散らない花は美しいか

04

「あ…足元には注意せえやー…」

 脅し文句で言うはずだったこの台詞は、どこか本当に心配しているような声色になる。モーゼスは少し俯いて下を確認するが、本来落とし穴としての役割を果たしていたこの穴は深い作りだ。だが、落ちた者を生き埋めにするつもりは無く、強いて言うのなら時間稼ぎ用のものだったので、落ちたとしても通路は通っている。
 多少なりとも鍛錬を行っている者であるなら死なないはずだ。

「セネル、無事か!」

 先ほどの彼は『セネル』と言うのだろうか。とにかくそのセネルならばきっと、この下に落ちたって、受身を取れるだろう。この青年のように、大きな武器を持っていない上先ほどの構えは格闘家のようなものだったから。

 そう、セネルだけだったのなら問題はなかった。 

 先ほどの少女(今気付いた事だが、名前をモーゼスは聞いてはいなかった。)第一印象である立ち振る舞いは自分とは真逆のものであると直感していた。ここまでどのようにして来たのかは分からない、が、ただ細いだけの体に、手を払っただけで転びかける運動神経。これでは、外のモンスターにすぐにやられるのはないのだろうか。

 そういえば彼女は『銀髪の人』を探していた。もし、知り合いであるならば銀髪の人、セネルが彼女を助けてくれるかもしれないが、生憎親しいようには見えなかった。
 山賊であるのだから生きるうえで窃盗などよくある話。だが、殺生は好きではない。家族を第一に思うモーゼスだからこその信条だ。あの少女の身なりからして、家は裕福なのであろう。それなら尚更彼女を知っている者がいて、彼女の死を悲しむ者がいるだろう。偏見かもしれないが、『裕福な家庭』を知らないモーゼスはそう思った。

 ふう、と小さく息を吐いて目の前の男を見た。




「…い!おい!アンタ大丈夫か!?」

 夢を見た後のふわふわとした感覚が頭に残る。それでもは肩を揺らされているという、眠るには良いとは言えない現状に目を開いた。周りは薄暗く、どこからの光なのか青白い光が当たり一面に広がっている。だがずっと目を瞑っていたせいか今のにはよく見えた。
 少し体の節々に痛みを感じ、右腕を擦った。

「大丈夫か?」
「………ええ、ありがとう」

 ゴホ、とは咳き込むとセネルは顔を顰めた。埃っぽくて、整備されていないこの空間はにとって初めて訪れるような場所だった。

「だ、大丈夫です、わ…ただ、ここは…ケホッ、空気が悪くて…」
「………とんだ箱入りだな」 
「……」
「…悪い」

 箱入りと言えば箱入りなのだが、セネルの批判的なその言葉に、は不快さを少しだけ顔に表した。セネルは彼女が無言だったかために誤ったのだが、はどうにも上手く声が出ない事に気付いた。何度か咳き込んでみたけれど、終いには喉が痛くなるばかり。少ししては咳き込むのを止めた。

「…とにかく、上の階に戻ろう」
「……ええ、……道は、あるの、かしら」
「恐らくな。上に繋がってなくても、どこかしら出る道はあるだろ」

 元々セネルはこういう性格なのだが、心配してくれたり、ツンとした態度を取るセネルを不思議に思いつつは後をついていく。

 率先して歩いてくれるのは良いのだが、からすれば少し早い。走っているようなスピードに、は必死でブーツを鳴らした。少しくらい気付いてくれてもいいのに、と次第にムッとしつつ考えたが、セネルのスピードはそのままだった。

「っ!!」

 は声も出せずそのまま地面を滑った。その靴が走るのに向いていないせいだと言うのもあるが、彼女の運動力が最低ランクだからと言うもの勿論あった。
 声を出さす転んだと言っても、倒れる音はセネルまで届く。彼は面倒そうに振り返ると、に手を差し出した。

