25
実際に焼けた建物を見ると、心が冷えていくのを感じた。さすがにあの車を町中に停めるのは抵抗があったし、イルミだって下手に目立ちたい訳じゃない、と利害が一致したため、一先ずここからは独立で行動を始めた。一人で、と言っても、おそらくどこか見える範囲に彼らはいるのだろうが、こんな緊急時に黒服をぞろぞろと引き連れた謎の兄ちゃんを連れて行くよりはマシだろう。
消火にあたってもらった消防員と話が終わり、次は警察、その次は保険の話だ何やとたらい回しにあって、また家に戻ってこれたと思ったらすっかり真夜中になっていた。さすがに小さな田舎町とはいえど、宿泊施設はあるのでそこの心配はしてないが、月夜に照らされたボロ屋はなんとも言えない感情がこみ上げてくるようだった。
『過程は誰も見てません』
昼間に言われた言葉を思い返して、果たして今は過程なのか、結果なのか、は思いを馳せた。これが結果だとすればあまりに滑稽ではあるが、お似合いだ。
ハンターライセンスを持って帰ってこられても、今すぐあれもこれも出来るわけじゃない。それどこか、そんなもの取りに行かないで、もしくはさっさと脱落して帰って来ればこんなことにはならなかっただろう。どうして帰ってくる日にこんな事になったのだろう。
は大きなため息をついた。全部ただの後悔だ。考えるだけ無駄なこと。無理やりプラスに考えるならば、どうしても起きてしまうことはあるのだ、と納得させるしかない。家にいたって、出かけるときはあるし、最悪この家と一緒に燃えてなくなっていたかもしれない。それよりは、と思おうとしたのだが、その方が、という発想が浮かぶのはまだ今日の出来事なのだからどうしても仕方ないことだろう。
そろそろ宿泊地に戻らないと、近所迷惑かもしれない、とが振り返った。
「あ、れ、…………クロロさん?」
「……ああ、久しぶり」
実際に姿を見るのはいつぶりだろう。いや、そんなに時間は経ってはいないはずだが、この場にいるクロロを見ていると何十年ぶりかに彼に会ったような、そんな気持ちになった。彼の姿はこの地方の服装にしては厚着で、首にでも巻いていたのかマフラーは腕に抱えていた。
ああ、ダメだ。深く呼吸をしてしまうと涙が出そうだとは思わず息を止める。そして一度鼻をすするともう一度彼へと向いた。
「あ、あの、わたし!」
「ああ」
「ライセンス!ハンターライセンス!取れたんです!」
「………そっちからか」
そうだ、というように、ポケットからライセンスを見せびらかした。クロロはどこか緊張した面持ちだったのか、それに目を丸くさせると、肩を落とすようにため息をついた。それは安堵のようで、彼の口先は上がっている。
「お疲れ様、良かったな」
そして流れるように頭を撫でようとしたので、はそれを横に移動して回避する。子供扱いは嫌なのだ。宙に彷徨った手をクロロは無言で戻す。
「ただ………」
「………これから、どうするんだ?」
「どうもこうもです、恥ずかしながらまだ何も考えられなくて……」
そういえば、今後どうしようと思っていたはずなのだが、イルミの介入により、まずは目の前のことを片付けなければいけない気がしていた。だがそれこそイルミに全て任せられるようなので、そんなことよりも自分はとして表向きのことをしなければ、と思い返す。すぐ再開は出来ないとしてもここを建て直すのか、それとも修理のみの事業に変わるか、はたまた全てまっさらにしてしまうか。
「………何が、正しいんでしょうね」気がついたら言葉に出していた。「やり直そう、という気持ちはあるんですけど、やり直していいのかな、ってわたしの中から聞こえるようで……」
「自身がモノ作りをどう思っている?」
「好き……と思ってたいんです。これが唯一生きている意味だと思ってました。モノが作れない=はいないんです」
自由に生きろと言われても、ずっときっと、あの人を背中を追っていて、だからこそ真っ直ぐに進んでいられたし、それは間違いじゃなかったと今だって思う。それが実力不足であるのは自分自身のせいだ。文句つけられないくらい完璧であれば、問題はなかったというのに。目標にするには高すぎて、登りきれない、ひどいストーリーだ。
町の夜風はひんやりとしていて、そこまで冷える地域ではない地域といえど、ずっといたら芯まで冷えてしまいそうだ。とはいえ栄えている街でもないため今はもうやっている店もない。移動する場所もなく、その場で佇む。
「……俺としては」
クロロは手に持っていたマフラーをに巻く。男性用のシンプルなデザインのそれは、見た目よりもずっと暖かかった。
「しっかりとがここにいるようにしか見えないけどな」
「………図々しいですよね。何も出来ないのに名前だけ大きくて」
「そう言われたとしても、そう言わない人だっているだろ。大体、どこ言っても文句の方が大きいんだよ。良かった時にわざわざ声にかけに来る方が希少だ」
「…………」
「お前の前の人、親のことを、俺は知らない」
近くにあったベンチに座ると、その隣にが座るように促した。しぶしぶというようにが座ると、彼は続けた。
「だけど、その人だってお前の知らないところで重圧背負って生きていたはずだ。良くも悪くも自分だけなんて思うなよ」
「っ違います、別にわたしは被害者面したい訳じゃ……」
「じゃあどうして迷ってる?重圧から逃げたいと言うのならば逃げればいい。ここ以外でも生きていけるだろう。今回長く旅をして分かっただろう。世界は広いんだ。ここに縛りつけられたまま一生を終えなくてもいい」
「………」
「お前じゃなくても、こんなところ『誰かが引き継いでくれ』るんだろう?」
いつだったか自分で言った言葉が突き刺さる。降りしきる雨のようで、とめどなく。その時は冗談のように言ったのは確かではあるが、嘘ではない。
「………誰かが引き継いでくれれば、ってずっと思ってました」冷えてきた指先を左右で重ねると祈るような形になった。「でも、わたしじゃなきゃダメなんだって、せめぎ合ってて」
「他の誰でもない、わたしじゃなきゃいけないのに、わたしが、わたしを一番許せないんです。悪口言う人なんて、正直言わせとけばいいって思ってる、だけど、わたしは………っ」
先程こらえた涙がふいに落ちた。一度落ちてしまうと、ハラハラと次々と溢れていく。せき止めていた栓を開けてしまったようで、思わず顔を覆った。
「世間体も、何もかも、俺はどうでもいいと思う」
「…………けど………」
「がであることを悩む必要はない。親は何かをさせるために名前をつけた訳じゃない。名前をつけられたから、何かを出来るんだろう?」
そんなこと、とは言いそうになった。卵が先か、鶏が先かのような水掛け論を話したって仕方ない。自分自身がそう思っている以上、考えを簡単には曲げられないんだ。
だけど、
誰かからもらう言葉がこんなに嬉しくて心が暖かくなることを、は久しく実感していた。現状何も答えは浮かばないけれど楽になるようで、涙が止まらなくなった。
「だから………」
と、言うと、クロロは横に座るの背中に触れた。そして抱き寄せるように腕を回してくるので、は思わず小さく震えた。思えばこんなに至近距離で話したことはいまだかつて無かったか。
――――え?
