと思う?」

 の疑問を上書きするように、イルミは聞いた。何で、と言われても今はその話をしている場合じゃない。だが、混乱しすぎているせいで、ただ目の前の疑問に答えるしかなかった。

「わ、分からない、です。……ただ、冬なので、こういうのは仕方ないというか……管理が不届きだったのでしょうけど、でも、燃えるものなんて……でも……」

 自身の工房は確かに広く、雑多に物が転がっていると言われても仕方ないが、エンジン類は基本的に他の所で積むことが多く、それだけで燃えるものなどない。ただ、高熱を出すものや、何かものを動かしてそのまま放置していたのなら問題になることはある。しかしもちろん、それらは全て家を空けると決定した時に十二分に確認はしたし、実際大切なパーツなどはレンタル倉庫に保管してもいる。

「君って本当、楽観的だよね」どんな言葉も決して感情がこもることがないイルミの声だが、今回ばかりは呆れたような声だ。「知らず知らずのうちに家が燃えてても、季節柄仕方ないのかもしれない、もしかしたら自分のせいかもしれない……もっと他に考えることあるでしょ」

「あのさ、自分が狙われてたって思わないの?」


 今、はイルミの用意したやけに長いリムジンで家に向かっていた。いや、もう既に『家跡地』になるのか。今日の気分はジェットコースターのように上がったり下がったりしているせいでどうにも気分が悪い。もちろん、それをイルミに言ったところで何も待遇を変えてはくれないのだろうし、一先ずは彼についていくしかなかった。

「君の父親がこれを予言してた訳じゃないよ。ただ、何か合った時は力になって欲しいって、まあ、うちなら人を10人は殺すような金持ってきて言ったんだってさ」
「………そうなんですか。………その、失礼なことだと自覚しているのですが高いタクシー代ですね……」
「え、まさか送って終わりだと思ってるの?あのさ、バカにされてるのかってイレギュラーな依頼、君の所じゃないと受けないんだからね」

 イルミは以前言っていた事を思い出した。『は二人といないのクリエイター』そんなこと嘘であることぐらい、本当なら彼だって分かっているだろう。けれども、これは金をもらっている依頼だから、どこの馬の骨か分からない者だって護衛をするのか。どうにも評価は高いようだが、そもそもイルミはハンター試験中だったからそういっただけで、自分が殺すことはないと、そう言っただけであって、仮にが崖から落ちそうになっていても、一瞥さえくれないだろうけれど。

様」

 ぼんやり膝に置いた手を眺めていると、ゾルディック家の執事から声がかかった。

「何かお飲みになりますか?仰っていただければご用意します」
「あ、いいです、大丈夫です。電車で結構飲んだので……」

 こんなに気分が悪いのはそもそも、変な空気の中でアイスティーとホットティーを飲まされたせいかもしれない。嫌なことを思い出してしまった、とは考えていると横から声がかかった。「何で?」

「何……ってこともないんですけど、頂いて……」
「誰から?」
「え………?」

 目を丸くしていると、ふと誰かがの身体を肩から抑えた。先程の執事だ。何かしらの非常事態なのだろうが、急に進むテンポにどうしても上手く思考が回らない。少しの身動きも出来ないくらいガッシリと抑えられていて、ただ唯一自由に動かせるのは首くらいだ。不安げにイルミを見上げるが、彼はと目が合うなりため息をついた。

「吐かせて。折角来たのに既に盛られた毒で死ぬなんて嫌なんだけど」
「はい」
「まっ!待って下さい!!ほんとそういう人じゃないと思うんで!吐きたくないです!」
「もう洗脳されてるとか言わないでよ」
「大丈夫なんです!本当!電車で飲み物貰った人、ハンター協会の人なので!!」
「五百歩譲ってハンター協会の人だとしても君を殺さない理由にはならないし」

 確かにその通りであるのだろうが、さすがにこの場で突然吐かせられるのは良い事ではない。というかそのくらい譲ってくれないとこの話を聞き入れてもらえないのか。

様、失礼いたします」

 と、取り押さえている執事が二人に増えたところで、はなりふり構っていられず、大声を上げた。

「い、いくら払えばいいですか!?」
「は?」
「わたしは大丈夫なので!いくら払えば止めてくれますか!?」
「………君達親子は俺達の商売なんだと思ってるの?」

 それは心からのコメントだったのか、イルミが手を出すと、の身体を抑えていた執事は彼女から離れて定位置に戻った。未だバクバクした心臓を抑えることは出来ないし、突然とんでもない事を言ってしまったと今更自分で驚いていた。

「うちの車を霊柩車にしたら恨むからね」

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