「……そういえば、名前」
「え?あ、ああ……と、申しますわ…貴方は?」
「俺はセネル─…」

 そのセネルの後ろに影が見え、咄嗟に左手を彼の後方に向ける。「ヴォルトアロー!」

「……ああそうだ。アンタ、戦えたのか」

 プスプスとした音をバックに、セネルは脱力したかのように呟いた。




 あのままセネルとはあちらこちら、くまなく歩いた。今のスピードはに合わせてくれている様で、疲れはしない。とは言え、『のペース』と言うのは大変遅いものだったので、セネルは少し先に行って道を見、考えている間を待つと言う行動をしていた。
 まだここにいる間は短いものだが、次第にの声も戻ってきている事に自分で気付いていた。むしろ、正しく唱えなくては爪術は発動しないのだから、ちゃんと回復しているのだろう。だがその事にセネルは気付いていないのか、があまり声を出さなくていいような事しか話しかけてはこなかった。

 しかし、シンとした空間であった為にどこかから聞こえる足音に気が付いた。セネルと、二人一斉に止まり、辺りを見回す。

「……耳はいいんだな」

 とてシカトをするつもりはないのだが、近づいてくる足音に思わず口を閉ざした。
 向こうはこっちに気付いているのか。歩いては止まり、そして走る。いや、もしかしたら先ほどの山賊の追ってかもしれない。

 人影が見えたとき、セネルはゆっくりと近づいた。

「きゃああっ!」

 場にそぐわない高い声に、セネルは思わず後ろを振り返った。だが、後ろにはただ恐らく自分と同じように唖然とした顔のがいるだけで、声の発信源はここではない。
 もう一度振り返ると、どこかで見たことのある顔。

 思わずセネルと『彼女』は声を上げた。

「お前は!」
「無鉄砲女!」
「だっ、誰が無鉄砲女だ!」

 どうやらセネルと彼女は知り合いのようだが、はその彼女の声に聞き覚えがあり、思い出すのに頭を悩ました。どこかで聞いたことのある声だ。動きやすさ重視なのか、体のラインがはっきりと分かるようなぴったりとした服を着ているのだから確実に女性であるし、声の高さからやセネルと同年代に思えた。

「……後ろの女性は?…まさか攫われた人とは…」
「いや、違う。こいつじゃない。……いや、こいつもなのか?」

 と、再び足音が聞こえた。またしてもセネルとは同時に身を潜めたが彼女だけは気付いていないようで、不思議そうな顔をした。そして何か言いたそうに口を開いたところで、は彼女の片手を握った。少しでも動かないようために、と思って行った事だが、どうやらセネルも同じことを考えていたようで、体ごと抑える為に彼女の体を壁に押し付けた。それは手を握っていたにも被害が及び、だがヨタヨタしつつも倒れず壁まで走った。元居た場所から壁までは少し距離があったからだ。

「お前、いい加減に…」
「静かにしろ。誰か来る」
「……く、苦しい。そんなにくっつくな…」

 はふと顔を上げ、彼女の顔を見る。薄暗くてはっきりとは見えない、だが、やっと誰だか分かった。慌てて手を離すと、不思議そうに彼女はこちらを見た、が、すぐ傍で聞こえる足音にようやく気付いたようで、そちらに視線を移した。

「セネル、いるのか?」

 その声を聞いて、セネルは少しだけ彼女から離れた。
 ぼんやりと映るシルエットは、もしかしたら先ほど少しだけ見たかもしれない。

「おや、君は」

 彼は考え込むように顎に手を置いた。「…もうそんなに仲良くなったのか」
 その言葉に、セネルと彼女は一呼吸も置かずつっこむ。彼は冗談だというように軽く笑うと、彼女を見て言った。

「オレ達について来い。一緒に上の階へ戻ろう」
「わかった」
「……ん?ああ、君もいたのか」

 セネルが影になって見えなかったのか、を見つけた時少しだけ驚いたような顔をした。そのせいで、彼女の視線もこちらに向く。

「…いいからまずここから出ないか?」

 セネルが素っ気無く彼に言った。

 そういえば、今自分は声が出ないという事になっていたという事をセネルの背中を見つつ思い出した。もしかしたらあの時何も答えないを、セネルは気遣っていたのかもしれない。実の所、ただ彼女に声を聞かれバレてしまうのを恐れたからであった。
 セネルの不器用な優しさに少しだけ微笑み、外に出た時にどうしようかと、は考え直した。




