散らない花は美しいか

17

 がセネルに聞きたいことは比喩じゃないほどに山ほどあった。とはいえ、あそこまで意気消沈している彼を質問攻めにできるほど、は非情な人間ではないし、今はまだ待つ時だと考えた。そもそも、こうして話してくれたこと自体を嬉しく思っていたので、これ以上望むのは傲慢なのだ。

 セネルへと向き直すと、今はまだ聞けることを探して問うた。

「それで今は、何をしているのですか?……彼女は?」彼女、と言うとハリエットを見た。
「ハリエットはこの事には無関係だ。何やらウィルに関係あるみたいだが……」
「ウィル様?」
「ああ、詳しい関係は知らないが……。兎も角、ハリエットは関係無いし、アイツは戦えない」

 年相応の少女だとセネルは言う。確かに――が言えた義理ではないが――戦闘に不向きな格好をしているし、柔らかそうな手はきっと、武器なんて持ったことないだろう。今は言い合いしているがノーマだって、魔物が来ればそんなハリエットを守るように動いている。

「分かりましたわ。わたくしもハリエット様をお守り出来るよう努力いたします」
「……アンタは本当にいいのか?」
「何がですの?」
「こんなに信用がない俺といなくてもいいだろ。アンタならウィルとクロエの所でも――」
「わたくしは、」

 は珍しく言葉を遮った。「いえ、もしわたくしがシャーリィ様なら、この状況で助けて欲しいと思う感情より、あなたに真っ先に会いたいという感情が強いと思います」

 もちろんこれは持論でありますが、とは言葉を濁しながら、セネルの右手を両手で握った。この手は、どう頑張っても物理的には壊すことが出来なかった扉を壊そうとしていた手。諦めずにどんな事があっても目の前の壁に振りかざしてきた手。全てが全て、シャーリィという妹の為に、自身を削って生きてきた事を知っている。

「疑心暗鬼になっている状態で、『心配しなくていい』なんて言葉よりも、あなたが一番に会いに来て下さるだけで、どんなに救われるか。きっと、セネル様も分かりますよね」

 いくらグローブをつけているとはいえ、その生地の先から感じられるゴツゴツとした男性らしい手は今までどんなことをはねのけてきたのだろう。僅かな時間しか一緒にいなかったでさえこんなにも様々な面を見たというのに。

「ウィル様にはウィル様の、クロエにはクロエの考えがあります。それを否定はしません。だけど、わたくしもあなたのこの手を否定いたしません」
「………」
「………これ以上に、何を持って信用するなんて言えるのでしょう……」

 最後はもう呟いているように、静かな声だった。野外で、それでいて近くで口論もしているもんだから、この場は静寂とは無縁ではあったが、セネルの耳まで風が通り抜けるように届いた。
 言いたいことを言い切ったのか、黙って俯いたの表情さえも見ないまま、セネルは未だ繋がれた手を眺めた。そうだ、自分が何を言っても、止めたとしてもこの人は決して歩むことを辞めない。辞めさせてくれない。

「……励ましてほしくなんてない、って言っただろ」

 それは淡々とした口調だった。は何も言わずに少しだけ身体を揺らした。その拍子に握られていた手が離れ、熱がどこか遠くへ行くように、外気が冷たく感じられた。

「だけど、今、俺は」
「……セネル様……?」
「―――アンタに、感謝してる。……上手く言葉に出来ないが」

 今度はセネルがの両の手をそれぞれの手で握った。セネルとは大きさも、細さも違う手。シャーリィよりも、外を知らない手だ。注意深く触らないと、簡単に折れてしまいそうだ、と今の雰囲気に合わないことさえも考えてしまった自分に、セネルは一人心の中で苦笑した。

がいてくれて、良かった」



 気がつくと、ハリエットとノーマの小競り合いは終わっていたようだった。決着がついた、というよりは他に興味が出るものがあったようで、そちらを見ている。その視線の先にはポッポがおり、このあたりで作れる簡単な発明品を披露していたようだ。

「まあ、素敵」
「あ!ン!これ見てみて!ラジコンなんだって~」
「他にはどんなものが作れるの?」

 容姿は異なれど、二人は仲睦まじい姉妹のようで、ポッポの前に座り、話を聞いている姿は大変微笑ましかった。一緒になって横に座ることも考えたが、ここはまだ道の途中だったので、二人の後ろに立った。

