男は成功したという


21

 ネフリーは勘付いていた。が一人暮らしでは無いと言う事を。

 それから、『彼』が誰なのかと言う予想もついてはいた。まさかとは思ったが、幼い頃のあの現象を考えてみると、納得は行くかもしれない。それに、『兄』の姿を見間違えるほど彼を知らない訳ではない。丁度あの位の兄とは、あまり面識はなかったから勘ではあるが、まさかあの様な帽子だけで誤魔化せるとあの人は思っていたのだろうか。いや、そんなはずはない。もしかしたら見つけてもらいたかったのかも、と『彼』からすればありえない発想が過ぎった。
 
 ネフリーは『それ』を良くないものだと思っていた。だからもし、自分の勘が当たり、全て想像通りだったのなら、の傍に居て欲しくなかった。
 それは純粋なが、影響されあの『兄』のようにはならないでもらいたかったからだ。

 しかしネフリーの思いの外、祖母の死後、は変わった。だけれど、それは良い方に変わったと、ネフリーは感じている。恐らくあの小屋にはの他に『彼』が居るのだろう。その彼のお蔭では親族の死別から早くに立ち直れているのだ。
 『彼』がに何かをしたのかなんて分からない。あの頃から兄はずっと、自分の先の先を行く人間だったから、今の自分の考える範囲でも追いつかないだろう。遠い存在だった。

 既にが帰宅した後、少しだけネフリーは残った彼と話をしていた。その内容はなんでもない、最近の話だ。淹れ直したコーヒーを一口啜ると、兄は立ち上がった。
 
「それじゃあネフリー、私はそろそろ行きますね」
「もう?…何日かはここに居るのでしょう?ここに居てもいいのよ」
「家庭をもった妹の家は兄が出しゃばる場所ではありませんよ、宿を取っていますので」

 闇に葬られたあの実験のお蔭で、誰かが笑顔になれるのなら、それがあってもいいものだったかもしれないと言う矛盾を思い浮かべながら、ネフリーは目を伏せた。

22

「……?…何ニヤニヤしているのだ」
「…ふふ!あのね!!」

 今だ、あの『バルフォア博士』に会ったと言う感動が冷め切らないは、その様子を顔に残したまま家の扉を開けた。暖炉の前の椅子では彼が黙々と読書をしていたが、の帰宅により顔を上げたのだが、すぐに異様な様に顔を歪ませる。

「会っちゃったんですよ!」
「……誰に」
「バルフォア博士に!!」

 ガタン、と本を落としながらも彼は立ち上がった。あまり血行のよくない顔色は、いつもよりどこかさらに青くなっている。
 
「まさか、軍人とは彼の事なのか!?」
「ええ、そうです!…あ、バルフォアさんも会いに行かれますか?」
「……」
「こっそり行けば大丈夫ですよ!」
「……ふざけるな」

 呑気なの発言に、彼は小さく悪態を吐いた。こんな狭い部屋だったのだから、例え小さくとも彼女の耳には十二分に届く。は首を傾げていると、彼は言った。

「何があっても、そいつを……いや、なんでも、ない…」
「……バルフォアさん?」

 血液が冷めた気がした。もし、ジェイド・カーティスが自分に気付いたらお終いだ。弱いと言うではないが、推定18歳である自分と、彼では明らかにこちらが不利だ。彼が腰が曲がるくらい年老いていたのなら話は別だろうが、ネフリーの様子から見ると30代かそこらだろう。力も充分について、安定している。

 手を握りしめながら、なぜ自分がこうも『生』に縋り付いているのか疑問に思った。本当なら無い命を持っていると言うのに、自分はただの実験体だと言うのに。あの時は、もう死んでもいいと思っていたというのに。こうも足掻く姿はみっともない、と彼は心底思った。いつからこんな風になってしまっていたのだ。いつまで死んでもいいと考えていたのか。
 
「バルフォアさん、」

 顔を上げると、が頼りなさげに笑っていた。

「理由は、相変わらず分かりませんが、えーと、無理強い?はしないですよ!」

 に会う、その時までだったのだろうか。

23

 この日は雪だった。
 昨日、居間のソファーでそのまま寝てしまったは、寝返りでずり落ちた事により目が覚めた。不運な起き方ではあったが、時間としては丁度いつも朝食の準備をしている時間だったために、なんとも言えない。

