散らない花は美しいか

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 安心する匂いというものは誰しもが持っているだろう。それは人工的に簡単に作れるものでないが、それに似たものも多くは存在する。それらは数多程にあるだろうが、数えきれないものなどない。ただしかし、警戒心が人一番強い彼にとって、本物の安心というものは他の類似品と比べものにならない掛け替えのないものだった。依存をしている訳ではないが、彼にとって唯一無二だからこそ、本物との違うもよくわかっている。

 モフモフ族の村はそんなジェイにとって単一なものであり、体の休まるただ一つの場所だった。人里を離れている為、外部のヒトが訪れたことは記憶にないし、どちらかと言えば魔物が来る時の方が多い。頭が良い彼らにとって、そんな敵襲に混乱する事なく対処しているのでいくらかなら安心だ。単純な運動能力で言うならばジェイと比べられるものではないが、土地を利用した攻防ならばただの魔物に引けをとらない。
 警戒はしつつも、異常な程の神経さはいつもよりも和らいでいる。この匂いのお陰だ。誰かが近寄ってきても戦闘態勢に入る必要はほぼ無いし、ジェイが寝ている時によく彼の家族が掃除をする事があるが、それも極めて静かだ。その様子をほんの少しだけ細目を開けて見るのがジェイは好きだった。狸寝入りのつもりではないが、起き上がってしまうとむしろ、ジェイはたっぷり寝るべきだと再び布団に戻されてしまう。

 とんとんとん、誰かが階段を昇る音が聞こえる。キュッポか、いや、ポッポか。いや、だけど、この音は静かだが、もっと雰囲気が違う。足音が変わった。どうやらここまで登り切ったようで、ふわりと花の匂いがした。この花は確か、この地域に咲く花だ。今日は花でも持ってきてくれたのか。リラックス効果など気にしたことがないが、これはいい薫香だ。ふ、そちらへ寝返ると、想像より線の細いシルエットが映った。そのヒトは手に幾つかの洗濯物を持っていて―――

「――っさん?」
「あら、起きていらしたの?おはようございます」
「あ、ああ…おはようございます、ではなくて、何しているんですか!?」
「何かお手伝いする事を探していたので、そうしたらこの洗濯物を持っていってほしいと」

 思わず飛び起きたジェイだったが、それに動揺するわけでもなくは朝の挨拶をした。
 今はまだ村の復興は途中で、確かにその中でに出来る事と言えば内の仕事だろうが、だろうが、だ。気を抜いていたせいでこうも簡単に自室に侵入されてしまった恥ずかしさからか、ジェイは少し顔を赤らめたが、そのの手元に視線をずらすと、その不器用具合に思わず苦笑が漏れた。

さん、もしかして畳んだ事もないのですか?」
「み、見たことはありますわ!」
「そりゃそうでしょうね……」

 絨毯の上に座り、悪戦苦闘するを眺める。どちらかと言えばゆったりとした服を着るジェイなので、幾ら畳み直そうが変にクセがつく訳ではないが、まだ一枚も終わっていないこのペースに思わず立ち上がった。量がある訳ではないが、彼女がしている事と言えば幾らか綺麗に巻いているだけだ。

「情報屋様は寝て下さい!わたくしが……っ」
「洗濯物を畳み終わる頃に日が暮れますよ」

 というか、別に親しくも、否、仮に親しかったとしても同じ年代の異性に自身の衣類を片付けて欲しいだなんて思わない。見る限りインナーやら羽織程度のものだろうが、それでもだ。そのまま籠に入っている全て没収しようとしたのだが、最初の一枚だけをは握りしめたまま離さなかった。彼女の力などたかが知れているので、奪う事も可能だが、ジェイはそのまま話しかけた。

さん、僕がやります」
「いいえ、これはわたくしが頼まれたのです」わたくしが、を強調するようには言った。
「………そうですか」

 普段人に頼まれることの少ないだからか、依頼された事が嬉しいようでここはどうにも譲らないようだ。こうも頑固な性格なのは何となく知っていたが、やはり面倒だ。

「じゃあ僕がお手本を見せますよ。分からないのなら学べばいいんです」
「え?……ありがとうございます」

 刺のないジェイの物言いに、は少し驚いたような顔をしたが、すぐさまいつものように頭を下げて礼を言った。


 の覚えるスピードは悪くなかった。爪術を操っているところから見たって、頭脳的にも馬鹿ではないのは本当なのだろう。本来生まれてこの方、の年齢まで物を畳む事がなかったという事実が希有で、そのごくごく僅かな人間がどのスピードで覚えるのか何て分かるはずがない。

 次第にてきぱきと早くなってきたのスピードをジェイはただ眺めていた。時折何かを話しかけようとするが、すぐさま口を閉じる。彼女という人間との距離が分からない。昨日の出来事と言えば、ジェイの一方通行の主張を押し付けて別れて、そのままで、今日から何もアクションもなく、避けられていてもおかしくないと彼は思っていた。そんな事も覚えてない程の脳かとも一瞬だけ思ったけれど、そうでもないのだろう。返す言葉もないのか、考えないようにしているのか。