「何でもリクエストを教えて欲しいキュ!」と、胸をドンと叩くような動作で力強く息をまく。

「じゃあ僕からリクエストなんですけど、」
「ジェイ?」
「ん?」
「えっ」

 先程までいなかった場所、の横に立っているジェイに全員の目が移動した。今朝ぶりに会うジェイはどこか目が座っている。

「この人が村から出た瞬間にアラートでも鳴るようにしてくれませんかねえ?」
「え、何何!?この失礼なガキンチョ!?さっき船にいたやつだよね?ンの知り合いなの?」

 この人、で刺されていたのはだった。こうなると、どう見てもジェイがに怒っていることは火を見るより明らかだったが、理由が分からない。それにしても、ここに来て初日にジェイと会ったセネルならまだしも、ノーマがジェイの顔を知っていることには少なからず驚いていた。

「……お前、なんでこんな所にいるんだよ」と問うのはセネルだ。
「マリントルーパーのお兄さんには関係ありませんよ。ところでポッポ、誰に外出許可を取ったの?」
「外出許可キュ?」
「………キュッポに聞かなかったのかい?この人が出かける時は声かけてって言ってたんだけど」
「『この人』ではなく名前で呼んで下さいまし!」

 頑なに名前を呼ぼうとしないジェイにはツッコミを入れるが、その場にいた誰もがその発言をスルーした。しかしそれにしても、呼ばないだけではなく目も合わせようとしないジェイの徹底っぷりにはある意味関心する。

「ッジェイ!」

 と、そこに、聞き慣れた声が届く。声の方向を見ると、こちらに向かって走ってきているヒトの影が2つ。その方向は、これから達が向かおうとしていた村の方角だ。

「げ、ウィルっち………」
「なぜノーマが……って、様!?お、わ、お久しぶりでございます……!」
「………なるほど、探しに来たのは彼女だったのだな」

 いまいち状況把握が出来ないこの状況で、いち早く理解したのはウィルだったのだろう。を見、ジェイを見、握りこぶしを作った。その動作に、直ぐ様真っ青になったのはクロエだけである。思い出すのは先のこと。いくら何かあったとしても状況くらい聞いてもいいだろうと、ウィルを止めに入った。

「ま、待てレイナード!様にも事情が……」
「これまでの彼女の行いを見ると明らかにこれは……」とゆっくりに近付いてきたが、彼女の近くいた少女にウィルの目が移った。「ハリエット?」

 セネル達は、ハリエットがウィルに用があるということは察していたが、ウィル自身がハリエットに用があると思っていなかったのでこの反応に疑問が浮かんだ。それでいて、名前を呼ばれたハリエットは不満そうにそっぽを向く。その表情は先程まで嬉しそうにポッポの発明を見ていた目とは大きく違う。

「……その、久しぶりだな」
「久しぶり?違うわ。『はじめまして』でしょ」

 大きな瞳を伏せ、冷たくハリエットはあしらう。ウィルは良くも悪くも迫力ある男性ではあったために、小さな女の子一人に戸惑っている姿は新鮮だった。
 ハリエットの強い言葉に、ウィルは何も言えずにいると、煮え切らせたハリエットは勢い良く立ち上がった。その顔はよく見えないが、先程のように怒っている時とはまた違っているよう。先程のハリエットは文句があるならちゃんと口に出していた。今だってそうだが、相手の返答を待たずに痺れを切らすことなんてなかった。まるでそれは返答を怖れているように、ハリエットの背中は更に小さく見えた。

「――ポッポ君、行きましょ!」

 ウィルを全く見ないまま、ハリエットは近くにいたポッポの手を取って先へ向かう。

「ハリエット!」
「……ポッポが一緒ですから、心配しなくても平気ですよ。あなたもこの先の道が問題なかったかなんて、たった今も歩いてきたんだから分かるでしょう」

 人数が多くなったことで、状況がややこしくなってしまった。ジェイがため息を吐いた。「この先がモフモフ族の村です。一度僕の家で話し合いをしましょう」



「えーとつまり、不可視のジェイが、ウィルっちから依頼来たし、丁度いいからって思い悩んでるンの為にウィルっちとクーをモフモフ族の村に連れてきたけど、肝心のンがどっか消えてて焦ったってこと?」

