散らない花は美しいか

16

「問題解決!って感じ?いや~今日もあたしは活躍しちゃったよ!」
「ノーマ様!」
「ってンが抱きついてきた?!こんな珍しいこともあるんだ~。……えへへ、いつもはあたしがこうする方だから、こういうのも嬉しいかも」
「………ねえセネル君。抱きついてる女の人、こういう感じの変な人なの?」
「変……いや、まあ……今日はちょっと色々あったんじゃないか……?」
「キュキュ~」
「……それでだからこの生き物も何なのかしら」

 あれから『ヤギ』を倒すまでは一瞬のように感じられた。確かに手強い相手ではあったはずなのだが、それ以上に、誰かがいるという心強さ、さらに既に実力を知っている知人であったからこそは落ち着いて呼吸を正しながら待つことが出来たのだ。
 とどめをセネルが刺すと、『ヤギ』は深い深い海の底にブクブクと音を立てて沈んでいった。暫くはまた戻ってくるのではと身構えていたのだが、もう既に戦意喪失しているだろうからきっと大丈夫だというセネルの見解から、戦闘態勢は解かれた。

「………あなた、恥ずかしくないの?」

 心細さを感じていたのか。自ら誰かに抱きつくという、普段しないような行動を取っていただったが、聞きなれない少女の声を聞いてハッと顔をあげる。

「ごめんなさい。わたくし、気が動転したようで……」というと、ノーマから離れ、見慣れない少女へ微笑みかけた。「……と申します。以後、お見知りおきを」

 そして一礼。綺麗なお辞儀であったことは確かにそうだったが、それよりも先程まで奇行としか思えないほど、異常なテンションだった女が凛としたところで、ただただ違和感を抱くだけだ。
 しかし、そんな細かい事を考え続けられるほど大人びていない少女は、そういうものなんだと上手く飲み込んだ。

「ふうん、まともな挨拶が出来る人のようで安心したわ。――ハリエット・キャンベルよ。あなたはこんな所で何してたの?」

 ハリエット、と名乗る少女は小さく、スカートを広げて、ささやかながらも可憐な礼をした。明るいシナモン色の髪を揺らし、ボリュームを出しながらも綺麗にまとめている髪からは、――もしかしたら彼女の母親に結ってもらったのかもわからないが――内面の几帳面さが見えるようだった。向かって右に見える蓮のように花びらが広がるピンクの花飾りは、造花でありながらも、どこか瑞々しさを感じる。まるで生花のようだった。

 幼いながらもきっちりと挨拶出来るハリエットの姿を、どこか微笑ましくは見つめる。ハキハキと口を大きく開けて話す喋り方は、きっとこれまでもどこかの公の場に出ることが多かったのかもしれない。

「わたくしはこちらのポッポ様と潜水艦を見ておりましたの」
「センスイカン?」
「そうだキュ!」と、力強く頷くと、ポッポも「モフモフ族のポッポだキュ。初めましてだキュ!」と元気よく自己紹介を続けた。
「へ~潜水艦なんてあるんだ~」
「いえ、ポッポ様が作られたもので……」
「お前がか?」

 意外そうな顔を、三者三様にする。確かに、が聞いた時もこんな顔をしていたかもしれない。「ただでもさっきのヤギの影響で沈んでしまったキュ」とポッポは明るく、世間話のように言うけれど、どこか顔は沈んでいるようだった。
 あの明るいノーマでさえ言葉に迷っているようで、困ったようにセネルに顔を向けた。視線が向かったセネルは何か言おうと口を開くが一度飲み込むように閉じ、何か決断をしたのか、ため息をつくようにまた開いた。

「……それは、残念だったな」
「それはそうと、ポッポ達を村まで送ってくれないかキュ?」
「切り替え早いな!」と、驚くのはノーマ。
「発明に失敗は付きものキュ!今の閃きをまずは理論的に考えたいキュ!」
「……この子可愛いけど、凄いこというのね」

 前向きなのはきっと良い事である。

「そういえば、セネル様もノーマ様もどうしてこちらに?」
「あー……ん~……そうだよね~……聞いちゃうよね~……」
「それにシャーリィ様がいらっしゃらないようなのですが……」

 シャーリィを救い出してから、セネルは必ずと言っていいほど、シャーリィの隣にいた。今まで二人にどんなことがあったのか分からないが、今回このような事があったからかかなり警戒していたようで、常に目を光らせていたような気がする。
 それもこれも、全てこのハリエットという少女が何か関係あるのだろうか。じ、っとハリエットを見るが、彼女も彼女でキョトンとした顔をした。まるで、何も分からないというような表情。彼女は彼女で目的が違うのだろうか。

「俺は……」と、セネルが口を開いた時、ガバッと音を立てられるほど、勢いよくノーマがセネルに飛びついた。そして小声で耳打ちする。「セネセネ!ストップ!本当の事言っちゃ駄目だよ!」
「何でだよ」
「だって、ンだよ!?どこに突っ込むか分からないんだよ!」
「な、なるほど……」