 近頃どうも寝すぎてしまうだったので、最近の朝の食卓は専ら彼が担当する事が多かったが、今日は自身の方が早かったのかもしれない。うんうんと満足そうにずり落ちた状態を直さないまま彼女は一人頷いた。そういえば彼は今、祖母の部屋で寝泊りしているのだが、その部屋にまであの大きな音のせいが届いたのか彼も起きてしまったようだった。ガチャ、と音を立てて開いたドアを眺めていると、次に顔を出したのは彼だった。頭が真っ逆さまに落ちている彼女を見、呆れたように声を出す。

「……何、してたんだ」
「…朝の体操ですよ!」
 苦しいの言い訳と、いつもよりどこかずれているソファーを見た後に彼は言った。

「そうですか、大変だったな」
「ああもういっそ馬鹿にして下さい…」
「……何か、作っていたのか?」

 テーブルに見える、毛糸のようなもの等を彼は見た。それにハタとは気付くと手に持っていたお玉と一緒にそちらに向かった。そしてソレを彼にはっきり持ち上げる。

「マフラーです!どうですか?」
「………心なしか、上と下で網目の粗さに差が…」
「こ、これはおばーちゃんが作ってたから上手なのは当たり前です!」

 曰く、祖母が作りかけていたのを見て、自分が最後まで完成させよう!とチャレンジしたものの、今まで見ていただけで全く行っていなかった編み物はとても難しく、粗い網目になったり、編んでいる数が多くなってしまっていたようだ。よく見てると若干太さの違う部分もある。
 はなかなか受け取らない彼に、無理矢理巻きつけた。

「うん、やっぱり帽子だけじゃ寒いですよね!」
「………室内ではしないと思うが」

 そんな一言を無視し、は後ろに回り、彼がすぐに取らないように蝶結びをした。

「……に、似合ってます…よ?」
「笑ったまま言われるのは癪なんだが」
「いや、怖ろしく似合います。ふふふ…」

 本来はふざけて結んだと言う所もあるが、似合ってしまったものは似合う以外に褒め言葉はない。一歩二歩下がってもう一度彼の姿を見るが、似合っている。
 だけど不機嫌な彼の顔とは真逆の可愛らしい結び方がどうしてもおかしいのか、一通りは笑った。その間、彼がマフラーを外さなかった優しさなのだろうか。

24

「……え、今日出かけるんですか?」

 食器を洗っているが、思わず驚いた声を上げた。

「確かに今の雪は激しいが、遠くまでは行かない」
「で、でも……。明日じゃ駄目なんですか?」
「そういう訳でもないが…、昨日気になるところがありまして、ね」

 先日は、家ではなく外で調べものをしていたのだが夕暮れに差し掛かった時、見慣れない小屋を見つけていた。まずノックをしたが反応がない。それで、ドアを開けようとしたら内側から鍵が掛かっていて、開けられない。どうにか開けようと蹴ったりしてみたが意味は無い。何かあるかもしれないために譜術も使う気にはなれない。そうこうしているうちに、月が昇ってきたので帰ってきた、と言う所だった。
 
「うーん…じゃあ、わたし着いて行きます!」
「……は?」
「雪の中歩くなんて、一人じゃ出来ない事ですよ!じゃ、準備しますね」

 何人でも同じ事だが、と言う話だが、は既に用意を始めている。彼が調べているものが、例えばに知られたとしても、恐らく彼女は良くも悪くも介入する事はないだろうが、足手まといはご免だ。その旨をに伝えようとしたのだが、水筒まで準備し始めた彼女に何も言えなくなり、彼は諦めたように息を吐いた。

25

 気分はピクニックと言うのだろうか。彼の隣に居るは、水筒とお弁当の入ったカゴをニコニコとした笑顔で持っている。その中にはシートも入っているようだが、一体どこでそれを敷くと言うのだろう。いやそれにしても、少しくらいは収まるかと思っていた雪が尽きる事なく降り注いでいた。上を見上げると灰色の雲が見える。

 時々遭遇するモンスターに手を焼きながらも、昨日見たという小屋まで足を運ぶ。家からは少し遠い位置にあるらしく、所々彼は、に休憩を勧めたが、彼女は中々首を縦には振らなかった。

「…わたしね、バルフォアさん。小さい頃、すっごく体が弱くて、」
「……」
「こーやって、雪の日に歩く以前に、外に出たことさえ指折りで」

 不幸自慢ではなくて、は今が楽しくてしょうがないかのように、続けた。

「友達もいないし、でも、辛くはなかったんです」
「どうして?」
「それが普通だから、って思って、たんです」

 の世界と言うのは家の中だけで、滅多に外なんて見ない。だから、部屋の中で勉強するしか用事はなくて、勉強疲れたからと言って、それをしないと暇になる。その暇さえもにとって見れば日常で、誰かとお喋りをすると言う予定なんて、無かった。

