散らない花は美しいか

02

 少年はこちらを指していた。それに、柄もなくはポカンとした顔をする。指されている——とは言え、正確にその先はセネルだ。指先を追っていたの目と、セネルの目がパッと合わさるがセネルはすぐに目線を逸らした。

 一体、今この状況は何なのだ。ついさっき、船乗り達に「怪我の無い様に」とアレだけ言われたと言うのに、不慮の事故でもなんでもなく、自ら怪我を負うこととなっている。悪いのは自分ではない、と考えるのは簡単だがハタから見れば達が周りに喧嘩を売っているように見えても仕方がない。

 ゾロゾロと散らばっていた屈強そうな町人が、それを聞きつけセネルとの前に歩み出た。イライラ状態のセネルは、あの少年を睨み続けていたが、次第に少年の姿が見えなくなるほどに辺りを囲まれてしまった。少年はきっとセネルだけを指していただろうが、次第にまでも標的を見る目を向けられる。

「面白そうじゃねえか」
「そのゲーム、乗ったぜ」

 ニヤニヤと品定めの目に、は遠慮無く顔を顰めた。苛立ちと、少しの嫌悪感を込めて、ぐ、と首にあるルチルクォーツの数珠を左手で握り締めて、力を込めた。すると手袋に覆われた手からぼんやり明かりが放つ、と、セネルも爪を光らせていた。

「邪魔だ、どけ!」
「!こっ、こいつら爪が光ってる!」
「……少々、品がないですわよ」
「そ、爪術士だと!?」

 慌てて少し間をおく町人。それをは睨んでいると、セネルは驚いた顔をする。ここに住んではいなく、恐らく旅人なのだろうとは思っていたが、の様子からして、まさか爪術が使えるようには見えなかったからだ。まだこの世界に置いて、爪術士というのは希少な存在であり、天性的な能力である。
 乗り気だった人らだが、次第に顔を見合わせては青くし、じりじりと遠ざかる。もセネルも細身で、楽勝かと思えたからこそここまで集まったのだ。これでは話と違う。

「さあ、どうしたんです皆さん!5万ガルドですよ、5万ガルド!」

 先ほどと同じ声が人の輪の外から聞こえる。恐らく、あの少年だ。煽る様な彼の一言だったけれど、町人はもう既にやる気を失っているのか、面倒だと言うように頭をかきながら彼に応答する。それに少し、は安心した。

「……なあ、」
「何でしょう?」
「アンタも爪術士だったのか?」
「……ええ。……それにしてもわたくし達は『けんか』をしてるのではなかったのかしら?」
「あ?何言ってるんだ、お前……」

 セネルは思い返すが、そんなつもりはなかった。

「こいつは一体、何の騒ぎだ?」

 突然どこかから聞こえる声に皆、噴水を見上げる。
 も、噴水の飾りの上に立つその人らを見るけれど、その男女の姿にはどこか見覚えがあった。上手く思い出せない。色の濃い肌の色と、男性の方は印象的な髪型。悪い予感、と言って良いのか、それとも良い予感なのか。だが、少しずつ高鳴る胸の音がやかましくて仕方がない。思い出せ、思い出せとは自分を落ち着かせるがこういった土壇場ではどうしようにも冷静になれない。

 その人らが、噴水からこちらに飛び出してくる前に、前者と取ったは人混みを抜け、走った。最後に少し、後ろを振り返ってみたけれど、皆噴水の彼らに夢中で誰も彼女がいなくなった事に気付いていない、ようだ。



 思い出した!彼らは源聖レクサリア皇国の近衛軍総司令だ!

 は少し汗ばんだ体を冷ますべく、木陰に座って身を顰めた。ここは静かで、やはり、この街はあの噴水広場以外に人が集まるスポットはないようだ。たまに聞こえる足音にヒヤヒヤしながらも、は気を落ち着かせていた。変に予感を感じてしまっていたのは、彼らが軍関係者だったからだろう。
 レクサリアの人間ならば、あの国は平穏な国なのだから、こんな所にの様な者が居たとしてもきっと、強制送還される事はないだろうし、ましてや、攻撃を仕掛けられる事なんて無い。だがもしも、例えば敵国の者だったら。

 ふう、と息を吐く。

「喉が渇きましたわ……」
「はい、どうぞ。お嬢様」
「………何のつもりですの?」

 思わず受け取ろうとした飲み物から手を引き、は顔を上げる。反射で上手く見えないけれど、恐らくそこに居る人は、子は、先ほどの少年。彼が動くたびに結ばれた髪は揺れ、リン、リンと小さく鈴がなる。
 受け取らなかったに驚いたのか、それとも単なる嫌味なのか「おや、受け取ってくれると思ったんですけどね」と言う。

「お生憎、わたくしの屋敷に貴方の様な方は雇っておりませんの」
「そうですか、残念です。是非、お姫様にお近づきになりたかったのですけども」

 恐らく、と仮定付けるまでもない。確実に彼はの事を『知っている』。
 身分上、知られるのはしょうがないと言うものだが、もしこんな所で、例えばクルザント王統国にバレてしまえば、たった一人の彼女だけではどうしようもない。

