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 L字の車内の座席で、一番奥にイルミが座り、その手前の横側の席の真ん中で居心地悪そうにがそっと座っていた。先程の発言から気まずい空気が流れる中、イルミは口を開いた。先程の事はなかったことにならないかと願ったが、そう上手くはいかないようだ。

「で、いくら貰えるの」

 そういえばこの男に冗談という類のものは一切通用しないと、こういう時に新しい記憶のように入るが、同じことを繰り返している。
 いくら、と言われても、いくらなんだろう、という子供のような疑問がに浮かんだ。ある程度の人件費やモノの計算出来ても、イレギュラーなことすぎた。一体いくらなんだろう。そもそもこの支払の明細はなんだ。

「黙ってても仕方ないよね。聞いたのは俺だけじゃないし。ねえ、ゴトー聞いてたよね?」
「……はい、確かに」
「うち、取引には厳しいんだよね」

 先程を押さえつけていた執事が答えた。イルミの表情が読めないことはいつものことだが、ここにいる執事達もそうだ。使用人としては100%の対応であり、隣人としてはマイナスだろう。

 イルミという男が意外と金にがめついところがあるのは知らない訳ではなかった。こうした取引を行ったことはないが、会話の節々から、いくら充分すぎる金を持っていたとしても、もっともっとと未来を見据えた考えをしている。金があれば何でも出来るのだから仕方ないだろう。人によっては、人命以上に価値のある紙切れと硬貨だ。何に変えられるものじゃない。彼はきっと何がしたいとか、こうしたいとか、そういうのはなく、ただ金を目的に動いているのだろう。厄介な事になったなと、はとりあえず財布を取り出した。

「………い、いくらになるんでしょう」
「まあいいか」

 彼はがめつい――と考えていた矢先に、耳を疑うような発言。は両手で握る財布に力を入れてしまった。「え?」

「君が今持ってる財布から出てくるなんてはした金でしょ。相変わらず冗談通じないし、もう面倒になったからいいよ」
「あ、あはは………」

 ここにフリップでもあるのなら『ここで一同大爆笑』でも出せばいいのだろうか。
 固い笑顔を浮かべようとしていると、先程の執事がにコーヒーを出した。車に設置されているテーブルには、シュガーポット・ミルクピッチャー、そして茶請けのクッキーの入ったカゴが並んだ。先程断ったつもりだが、客人に何も出さないというのはかえって失礼なのかもしれない。

「―――それで、本題」

 とはいえ、さすがにこの中で気を使ってそれらに手をのばすことはできず、ただコーヒーの湯気を見守っていると、同じように出されたコーヒーを飲むイルミが再度こちらを向いた。

「今回のことで、何か心当たりは?」
「無い、と言えば無い、と思います。最近目立ったクレームも無かったですし。ただ、不特定多数のことまでは……」
「やっかみ、私念、僻み、嫉妬?」
「………それ以外にも私がで在ること、とか」
「ふうん」

 イルミは(いつだってそうだが)無感情に相槌を打った。

「分からないならそれはそれでいいや。そういう仕事だと思えばいいし」
「………なんだかすみません……」
「依頼側から謝られたこと初めて。……変な感じするから今後絶対に止めてね」
「へっ!?……あっ、すみ、は、はい」

 言ったら殺すというような圧を察し、は再度謝る寸前でなんとか飲み込み、頷きに変えた。謝った次の瞬間には首と身体が見事2つに分かれた自分がそこにいるのを容易に想像が出来る。

 果たして本当に宛は無いで終わっていいのだろうか。は考えを巡らせた。近所の人、は可能性が低すぎる。皆それぞれやりたいことをしているし、それにもうあの町でしっかりとした工房を構えているのはくらいで、他の人は大きな街へ移動してしまった。ただの平和な田舎町なのだ。
 それ以外の知り合いとなると、顧客だが、火で全部燃やしてしまえという考えになる程の、言ってしまえば野蛮な考えの人はいなかったような気がする。取り扱ってるものから、どうしても高額なものが多いので、上流の人らと話すことが多く、彼は比較的自分が良くて、そしてこちらが敵対しなければ結構自由にさせてくれていた。しかしながら、真っ先にクレームをガンガンとかけてくる人もいたのだから、逆に怪しいのだろうか?

