散らない花は美しいか

21

 頬に何かを感じた。いや、頬と言うよりは喉下で、その手付きからは脈を確認しているよう。暫く触れていると、その手はふいに離れた。人肌が遠ざかると、どこか冷えるようだった。

 薄く目を開けると、そこには褐色の男と一匹の獣がいた。セネルとはまた違う褐色の男。と彼は目が合うと、どこか安心したかのようにニッと笑った。

 ほのかな照明が辺りを照らす。地下のようだ。朱色の壁や大地からは作られたその歴史を感じるが、初めて見る文様だった。

「おお、目を覚ましたんか。姐ちゃんは落ちるのが好きなようじゃのう」
「………ええと……ごほっ」

 自身が動いたことにより、軽く砂埃が舞う。ああ、そういえば先程までこの上に居たというのに、陥没したことにより落下したのか。服や髪の土を払っていると、眼の前の男・山賊のモーゼスもどこか土っぽいことには気付いた。

「……貴方も落ちたのかしら?」
「ん?……んー、まあそういう事かの」
「そう……――ヒール」

 多少の切り傷が見られた彼へと回復をかける。その様子をモーゼスはじっと見ていたが、とまた目が合うと不器用に礼を言った。

 今はどのくらい経ったのだろう。ハと、左手首を見るとブレスレットがなくなっている。そういえばあれはジェイが持っているのだろう。それがないことで、爪術を使うことにそこまで影響はないが、ずっと付けていたもの故に不安を覚える。右手を強く握った。

「貴方は、えっと、セネル様……いいえ、シャーリィ様は……」
「聞きたいことが沢山って感じか。とはいえ、ワイも全くわからん事が多い!姐ちゃんは――」
「あら」と、彼の言葉を遮った。「そういえば、自己紹介がまだでしたわ。わたくし、と申しますの」
「……おう、ワイはモーゼスじゃ」

 呆気ながらも、答えてくれるモーゼスに、は少し感動した。前に別のヒトとこういったやり取りをした時に少し無碍な扱いをされたからだ。そして、握手のためか手を差し伸べたのだが、自身の手に土埃が多いために戻そうとしたところで、モーゼスがその手を強く握る。「まあ、挨拶は大事じゃの。ここで会ったのもなんかの縁じゃ」

「モーゼス様、手がとても冷たいわ」
「あーまあさっき水に流されてのう、たどり着いた先がここだったんじゃ」

 先程、落ちてきたということを曖昧に頷いたいたモーゼスだったが、自分でそう言っていたことを忘れ、素直に話す。はそんな様子に気付くこともなく、彼のために上着を脱ごうとするが、明らかにサイズが違うそれに、思いとどまる。セネルやジェイなど、線の細い男性が着用するならまだしも体格が良く、背の高い彼では肩にかけるだけで違和感だ。

「このくらいでバテる身体じゃないからの、気持ちだけ受け取っておく」
「けれど、早く温まらないと……」
「なんじゃ、温めてくれるんか?」

 と、彼が言うのは冗談のつもりだったが、は少し考えるような素振りをするのでモーゼスは慌てた。前に会ったときもそれは痛いほど分かってはいたが、彼女に冗談は通用しない。「嘘じゃ嘘!この上の地盤が緩くなってるんなら早く移動した方がええ」

「丁度よく焚き火が出来たら良かったのですが、確かに急いだほうが良さそうですね」
「ああ……そういう温め方か」

 少し肩を落として言うので、は首をかしげた。

 ともかく、モーゼスと会話をすることで混乱していた脳がゆっくりと落ち着いてきたのか、ようやく冷静に物事を考えられそうだ。

「ところで、モーゼス様はどうしてこちらに?」
「そう、そうじゃの、その話をせんと。ワイらは前にあの奴らにコケにされたんじゃろ。姐ちゃんも居た時の話じゃ。やられっぱなしは性に合わん」
「なるほど……」

 思えば、あの混乱があったからこそ、一度はシャーリィと共に行くことが出来たのだが、その戦いにて、達が去ったあとに山賊達が怪我を負ったことは事実だ。彼らは、自分たちのテリトリーに踏み入れられたからこそ、あの時ヴァーツラフ軍と闘ったが、もし犠牲者を出したくなければ、さっさとシャーリィの居場所を言うことだって出来たはずだ。もちろん、そうなった原因は全てシャーリィを攫ったモーゼスにあるのだから、庇ってくれたと考えるのはおかしいが、彼らなりの道理があるということは十二分にわかった。

「それで、ワレらが分からん。目的はなんじゃ?」
「わたくし、は、成り行きで一緒にいるのですが、シャーリィ様はセネル様の妹なんです。だから、わたくし達は力になろうと、ヴァーツラフ軍に襲撃していたのです」
「妹オ!?」

 そういえば、そういった話は彼にはしていないし、セネル本人だってそんな身内話をしたくはないだろう。心底驚きを覚えたような大声に、はビクリと肩を揺らした。

「ほがぁ理由か……うん、じゃったらワイも手を貸そう!」
「まあ!」

 は嬉しそうに手を叩いた。この場にセネル達が居れば「簡単に信用するな」などと非難されそうではあるが、ここには彼女しかいない。誰も止めるヒトはいないのだ。
 幸いにも彼が企んでいることは何一つなく、家族を大事にする彼だからこそ心から出た言葉ではあるのだが、そこまで嬉しそうにされるとモーゼスも悪い気はしない。乗りかかった船というところか。気を大きくしたかのように楽しそうに詳細を聞く。

