散らない花は美しいか

08

「てゆーか、ンってずっと敬語だよね〜」
「ノーマ様は敬語、お嫌いですの?」
「うぎゃああああ!しかもそれにそのなんとか様〜って呼び方!」
「……ノーマ、何が言いたいのだ」

 水晶の森を抜けその出口にシャーリィのブローチを見つけたことにより、セネルはこの先にシャーリィがいると核心したようだ。一向はそのブローチというものを見たことがなかったが、ずっと一緒にいたであろうセネルがそういうのだから間違いはないのだろう。

 とりあえず、空飛ぶ男がどこへ向かったかは分からないが、道なりに進んでいるとノーマが先ほどの言葉をに投げかけたのである。

「おかしい!おかしいよン!!だってあたしら仲間だよ!?つまりは友達なんだよ!なーんで様付けと敬語なの!?」
「そんなにわたくしは変かしら……ねえ、クロエ?」
「あー!それにほら、クロエだけ呼び捨てだし!」

 ジタバタしているノーマに、「さっさと歩け」とすかさずセネルは突っ込んだ。

「セネセネも!おかしいと思わない?」
「慣れた」
「んがっ!なんという諦め……!」

 ノーマが仲間に入ってから、随分このパーティの雰囲気は明るくなっただろう。ノーマは喋りたいときに思いっきり喋る人間だ。このパーティ内ではあまり喋りたがりの人間がいないために、最終的に一人で喋っている時も多いのだが。

「別に、呼び方なんて人それぞれだろ。呼びたいように呼べばいい」

 そう、セネルは言うが、もちろん初めに様付けで呼ばれて戸惑わなかったわけではない。先ほどセネル自身が言ったようにこれは慣れだった。こいつはそういう風に周りを呼ぶ人間なのだと。

「だからね〜ンにあたしの事を呼び捨てプラスタメ口を利く権利を与えよう!」
「何で上から目線なんだ!」と、クロエは突っ込んだ。
「……ためぐち、」
「そそ!そーした方が仲良い感じがするじゃん?」

 とは言え、今まで敬語以外で喋った記憶というのがない。誰に話すときにも礼儀を第一に考えていたし、そう教えられていた。自然に崩れている部分もあるが、それは全て命令口調になってしまうから、違うものだ。
 は少し考え、そして頭の中で言葉を整理してから口を開いた。

「ノーマ」
「そうそう!そのままタメ口の方もどうぞっ!」
「……た、タメ口とはこれでいいので、だ、よ?」
「…………うん、ンもう一回!」
「あ、わたくしは、あまり言葉を崩さないのだから、よくわからないだ、す?」

 心地よい風を感じながら、ノーマはとびきりの笑顔をに向けた。

「うん、無理させてごめん!あたしはやっぱそのままのンがスキかな!」

 *

 そして暫く歩いた後だった。あたり一面に広がっていた木々から一転、人工的な地面が見えてきた頃、ようやく探していた影が見えた。

「見つけた!シャーリィ!」
「あそこでぐったりしてんのが、セネセネの妹?」
「くっ……!魔人拳!」

 男とシャーリィがいたのだ。シャーリィは相変わらず半透明をした球体の中にいる。男はこちらを一度だけ見たがすぐに扉の方を向いた。その扉は木々に覆われていて、まるで遺跡のようだ。とはいえ、この船全体が遺跡船と呼ばれているのだから不思議ではないだろう。
 は周りのものたちを確認した。大丈夫、そう踏み込んで、爪を光らせる。先ほどの水晶の森ではあたり一面が爪術を一発当ててしまってはすぐに壊れてしまいそうなものだったから遠慮はしていたが、ここならばきっと脆いものはないだろう。それにきっと、ウィルも怒らないはずだ。

「うええ!やっぱンも爪術士だったんだ!」
「——荒ぶる氷雪の乙女よ——安らかな幕引きを与えん!」

「ブリザード!」爪術の発動により強烈な吹雪が吹き荒れる、その時だった。ずっと扉の方を向いていた男が振り返り、そして何をするかと思えばをシャーリィと同じ紫色をした半透明の球体の中に閉じ込めた。どうやら、男は直前でマジックバリアを張っていたようだった。
 は爪術を止め、その中で必死に抵抗をしようとするが、この中はどうにも気分が悪くなるもので、次第に腕は上がらなくなった。生身でのステータスはかなり低いのだ。爪術を取り上げられてしまうと、は何も出来ない。

!?」

 仲間の呼ぶ声が遠く聞こえる中、ふわふわとした浮遊感とまるで吐き気のように押し寄せる感情を膨らませながら、は目を瞑った。




「やっぱ、ンって……」

 シャーリィとが消えた先を見ながら、ノーマはぼそっと呟いた。その声は小さく、聞き取れないものだったが、近くにいたクロエはノーマが何かを言った、というのは聞き取れたようで、ノーマの方へと顔を向けた。