「疑心暗鬼になるのはいいけど意外と足元は見えてなかったりするからね」
「………足元……」
「もし可能なら君の電話帳、見せてくれない?顧客リストも気になる所だけど、開示の可不可はに任せるよ。どうせ他から調べれば見れるし」
「どうぞ見て下さい……」
「ありがと」

 有無を言わせないつもりじゃないか。とは素直に仕事用の携帯を、アドレス帳を開いた状態で渡した。リストを見せるなんて、コンプライアンスがどうなってるんだという話かもしれないのだが、そもそも殺し屋を雇っている状況でそんな問題を気にしている場合じゃない。
 彼も仕事で見ているのだから特にコメントは無いだろうが―――

「うわ、A=テイラーって眼鏡のオッサンでしょ。髪の色はブラウンだったかな。禿げてきてるけど。この人も顧客だったんだ」

 ―――無いのが普通だろう!もしこのリストの中に犯人がいたとしても、それ以外の多くの罪なき人々には精一杯頭の中で謝罪をした。

「もう消してもいいと思うよ」
「え?何か知ってるんですか?」
「死んでるはず。殺したのはうちじゃないけど、もう半年は連絡来てないでしょ?」
「………そういえば、そうですね……」
「あー。というと、この件も怪しくなってくるのか」

 要領を得ないイルミの発言に、はただ首をかしげた。テイラー氏が仮に亡くなっていたとしても、自身に何が関係があるというのだろう。確かにちょっとした上客で、こちらが女ということもありヘラヘラした態度が苦手ではあったが、よくいるお金持ちのおじさんという人物だったはず。

「わたし、とくにテイラー氏と親密だった訳では……」
「分かってるよ。ただ、納品したもの覚えてる?」
「え?……カメラ……ですかね?そんな大したものじゃないですよ。もしどんな事があっても商談の履歴が残せるようにって、眼鏡につけた……」
「君って本当に馬鹿だよね」

 そうだ。あの眼鏡。いや、眼鏡のフレーム自体は既製品だったのだが、そこのブリッジに広角レンズでと依頼を受けていたのだ。さすがにそこに記憶するものを入れ込めなかったので、眼鏡チェーンの真ん中にちょっとした重しのように仕込ませて頂いた。

「普段付けている眼鏡でどこまでどんなものが撮れると思う?」
「どこまで……」
「そう、例えば今俺とが話しているだけの動画なら問題はないけど、もし、会話だけじゃないなら。それ以上何かあったとしたとしてもそれを記録出来るよね」
「…………いや、けど、」

 はもし装着してる時の最悪の事態を想像し、眉を顰ませた。「あれを起動するには左側のテンプルにある突起を強めに押さないとダメなんですよ。例えば……イルミさんなら違う方法でしょうけど、仮に銃を向けられてる時に咄嗟に押せるようには……」

 手をあげろ、なんて言われてる時にそんな事をしてしまったら一発でアウトだろう。強めにとはいえ、眼鏡を上げる仕草に似せることは出来るのだが、怪しいことこの上ない。そんな緊急時用になんて作っていないのだから、そういう時に使ってほしくはない。

「君って、本当に、馬鹿だよね」

 先程もちゃんと耳に届いていたはずなのに、同じことをゆっくりと言われた。その顔はどこか呆れているようで、視界の端にいる執事は小さく咳払いしたが明らかに笑っていた。

「誰かそんな緊急時の話をしたの」
「え……いや、そういう関係でトラブったということでは……?」
「そう、そうだね。確かに言ってしまえば君のカメラが一因であの人は殺されるまで恨まれたんだよ」
「………恨まれた?」
「最大録画時間は覚えてる?」
「えっと、フル充電なら3時間ですね。そこまで長くないので監視カメラの代わりにはならないです」
「そのぐらいの時間で、目線と全く同じカメラで何が出来ると思う?」
「え………」

