散らない花は美しいか

15

 数日前の大雨でぬかるんだ地面がようやく固まって来た。とはいえ、この村は地面までも整備されているので、ほとんど土らしい土を踏むことはない。

 天気も良い今日は洗濯日和だという話を聞き入れ、布団から衣料品まで、は手当たり次第色んなものを洗濯していた。こんなに洗濯してしまっては、取り込むときにも時間と労力がかかってしまうのだがそんなことも忘れて、今はやり遂げた気持ちがいっぱいで心地が良かった。
 とはいえ、モフモフ族の村は洞窟の中なので、天気が良くても日光は関係ないのだが、それをは知らない。しかし、達成感でいっぱいのへ水を差すような冷たい行為をするようなヒトはこの村にはいなかった。この暖かな村での異端者を非難することはない。

さん!お洗濯して下さってありがとうだキュ~!」

 人が生活する上で必要なことはたくさんあるが、この数日で『洗濯』というジャンルを少なからずとも人並み出来るようになってきた。モフモフ族の彼等は心からという旅人の存在を歓迎してくれていることもあり、はのびのびと暮らすことが出来たのだろう。
 は少々汗のかいた額を拭った。

「いいえ、お世話になっているお礼です。……こんな事しか、出来ませんが……」
「すごく助かってるキュ!さんが良ければずっと村にいて欲しいキュ!」

 村は昨日無事に完成した。その夜は以前のようにまた、盛大にパーティを開いた。ジェイは忙しいようだったので、ほとんど顔を出すことはなく、珍しく申し訳なさそうな顔をしながら村を後にしていたが、始終笑顔の絶えない時間だった。美味しい料理に楽しく和気あいあいとした雰囲気。怖いものなんて何もないような、そんな空間だった。

 それ故におそろしい。異物である自身さえ飲み込んでくれる優しい空気と、それを甘んじてしまい沈みそうになる自分が、とてもおそろしかった。

 ここで優しさに甘えるのはきっと間違っていると、はこの数日で感じ続けていた。それに、こんな平和な村の平衡が崩れるときが来るとしたらきっと、自分という存在のせいになるだろう。自分という異端者がいたとしても何も変わらずのどかで明るい世界なんて、普通ならありえない。はどちらかと言えば夢見がちではある性格ではあったが、世の中の冷たさはいくらか理解している。だからこそ自分だけは平等であろうと、自分勝手な主張をする。それが他の誰かにとって冷たいことだと、気付かないままだとしても。

「……さんが困ってるよ、キュッポ」
「情報屋様……」

 どこからともなくやってきたジェイの表情は丁度影になっていて見えない。キュッポの側に寄ると目線をへ向けないまま、ジェイは口を開いた。

「数日、留守にすると思いますが気にしないで下さい」
「お忙しいのですね。何かあったのですか?」
「……仕事の話ですので、お話できません」

 この優しい空間において、ジェイという存在はにとってある意味助かっていた。この世界で気がつかないうちに溺れてしまわないよう、道を示してくれているように、ふわふわとしたの足元を、両手を掴んで正してくれる存在だった。それはきっと互いに意識しているものではないだろうが、少なからずとも、今のはジェイのその一言になぜかどこか救われていた。このぬるま湯のような空間において、唯一水をかけてくれる存在。

「…………最近」

 ジェイがこの村を発とうとした際に、振り返った。

「この辺りの魔物も厄介になってきてます。面倒なので、誰の許可も無しに絶対に外に出ないで下さいね」



 厄介、と言われてもには分からないことだ。今までだって、モフモフ族の彼等に図らずも守られながら過ごしていた。わざわざ村の外へ出たこともなかったし、ただの忠告じゃないように聞こえた。『出ないで下さい』、は心の中で復唱する。大人しい人間ならば『ああ、そうなのか』とじっとしていたかもしれない。そう、大人しい人間だったならば。

「聞いたことありますの。こういうのは逆に『フリ』なのではないかと」

 誰に言うわけでもなく、は呟いた。どこから聞いたかは覚えてはないが、言われたことによりはますますどこかへ行かなきゃいけないような気がした。情報屋の彼がどんな真意を持って、ああ警告したのかがは彼ではないと分からないが、何にせよ本当にをここに留めておきたかったのなら逆効果だっただろう。
 現に今は――もともと少ないが――荷物をまとめ、旅立つ準備をしていた。先程まではここを発つことに対して、マイナスな感情が強く、躊躇いが生じていたが、こうも目的があると異なるものだ。しかし、目的はあるようで無い。いつだってそうだ。