 要約したのはノーマだ。村の奥、ジェイ――とポッポ兄弟――の家の居間で、絨毯に腰おろしていたノーマは左右に揺れながら言った。

「違います。別に焦ってはないですし、さんの為に連れてきた訳じゃないです」
「えー?そんな感じに聞こえたけど」
「……この経緯説明はどうでも良くないですか?今日は次の話をする為に集まっているのでしょう」

 その前に、とジェイは続ける。

「依頼人のウィルさん、と同行者のクロエさんはいいのですが、他の人にもこの話をしても良いのですか?」
「あ………」

 真っ先に動揺したのはクロエだった。視界の隅でを見、直ぐさま目線をそらした。その様子にただは首をかしげたが、この状況クロエからは聞けそうにない。
 その言葉にすぐ返答出来たのはセネルだった。セネルは不満そうに腕を組み直す。

「……俺達からも情報料取るってことか?」
「そんなみみっちい事はしませんよ。ただ、覚悟の問題です」
「覚悟お?」
「ええ、確実に首は突っ込んでくると思ってましたけど。――さん、これは全てあなたに言ってますよ」
「……わたくしですか?」

 覚悟も何も。とは思った。力になりたいと願っていることは本心だし、それがブレることはない。ジェイ・クロエ以外の、三者三様が彼女とジェイを見比べるが、肝心のは質問の意図が分からないという表情で首をかしげた。そのままジェイを見つめていると、根負けしたのかジェイはため息をついた。

「僕らが今回喧嘩を仕掛けるのは、国家です。まあ少々語弊はありますが、国家単位で考えて下さい」
「国、家……?」先程まできょとんと表情だった彼女はサと顔を青色に染めた。
「……いただいた依頼状によると、皆さんが知りたい情報は、ヴァーツラフの所在とその目的、でしたね?」
「っ……!ど、どうして、彼なのかしら……?」
「シャーリィはヴァーツラフ軍に攫われたんだ」

 の動揺も知らないまま、セネルは言った。確かにこの情報はに伝えていなかったが『はヴァーツラフ・ボラドを知らない』と考えているセネルにとって、伝える必要がないと思っていたからだ。戦う敵の名前なんて、後からいくらでも覚えられるだろうと、それだけだった。
 しかしながら、いつもの余裕の表情ではなく、すっかり青ざめてしまったの表情にウィルは「どうかしたのか?」と恐る恐る声をかける。

「あ、そっか、ガドリアとクルザントって交戦中なんだっけ……?」
「?だから何だ、はコルネアの出身なのだろう?」
「げげ!――クー!そういう設定だったの!?」
「ノーマ……」

 ヒソヒソと話し始める女性陣にますますウィルは不可解そうに眉をひそめる。目の前であからさまな内緒話をされて心地いいものではない。
 ガヤガヤとした状況を外野から見ている気持ちになった当の本人であるは意を決して息を吸った。

「っ申し訳ございません」

 突然の頭を下げての謝罪に目を丸くしたのはジェイだ。他の人は反応がまだ遅れているようで、戸惑った顔が見られる。

さん!僕は別に頭を下げろと言っている訳では――」
「ですが、わたくしはずっと嘘をついておりました」
「嘘?」

 キ、とセネルの目つきが厳しくなった。それもそうだろう。先程まで信用だのという話をしておきながら、自分を詐称していたという話をされている。訝しげにを見ているが、当の本人は視線を泳がしている、が、それも一瞬で、バッと顔を上げると一人ひとりの目をゆっくりと順番に、しかし、しっかりと見た。

「クロエ、……と、そのご様子からノーマ様はご存知かもしれませんが……」
「申し訳ありません、様……」
「あ、違う違う!クーが言ったんじゃないよ!あたしが勝手に憶測したっていうか!」
「君は、何だと言うのだ?」

 責め立てるようなウィルに臆することなく、姿勢を正した。すっとした背筋は乱れることなく、静かに口を開いた。

「申し遅れましたこと、重ね重ね、深くお詫び申し上げます」

 思えばこの場に置いて、自分を知らないのはセネルとウィルのみだ。モフモフ族はともかく、他の3人は既にそれぞれのルートで知っている。それなのにどうして、話すことが出来なかったなんてそれこそ自分の覚悟の問題だ。また一つ息を吸う。これを言ってしまって何かが変わるかもしれない。

「わたくしは、」

 否、変わらないかもしれない。

「聖ガドリア王国第一王女、・ガドリア・でございます」

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