メリーゴーラウンドは
夢路を進む

01

 私は至極面倒くさがりな性格だ。

 基本的に動きまわるという事はしたくないし、気がつけば表情筋もサボり癖がついたようで表情を変えるということさえも希薄になってしまっていた。面白いと思って聞いていても、いつの間にか顔色を伺っているような雰囲気になっている時が多々で、実際に「ごめんね、面白くないよね」と言われた事もある。
 そうしていくうちにようやく私は、『自分という人間は言わなきゃ分からない顔つきをしている』事に気付いた。精々一言二言くらいは反応した方がいいのだろうか、と、「楽しいよ」や「それで」という相槌を始めたのは中学の時。その時話していた子に凄く驚かれたのは、高校一年生の私にとってまだ記憶に新しい。人が嫌いという訳ではない。むしろ、話をしてくれるということは座っているだけで新たな情報を得られることなので、私としては万々歳なのだが、まあ、無反応で話だけを聞かせてくれだなんて何様だという事か。

 趣味らしい趣味というものもなかった。強いていうならば読書とか絵を描くこととか、そういうものをよくしていた、けれど、別に本持ってないと死ぬとか、描くことは呼吸することと同義とか、そんな風には思ってない。だからきっと私はそこまで好きなんじゃないんだと思う。ただ、走り回ることよりはマシという、その程度。私の成績が随分良いのも、座ってできることだから、だった。頭が良いと、体育が出来なくても仕方ないで片付いてくれるのは大分ありがたかった。

 ほとんど変わらない表情のせいで小学の時から担任の先生達に心配がられる事もあったが、私なりの自己主張はしているつもりだし、不満があったら言っている。むしろ不満しか言わない人間だったのではないだろうか。今でこそいくらか自己分析出来るようになったから、自分を少しでも客観的に見ることが出来るようになったから、ほんの少しはまともになっただろうが、小さな頃は相当ひどかった、と思う。私だったらこんな人間に近づきたくはないだろう。何を考えているか分からない表情がただ寄ってくるのだ。ホラーだ。親や兄は長年の付き合いだから、こういう奴だと知っているからこそ、そっとしてくれるが、分からない人からすれば、私の対処法というのは謎でしかない。いっそ、『そっとして下さい』というタスキでもしてしまおうか。

 4月。学校の大きな窓からは桜が覗いていた。きっと窓を開けるとクラス中に桜の花びらが舞うだろう。春らしく、今日はびゅうびゅうと、音を立てて風が吹いていた。仄かに暖かくなってきたこの季節は好きだった。動かなくてもいいし。夏はじっとしているだけで暑いし、冬はじっとしてるだけだと寒い。
 ガタッと椅子が引く物音を近くで感じた。目の前の男子生徒が立ったのだ。4月は好きな月ではあったが、学生にとってこの時期は少々面倒くさい。新生活シーズン。通例行事だ。それも今年は高校入学という節目ではあるので、こりゃまた面倒。人の名前や情報を覚えるのは苦じゃないが、私を認識してもらうまでが長い。

「市葉第三中出身、」

 窓の外を見ていたかったが、彼に視線が集まるということは後ろに座る私にも少なからず目線がいくだろう。左手で頬付いたまま、私は見上げた。大きな身長。バスケ部かなあと思った。

 私の席は左から2番目でそして後ろから二番目。悪くはない席だけど、私のベストポジションとしてはもうちょっと前が良かった。席替えをするに当たって、多分、一番人気な席は一番後ろだろう。だって教卓から一番離れている、と学生は思うはず。だけど私としてのベストは後ろから三番目だ。教卓から見た時に、一番前だとか、一番後ろだとか、端だとかはそれこそ一番目立つ。後ろから三番目は程よく目立たないポジションだと私は思っていた。だから早く席替えのシーズンが来て欲しいなと私は再び目の前の壁を見た。私のベストはそこだ。