 まるで、この遺跡船に来た時と同じだと、は思った。その日じゃなきゃ駄目だった訳じゃない。しかし、動かされる気持ちが強くあった。今日じゃなきゃ駄目な訳じゃない。だけど、今日が良いんだ。この気持ちのまま、深呼吸した後の自分だけのタイミングのまま、踏み出す。

 ―――と、

さん?どこかへ行くキュ?」

 ジェイが暮らしている家の三男・ポッポがへと近付いた。は一瞬言葉に詰まった。先程のジェイの忠告を聞いていたのはキュッポではあるが、もしかしたらポッポも何か聞いているかもしれない。止められたら少々厄介だろう。優しい彼等だからこそ、胸も痛くなるものだ。

「ええ、ちょっと、」は一呼吸置いて続ける。「散歩がしたくて」
「散歩キュ!」

 ポッポは身体を揺らした。

「気づかなくて申し訳ないキュ。さんも外に出たかったキュ?」
「え?」
さんはずっと村の中で働いてくれてたけど、確かにお日様の下に行くのは必要キュ!」

 そういえば、ここに来てからずっと村の外に行ったことはない。外に出なくても問題がなかったというのは確かであるが、あまり外への興味がなかったかもしれない。というと、かなり語弊があるが、外よりも、今は中にいたいと思えるほどこの村が目新しく、心地が良かったのだ。それは全ての意思でいたのだから、ポッポが謝る理由はない。

「いえ、皆様に甘えてずっといたのですから、わたくしが怠けていたのですわ」と、ははっきりと言ったが、ポッポはそれでも申し訳なさそうにする。
「………さんはどこまで散歩に行くキュ?」
「ええと、恥ずかしながらこの辺りはあまり詳しくないので……」

 詳しくないので目的地は決まってない、というと引き止められそうな気がしたために、は言葉を考えていると、ポッポはハッとした顔をした。

「ポッポはこれからポッポ2世号の試運転に行くキュ。もしよければ、さんに一緒に来てもらいたいキュ!」
「試運転?何かの機械なのですか?」
「そうキュ!潜水艇を開発してるキュ!すぐそこの列岩地帯にとめているからそこまで散歩はどうキュ?」

 三男のポッポは上の二人と比べて、自分の意見を主張してくる事がよくある。ある意味強引な性格といえるのかもしれないが、基本的に無理な話ではなく、さらに可愛らしい外見からどこか許してしまえる存在ではあった。ちなみに声は一番低いが。
 一緒に行くとなると、また戻ることになってしまう。もし可能ならば旅立とうと考えてもいたが、とはいえ、ここまで世話になっているというのにそれはさすがに無作法だろう。今日のところは散歩ということにし、夜にでも今後の話をしようとは考え直す。

 ぜひ、と頷くとポッポもいそいそと準備を始めた。

「重くなるかもしれないけれど、さんもこれを持っていて欲しいキュ!」
「回復薬ですか?ここまでは……」
「万全の準備は必要キュ!最近はヤギも出てるからこの辺りは安全とは言えないキュ」
「……なるほど。ありがとうございます」

 可愛らしいホタテの描かれた袋を受け取った。中には大量のグミやボトルが詰まっており、あたかも用意してあったかのような救急セットだった。彼等はこれを持って出かけているのだろうか、とは考えていたのだが、自身を見つめるポッポの視線に気付き、目線を向けた。

「それで、一応お願いしたいことがあるキュ」

 ポッポはじっとを見る。あまりにも真っ直ぐ見ているので、思わずはしゃがんで真正面から彼を見つめる事にした。
 初めて見た時はこの姿に戸惑ったことは確かだったが、今ではすんなりと受け止めている自分にたまに驚くことはある。しかし、それを口にしてしまうと、彼等を完全に否定してしまうことになってしまう。まだ心の片隅でこんな事を考えてしまうのは自身の強く根付いた固定概念のせいか。

「もし、万が一ポッポに何かあっても、さんは迷わず村まで帰って欲しいキュ」

 息が詰まった。それは、どんな事があっても彼を見殺しにしろと言われているからだ。そんな事、出来るだろうか。は今までの事を振り返った。しかし、今まで頼りになる誰かと常に一緒だったからか、上手くイメージが出来ない。しかし、我が身を守るということは誰だって出来る。はずだ。しかし、しかし!