 気圧されるような勢いに、セネルはとりあえずと頷いた。

「どうかしましたか?」
「んーん!何でもない!えっとね~ちょっとアタシらは……この子の付き合いでね!」

 見切り発車のノーマの案に、セネルはコツいた。「さすがに……」

「まあ、そうなのですね」
「突っ込まないのかよ!」
「え?ハティを変なことに巻き込まないでよ……」
「……お前はちょっとくらい合わせてくれよ」
「ごめんねン~このお子チャマちょっと天邪鬼でさ~!」
「ちょっと!押し込むように抱きつかないで!」

 まるで息の合ってない3人は非常にバタバタとしているが、は特に指摘することはなかった。それにノーマとセネルは安堵するが、喉まで出かかっている言葉を押さえていることを誰も知らない。



「ここまでくればポッポ達の村まで、あと一息だキュ!」

 その言葉をポッポは言ってはいたが、そこまで近くないことをは知っていた。既に疲れた表情を見せているハリエットに、「休憩が必要でしょうか?」と、声をかけた。ハリエットの目線に合わせるように、言うものだから、ハリエットはカッと赤くなった。それは決して恥ずかしいからではなく、はっきりとした怒りだった。

「きゅ、休憩なんていらないわよ!バカにしないで頂戴!」
「っあなたを貶した訳ではありません。わたくしはただ疲れていらっしゃるかなと……」
「あらら、ンも子供相手にはタジタジなんだね」
「誰が子供よ!」

 着火した花火のようにバチバチと怒りをチラしているハリエットは今までが対応したことがない状況だった。何か変な事を言ったかと自分の発言を思い出そうとするが、休息を提案しただけだろう。ハリエット自身もそれに対しての反論だったようなので、そこが問題なのだろうが今ひとつピンと来るものはなかった。

「……アンタは体力付いたんだな」

 ハリエットとノーマの会話がただの小言のやり取りから口喧嘩と呼べるレベルまでランクアップしてしまった。そんなどうにも会話が収拾が付かなくなった所で、セネルはに声をかけた。

「そうでしょうか?」と、は嬉しそうに相槌を打つ。
「……多分。前よりはバテてないだろ」
「最近はよく運動しておりますので、ゆっくりとですが成長をしてますわ」

 屋敷にいる時だって、決して運動をしていないわけではなかった。顧問ドクターから提示されている1日に必要な運動量というものはこなしていた。それでも今までずっと誰よりも後ろを歩いていた原因としては、履いているヒールの高い靴がこの整備されていない自然環境と相性が最悪だったことが大きいだろう。現状、誰に何を言われても(実際にジェイだけではなくモフモフ族に少し指摘された事もあるが)、この靴を履くことを止めなかったので、ある意味次第に慣れてきたのだ。靴自体はの足に合わせた特注のものであるし、こんな獣道を歩くようには想定されていないだろうが、長く履いてもらえるようにの性能はしている。それをようやく生かせるようになってきたのは幸いだろう。

 胸を張って言うをセネルはあまり芳しくない表情で見ていたことを、二人の会話を眺めていた彼女は知らない。この女性が今までどのように生きてきたかなんて、「自分と真逆だった」としか考えつかないセネルにとって、想像出来る話ではないのだが、今のこの現状を喜として捉えて良いのだろうか。

「ねえ、セネル様。わたくし、モフモフ族の彼等と色々な事をしたんです。誰かと一緒に暮らすのは初めてでしたので、それがさらにモフモフ族の方というのはとても珍しいことでしょうか」

 の事を考える時、どうしても自分の身近な存在である『妹』と比較をしてしまう。妹だって、こんな危険な状態に晒したい訳じゃない。ただただ、ひっそりと暮らしたい。それだけだ。様々な生き方はあると思うが、体調を崩すことが多くあった彼女にはタコが出来るほど歩いてほしくないし、出来れば面倒なことは全て自分に任せて幸せに過ごしてほしい。それを体現出来てこそ、セネルの罪滅ぼしだ。もちろん、そんなマイナスな感情だけで彼女の側にいるわけではなく、心の底からちゃんと想っている。想ってはいるが、どうしてもそれが出来ない不甲斐なさをどこにもぶつけられないでいた。

 フと顔をあげると、がこちらを見ていることに気付いた。何も言わないが、言いたげな表情であるということはセネルにも判断がついた。

「………セネル様?」
「…………悪い、続けてくれ」
「――わたくしはほんの少しだけ、成長出来たと考えております。それでもまだ、ノーマ様のようには成れませんが……」

 ここでノーマの名前が上がったのは今のタイミングだからだろう。

「ですので、」

 は先程、シャーリィの事で少なからず、何か隠し事をしている様子というものは分かるが、きっと今自分自身に話すことではないのかも、と一人思考していた。今まで何かあればすぐすぐに行動をしていたが、今回はまだ様子を見ようと思えることが出来たのは、良い事なのか悪い事なのか、その判断はまだ出来ないが、人の目を気にするようになったのだろう。

