散らない花は美しいか

09

 すました顔をした女だと思った。立ち振る舞い、決して下品にはならない表情や言葉遣い。しかし話をしてみるとなんとまあここまで空気の読めない可笑しい奴はいるのかというくらい、自分勝手で、非合理的だ。

「気に食わない」

 ワルターはから目線を逸らして言った。だからこそ気に食わない。身分の差というものをひしひしと感じてくるようだ。たかが「陸の民」のくせに。彼女が綺麗事ばかり口にしているのは、綺麗なものしか見ていないという証拠のように思えた。
 まるで独り言のような彼の一言だったが、目の前にいるが聞こえないわけがない。が、とくに機嫌を損ねた様子もなく、平然と言葉を発した。

「ワルター様とセネル様は似ていらっしゃいますわね」
「っ!な、何を言っている!」
「……だけど、どうしてこう思うのでしょう……」
「………それは俺が聞きたい」と、ワルターは呆れ気味に言った。「あんな奴と一緒にされてたまるか」

 はセネルとずっと一緒にいた訳じゃない。ワルターともそうだ。だから二人の気持ちなどわからないが、ワルターとセネルは互いに認識があったのか?——いや、けれど、山賊のアジトではそんな様子はなかった、はずだ。

「あなたと話しているとセネル様と話している気分になりますの」
「………」
「ああ、もちろん二人を間違えることはありませんのよ」は笑うように言葉をつむぐ。「ワルター様は、」
「黙れ」

 ワルターは歯を噛み締めた。それには自由奔放なも少し顔を曇らせた。しゃがんでワルターの顔を覗き込む。相変わらず顔は合わせてくれないし、先ほどよりしかめ面が5割増しだ。ちなみに彼の場合は通常でも3割増しになっている。

「……気分を悪くさせてしまい、ごめんなさい」
「………」
「許して、頂けるでしょうか?」

 思わず言葉を失う。謝って直ぐに許しを乞うなんて、子供でさえ言わないだろう。ごめんなさいごめんなさい、と謝って、向こうからの許しを待つのが普通。純粋。(悪く言えば図々しい。)彼女は純粋すぎるんだ。泥を固めるように嘘をつく人々のことなんて知らないんだろう。この世が絵本で出来ていると勘違いしている。

「ワルター様?」

 返事がないワルターの名前を呼ぶ。

「………俺はお前が嫌いだ。それに、様なんてつけるな、気持ちが悪い」
「……ええっと、」
「…………お前はプライドがないのか」
「はい?」
「っ……なんでもない……」

 嫌いならばこの手で斬り捨てることだって出来る。忌々しい陸の民。殺すわけじゃない。無駄な殺生が好きなわけじゃない。口を塞ぐだけでいい。どうせ、自分の思っていたことと違かったのだから、ここで気絶にでもして、どうせ後から来るであろうあいつらに保護でも何でもしてもらえばいい。胸の奥からこみ上げてくるような苛立ちがあるはずなのに、けれど、それでも、まだその声と共にいるのが不思議で、自然で。

「あ!」

 考えている最中にこうもが高い声を出すものだから、思わず肩を揺らす程驚いた。

「わたくしってば、まだ名乗っていませんでしたね」
「……陸の民の名前などどうでもいい」
「あら………じゃああなたが教えてって言うまで教えませんわ」
「はあ?」

 よくわからないところで機嫌が悪くなる女だ。ワルターは思わず素で声をあげたが、それ以上追求するつもりもない。勝手にしろということだ。

「すっ………っごく気になって夜に寝れなくなっても知りませんのよ」
「貴様じゃないんだ、そんな事ある訳が無い」

 的には、そこで乗ってくれるとありがたかったのだろう。だけど相手はワルターだ。それこそ、「そんな事ある訳が無い」。きっとセネル一行なら気付いたであろう誤算に、は頬を膨らませた。そんな様子を見ているワルターがほのかに口先をあげた。本当に嫌なのならば相槌なんて打たなければいい。そんな自分の中の矛盾に気付いてはいない。