「それで、えーとセネルとかいう男達はどこにいるんじゃ?」
「わたくしは今はぐれてしまって……でも雪花の遺跡に行けば間違いありませんわ!」

 この船に乗るのは間違ったか。モーゼスは冷静に思った。



 とモーゼスのコンビの相性は悪かった。クロエのような戦士タイプではなく、槍などを遠投して周りを見ながら戦闘するモーゼスは所謂中衛タイプだ。とはいえ、モーゼスのパートナーであるギートがガンガンと攻めてくれるためになんとかはなっていた。し、それに、

「あの、わたくしも……」
「姐ちゃんは何もせんでええ。後ろから何も来ないかだけ見といて欲しい」

 一切に爪術を使わせることをさせなかった。はモーゼスの目の前で爪術を使ったこともあったし、現に先程、ヒールをかけただろう。

 女は後ろにいろ――という事でもなさそう、だというのは、一緒に歩き出す前に「姐ちゃんは何か武器はあるのか?」と聞いていたからだ。「いえ、何も」と笑顔では返したのだが、「じゃろうなあ……」という煮え切らない答えを返すのみで、それっきり、「後ろにいろ」と言って聞かなかった。

 これがセネルやジェイだったらはもっと前に出ることは出来ただろうが、モーゼスの戦い方は中衛、つまりはの定位置と似た場所にいるのだ。何か余計に動こうと思っていても、モーゼスが阻止するように動くので、もやきもきしてしまった。最も、がどうこうするより以前に、全て片付いていたので彼女が出来ることと言えばアシスト程度ではあったが。

「わたくしも戦えますわ」

 そうが言い出したのは休憩中だった。次第に歩みが遅くなるの気配を感じ、モーゼスがわざとらしくその場に座り、ギートもそれに倣った。

「ほがぁか」
「ですから歩くだけではなく……」
「……こんな出で立ちだからこそ、色んなヒトは見てきた方じゃ」

 の主張を遮るように、モーゼスは言う。まだその言葉の真意は分からないが、きっと今疑問に感じているものに関することだろう、とはその続きを待った。

「爪術使いは未だ珍しい。だけど、みんな一様に、その名の通りツメが光る術士じゃ」
「………ええ」
「姐ちゃんは」

 ドキリ、とした。まさか、と息を飲む。こんな指摘、これまで同行した誰にも言われたことが無かった。隠し通していけると思った。なぜかってそれが当然だからだ。まさか、そうとは思わない。きっとあの情報屋でさえも見抜くことは出来ていなかったかもしれない。は息を吸った、それが短く細かったためか、ヒュウと喉の奥がなるようだった。

「なんで、左しか光らんのじゃ」

 モーゼスはを見据える。初めにそれを確認したのはアジトでのことだ。後ろで爪術を唱えているが邪魔だったため、威嚇を込めて近づくと、はっきりと見えた。光り輝く左と、全く輝くことのない右。とはいえ、それも気のせいかもしれないと、時が経った頃に思ったが、先程のヒールで確信した。

「よく分からん。こんな爪術士は見たことがない。だから、姐ちゃんが爪術を使うのは寒気がするんじゃ。……良くない気がしての」
「……よく見て、いらっしゃるのですね」
「こんなん気付く方がおかしいと思っとる」

 左の爪しか光らないというのは身内の他、自分の専属の付き人しか知らない話だ。原因は分からなく、そもそも先天性の爪術である以上、右も光るように出来るはずがなかった。そのため、が初めて爪術を披露出来た時、通常の半分程度の力だと判断されていた。

 左につけていた数珠、そして手袋は所謂目くらまし目的だった。白い手袋をしている以上、実際に光っていなくても動いていれば分からないこともあり、左側に光るミスティシンボルを付けていることで、目の意識は左側に行く。また、非常に強い魔力が生まれるように加工されてはいるが、それは右の分もどうにか片側でフォローしたいためだ。

「わたくしは、」はモーゼスから目を反らした。彼女は常にヒトを真っ直ぐ見て話していたのだが、今この瞬間ばかりは迷いのあるこんな目なんて見せられない。「生まれつきなんです、ずっと、だから爪術も最初は駄目で、」

「ワイは別に責める訳じゃない。ただそのまま使うのは良くないと思っとる」
「身体への負担は感じる時もありますが、それは通常の爪術士と同じです。……恐らく、ですが」
「………ワレがそういうならそうなんじゃろうな」

 モーゼスは息を吐いた。彼の言う通り、ただ何となく"駄目な気がする"というだけで、の爪術が本当に他の正常な爪術士と比べて駄目なのかは分からない。そもそも根本の体力が貧弱――というのはモーゼス基準だ――の彼女を見ていると本当に異常はないかもしれない。疲労を数値化して見れるものではないため、各々どのくらいダメージを負っているかなんて分からないのは確かだ。

「分かった。もうワイからは何も言わん。だけど、無意味に前に出ることはやめや。……まあ、姐ちゃんの爪術は強そうだからワイとしては助かるんだけどのう」

 そして立ち上がると、の肩を叩いた。その背中を見、は手を強く握った。この体質をヒトにどのように思われていたかなんて、思い出したくはなかったが、彼はそれに対して深く入り込むわけではなく、自由にしろと言い放ったことが彼女に取って新鮮で、そしてどこか怖ろしかった。この場で自分は確かに自分として、生きている。

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