 ふ、と目の付近に手を置いた。この視点で撮れるカメラで何を出来るか、だなんて。目で見たものが問題なのか。いや、しかし視界の端で捉えたものなど覚えているはずがない。だが、それがもし録画され残っているものだとしたら立派な物的証拠になる。もしかして、と恐る恐るというようには口を開いた。

「例えば…………立食パーティとかで、」
「……うん?」
「見たつもりがないものを視界に抑えてしまって」
「うーん」
「それが録画されたことで……とか………?」

 思いついた瞬間は閃いたと、頭に電球が浮かんだような気持ちでいっぱいだったが、イルミの複雑そう(当社比)な表情を見ているとどんどんと語尾が弱くなっていった。ついに彼らの執事の咳払いが大きくなったところで、イルミが背もたれに静まるように身体を預けた。

「もういいや。降参。それでいいよ」
「こ、答えは……?」
もういいの。兎も角、『商談で使うカメラが欲しい』なんて嘘を真に受けるのは勝手だし、客が納品したものを実際にどう使おうのも勝手、だけど君が想像するようなまずい状況が起こる可能性が出来るのは事実」

 必死に考えたものを適当に交わされたのは癪ではあるが、現状の問題が過程にはない。問題の発端になるようなものを、社が作ったということを相手方に分かられたあかつきには何か報復が来るかもしれないという話だ。その辺りはどうしても信頼関係という一言で片付けてしまう他ないので、制御出来るものでもないし、こんな世界で生きている以上、のっぴきならない緊急なことだってあるのだ。

「………けど、テイラー氏が亡くなったのは半年以上前なんですよね?今更すぎませんか?」
「殺す程憎い相手のことを念入りに調べる場合だってある、し、まあ、これはあくまで一つの小さな可能性の話だからね。これは骨が折れそう」
「なるほど………」

 実際、見つけようとしているものは個なのか、それとも集合なのか。何か大きなところを見つけられれば早いだろうが、単独犯であったのなら見つけることは困難だろうし、いつまでかかるか分からない。

「君の顧客、少ないようで多いんだよね。あ、こいつも聞いたことあるかも」
「……そういえばこれっていつまで続くんですか?」
「何が?」
「明日に解決、はないでしょうけど、例えば一ヶ月経っても何も分からなかったら………」
は」

 イルミは乗り上げるように、の胸ぐらを掴み、無理やり自身の顔を向かせた。いくら比較的広い車内とはいえ、バタバタと動けばそりゃあテーブルの上は大惨事だ。一口も飲んでいないコーヒーは見事にの服にかかり、不幸中の幸いといえばそれが温いことか。

「ゾルディックを馬鹿にしてる?そんな無駄な時間使うわけないでしょ」
「す、」そういえば先程謝るなと言われた気がして、思わずまた飲み込んだ。「――け、契約期間が気になっただけです」
「それは一理あるかも」

 パ、と急に離すもんだから、はそのまま座席に沈む。

「まあ、結局概算でお金もらっちゃってる訳だから正式な期間はないよ。どうせ親父なら金もらってなくても何かするべきって思ってるかもしれないし」
「………承知しました」
「ただ、俺としては金をもらっている以上、それ相応の仕事はするし、逆を言えばそれ以上はしない」

 何よりも分かりやすい境界線だった。切り離されたような関係に、はどこか安心した。ずっと自覚がなかったけれど、ひんやりとした我が家に帰ってきたよう。忘れていたけれど、ここから出発して来たんだ。自分は成長出来たのだろうか、いや、成長出来てなかったとしても、もう。

「それが分かれば満足、です」

 帰る場所はなくなったのだ。

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