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「若さってやつね……」

 水を持ってくるを見ながら、ミトは言った。

 大雨の翌日は雲ひとつない晴天であった。あの雨が空を洗ったかのようにキレイな空。昨日と打って変わって、こんなにも洗濯日和だというのにミトは昨日どうにも飲みすぎたようで青空の下、二日酔いに悩まされていたのだ。

 今日こそはと打ち合わせの時間が決まったところで、一晩の礼もあるは洗濯物を手伝っていた。

「ミトさんは休んでて大丈夫ですよ。洗濯物くらい、わたし1人でも出来るので」
「嬉しいけど申し訳ないわよ! ――っいたた……」
「……二日酔いって何が聞くんですか?」
「薬も飲んだらあとは水を飲むしかない……。水分不足なのよ」

 アルコールは利尿作用が高い。そのため、摂取した量以上に水分を排出してしまうのだ。

「ミトさん、次はもっとゆっくり呑みましょうね」
「あら、次も呑んでくれるの?」



 よく晴れた空の元、船の点検を行う。原因はすぐに判明した。エンジン部分の部品に欠損があったのだ。

 原動力部分だったため、もう駄目かとヒヤリとしたが、欠損は極めて小さなもの。異音がしたことですぐに操縦をやめてもらえたのだろう。この程度なら修理でいけるかもしれない。持ち込んでいた工具で対応可能だったため、手早く修理を始めることにする。

 製造して10年にはなるが、丁寧に使ってもらえてたようで艦内はかなり清潔だった。この辺りは女性がメインで漁を行うことも関係しているかもしれない。

 大事に使ってもらえていると知れて、の手は不思議と早く動いた。今まで見たことのない基盤ではあったが、設計図は家で何度も確認をしていた。

 今、もし何もない状態でこの設計図を描けと言われたらできないだろう。だけど、辿ることならできる。背中を追うことは何度だってしてきた。

「修理自体はほぼほぼ完了です。何度か試運転がしたいのですが、操縦を担当してる方はいますか?」
「います、います! すぐに呼びますね」

 休憩中、ネットニュースを見たが、さすがにメディアもに飽きたようで新しい記事は全くなかった。炎上商法をしたいわけではないので、それには一安心した。

「お疲れ様」と、防波堤に座るに、ミトがペットボトルを差し出した。受け取ると暖かく、一口飲むだけで冷えた体が一気に熱を帯びた気がした。

さんって何歳から働いているの?」
「……10年は前ですかね。丁度、この船を作り終えたくらいからはこうして1人でも働いてます」
「すごい! 手際が良いと思ったらもうベテランさんなのね」

 手放しで、純粋に褒めてくれると理解してもは苦笑零すしかなかった。父親のようになりたければ一流ではなければいけない。しかし実際、自分は二流だ。イチから生み出す力がどうにも足りない。

 現場に行くたびにそれがどうにももどかしかった。成りたい姿ばかり描いて、何者にもなれない自分が。

 だけど、それがどうしたというんだ。

「ありがとうございます。でも、まだまだなんです」

 ははにかんだ。

「修理するって旅のように思えるんです。知ってるもの、知らないもの、頭で体でつなぎ合わせることがとても楽しいんです」
「素敵な響きね」
「だから……こうして旅をしていきたいんです」

 同じでなければならないと考えていた。彼のコピーのようになりたいと願っていた。それは決して夢ではなく、使命で、運命で。そのしがらみを離してはならないと思っていたのだ。

 言葉にして、ようやく、自分の居場所を見つけた気がした。

―――「僕は君に生きて欲しい」―――

 あなたをなぞる修理屋になるんだ。



 動作確認も難なく終え、仕事が終わったは家(跡地)からまだ幾分離れた駅で足止めを食らっていた。今回は天候のせいなどではなく、単純にもう終電を過ぎていたのだ。

 まだ夕方だったのに、とは思いつつも、そもそもここに向かうまでの道で何度も運転見合わせを食らっていたのだからこの結末の予想は難なかった。

 移動中に近隣ホテルの予約を取り、荷物を置いたはひとまずそのホテルで夕食を取ることにした。のだが……

「何このソース。変な味する」
「……ウニのソースらしいですね。あとキャビアが混ざってる、とか……」
「高いのを混ぜればいいって話じゃないね」
「でっ出来ればそういう話は店の外でしませんか!?」

 部屋を出て、レストランがある階に降りた瞬間、目の前にイルミがいたのだ。さすがにそこまでの予想はしていなかったため、エレベーター内で膝から崩れ落ちかけた。いや、それはもちろんオーバーな表現である。が、少しふらついたのは事実だ。