「………おい」

 ふいに、の左手首についている数珠に目がいった。とくに珍しいものではない宝石のものだか、どうしてか気になったせいか、その腕を掴んだ、時、

「——苦無!」

 突然起きた爆発に、は目を丸くした。『自分が狙われている』と、いち早く気付いたワルターはの手を離し、後ろにステップを踏み目を細め、投げられた先を探した。こんなに誰かが近くにいたことに気付いていなかった自分に苛立ちを覚えたが、次の瞬間には煙幕が広がった。この戦いは、陸の民の隠密部隊のものだ。

 セネル達ではない、そう瞬時に理解し、の腕を引こうとするが、重苦しく見える煙はただ空を切る。煙が止み、後ろに浮かんでいるシャーリィを確認して息をつくが、周りにの姿はなかった。




 煙が目に染みたのだろう。なかなか目を開けることが出来ない。だけど、見知ったような顔と声が、自分を引っ張っている。ただそれだけを信じては走っていた。の腕をひいている彼は前よりもずっと遅いの足取りに舌打ちをした。

「ほら、何のろのろ走っているんですか!」
「け、けむりが、めに」
「……はあ」と、彼は、ジェイはため息をついた。

 ジェイがあの場にいたのは本当の偶然だった。たちとは逆の道から、つまりがたちが行こうとしていた道に彼はいた。とある野暮用だったのだ。その先にある、ある村の跡地に用事があると思ってきたら、何かうるさいと思っていたらこのザマだ。

「じょうほうやさま、ど——どこに、むかっているのですか……」
「この先に村の跡地があるんです。一先ずそこに向かいます」

 ようやく目が慣れてきた。はゆっくりと目を開ける。秘密の地下道とは違う足の感覚だとは思っていたが、いつの間にか土の上を走っていた。あちらこちらにガタクタのような、元々は何かの形をしていたであろうものたちが見える。

「………シャーリィ様は……?」
「シャーリィ?ああ、例の攫われた人ですか。あの場所にいたんですか」
「っも、戻らないと!」
「は!?何言ってるんですか!」

 急に止まり、引き返そうとしたの腕を更に強く握る。

「僕は——………、僕は、……」

 とジェイが会ったのは本当の偶然だった。打ち合わせもしていない。が何してようとこっちの問題ではない。知らないことがあるのは嫌だが、知らなくてもいいことだってある。先ほどは、と、知らない男が一緒にいただけだ。自分の第六感が駄目だと警告をしたからそれに従っただけだ。思えば強引すぎた。彼女と一緒に居たのが、例えばセネルのような人たちではなかったから、ちょっと驚いただけだ。国の第一王女がお忍びで来ているとはいえ、護衛か?いや、だけど。

 自分勝手に行動しておきながら、あなたのことがしんぱいだったからたすけましたどうぞかんしゃしてください、なんて言えるはずがない。

「情報屋様?」
「……っ、な、何ですか」
「顔が引きつってますわよ?」

 ニコリと笑って、ジェイの口先に手を伸ばした。そして、そこで横に伸ばすように両の人差し指を外にやる。先ほどまで悶々としていたジェイだが、呆気に取られた。

「あ、あなたという人は………」
「——ジェイ!」

 色んな意味で苦笑を零しざるを得なかったが、後ろからかかった声に、彼は素直に振り返った。「キュッポ、ここにいたのか」

「……そちらはどなたキュ?」と、まさか同じ言語を喋ると思っていなかった動物が首——というより全身——をかしげた。
「……あなたは?」
「あー……、こっちはキュッポ。さん、モフモフ族は知ってますか?」
「いえ、存じてませんが……」
「別に恥じる事じゃないですよ。大陸処か遺跡船でも知らない人の方が多いですから」