「それは、」出来ない、と言おうとしたがそれよりもポッポが早かった。
「約束をして欲しいキュ」

 ジェイに何かを言われたのだろうか。いや、そうじゃない。彼の強い意思だ。彼には人間と同じように心がある。同じ言葉を話すことが出来る。感情を分かち合える。彼等は同じヒトなのだ。

 とはいえ、こんな勝手な指示をすんなり頷くことは出来なかった。彼に譲れないものがあるのなら、それはだって同じことだった。黙ってばかりのに、ポッポが声をかける。

さん」
「……ごめんなさい、わたくしはその時を想像する事が出来ません」
「脅すような言い方をしてしまって申し訳ないキュ。でも、何が起こるか分からないんだキュ」



 「それでも何も起こらないことの方が多いキュ!」と明るく言ったポッポと列岩地帯で試作品とやらを見ている時だった。列岩地帯はひどく静かで、ほとんど波の音が聞こえるだけだった。たまに、動物の鳴き声がほんとうに遠くから聞こえるだけで、陸地にはほとんど何もいなかった。

 メエメエと、大地が揺れるような大きな音が聞こえた。これは一体何の声なんだろう、と機械に入っているポッポから目を離し、あちこちを見ていると、後ろから大きな影が見えた。

「ヤギだキュ!」

 慌てて飛び出してきたポッポはの背中を押す。

「あ、あれは!?」
「ヤギだキュ!」先程と同じ言葉をポッポは言う。
「ええと、っはい、そう、そうですなのですね!――ブラッディハウリング!」

 大きな音を立て、『ヤギ』が向かってくるのを防いだ。とはいえ、非戦闘員と完全後衛型のだけではこれが関の山だ。次の手を考えている前に、変幻自在かと思える『ヤギ』の身体は狭い陸地まで伸び、攻撃をしてきた。
 どうみてもの知っている山羊ではないのだが、おそらく山羊と呼ぶのは鳴き声のせいだろう。見た目は長長悪魔と同様に、縦に長い生命体だ。ぐねぐねとあまり気分の良くはない動きをしながら、水の中を移動する。

「レイ!…………ああ!海にいるのに海属性は効かないですわ、ね……!」
さん、早く……!早くどこかへ行くキュ!」

 意外と慌てることの出来る時間があるなとはこっそりと思った。というのも、『ヤギ』の動きはそこまで早い訳ではない。比較対象が先日の『長長悪魔』なためか、同じ陸地に上がってこないと思うとまだ精神は安定している。
 しかし、やはりと言うべきか、ポッポを置いて一人で逃げてしまおうという考えには至らなかった。そこにはどこか安心し、それ故に使命感というものが芽生えた気がした。ポッポは今まで一緒に旅をしていたヒトらとは違う。自分が守らなければいけない。例え何があろうとも。

「………っ!」
さん!」

 油断をしていた訳ではなかった。しかし、一瞬のすきが命取りだ。攻撃を直撃したの身体は足でなんとか踏ん張ったつもりだが、海に落ちるギリギリまでスライドした。よろけたまま、地面に手をつけ、なんとか堕ちないようにと地面に爪を立てるが、既に相手は次の構えを取っていた。

 爪に土が入り込む感覚が嫌に脳に伝わる。こういう時は本当にスローに感じるものなんだ。は『ヤギ』を見る、『ヤギ』もきっとを目標としている。それが分かっただけで良かった。これで、きっと、ポッポは逃げられる可能性が上がったんだ。迫る攻撃に、は思わず目を瞑った。

「魔神拳ッ双牙!」

 地面を這う閃光を瞼の奥から見たと同時に、背中に暖かな温度を感じた。この感覚、知っていた。が目を開けて背後を確認するより前に、別の場所から新しい声が届いた。

「うわあン!?つか大丈夫!?てかこれ何ーー!?」
「……この人、誰なの?セネル君達の知り合い?」
「あーもー!そんな事言ってる場合じゃないから後々!――ッダークフォース!」

 一気に視界が広がったようだった。さっきまでどこ見たら良いのか分からなかった世界が広がったんだ。は全身に血が巡るような感覚を思い出した。「のーま、さま……」

 の眼前には他ならないノーマがいた。その後ろにいるのは淡い黄色のワンピースを来た小さな少女で、彼女は見たことはないが、ノーマは器用にもその子に攻撃が当たらないように上手く立ち回っている。

「……お前はどうしてまた落ちそうになっているんだよ。変な趣味だな」と、かかる声は自分の真後ろから。しゃがんでいるので、いつもよりずっと近くで音が聞こえた気がした。
「せ、」
「まあとりあえず座ってろ。後は俺達が――」
「セネル様!」

 感激のあまりクリアになったかのような世界が歪む。その衝動から思わず両手を広げてセネルへ向かった。キョトンとしていたセネルであったが、すぐさまの意図に気付き、顔を真っ赤にしながら、近付いてくるの肩を押さえた。

「こぉら!こっちがこんなに忙しいのにあんたら何してんのよ!?」と飛んでくるのはノーマの声。
「ち、違う!今行く!」

 宥めるようにの肩を何度も抑えると、セネルは前線へ走っていった。

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