 カチャカチャと、食器の音がなる。と同じコースにしたイルミは食べるたびに文句を言った。静かな店だったために、イルミの声はよく通るのだが、今は個室だから他の客に聞こえてはいないだろう。しかし、閉じた扉の先に店員がいる可能性だってある。

「イルミさん、普通の料理も食べるんですね」

 ぽつりとは零した。

「どういう意味?」
「っいや、すみません。えっと、そういう意味では……」
「だから『そういう意味』って何?」

 どうもこうも当然良くない意味なのだが、それを言えるわけもなく。

 口ごもったは強引に話を変えた。「そういえば、奇遇ですね。こんなところで会うなんて」

「……キャリーケース」
「!? え、いや、探知機の類ではないですよね?」

 そういう代物といえば、ハンター試験時にも同じことがあった。しかしあれはクロロ相手だから油断したことであり、それに外部で新しく何かを足されたのならその重さにいち早く気付けるはずだ。機械に関していうならイルミよりよく知っていると自負している。

 キャリーケース。持ち手、手触りも変わっていなかったはず。本体、開閉していて一番見るところだ、違和感があれば分かる。車輪、タイヤごとすり替えられているなら分かるはずだし、重心のズレもなかったから取り付けられたはずもない。

 あれか、まさか、と考えているとイルミはあっけらかんに言った。「そんなの付けてない。君のキャリーケースを『見つけさせた』だけ」

「………誰に、ですか?」
「その問に答えるつもりはないし、その人達はの人生において全く関係のないモノだから気にしなくていいよ」
「モノ………」

 普通、人探しを依頼するなら持ち物も当然だが、第一に背格好や外見的特徴をあげるだろう。イルミの口ぶりからしても、と会ったことない人たちであることは間違いないだろう。明らかに違和感があるが、それでも見つけられているのは事実。
 何気なく食事をともにしているこの人は殺し屋なんだと、は今さら再確認した。

「………ちなみに何か進展があったんですか?」
「これからだよ」

 まさか無いと思ってなかったために、は絶句した。まさか自分と食事がしたくてここまで来るはずないだろうに、では一体なぜ。
 悶々と考えてはみるが、答えは出ずに、ただ目の前の料理を咀嚼するしかなかった。イルミは文句ばかり言うが、はここの料理は好みな方であったので、比較的食事は楽しく行っていたが、どんどんと味を失っていくよう。

「ここのホテル取ったの?」
「え、あ、はい。まあ、さっきチェックインしたところです」
「ふーん。ここ、高そうだね」
「あー……そうですね。出費としては大きいです、ね……」

 駅近くの有名なホテルだ。この辺りの観光スポットとしてよく名前にあがるほどの人気の宿泊地だった。先程ちらりと見た部屋も1人で泊まるにはかなり豪華な作りをしており、当然その分しっかりと料金も取られていた。アメニティも充実していて、そこまで美容品に金をかけないでもワクワクするほどだった。

「キャンセル料くらいは出るといいね」
「………えっ?」

 相変わらず言葉のドッジボールである。チェックインした後にキャンセル料なんてもらえるはずないだろうし、そもそもここをキャンセルする予定は今のところない。ここ以外のホテルは満室で、唯一空いていた宿泊地だというのに。

「荷物は全部部屋?」
「必要最低限は持ってます、けど」
「部屋にあるもので死んでも必要なものは?」
「……ありません」

 きっと他に意味があるはずだ。そうは思っていても、意味深な言葉の数々に思考が停止しそうになる。これではおかしい。ここのホテルに泊まろうがなんだろうが、イルミには無関係の話だろう。
 これじゃああたかも――

「他にホテル取ったから、そっちに行くよ」

 ありもしない話ではあるが、トレンディードラマのような言葉には思わず飲み物を吹きかけた。寸でのところでキチンと飲み込んだが、そのせいで咳き込む。は一生懸命胸を叩いて冷静になろうと必死になった。こんなのかなり心臓に悪い。

 ちらりとイルミの顔を伺うが、そんな彼女の様子は全く気に留めていない様子で、驚いているがおかしいと顔で語っていた。

「いやいいですよ! そこまで迷惑になりません!」
「いいの?」
「は―――」

 頷こうとした刹那、悲鳴が聞こえた。切羽詰まった女性の声。男性の怒鳴り声。子供の泣き声。全部ごちゃまぜにシェイクされているような音が次から次へと届いた。ドタドタと走る音も聞こえる。

「不慮の事故か、度重なる運転見合わせで家にも帰れず」

 そんな音さえただのBGMだと思っているのか、彼は食事を続けた。

「急遽見つけたホテルで一泊。よくもまあ、は筋書き通りに行動するよね」

 小さな叫び声の中に「火災だ!」という声がの耳に届いた。

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