 しかし、思考を止めることは出来ない。

「わたくしにも、お教えいただけませんか?……シャーリィ様の、ことを」

 手当たり次第に行動がの性格だ。効率を考えるがすることと言えば何でもかんでも答えを求めることだろうし、目の前に答えが転がっているのに下手な憶測をするのはナンセンスなのだ。
 それでも、一度は自分に隠されてしまった答えを求めることが如何に緊張するかをは今ひしひしと感じていた。

 真っ直ぐに突き刺さるようなの言葉に、思わずセネルは押し黙った。遺跡船に来てから、常に誰かと行動することの多かったセネルだが、それでも誰かを、ヒト自身を信用しようと考えることはなかった。自分以外の他人は全て、便宜上一緒にいるだけで、今だって、誰かに首を狙われてもおかしくないという緊張感の元、彼は生きている。今までだって、こうして弱い部分を見せるように、警戒を解かせて近付いてくる人間がいなかった訳じゃない。

「……アンタには関係ない話だ」
「それは初めからそうでしたわ!セネル様だってそう仰っておりました」
「自覚済みかよ……」
「ええ、ですがわたくしは、見過ごす理由よりも、力になりたい意思で動いておりますの」

 だって、他の者だって自分と同等レベルの爪術の力を持っていることは認める。そこはずっと信用してきた。「そういうのが、俺は全部理解出来ない」

「……理解をして頂かなくても構いませんし、無理に聞けないことを強要することもしません。ただ、あなたの隣にシャーリィ様がいない、それだけで問題が起こっていることは楽に予想が付きますわ」

 ノーマの理由は明確だ。ついてくる時にエバーライトとかいう石の話をされた。ハリエットに関してはまだ謎が多いが、彼女はウェルテスに居る時からウィルを気にしていたので、彼をどんな理由かで追っているのだろう。考えれば考えるほど、生産性のない彼女の行動には悩まされてばかりだ。行動には理由が伴わなければならないのに、『力になりたい』なんて曖昧な理由で、騎士でも何でもない一般人のような彼女が何をするというのか。

「セネル様からお答えいただけない以上、個人的に考えさせて頂きます」

 少し前、別れた時、いつ会えるかも分からない港でずっと待つと彼女は言っていた。その瞳と同じ色で、セネルをまたは見る。揺らぐこともなく、溶け込むようなその色に、セネルから目を離した。

「……勘弁してくれ。バレた時に俺がクロエに殺される」
「クロエもどこかにいるんですか?」
「この先にいるはずだ。……アンタ達は連絡取り合ってないんだな」
「っええ、まあ……」

 手紙を書くとは言っていたが、未だバタバタすることが多かったために、まだ紙の準備さえ出来ていなかった。とはいえそれは言い訳にしかならない自分の行動の遅さには恥じたように少々赤くなった。

「初めに言っておくが、」セネルは言う。「俺はアンタを信用した訳じゃない。それに、他のやつも」
「………はい」
「……他のやつらも、俺のことを信用してない」
「え?」
「認めたくはないが、俺がシャーリィの、また攫われる理由を作ったことに変わりない」

 まだ続くノーマとハリエットのやり取りを眺めた。こことは温度が違うようで、そこまで距離は離れてはいないが、何か境界を感じた。
 は先程のセネルの言葉をゆっくりと噛み砕くように考えていた。セネル自身が周りを信用していないのは分かっていたが、周りとはどういうことなのだろうか。自分を卑下したわけではなく、まるで直接言われたかのような口ぶりだったのはどういうことなのだろうか。

「……セネル様がシャーリィ様を大事にしていることはわたくしにも分かります。あの後、何が起こったかは分かりませんが……」
「別に、励ましてほしい訳じゃない。結果はこれだ。もうそれ以上言うことなんてない」
「途中に何があったことは全て無視をするということですか?」
「……下手な励ましは虚しくなるんだよ」

 シャーリィを失ってから、ウィルには信用がないと言われ、クロエからはひとでなしと非難され、純粋に実利主義のノーマと行動を共にしているセネルにとって、それでも変わらず近付いてくるは異端だった。勿論それは全て理由を説明していないからであって、いくら自分主観で話しているとはいえ、ここでに幻滅されてもおかしくない状況で、セネルはあえて突き放す言葉を使う。励ましがいらない事は当然だが、自分自身で静かにハードルを下げるように、これからを覚悟した。

「では、それでは、途中経過なんて考えなくても構いません」
「……」
「シャーリィ様を無事救い出す終わりまで、何も考えなくていいんですね」

 セネルは驚いた表情でを見た。いや、でも、分かっていたはすだ。この女は決して否定してこないことなんて。浅ましい自分の奥の奥が見えた気がして、少々気分が悪い。まるで、こんな言葉をかけてほしかったと、全細胞が言っているようで、吐き気がする。

「……話して頂き、誠にありがとうございます」

 この色は、温度は、暖かく。飲み込まれてしまうならその時は。

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