「元気になってから、走り回った時は本当に驚きました」
「……そうだろうな」
「いっぱい走って、楽しいけど疲れるんですよね。…わたしはずっと、プラスもマイナスもないところで過ごしてたので……ほんとーに、驚きました」

 譜術を沢山勉強したからと言って、それがそのまま反映される訳ではない。向き不向き、それと才能が嫌でもついてくるものだからきっと、には達成感なんて無かった。凄い、と親から褒められても比較がないのだから、本当に凄いのかが分からない。

「バルフォアさんは、どんな子供時代でした?」
「…………僕、か?」

 自分であって『自分』ではない子供の頃の記憶を、彼は持っているが、それは自分の記憶だと自信が持てないし、ベラベラと話せる内容でもない。
 
「なんだか、あんまりイメージ出来ないです。子供の頃のバルフォアさん」

 それはどう言う意味なのか、は正確には説明しないが、それでも想像しているのかうんうんと考えるように頭を捻っている。

「……別に、昔がどうとか、どうでもいいだろ」
「…大切なものは今、ってやつですか?」

 は冗談めいて言った。この少女は時々的を得ているものを言うから末恐ろしいものだ。

26

 雪は多少弱まったがまだ止みそうにはないようで、彼は溜息を吐いた。が持ってきた弁当は、先ほど雪が防げそうな洞窟で食べたから荷物は軽くなっているが気分は重い。しかも、その弁当も冷たくて、しょうがなく譜術を使って温めたのはどんな思い出か。

 歩くスピードはに合わせているために、なかなか自分が思った通りには時間が進まない。もし一人で来ていたのなら、もうとっくに着いていただろう。

「あ、もしかしてアレですか?」

 が指差す先は確かにあの小屋だった。
 彼はようやく着いた、と少しだけ早足に小屋に近づいた。そして戸を引くが相変わらず、開くような気配は無い。他にどこか入れる場所は、とあちらこちらを見ていると、窓が少しだけほんの開いているのが見えた。少しだけとは言え、こんな日に開けているとは、と彼が近づいて、そこの様子を見たが、窓ガラスを割りでもしない限り入れないだろう。

 どうするか、と考えているとまだ玄関の前に居るの声が聞こえた。

「この小屋…、なんだか…」
「……どうかしたのか?」
「大した事ではないのですがうちと似てるな、と」

 そう言われ、彼も全体を見たが、確かに似ている気がする。が、小屋の種類にそうパターンがある訳ではないだろう。また視線を窓に移すとした。
 
「バルフォアさーん、ここに入らないんですか?」
「…この様子を見て貴女は、」

 ガチャ、とドア特有の金属音が聞こえた。「ほら、入りましょうよ」
 
「な…何をしました?」
「……開けました、よ?」

 きょとんとした顔では彼に言った。
 間違いなくドアは完全に開いているし、が特殊な開け方をしたようにも見えない。不審に思いつつ、戸まで戻ると、彼は何かが見えた。

「!誰か居る…」
「え、誰か、って……」

 ゆっくりと静かに入る彼の後をは追う。「誰か居る」と言う発言を聞いてしまったからには、警戒せずにはいられない。自然と閉まるドアの音にさえ吃驚してしまった。

 入ったのは見覚えのあるの家と、ほぼ同じ造りになっていた。

「ここまで一緒だと、うーん……」

 一つ大きな部屋があって、個室が二つ。きっと、他には風呂などもあるのだろう。警戒のしすぎであまり動けないの代わりに彼があちこちを見て周っている。心なしか、彼以外の足音も聞こえる気がする。はしきりに後ろを気にしたが何もいる訳がなく、その都度ホッとはしてはいるが、いっそここで出てきた方がもうコレ以上気にすることないので安心するのかもしれないとも思った。

「個室に移動してみるが、どうする?」
「……え?」
「貴女はここにいるか、着いて来るか」
「着いて行きます…!!」

 ただここが、の家と違う点はあまり物が置いていない所だけ。まるで、全てのものが取っ払われた自分の家のようで、寒気がする。

 まず初めに入ったのは、もし自身の小屋であるならばの部屋だった。ドアを開けてすぐ入ろうとしなかった彼を気にしつつ、それからまた一回後ろを振り向いてから部屋に入る。

「……なんですか、コレ」

 部屋がいっぱいいっぱいになるほど、そこには機械が置いてあった。床が抜けるのではと思ったほどだ。外見からすれば、恐らく真新しい。一般家庭にはなさそうな音機関、なのだろうか。だけど彼には思い当たる所でもあるのか、その機械に近づいた。どこかに起動ボタンでもあるのかと見回してみたが、その部分と思われるところは既にそこだけ大破していた。