「さて、クロエ・ヴァレンス嬢」

 明るく広い場所に出た時、彼は彼女・クロエの方を向いた。はやっぱり、と少しずつクロエから顔を逸らした。小柄な少年が先ほど「ガドリアの人」だの言っていたが、まさか彼女だったとは。
 一方、クロエは名前を言い当てられた事に驚いているようで、ポカンとした顔をした。なんでも、クロエは色んな意味でこの遺跡船では有名人だったという。例えばカップルの痴話喧嘩に割り込んで男を半殺しをしたと言う。これはほんの三日前だと言うのにクロエは自覚していなかったようで、恥ずかしそうに顔を逸らした。

「己の信念を貫こうとする気概は、立派だがな」

 顔を逸らしていたクロエが、彼を見る。

「自分のやることがどんな影響を及ぼすか、その点についても考えるべきだ」

 その彼の言葉が、まるで自身に言われているかのように聞こえて、は思わず服の裾を握った。自分が行った事、その後の影響。分かっている。分かっているはずだった。駄目だと分かっていても自分を中心に考えてしまっていたのだろう。
 あの時触ったものの触感。忘れてはいけない。忘れてはいけない。

「……おい、おいどうした?」

 すっかりぼーっとしてしまっていたのか、セネルは不思議そうにの顔を覗き込む。はびっくりして少し後ろに下がると、ようやく一人考え込んでいる事に気付いた。

「あ、あら。ごめんなさいね」
「……声、大丈夫か?」
「大丈夫ですわ。まだ少しだけ、喉が痛いけれど」

 それじゃ駄目だろとセネルは眉をしかめた。

「え………」

 小さな呟きだったが、クロエの声は皆に届いた。ウィルは不思議そうな顔をしてクロエを見るが、その視線の先には。そして、そのは気まずそうに俯いていた。「もしかして……まさか……」

 クロエと最後に会ったのは5年前だった。その頃のクロエはまだ中流貴族の令嬢で、大きなパーティなどでしか顔を合わせる機会がなかったが、愛らしい笑顔で寄り添ってくるクロエをは可愛がっていた。その後からにもクロエにも互いに様々な事があり、会うことはできなくなっていたが、手紙などのやり取りを数年前までしていたのだ。騎士となり、あちこちで働いていると聞いたが、5年ぶりに見るクロエからはかつての少女らしさは薄れ、だが女性らしく凛々しくなっていた。

「久しぶりですわね、クロエ」視線に負けたは観念したかのように、クロエを見上げた。

「……二人は知り合いなのか?」
「へえ、そうだったのか」

 ウィルとセネルが2人を交互に見た。はまだとても複雑そうな顔をしていたが、クロエは驚いているようでしかし申し訳なさそうにの前に立つ。まさかとは思ったが、クロエはそのままに跪いた。そして頭を必死に下げ、口を開く。

「こんなに近くに居られたと言うのに!クロエ・ヴァレンス、一生の恥で御座います!」
「お、落ち着いてクロエ。あのね、今わたくしは…」
「……護衛。そうです、護衛はどうしたのです?!まさか山賊にやられ…!?」
「……クロエ、聞いて下さいまし!」

 顔を真っ青に青ざめ、けれども一向に立ち上がらないクロエに対し、は大声を上げた。その声にすぐにクロエは喋るのを止めた。

「あのねクロエ、わたくしは一人で遺跡船に来ているの」
「………お一人で、ですか?」
「そう、一人で。だから口出しは無用です」
「そんな…危険です!!私が護衛を…」

 どう説明しようかと考えていると、隣で彼が言った。

「君は、貴族なのか…?」
「この方は貴族と言うような──」

 その言葉にすかさずクロエが突っかかったが、それを遮るようには彼の前に立つ。きっと堂々としていれば大丈夫だと自分を落ち着かせ、咄嗟に思いついた言葉を並べて言った。

「ええ、わたくしは……コルネア出身で、クロエには昔、護衛をしてもらった事があるのです。ちょっと親が過保護でして……」
「ほー…、そこは有名な上級学校が数多くあったな。在学中か?」
「いえ、もう卒業しておりますわ」
「君の歳で、か?……いや失礼。さそがし頭が良いのだろうな」

 感心そうに聞く彼の言葉を受け流し、はどうしようかと迷っているクロエを横目で見た。こんな保険もないような嘘、簡単に分かってしまうかもしれない。だが今はとしてではなくただの娘で居たかったのだ。

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