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 ふーん、分かった。

 それがイルミからの返信であった。初めに送った側であるからのメールはそれの倍の倍、さらにその倍以上の文章力だったのだが、「ふーん、分かった。」で全て集結したのだ。

 「ふーん、分かった。」ならもう何も言うことはないはずなのだが、それは何を言う権利もなくなってしまったかのようだ。先の内容に全部レスして欲しかったわけではないが、次にこう来たらこう、と考えていたところもあるので、全て切り捨てられたかに思えた。
 もちろん、既にくじら島に向かう列車に乗っているため、駄目と言われても仕方ないのだが。

(いいなら、いいけども……)

 くじら島に向かう中で、次第に人が少なくなっていく様子が見て取れた。典型的な過疎化に悩まされる土地なのだろう。

 列車から船に乗り換え、ついに、以外の乗客がいなくなった船内から窓を見る。のどかで静か。自然が多く、綺麗だった。
 この一帯はほとんど手付かずなのだろう。しかしこのままこの島が残ってほしいと気軽に言えない。周りと同様に発展できず、遅れてしまえば、どんどんと取り残される。都会の良いところだけを、なんて言っていたらいつの間にか現代化して、残ってほしいところは知らず知らずのうちに影も形もなくなる。残るか、変わるか、どちらかしかないのだ。

 がくじら島の船着き場に降りると、近くにいた女性が駆け寄った。ロングのスカートを履いた女性だ。よりは一周り違うくらいか。

「あなたがさん? こんなところまでごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ急にお伺い立ててしまい申し訳ありません。です」
「あ、私は案内を頼まれただけで担当者じゃないんだけどね。ミトよ。よろしくね」

 握手、をしたところでその手にポツリと雨が落ちた。次第にポツリポツリと早まる足音に、ミトは顔を曇らせた。

「まあ、雨! 洗濯物干してたのに!」
「今日の予報では雨はなかったと思いますけど、にわか雨ですかね? 戻られますか?」
「うーん、もしよければさんも雨宿りがてらうちに来ます? 打ち合わせの時間までまだあるし」

 彼女の言うとおり、打ち合わせは午後一で、今はまだ太陽は登りきってはない。列車の中で昼食まで済ませておいたので、空腹ではないのだが、確かに空き時間は多い。

「……わたしはまずは船を……」

 しかし、視界の端に見える壊れた船が気になって仕方なかった。はそう言っては見たのだが、言い切る前にバケツをひっくり返したような大雨となった。

 ザアアザアアと話し声さえ聞こえなくなる豪雨となり、呆然としているとミトは声を上げた。

「こんな天気じゃそんなこと言ってられないわ! 若い女の子が濡ちゃ大変!」

 背中を押されるようにバタバタとついた先は森に囲まれた家だった。窓の様子から三階建てか、もしくは吹き抜けになっているのかもしれない。

 まだまだ振り続ける雨のせいで、髪からつま先までびっしょりだったため、人の家に上がるのは幾分抵抗があったが、ミトはを風呂場まで引っ張っていった。

「お風呂沸かしただけでまた誰も入ってなかったからぜひ入ってね! あ、下着の変えはある? 部屋着は私のを貸すね」
「ええと、はい、ありがとうございます」

 このようにやや強引な女性はハンター試験で出会ったビスケ依頼だ。彼女もそうだが、親切心からここまでしてもらっているため無下にもできない。

 今日はあくまで下見で、船の状態を見るだけだったのだが、もしものトラベルグッズなどは持ち歩いていた。しかし、宿泊先などは調べていなかったために、気分は落ち込む。
 ただ普通に雨が降っているだけならいいが、この島を出るためには船しかない。これほどの雨ならば当然海はしけており、船どころか近付くこともできないだろう。

 髪を乾かし、風呂を出ると洗濯物を片付けているミトがいた。

「もう見てよこれ! 全部やり直しだわ」
「お、お疲れ様です……。上がりましたのでミトさんもお風呂をどうぞ」
「ありがとう、これ終わったら私も行くわ。 あ、それでね、さっき船の人と連絡したけど、これじゃあ今日は見られないし、明日になるんだけど……大丈夫かしら?」
「構いません。それでこの辺りで宿泊できそうなところってありますか?」
「まあ!」

 ミトさんは口元を抑えた。

「言ってなかったわね! もしさんが問題なければうちに泊まらない? もちろん他にも宿はあるんだけど、お風呂にも入ったのにまた濡れちゃうし」
「ええっ!? いいんですか?」
「もちろんよ。うち、あとはお祖母ちゃんと暮らしてるんだけど2人だと寂しくてお客さんは歓迎なの」