「バルフォアさんはこれ何かわかりますか?」
「……僕が知っているものとは形が違う…誰かがまた新しく作ったのか…?」

 の質問に答えているようで答えていない。すっかり集中してしまっている彼に近づこうとすると、ふいに髪が引っ張られた。

「い、痛い!」

 そのの声に、彼が影の見えた所へ小刀を投げると、髪は放された。だが、その小刀が誰かに当たりはしないで、綺麗な形で壁に突き刺さる。その先に見えたものを、彼は思わず目を見開きながらも見た。そして次にまだ何かついていないかとが頭を擦りながら振り返った。も、彼と同じような反応を見せた。

「……え…」

 そこに居たのは、紛れもない、

「なんで…、『わたし』が、いるんですか…?」

 身に纏っているものは違う。髪の長さも違う、は肩より少し長い髪型だったが、彼女はそれよりももっと長くて、髪が床についている。そして、彼女はを睨んだ。

「ここニ、何の、ヨウだ」
「……調べ物ですよ、…貴女の名前をお聞きしたいのですが」
「…………

 舌足らずの口調で、『』は名乗った。そして『』のギラギラとした視線はずっとに向けられている。居た堪れなくなった彼女は、目線を逸らしたくなるが、どうにも逸らせない。彼が、静かにまるで庇うようにの前に立った。理解出来ていない彼女と違って、彼は至極冷静な表情をしていた。

「そうですか、。ではなぜ貴女はここに?」
「ココはワタしの、家、だよォ」

 『』が、ガン、と壁を叩いたせいで、パラパラと木屑は落ちた。

「……この機械は一体、なんですか」
「トボけてるノか?…お前が、知ラないわけ無いなァ」

 ケラケラと、ではしない笑い方を『』はした。そして『』はどこか、懐かしむような、が前に昔話をしたときのような顔を彼に見せた。

「おメデトう、成功作。なんセお前のデータはコのわタシが持ッテきたんだカラ、な」
「……え……?……バルフォアさん、どういう意味ですか……?」

 サッパリ理解の出来ないは、彼に小声で質問したが、それが『』にも当然届き、ニィと口角を上げた。「おバァちゃんはすごイ人だかラ」

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 『』が生まれたのは彼女がまだ幼児の時だ。

 その当時、世間では軍が『死者を復活させる研究』を行っている事が漏れ広がっていた。それはもちろんの家まで噂は流れ、祖母まで伝わっていた。まだ現役であった祖母は、死者の復活には興味ないものの、それを成功させると言う面では興味があった。それはただの好奇心だった。
 軍からこっそりと、その音機関の情報を引き出した。理論や原理が分かっていても、出来ないことというのは多いのだが、あいにくここには場所があり、ひっそりと作業を行うにはもってこいだった。試行錯誤を繰り返した結果、それらしいものは出来たのだが、だが、いざ始動させようと思うにも、自分がもう一人居てもしょうがないと、祖母は考えた。

 誰か、誰か、とふと目に止まったのは最愛の孫、だった。目に入れても痛くないほど愛おしい孫。きっと、その孫が二人になったのなら喜ぶだろうと、フォミクリーの研究により徹夜の続いていた祖母はぼんやり考えた。幸せを二つにしても、それは幸せなのだと、祖母は思っていた。

 結果は成功。だが、問題があった。作り出されたレプリカは赤子同然で、もし自分自身を複製したのなら見分けはついた。だが、はまだ幼子だった。言葉もまだまだ覚えていなくて、二人とも喃語で喋る様を見て、ようやく祖母は我に返った。
 我に返るのが遅すぎた。彼女はこっそりと、フォミクリーの置いていた小屋に、片方の一人を置いて去った。戦場に何度も出たことのある彼女に殺す事は出来なかった。飢え死にさせる事も出来ずに、祖母は毎日その小屋に通った。

 家族に何と言って家を出たのか、祖父は知っていたのか母は知っていたのか父は知っていたのか、そんなのは分からない。
 『』と、どちらがオリジナルかレプリカか、それさえも分からないのだ。

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