いや、いや、いや、とは邪念を取り払う。いや、だけど近い。いや、いや、でもここで?と、赤面を誤魔化せるほど泣いててよかったと冷静に分析していたが、ゆっくりとクロロは更に近付いてくる。そして、耳元に顔が近付いたと思うと――「黒髪の男、知っているやつか?」と小声で囁いた。ロマンチックな声などではなく、緊迫した声だ。
「……………………?」
「ああ、いや、俺じゃない」
肩透かしを食らった気分で、おそらく動くなと言う意味で抱き寄せられたのだろうが、言われるまでもなく、は固まった。
「そもそも、この火事は不審な部分が多すぎるし、ずっとお前のことを誰か張ってるやつもいる」
「ええと…………」
「………チッ、どこだ……?」
その話ちょっと予習済みです、という台詞が上手く出てこないのは展開についていけないせいだ。もっと違う方法あったでしょう、との涙は心の中に消えた。
「だ、大丈夫です、多分それ、知り合――」
「っ!」
クロロに横抱きにされると、元いたベンチから少々離れた場所に移動していた。目を瞬かせていると、先程までいた場所には無数のナイフが刺さっている。これは知り合いかと思ったけれど知り合いじゃなかったかもしれない。
礼を言いたかったが、緊張感漂う今、口を開くことも難しく、神経を研ぎすませているクロロの邪魔にならないよう、無になっていると、予想通りの人物が闇から姿を表した。
「随分仲良しなんだね」
知り合いじゃないか!いや、あんなことしてくる人を知り合いの域に入れていいのだろうか。このままだとこの人の立ち位置が少し前に流行ったラー油のようになるなと思った。
「イルミさん………殺す気ですか………」
「結果的に逃げられたからいいんじゃない?」
「…………知り合いか?」
未だ警戒を解かないクロロに何と言うか考えてたが、片や初対面の人間がいる状況でこんなことをする厄介な男を何と言えばいいのだろう。とりあえず、地面に足をおろしてもらいながら、は彼と最も適切で簡素な答えを出した。
「顧客です」
「………そうか」
「単刀直入に聞くんだけど、」割って入ってきたのはイルミだ。「の家に火をつけたのは君?」
「は?」
その声はクロロとの両者から出た。そして互いに顔を見合わせる。一体この人は何を言っているんだろう。
二人から疑念の目を向けられても目線の先のイルミは飄々としているし、街灯はあるものの幾分暗いせいでいつも以上に顔色を読むことが出来ない。それどころか、隣にいるクロロがどこか好戦的に笑った。
「俺じゃないし、それについては俺からも同じ質問がある。―――お前か?」
「え、クロロさんも何言ってるんですか?」
「よくもまあここまでつけ入れてるね」
「………この展開は困ったんですけど」
おそらくこの初対面の彼らは互いに警戒をしている。ということは分かったのだが、それをどう弁明すればいいのだろう、とは考える。お互い同じようにこの火事の問題を考えてくれている(?)というのはとても、いやかなり有難いことではある。だがどうすれば。
考えても埓があかない気がして、一先ずは一歩前に出た。
「ちょっと二人とも良いですか!あの、変な事になってますけど、こちらのクロロさんも、あとあっちのイルミさんも放火魔ということは無いんです」
「それの証明は?」と聞くのはクロロ。
「……イルミさんはわたしと同じようにハンター試験を受けてました」
「じゃあそっちの彼のアリバイはないよね」
「お前が他に指示を出していれば別だ」
ああ、またこんがらがった。しかしながら、実際誰がどうというものが分からない以上、信用するということしか出来ないのだから、それを彼らに押し付けられるものではない。
無い頭をどうにかひねりだして、どうにか落ち着かないかとはまた口を開く。もうこんなの放って置いて風呂にでも浸かりたい。
「……そ、それに……二人共この火事のことを気にしてました!犯人だったら……」
「現場に戻ってくるというよな」
「それに自分の容疑を誤魔化すために自ら率先してっていう考えもあるよね」
ああ言えばこういう発言をゆっくりと飲み込み、未だ何か言い合ってる二人を前にしたまま、はため息をつく。
「………それって自己紹介ですか?」
それは男二人をしばしの間静かにさせる鶴の一声に違いなかった。
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