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 暖かいココアにはマシュマロが合うと思う。そんなことを思うであったが、もちろんこれは現実逃避以外の他ならない。ああ、でも焼きあがったトーストも食べたい。いやいや、むしろそのトーストにマシュマロと、あとはチョコレートなんかも散らしてみたい。甘くてきっと美味しいだろう。そうだ、今はそんなことをしてる気持ちになりたい。まさかまだあの寒空の下、動こうにも動けない雰囲気になってるだなんて誰が想像出来るのか。

「お前は、」
「俺は君のこと知ってるよ。君はどうか知らないけど」

 湯気を吹き消すように、の頭の中にあったココアは一瞬でどこかへ行った。彼らは初対面同士だ。まずは互いの名前を言い合って握手、とはまではしないにせよ、もう少し互いに歩み寄ろうとする気兼ねを感じたい。それはもうひしひしと。だがクロロはともかく片方のイルミなんて無駄な協調性もなければ思いやりもなく――それは蔑んでいる訳でもないが――彼は仕事人だ。法がある以上、それに沿った善悪を決めることは可能だろうが、実際『その仕事』で生計が取れ、且つ需要があるのならば、下手な公務員よりもずっとずっと必要とされている人間だ。つまりはまあ、彼のコミュニケーションを取るには些か難しい性格も肯定せざるを得ない訳で。

「………イルミさん、クロロさんのこと知ってるんですか?」

 吹っ飛んでいった思考をゆるゆると頭に戻しながら、真っ先に浮かんだ疑問を吐いた。クロロの背中に、匿われるようにいるためにこちらの彼の表情は全く読めないが、真正面に向かい合った彼・イルミの顔は――まあ、読めなかった。

「うん」
「…………」何を疑問に思っているか言わないとこの人は答えてくれないんだ、と独りごちる。
「どうでもいいだろう。こうして生きてるんだから、俺の顔や名前を知ってたって何ら不思議じゃない」

 まさかどこかのスクールの旧友ということもないだろう。クロロの出生秘話なんて知らないが、とにかく完全に閉鎖された家で暮らすイルミがどのタイミングでクロロを知るというのか。まだ聞きたいことはあったであったがそれ以上は有無を言わせないようなクロロの発言にまた静かにするしかなかった。

「そうだね。知ってようが知らまいが、君がを殺す気じゃないなら関係はないね」
「だから俺ではないし、こういうのが『専門外』の俺よりもスペシャリストのお前の方が得意だろう?」

 確かに。と、もそっと頷いた。不思議と身のこなしは軽いクロロではあるが、それもイルミ=ゾルディックの前からすれば赤子も同然、という表現が浮かぶ。もちろん、彼はここに来るまでずっと一緒にはいてくれたので、そこを疑うなんてと思う心もあるが、現実は非情なものである。実際に放火された現場を見たわけではないが、現状まだ犯人の見通しが立っておらず、目撃者もいないという。燃やすのはどこでもいいという愉快犯のように単純に狙われたわけではなく、計画的な犯行であることが間違いないようだ。ただしかし、――あれ?

「クロロさん、イルミさんのこと知ってるんですか?」
「……………」
「へえ、分かってたんだ」

 イルミは驚いた様子もない。クロロはというと、次に何を言うか悩んでいるのか、少し乱暴に髪を掻いた。そしてまた沈黙。どうやら司会進行役はしかいないようで、何をするにも睨み合ったまま進まない様子に、そろそろ彼女も焦りや動揺以外の感情が芽生えてくる。

「………あのずっと気になってたんですけど」二人がこちらを向いた。「なんでわたしが二人のどちらかに殺されること前提なんですか?」

 最もな疑問である。彼ら二人の間柄は想像するしか他ないため、実のところどういう感情で動いているかわからないが、二人を知る(この場に置いて)ただ一人の人間として、その可能性は極めて低いと考えていた。

 クロロに関してはもうこれまでの信頼としか言う他ないが、それはともかくとして、わざわざこのタイミングで家を焼くのはあまりに不自然だ。時たま遊びに来ていた彼なら分かるだろうが、もっと良い時はあっただろう。
 イルミについてはもうこの一言に尽きるが、殺すならもう殺されている。知り合いだとしても少し近づいて油断をしたところで、なんて考えなんてないはずだ。時間の無駄だろうし、さらにわざわざ車を出す理由も分からない。何か情報を探っていた、とかそういうことも考えられるかもしれないけれど、それこそ情報屋の仕事であって、殺し屋の仕事ではない。

 名前は知っていても、互いに今が初対面のように見える二人だからこそ、様子を伺っているのかもしれないが、前提があまりに破綻しすぎているのだ。

「これは大きな可能性の一つだよ」と、イルミは車内で聞いたような言葉を吐いた。「の周りの人間って実際、『こういうこと』に関しては疎い人多いんだよね。だからこそ怪しいものは潰しておかないと」
「調査したつもりはないさ。ただ、久しぶりに帰ってきた知人が訳もわからない男を自覚なしで引き連れてきたら心配するものだろ」
「そう?俺はそうは思わないけど」
「お前には言ってないからどうだっていい」

 やっぱり馬が合うことはない。もう後の話し合いはこの二人でやってくれないかなと、は芯から冷えた手先をさすった。

「二人共なんだか考えを巡らせて頂いてるみたいですけど、それでも明確にこの人だっていうのがないってことは………凄くやばい現状なんですね」
「言っちゃえばそれだよね。とりあえず目につくものは全部消しておけばいいかなとも思う」
「わたしも残らない気がするので止めて下さい」