「……キュッポ達にでも何か言われたんですか」

 思わず浮かんだ疑問が口から出てしまったようだ。失言した、とジェイは顔を曇らせるが、はさも気にしていないような顔で首を傾げた。

「何がですの?」
「………昨日の事です」隠し通すことなど容易いことだっただろうが、の目に負けたジェイは言う。「僕が考えうる可能性の話ですので、無理にどうこうしろだなんて言いたかった訳でもありません」
「はい。あなたの言葉は真摯に受け止めようと思っておりますわ」
「……それに」

 ジェイは言葉を止めた。

「それに?」未だ続かない言葉にが疑問視を浮かべた。
 暗い表情をするジェイとは反面、はまるで授業でも聞くような構えで聞いていた。それはこうなのだという反論するものでもない聴講で、ただただそれを飲み込んでいる。感情がないという訳では勿論ない。ジェイから言われた直後は思わず声を上げてしまうほど感情的にもなった。こうした人の主張というのは聞き慣れているのだろうか。そして、それを抱きとめる心も。

「それに、言葉が……少し、キツい言い方になってしまったのは、謝ります」

 ちらと見た時、真っ直ぐこちらを見るの目と目が合った。彼女の目に映る自分はなんて愚かだろうか。まるで小さな子供が母親に許しを請うよう。ジェイ自身、そんな記憶がないのでただの想像ではあるが、1番に頭に浮かんだイメージがソレだった。

 対してはと言えば、この状況に少なからず驚いていた。今まではどんな時も引っ張ってきてくれた彼だったので、こうした態度というのは真逆だ。しかしそれは悪い意味ではなく、新たな一面を見られたという喜びも含まれていた。常に無表情の彼の歳相応の姿を見られたのだ。喜ばないはずがない。

 普段、は自身の主張を言うことがあっても、自身の考えを言う機会はない。説明する前に全て事が済んでしまうのだ。だからこそ今のこの状況がとても新鮮に思えた。

「あなたが謝る必要などありません。わたくしの国を案じて下さったのでしょう?今この現状、わたくしの身を守るものは自分自身しかありません。それなのに他の方にも、それから情報屋様にも沢山助けられましたわ。こうして無事でいれること自体、奇跡なのかもしれません」

 は胸に手を置いた。そうだ、自分は今めぐり合わせの中生きている。果たしてこれは、屋敷の時と変わっているのだろうか。変えていけているのだろうか。

「ここは凄く、安心するところですね。人々の争いもなければ、毎日が催事のように賑やかで」
「……さんが何をしたいのかは知りませんが、好きなだけここにいても構いませんよ」
「……そういう訳にもいきません。何よりも彼らの為に、わたくしというヒトはイレギュラーです」

「そうですかね」と、ジェイは濁してみたが、人間との共存が出来るかなんて断言は出来なかった。彼らだけだからこそ成り立っているこのコミュニティである。ここで育ったジェイだからこそ分かることもあるし、まず第一に生きているという存在さえ意識されていなかった存在を認めてくれだなんて無理な話だ。人間の些細な戦争に疑問を抱いている彼らだからこそ、尚の事。

「ただ、村が完成したらの招宴にあずかりましたので、それまでなら良いのでしょうか」
「彼らは賑やかなことが好きなので、是非」

 そういうと、はようやく笑った。先ほどまではどこか固い表情だったが、心に余裕が出来たのか、安心したような笑顔だった。

 全て畳み終わったということで立ち上がったのだが、ジェイはをまじまじと見つめた。どこか違和感がある。先ほどまで座っていた為に気付かなかったのだが、決定的にどこか違う。そんなジェイを不思議がってか、は聞いた。

「どうかしましたか?」
「いえ……その、さん、縮みました?」

 失礼なのだろうか、どうなのだろうか。純粋に疑問だった質問をすると、は固まった。もう少し前、おそらく昨日までだったら確かに少し見上げる程度の身長だったはずだ。自分が大きくなったはずがないだろう。そしてフと足元を見ると合点がいった。いつもと違う靴を履いている。それはローヒールで、何かしら作業をするという体でモフモフ族の誰かからもらったのだろう。
 思えば彼女は高いヒールの靴を履いていた。そのせいで走る時は必要以上にへろへろとしていたし、体力の消耗も早かったのだ。

「か、変わってなどいませんわ!今ちょっと――」
「いえ、その靴でいて下さい。あれで走られて転ばれても困ります」
「一度も転んでいません!」
「ハイハイ、そうですね」

 近くで見るの顔は不思議だった。まだ幾らか彼女の方が高いが、それはほんの数センチの差。一体何であんな歩きづらいものを履いているのか理解に苦しむ。しかもきっと彼女の場合はファッションというよりは身長を気にしてだろう。男性ならともかく、女性が身長で悩むなど、とジェイは思った。それに極端に小さい訳でもなく、は平均的だ。

「情報屋様はまだまだこれからが成長期だから羨ましいです……」

 悔しそうに言うが、その言い回しにジェイはどこか違和感を覚えた。確かに彼女の言う通り、ジェイはこれからまだ成長期が続いている。いるのだが、の言い方はそれよりも下の人間に言っているようだった。まるで、10代初めの頃の小さな子に言っているような。

「……まあ、そうですけど」
「でも、もうこのくらい成長しているのなら先は安心ですわね!いいですか?毎日10時間は寝るべきなのですよ」
「………はあ」

 実際、の思うジェイの年齢など憶測であり、それは彼の実年齢よりも大きく下回っているのだが、それに自ら気付く時は来るのだろうか。

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