 モフモフ族というのは別に人と交流を持たないわけではない。人間が他との交流を持ちたがらないのだ。未知との遭遇は決して喜ばしいことばかりじゃない。未知とは恐怖だ。
 彼らは大陸の動物で例えるならラッコ、それが人間のように知能を持ち、言葉を喋るように進化した種族。人間のような、とは言ったが決して人間に劣りもしないし、それ異常の知識を有している者だっている。そういったことでなら彼らだってヒトだ。

「で、こちらはさんです」と、ここでキュッポに紹介したところで、ジェイはアイコンタクトを送った。恐らく、頭のいい彼ならば、「」という名前がどこの誰を指すかは察しているだろう。キュッポはそれに答えるようにジェイに一瞥し、と向かい合った。

「モフモフ族のキュッポだキュ!格闘家なんだキュ!」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしはと申しますわ」
「……さん、セネルさんとは一緒だったんですか?」
「ええ、恐らくこちら側には向かっているとは思うのですが……」
「そうですか。キュッポ、多分銀髪のお兄さんが来るだろうから、その人が来るまでさんをよろしく頼むよ」

 そういうと、ジェイはまるでから逃げるようにどこかに消えた。




「情報屋様は忙しい方なんですね」

 と、はもう誰もいなくなった空間を見ながら言った。

「ジェイは休もうとしないキュ」と、キュッポは答えると、ハッとしたようにの周りを慌ただしく駆け回った。「大変だキュ!さんは、大変だったんだキュ!」

「……?わたくしが、ですか?」
「ここで座って待ってて欲しいキュ!今他のヒトを……」
「仰ってることがよく分からないのですが、わたくしは今何も問題はありませんの」
「…………ホントキュ?」
「ええ、ここまで来るのに走れるほど、元気ですわ」

 とは言え引っ張ってくれた某情報屋がいたのだが、それは飛ばした。思えば、ここまで走ることは生まれてこの方今日が初めてだ。あっちこっちで走った気がする。はなんだかそれが素晴らしいことのように思えて、誇らしかった。

「キュ〜……?」

 は健康だと胸を張っていったが、キュッポはまだ納得がいかないようだった。不安そうにするつぶらな瞳でを見つめている。

「本当に、大丈夫だキュ?」
「本当に本当に、大丈夫ですわ」
「分かった。信じるキュ」

 見たことない生物ではあった。が、確かな意思を持ったその眼に、はなんだか今までずっと傍にいたような親しみを持てた。そういえば、あの彼でさえも絶対と言えるほどの信頼をこの彼に置いているようだし、それならばだって信じるべきだ。情報屋と親しい訳でもない。情報を買ったこともない。社会というのは裏切りだってよくある。だが、信用第一の情報屋だ。まして、ここまでして騙すのならば、むしろ拍手だって送りたいものだ。

「じゃあ、えーと、『セネル』さんが来るまでここにいるキュ!」

 とはいえ、どうしてこんなにもキュッポがの心配をしているのかなどという理由など、は心当たりさえもなかった。

「そういえば……」体調を気にする彼も気になったが、ソレよりまず先に、フ、と上がった疑問をは言う。「ジェイって、先ほどの彼のことですの?」

「キュ?ジェイはジェイだキュ!」
「ジェイと言えば……不可視のジェイ?」
「………キュ…!」

 キュッポは明らかに言葉に詰まったようだった。不可視のジェイといえば遺跡船一の情報屋の名前だ。素性は明らかではないが、ネタは随一ということで信用されている人物だったが、まさか。しかし、彼がもしジェイならば今までの異常なほどの情報への執着心や知識の豊富さなど納得出来る点は多い。

「……大変な、方なのですね」
「………ジェイの事は誰にも言わないで欲しいキュ。本当のジェイの事を知られちゃったら、きっともっともっと忙しくなっちゃうキュ……」
「大丈夫ですわよ。誰にも言いませんわ」

 少年が背負うものは、おもい。

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