 自惚れるわけではないが、名前を出して商品を売っている以上、どうあがいても名前は出回る。無名ではない。関わったことがなかったとしても、何かしら障害になっていた可能性だってある。今乗りかかっている船というのはきっともしかしたら漠然とした中で、砂漠の中で砂金でも探すようなものなのだろうか。

 そう思っていた矢先に、クロロが口を挟んだ。「………俺としてはこの違和感が気持ち悪い」

「そこのそいつとどうだったかは知らないが、俺なりにの近くにいたはずだ。それなのに今回のことは思いもよらないところから来た。ならば、俺がいなかった時のことを全て疑うしかない」
「はは、凄いね。ストーカーみたいだ」
「そもそもこの放火は『が家にいないことを知らなかった』とでもいうように、装いすぎている」
「………装いなんですか?」
「ここまで足が出てないのにそんなポカなんてありえないだろ。そもそも、この場だけ綺麗に全焼出来るということは外から燃やしたんじゃない。一度建物の中に入ってる」

 一瞬通過したようなイルミの発言は流されたのはさておき、もクロロに指摘された部分を考え始めた。確かにひどい火災だったようだが、燃えた部分はの家のみで、たしかに周りの家と距離は多少なりとも空いてはいるが、ここだけが綺麗に丸焦げだ。警察の調べを聞いたところ、風下だかなんだか言われていたので適当に頷いて納得した顔をしてみせたが、現場を調べている彼らがそんなこと分からないはずもない。もしかしたら不安定な情報すぎて隠されていたのか。

「そもそもの目的が『家を焼くこと』のみなら、別に人殺しする必要もないけどね」
「そんな……でもそれこそ実際無意味ではありますよ。誰が作った家を燃やしてるんだって話ですし」
「まあ客が離れた程度かな」
「うう………」

 淡々と言われたが、それが一番にとってダメージがあるとはイルミには分からないだろう。心まで冷えたのか凍えて仕方がない。

「そうなると」ふいにクロロは呟いた。「のことが分かりすぎている」



 ようやくあの場から解放されて気がついたらもう寝る時間になっていた。何も食べる気になかったものの、風呂上がりに宿屋の店主から心配そうに、控えめに粉末のスープを手渡されていたので、無下にも出来ず、は部屋でそれをお湯に溶かした。結局のところ、さっきの話し合いでも何も解決しなかったことからすると、こういうものは全て疑うしかないのだろうが、あの人は小さなころからの知り合いだ。この町で暮らしてからずっと知り合っていた人に殺されてしまうのなら、仕方ないことかもしれないと思った。受け入れられていなかったのだと。

 イルミはどこかに消え、クロロは一度帰ると行ってどこかにいなくなった。はそこまで気配を察することなど出来ないが、きっと二人共もうどこにもいないだろう、と思うと先程までの騒々しさが少しだけ欲しくなったが、一口飲んだスープの暖かさにそれらは全てどこかへ消えた。

 ここに来てから随分経った。昔のことは霧がかった風景のように思えて、今ではほとんど覚えてない。ただふいに、どうしても根付いている部分があるから、それが厄介にも絡みついているだけだ。それでも良いのだと彼は言ってくれてはいるが、今の自分を見ても果たして同じように微笑んでくれるのだろうか。

(きっとそれでも笑ってくれるだろうな)

 怒られたことはない。そもそも、怒るということが苦手な人だったと思う。だからこそ何でもかんでもやんわりと道筋を示してくれた。脇道も見せてくれた。こっちでもいいんだと。

(最近ずっと、同じことばかり考えてる)

 一人思い悩んでいたって、答えの出ない道を廻ってるようで、無意味だ。いっそのこと、ただただ走り続けているこの道が急に崩れてしまったり、肩を叩いて引き止めて欲しい。もうこの道は仕方ないんだって。諦めるしかないんだって。だけど、今確かに道は崩れたし、もういいんだって昔から聞いていた。それでも何とかまた足を踏み出したいと願うのは他ならない自分の意思であり、そこで悩むようなら立ち止まってしまえばいいのに、どうにも機械のように0か1では分類出来ないし、簡単に結論付かないのだ。

 歯も磨き終わり、ベッドに横になると私用のケータイの通知が光った。開いてみると、レオリオからメールが届いていたようで、今彼らが何をしていたかの写真もついていた。ゴンとクラピカが筋トレしているような構図に、は疑問視を浮かべるが、そういえばキルアの家のあの門を何とか開けようと必死になってるのか、とハッとする。誰かが開けてくれた後ろからしか入ったことはないが、実際に自分で押そうと思った時にはピクリともしなかった。彼らは前に前に進んでいく。それが凄いことでもないかのように、当たり前に進んでいくからすっかり忘れてしまっていた。
 みんなが元気でやれているという、ただ暖かい写真だというのに、は毛布を頭まで被ってしまいたくなるような気持ちになった。きっと、これは寂しさだ。こちらからも何か送ろうかと思ったが、対して送れるものもなく、当たり障りのない文章を送信した。

 暖かい時を知っているからこそ、もしかしたら昔はそうでもなかったことがこんなにも寂しく感じてしまう。厄介な話だ。簡単に幸せになってはいけないのだ。
 
 寝返りを打ち、は目を閉じた。今日はとても疲れたのでよく眠れそう。ふかふかの夢心地で、は瞼の裏に『父親』の姿を浮かべた。こんなにおぼろげで、前も後ろも何もわからないのに、記憶の中であなたは全く色褪せないんだ。

「凄いね、さすがは僕の一番星!」

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