「何だノーマ!早く走らないか!」
「……ねえ、クー。ンってここにいたら不自然な人、だよね?」
「………どういう、意味だ」
「やっぱり、これって秘密なんだよね?」

 前を走るウィルやセネルには聞こえないような声量でノーマはクロエに問いかける。盛り上げるだけのトラブルメイカーかと思いきや、こういうところで空気を読んでいるノーマにクロエは安心の意味のため息をつく。
 要領のつかめないノーマの質問だったが、きっと、ノーマは気付いている。

「最初はね、」

 ノーマは何気ない話をするように言った。

「名前を聞いた時から不思議に思ってた。もちろん、よくある名前だと思うよ。でもね、それは多分、あたしがコルネアの学生だったからだと思う」
「………そう、だったのか?」
「うん、まあ今は色々あって休学中なんだけどね〜」

 聖コルネア王国の学生ならば、上級学校じゃなかったとしてもきっと一週間に一度は耳にする名前だった。そのせいか、きっと、『その王国』以外の次にきっとその名前を知ってる人が多いのじゃないか、とノーマは思った。

「それにさっきの爪術!詠唱早すぎだしあの威力だし!」
「……様は、努力家なんだ」
「も〜別に僻んでるわけじゃないよ〜」

 チラ、と前方を見るが、セネルとウィルは今何か話をしているようだ。

「学校にいる時はいつも先生たち、同じ名前挙げてた」
「………」
「クーは知ってる?天才だ神童だ〜ってずっと言われてるんだよ。ま、そりゃそうだよね。4年あるはずの学校をたった2年で飛び級して卒業しちゃってさ」

 ノーマはうんうんと考えるように喋る。僻んでいる訳ではない。そう思ってはいても、だけど、どうしても思うところは出てきてしまう。生まれが裕福すぎるのが、恐らく一番の原因。上級学校の中の本当に、上級の上級の学校に入ってしまえるんだ。

「入学試験だってあるのに、最難関のを12歳で受けて合格してるのがもう違うよね」

「ああいう風になれたらいいですねって耳にタコが出来るくらい言われるんだ」

 なれるものならなりたかった。噂だと、一度読んだ本はそれっきり一生忘れないって話も聞いたことあった。絵に描いたような完璧超人。あまりにも完璧すぎるから、本当はそんな人いないんじゃないかなって思ってた。

 だけど、いたんだ。

「ねえ、クー。本当にンは……なの?」

 そうだと分かったからって、嫌いになる訳ではない。好奇心だったのかもしれない。雲の上の人がこうして自分と同じように過ごしていると思うと、凄く不思議な気持ちになるが、それだけだ。
 こうして聞きたかったこと、思ってたことを吐き出してしまうと、もう逆に暗記のコツとか聞いてしまいたくなるものだと、ノーマは考えていた。

「……悪いが、答えることは出来ないし、どうかもう金輪際聞かないでくれ」
「………うん、そうだよね。ごめん。……なんか訳ありっぽいけど、クーと一緒にここに来てるんだよね」

 沈黙を肯定とすんなりと受けとめたようにノーマはつぶやく。の事を、それもおそらく秘密裏で動いているだろう現状を口に出すことは許されないだろうとクロエは感じていた。
 しかしながら、クロエはその言葉を聞いて、不思議と肩の荷が下りたような気持ちになった。恐らく、一人でその事を溜め込んでいたせいだろう。こうやってもう一人、誰かが知っていると思うと、どこか楽になれた。  それほど、彼女は大層な人間なんだ。

「私も、どうしてここに様がいらっしゃるのか分からない」
「あれ?クーが護衛なのかと思ってたけど」
様に会ったのは成り行きだ」

 そう、成り行き。もしあの時あの場所で彼女に会わなかったのなら、彼女はずっと一人で遺跡船を歩いていたのかと思うとゾッとする。自分に何が出来るか、なんて底が知れているけれど、せめて、自分の目の届くところにいてもらいたかった。

「私が様自身に最後に会ったのは5年前だしな」
「おわ!随分前だね〜」
「それからは手紙でのやり取りでしか接していなかったんだ」
「手紙ねー。二人共マメそうだから続きそう」

 あたしだったら一通目でさえも出せないよ、とノーマは笑うが、クロエの顔はまだ重い。「3年前に急に途切れてしまったがな」

「え。ンから?突然?意外だなあ。クーからだとしてもだけどさ」
「……まあその時に体調が優れないという話を各所で聞いたから、多分そのせいだろう」

 だが、とクロエは心の中で呟く。今も、様は病気で離れに暮らしているはずだった、と。




 ドサリと音がした気がした。それはどうやら自分が落ちた音だと気付くのには、腰にくる痛みを実感してからだった。そして次に来たのは髪の毛を引っ張られる痛みだった。

「っ……!」
「……やはりただの陸の民、か……」

 ゆっくりと目を開けると、そこには先ほどの空飛ぶ男がいた。そして、傍らには球体に入っているシャーリィもいる。そうだ、自分は先程何かに包まれたまま気を失ったのか。
 少し動こうと思ったが、思っていた以上に体が重く、立ち上がる事は出来なかった。