「ああ、ご安心を。僕、言っちゃえば無国籍ですので」

 しかしそれを証明するものはない。身分はいくらでも詐称が出来るが、はそれをすんなりと受け止めた。もし彼の狙いが自身だとしたら、もっと狡猾なやり口があっただろうに、先ほど気にしていたのはもう一人の青年だ。
 きっと大丈夫だろうと、は額の汗をハンカチで拭った。

「それはそうと、水、要らないですか?」
「………下さるの?」
「あれ、貰ってくれるんですね。…まあ、毒なんて入ってませんけど」

 は逆に、素直に彼がくれると思っていなかった。が、そんな驚いたような表情を出すわけでもなく、あえて当然の顔をしてその水を貰い受ける。一口飲むと、程よい味が舌を湿らす。
 ゆっくりと何口か口に含んでいると、ふいに彼は、に質問を投げかけた。

「遺跡船には、どうして?」
「……理由が必要なのかしら?」
「いえ、僕が知りたいのは理由ではなく、情報です」
「減らず口ね。そんなの同じものですのよ」
「貴女にそう言って下さるとは、有難き幸せ」

 嫌味に嫌味を。
 ニッコリとした彼の顔を、先ほどまでは、爽やかだの年相応に可愛い、と思っていたが、これでは小憎たらしい。

「僕、自分の知らないことがあるの、許せないタチなんですよね」
「……そう、なら自身の努力も必要だと思いますわ」

 じ、と見つめてくる彼の視線から目を逸らした。

「ヴァーツラフ・ボラド、も遺跡船にいるとかいないとか」
「っ……貴方、子供らしくした方が宜しいのでは?」
「彼の行方、気にしているんじゃないですか、」

「聖ガドリア王国第一王女嬢?」

 はまた、ため息を吐く。バレている、バレているかも、とあまり触れずにいたが、こうもストレートに言われてしまっては、分かっていた事ながら少し心拍数が上がる。
 やはり博識な少年だ。頭が回る速度も大の大人よりも幾分長けている。そんな人間がどうしてここに。広い遺跡船の中で街はこの灯台の街ウェルテスだけで、他はまだまだ手付かずの場所だ。そんなところに子供一人というのは様々な理由があろうとしても、珍しいだろう。机で学ぶより身体で直に学ぶなら丁度いいだろうが、それには危険も伴う。

 誰かいないか、と周りに耳を澄ますけれど、辺りは木の葉がサラサラと揺れる音しか聞こえない。頭の良い彼の事だったからきっと、そこの所は考えているのだろう。例え、クルザントの人間に直接聞かれなくても、聞いた誰かが噂をするかもしれない。だけど、辺りは平和だった。丁度誰も周りに人はいない。もしかしたら、この彼もそれを知っているからこそ、ここで会話を続けているのかもしれない。
 は観念したように少年を見上げる。

「それを知ってどうするおつもり?」
「とくに何も。僕は知りたいだけですよ。情報が手に入れれば何もしません」
「……」
「ご希望であれば、この情報も漏らしませんし」
「……情報、ね」

 とにかく、知りたいことが知れればそれでいい。という事か。そしてまた、水を飲むと、少年は呆れたような声を出した。

「そんなに、僕から貰ったものを飲んで大丈夫なんですか?」
「あら、何か入っていらっしゃるの?」
「……そういう訳ではないのですが…」

 さっきとは打って変わって戸惑った顔で口ごもる少年を目尻に、また口に含む。そういえば船に乗り始めてから飲食をしていなかった事に気づいた。気づいたからには求めてしまうのだろう。一人というのは何分大変なことだ。

「どうぞと言ったのは貴方」
「……そうですね、信頼して頂き、有難く…」
「もう、その様に言うのは止めて下さらない?」
「ここまでマイペースなもの驚きですね。下手に騒がれるよりマシですけど、悪く言えば呑気ですよ」
「そうかしら。そんな事言われたことありませんわ」
「それは、言えないだけでしょう」と、大げさにため息を付いた。

「もしそうだとしたら……悲しいですわ」

 それは本当に自然から出た言葉だった。何となしに呟いてしまったために、はハッとし口元を抑える。失言と断言出来る訳ではないが、そんな個人的な感情は言わない事のほうが多い。疲れてしまっていたために、すっかり気が緩んでしまったのだろうか。

「……まあ、高い身分ってのはそんなものですよ。身近である必要がありません」
「そうかしら。仲がいいというのは素晴らしいことですわよ」



 ようやく明かりのない、牢屋から出してもらえたセネルは、目の前の老婆に少し申し訳なさそうな顔をして、言いにくそうに呟いた。「その……助かった」彼は先程広場の騒動を鎮圧するために閉じ込められていたのだ。

 その、小さなお礼に、ミュゼットは優雅に微笑んだ。

「どういたしまして」
「それじゃあ、行くぞ」
「……な、なあ、そういえば、なんだが……」

 急かすようなウィルの言葉にセネルは頷かず、立ち止まったまま二人の顔を見比べた。

「誰か、俺の他にあの場に居なかったか?」
「……人なら沢山いたぞ?」
「いや…茶色い髪の女だ」
「………女?お前、妹と二人だったんじゃなかったのか?」

 今までの説明した事全てを不審がるような顔をする。確かに、今までずっと二人だけだった、と説明してきたのならしょうがない事だ。
 セネルは町に入ってきた所から簡単に説明すると、ミュゼットは難しそうに言う。

「滞在してるとは言え…今日着いた方になりますと、分からないですねえ」
「俺もだな。……特徴とかは無いのか?」
「会ったばっかだったからな…」

 いや、それなのに、会ったばかりなのになんで気にしているのだろう?