 は戸籍上18歳である。といっても、ハンター試験でクラピカに話した通り、拾われた歳をゼロ歳としているため、実際は20歳なんてとうに超えているだろう。サバを読んでいると言えばその通りだが、様々な処理をする上で、戸籍上の年齢は重要になる。

さん、意外といけるクチなのね!」

 と、ミトからどんどんと注がれるのはくじら島名産の地酒だ。の住むところでは18歳からを成人として扱うため、問題なく酒を飲むことはできるのだが、何せ初めてのことだったので、注がれたものを呑んではそっと苦い顔をした。まずい、と思ってはないが、後味に違和感を覚えた。

 次第に頭がぼんやりとして、まるで夢見心地のように、自分の声がどこか遠い。この気分が酔いなのだと、冷静に思えた。

「……色んなお酒ありますね」
「こっちも気になるのかしら?! でもあまり色んなお酒飲むと悪酔いするから気をつけてね」

 そう言って、違うグラスに別の酒を注ぐ。

「果実酒なの。これは柑橘系のやつ。甘くて美味しいけど、結構アルコール度数高いから気をつけてね」
「わぁ、本当に美味しいです」
「ふふ、ずっと苦いお酒ばかりでごめんなさいね。呑んでくれる相手が嬉しくて」

 外を見ると、まだ雨は続いていた。調べてみたところによると、明け方まで続くという。早めにここに避難したのは正解だったようだ。

 ミトとはたくさんの話をした。ここで取れる魚の話から、最近買った通販でのハズレ話など、他愛のないことまで。主にが聞き手に回っていたのだが、どうにもミトは誰かに話したくて仕方ないようだった。

さんも大変よね」グラスの縁を指でなぞった。「作業場が火災なんてね。あそこの他におうちはあるの?」

「いえ、あれは作業場兼家なんです。なので今ホームレスなんですかね?」
「ええー! 大変、本当に大変だわ。……もしよければくじら島ならいっぱい土地もあるし、ここで仕事してもいいのよ」
「あはは、ありがたいお話です」

 そう受け流すと、ミトは「大人な答え方!」と笑う。
 しかしその目はどこか寂しそうで、半分は本気だったのかもしれないと、言葉に詰まったはグラスをまた空けた。

 しばしの沈黙。ふいにが口を開いた。

「……ミトさんはもし、家が燃えたらどうしますか?」
「そうねえ……。建て直すまで何をしようかなあ」
「えっ」
「うん?」

 当然のように返された言葉には目を丸めた。「あ、いや、えっと、続けて下さい」

「おばあちゃんはあんまり歩きたがらないだろうけど、旅行に行くのもいいかも! 船に乗って、列車に乗って。家が経つくらいに帰ってくるの」
「旅行……」
「そう! さすがに1日2日じゃあ家は建たないだろうから長旅になりそうだけどね」

 1ヶ月くらいなのかなあ、とミトはごちる。そして、グラスに酒を継いでくれた。

 彼女の中では既に建て直しが始まっているのだ。そして、また家に戻ってくるために旅に出る。それはまるで今のようだとはぼんやりと思った。
 帰ったって家は復旧していないけれど、気晴らしのような旅。家のことを忘れる旅。

「その時は雨が降らないことを祈りたいわ。せっかくだしね」
「今日は急でしたしね」
「本当に!」

「前ならなあ」ミトはから目線をずらし、ポツリと言う。「今日の天気もね、あの子がいれば分かったのになあ」

 酔いも混ざるミトの言葉にはハッとした。天気が読めそうな「子」。それに聞いたところによるとこの島に子供は2人しかいないという。ならば。

「もしかしてそれって……」

 聞こうとしたのだが、ミトの瞼がとろんと、瞬きの間隔が遅くなっていくのが見えた。1人で晩酌はしても、誰かと呑むのは久しぶりなのだろうか。この島には子供もいなければ、ミトくらいの年齢の女性も少なく、多いのは老人だ。
 ハイペースに呑んでいたのでいつか止まるのかとヒヤヒヤしていたが、急ブレーキをかけたかのように、彼女の動きは静かになった。