「……おい貴様」

 髪を離され、自力では顔を上げれないを見下すように男は見る。「先ほどの爪術の詠唱……どういう事だ」

「……質問の意味が、分かりませんわ」
「爪術は、正しい詠唱とそれに見合った力量があってこそ発揮するものだ」

 頭の上で一体、男はどのような表情をしているのだろう。普段はしゃんと背筋を伸ばして、目を合わせて喋っているのだから、この状態に場違いだか違和感を感じておかしくなった。目線はまだ地面を向いている。まだ身体は重く、本調子には程遠い。まるで夢を見ている感じだ。ありえないのにそれを受け止めている自分が、一番おかしかった。

「それなのに貴様は……、いや、貴様の詠唱はなぜ古刻語を用いたものなんだ。ただの陸の民がどうして知っている」
「………古刻語……」

 それにはも心当たりが合った。元々、学校へ行って爪術を勉強する前に、家にある古書や自力で勉強していたところがあった。その一部に、詠唱の部分だ。

 騎士の家系である家の書物だけではどうしても欠けているところが多かった。その為、どうにか勉強出来ないかと兄に駆け寄ったところ、兄が古刻語で書かれた古書を持ってきてくてたことがあった。吸収力の早い幼少期から勉強したおかげで解読は難解とされる古刻語を理解することができ、そして、詠唱する時にはそちらの方が使いやすかった。が、その古書は所々破れており、未だ完璧には分かっていない。なので最初の一文はよく知られている詠唱、そしてもう一つの一文はそちらを用いていた。

 先ほど彼が気にしたのもそれだろう。ブリザードで知られる詠唱の2文目は、「安らかな幕引きを与えん」ではなく、「疾風の調に乗り舞い散れ」である。それを後々になって知っただったが、実際に発動しているし、兄への感謝を忘れたくないために、そのままでいたのだ。

「しかもあれは………」

 男はの髪を掴み、無理やり顔を上に上げさせた。

 と、そこで地面は揺れた。地震だ。だが、ずっと大陸で過ごしていたにとって、地震とは初めての体験だった。髪を掴まれたことではなく、地震のことで震えていると、男は忌々しいものを見るような目で「ただの地震だ」と言った。

「地震……」
「陸の民のくせにそんな事も知らないのか」
「……陸の民、とは何ですの?」
「フン、自分で考えろ」

「とにかく、なぜお前の爪術はあの詠唱なんだ。答えろ」

 男はそう言ってを睨んだ。いや、睨んでいるつもりはないのかもしれないが、いかんせん彼の目はどうにも睨んでいるように見える。

「わたくしの、……家にある本にそう書いてあっただけですわ」
「家に?……水の民のものが家にあるものか……?」と、男は独り言を呟いた。
「……何が知りたいのか分かりませんが、古刻語は学んでいる人がそこまで少ない言語でもないと思います」
「問題はそこじゃない」

 パッと髪を離した。倒れそうになる寸前で、は腕で自分の体を支える。どうやら、これまでの間にここまで体調が治ったようだ。

「シャーリィ様をどうするおつもりなの?」
「貴様に答える義務はない」
「……あら、わたくしはあなたの質問に一つ答えたのよ」
「………それがどうした」

 体調が戻ってきたことにより、ようやくいつものらしく戻ってきたのだが、生憎それは彼にとって、喜ばしいものではない。そう、目の前にあるのは好奇心の塊だ。他者との交流が苦手な彼にとって、会話というのは事務的なこと以外は避けたいものだ。それなのに目の前のこの塊はどんな事でも聞くだろう。分からないから、分かりたいから。

「わたくしが一つ答えたのだから、あなたも一つ答えるべきです」
「そんなもの、貴様が勝手に決めただけだろう」
「ちょっと対等じゃなかったかしら。………うーん、一つ質問するならどうしましょう」
「——だから、」

 勝手に話を進めるな、と悪態つこうとしたところで、はにっこりと笑った。

「ねえ、貴方の名前、教えてくださらない?」
「………は?」
「ですから、貴方の名前です。知らなきゃ困りますわ。ね、これくらいなら教えて下さるでしょう?」

 たった一つ質問していいと言うのならば。が真っ先に思い浮かんだのはこれだった。先ほどの、陸の民とは何か、シャーリィをどうするのかという質問だって、いや、他に考えればもっとたくさん役立つ質問はあったはず。だが、どれもこれも、「みんながシャーリィ様を助ければ意味のないこと」になってしまうと考えた。

 最終的に、彼と戦いになるのか交渉で終わるかは分からないが、助け出してしまえばそれでいい。それでお終いだ。理由なんてどうでもよくなる。
 だが、名前はどうやったって分からない。そんな事、と避難されるかもしれないが、彼女にとって重要なものだったのだ。

「——貴様、たった一つの質問をそれに使うのか」
「ええ、もちろんそうよ」
「……………ワルターだ」
「そう、ワルター様。素敵な名前ですわね」

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