 そんな事がふいにセネルの頭を過ぎったけれど、ここまで言ってしまったし、二人とももう不審がることなく親身になって聞いてくれているので、止めるわけにもいかない。
 とにかく、特徴を思い出そうと、セネルは考え込んだ。

「首……首に、数珠みたいなのをしてた」
「数珠?それだけでは……」
「待ってウィルさん。……セネルさん、それはどんな色でした?」
「色…は無い。中に金箔が入っているものだった気がする…後、爪術士だった。それから……」

 ポツリポツリと、セネルの言う言葉にミュゼットは顎に手を乗せ、考え込んだ。
 女性で、首に数珠をしていて、爪術士、なんてこの世界を隈なく探せば幾らでもいるだろう。だけど、彼女の頭にはある一人の女性が思い浮かびあがる。そして、セネルの言っていたその女性の口調や、服装。昔から少し無理をする子だとは思っていたけれど、まさか単独でこの遺跡船に来るとは。

 ミュゼットはゆっくりと手を下ろした。

「セネルさん、その方は見つかりましたら此方で保護しますので大丈夫です」
「あ……いや、保護とか、そういうのは…」
「…シャーリィさんを連れて戻ってきて下さいね」

 有無を言わさないミュゼットの笑顔に、セネルは苦い表情を俯き押し黙った。



 実のところ、少年がの名を挙げたのは当てずっぽうだった。ただ第一印象から、どこぞの令嬢のようだと思っていたが、確信はなかった。何分の情報は希少だったのだ。幼い頃のデータというものはあるのだが、ここ近年は表立って出る事がなく、今のこの容姿を、ガドリア国民でさえ知らないだろう。しかし彼女の首と腕にしている数珠に書き込まれたミスティシンボルは聞き覚えがある。ミスティシンボルは基本的にそのままで存在し、このようなアレンジは少なく、元々貴重な装飾品を一般人がそう簡単に手に入るものでもない。
 それでもはぐらかされるか否定されるかのどちらかだと思っていたが、意外にも彼女は「驚いた」という表情をまんまと浮かべてしまったので疑惑が確信に変わっていったのだ。

 暖かな日差しを遮る場所にいる中、急に思いついたように「そういえばあの人は、山賊のアジトに向かったんじゃないんですか?」と、黒髪の少年は呟いた。

「山賊のアジト?」
「貴女は先ほどの人の連れだと思ってたんですけど」
「もしかして、銀髪の方の事かしら?ただの道案内よ」
「確かに、連れにしては他所他所しかったですね」

 本当に、そう思っていたのかどうかはあまり分からない。すっかり空になった水の入れ物を、は当然の様に少年に渡すと渋々受け取った。

「貴女はさっきのガドリアの人とは大違いですね」
「……ガドリア?」
「ああ、さんは関係ありません。接触する前でしたし」

 もったいぶっている様に、わざとらしく肩をあげる。

「さっき、誘拐って聞いて直ぐさま山賊のアジトに行った人がいるんですよ」
「……少しお待ちになって。誘拐って何の話ですの?全く聞いてないわ」
「さあ?僕にもよく分かりませんが…とにかく、穏やかではないですね」

 そんな事を言いながら、少年からは自分で助けに行こうという気は見れない。彼は知りたいという感情しかないのか。そんな少年にはイライラするけれど、だけど彼女も同じく、自分で行こう、と言う結論が出なかった。
 は何かを言おうとしたけれど、すぐに口を閉ざした。

「行かないんですか?」
「………場所が分からないわ」
「そうそう、僕、情報屋を営んでおりまして」
「……貴方は、行かないの?」

 一応、確認するようには聞いてみたけれど、少年は何も言わない。それは言いづらい訳でもなく、ただの無言の肯定だった。

 誰かが危ないのなら助けてあげたい。だけど、そこまでの力が自分にあるのか?そう考えると、どうも骨折り損の気がしてならない。道を教えてもらっても、こんな見知らぬ場所でどっちがどっちなのか分かるのだろうか。一生懸命頑張って、辿り着いたとしても、その時点で疲れててどうしようも無かったら。もう、終わっていたら。は盤上を眺めることはあっても、そこに立ったことはないし、人と対面することもない。が向かい側に座ったところで、最初からチェックメイトの状態でなければ駄目なのだ。

 黙ってしまったを、少年はため息を吐く。

「ウダウダ考えているのは嫌なんです」
「……」

 そして、彼女の前を通って歩き出した。

「ほら、行きますよ山賊のアジト」

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