 祖母がいるから。地元だから。他にもきっとあげようと思えばあるだろうが、彼女がここにいる理由はなんだろう、とは思った。

「……ミトさん、もう寝ますか」
「ううん……、そうね。お布団は敷いてある、から……」

 のいた街も、と同年齢が多いわけではないが、もしくじら島ほどだったら。そうだとしても、もしまた建てるとしたら、あの町しかない。すぐに結論づいた。そう思うのは自分のため。

 来もしない帰りを待つように、あの町に留まるのだ。分かりやすいところにいたいと。次もまた、どうか、と。

(ああ、そっか……)

 過去に囚われてはいけない。そう思っていた。だけど、何年経ってしまっていても変わらないものがあったっていいんだ。それはきっと、過去にしがみついているからじゃない。変わらずにずっと、大切にしたいだけなんだ。

 自分が自分のために生きるために、大事なことなのに、どうしてそれを迷ってしまったのか。ただ、ただ、自分の意思で、あなたを継ぎたいと思っていたのに!
 
(それがわたしの理由だ)

 肩の荷がおりた気持ちになれた。ミトの言葉で発想で、見えたものがあった、と思いたいが、もしかしたらこの酔いのおかげかもしれない。そう考えると寂しい気もしたし、このままアルコールにハマってしまってはまずいだろうとは1人布団の中で笑いそうになった。
 笑えるんだ。そんな些細な笑い話にできたんだ。

 そういえば、寝る前に携帯電話の充電をしないと、と暗くなった部屋で、手探りで電源と携帯電話をゴソゴソしていたところ、クラピカからメールが届いていることに気付く。中を開くと、かなり遠回しに「今何をしている?」という話であった。そういえば、つい先日にきたレオリオのメールを無視していることを思い出し、レオリオへの謝罪と現状を送った。

 ――すると、着信。

「………もしもし?」
、いま大丈夫か?』
「うん、人の家だけど、このくらいの音なら……」
『人の家?』

 電話の主はクラピカだった。現在地を言っただけだというのに、かなり訝しげな声を上げたので、説明不足かと思いは続けた。「お客さん先にいるの」

『あ、ああ……そうか。じゃあ静かにしないとな。――念の為だが、女性の家で間違いはないな?』
「うん? 今は女性とだよ」
『《今は》………いや、いちいち気にしないでおこう』

 何も音は聞こえなかったが、クラピカがため息をついている気がした。

「クラピカ、どうしたの? 急用?」
『……の文面が気になって電話しただけだ。何かあったのかと思ったが、声を聞いて分かったよ』
「? ふふふ、変なの」
『…………、君は酒を飲んだな?』

 一言もそんなことを送ったつもりはないのに当てられたため、は軽く声を上げた。アルコールの匂いというのは近寄れば分かるが、クラピカは遠く離れた土地にいるし、そもそも先程までご飯を食べていたという、飲み会を連想させそうなワードも発していないはずだ。
 電話口でぽかんとしているが想像できたのか、クラピカは呆れ声で言った。

『どうして、という反応をしている方が「どうして」だ。第一にの口調がおかしい。次に反応がいつもより格段に遅い』
「そうなのかなあ」
『ああ。録音でもしようか? 明日自分でも驚くと思うぞ』
「……それはヤだ」

 酔っ払いは自分のことを酔ってないという。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

「お酒、初めて呑んだからよく分からなくて」
『どれほど呑んだか分からないが、呑まされそうになったら断るんだ』
「クラピカってお酒強そうな気がする」
『どうだろうね、私は呑まないから分からないよ』
「酔ってるときのことって、明日はもう忘れちゃうのかな?」
『千差万別。そんなのは十人十色だよ』

 あちらこちらへと行く会話にもクラピカは丁寧に答えた。

 ああ、せっかく、前進したような気がするのに。いや、でもアルコールのせいで余計なことを考えていないから楽観的になっているだけかもしれないんだ。端的な結果に満足してたかもしれない。けれど、こんなにも安心できたこと、それは否定なんてできないはずだろう。

「……ねえクラピカ。覚えていてほしいんだけど、」

 そうして息を吸い込むと一気に眠気が来た。何も不安のない眠気。耳元で聞こえる相槌にも心底安心できた。

「次も、また見つけてね、って」
『………?』

 もぞもぞと動く音を最後に、シンとなった。そのまま寝てしまったのだとクラピカは理解した。あまりに不明瞭な言葉だったので、これこそ明日には忘れているのかもしれない。そう考えると、ちゃんと願いはきいておかねばと思えた。

 とうとう規則正しい呼吸音が聞こえてきた頃、クラピカは「おやすみ」と小さく呟き、電話を切った。

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