 何とか君の自己紹介は簡単だった。自分の中学と、それから名前と、後、何故か誕生日。もっと他に言うことあるだろう。しかしそれは会話上手な人だから発展することが出来る。私はチラと黒板を見るが、そこには、『名前、出身中、好きなこと!(誕生日etc)』と。これは気を利かせた担任がこうするとウケがいいと言いながら板書していあ。右端から自己紹介が始まってこっちまで来るのに時間はあったけれど、好きなこと!だなんて言われても浮かばないのは私も同感。

「九十九里西中出身、小野田。……3月7日生まれです」

 それは立ち上がってからこそ気付いたことなんだけど。

  *

 兄——小野田坂道——と同じ高校に本当に通うの?と聞いたのは誰だったか。中学3年間同じクラスだったあの子だったか、委員会でお世話になった先生だったか、はたまた親だったか。元々、兄妹揃って同じ高校に進む事さえ珍しいのに、双子なら尚そうだ。私と坂道はそこまで会話をしない。だが、互いに嫌ってもない。1時間3時間同じ部屋にいろと言われて嫌というものでもない。無関心、ということでもないが、私がこんな性格だ。嬉しい事をされたら感謝をするし、疲れている兄を労るのは日課だ。というのも、私には決まった生活習慣などほとんどなく、好きな時に好きなこと、だが、兄は休日よく出かける。その度にクタクタになって帰ってくるので不慣れなマッサージを始めて見たのはいつの話か。

 兎にも角にも、私としては高校はどこでも良かった。学費の安い県立高校で、家からそう遠くなくて、進学校らしい進学校でもない所。嫌味な訳じゃないけれど、私の学力ならもっと上を目指せると担任の先生には薦められたが、勉強はしたくてしてるものじゃない。適当なローテーションで、じゃあ読書も飽きたし勉強をするか、というテンションでやってるのだから、それだけに縛られるのは面倒だ。

 居間でだらりと勉強をしていると部屋に入る手前というところで大きな音が響いた。

「お兄ちゃん」

 恐らく今日もまた秋葉原に行ってきたのだろう。痺れた足をバタつかせて体を畳へと滑り込ませた。双子の兄、坂道は頭を上げて例えるなら命からがら逃げてきたようなそんな表情をしていた。「うう…………悪いけどちょっと引っ張ってもらってもいいかな……?」

「さっきまで歩いてたじゃん」
「もう糸が切れたみたいで……」
「そか」

 私は坂道のブレザーをぐいぐい引っ張っていたのだが、それがどうしてか夕飯を作っている母にバレたみたいで「引っ張らない!」と台所から声が聞こえた。その声に私と坂道は顔を見合わせたが、ほんの一秒の会議の結果、静かに引っ張るということに結論付いた。双子というのはこんなところですぐに一致団結出来る。しかしながら、坂道は小柄と言えど、私よりは大きいし、そりゃ重い。ゆっくりゆっくり、そして慎重に居間の中央まで引っ張ると、私はさっきまで飲んでいた麦茶をまた注いで、差し出した。

「ありが、ありがとう」
「今日も行ってきたの?」
「うん!あ、そうそう、にもお土産買ってきたよ!」

 そうしてゴソゴソと出すのはガシャポン。

「マニュマニュ、まだ出ないの?」
「ぐっ」坂道は悔しそうな表情をした。「明日!明日はきっと出るよ!」

 総北高校に入ってから坂道はほとんど毎日秋葉原に向かっていた。中学までは日曜とか土曜日に行っていたけれど、高校に入って、自転車通学になってからずっと。私からしたらほとんど変わらないけれど、うちから向かうより、高校から秋葉原に向かう方がずっと近いという。
 そんなのでお金が足りるの?と聞いたことがあるけれど、見てるだけでも楽しいらしい。オタクは分からない。

「これ、もかわいいって言ってたよね」

 言ってたっけ。私は手元のガシャポンを見る。坂道が好きという『マニュマニュ』はゲームだ。最近アニメもやっていて、最熱しているらしい。座って出来るゲームも、ただ眺めているだけのアニメは坂道の付き合いでよく見ていたのだけれど、熱心に見ている坂道も面白いせいで、私はあんまりストーリーを覚えてない。かわいい、と言ってたらしいこの手のフィギュアはとりあえずマニュマニュではないことは分かるけれど、何をしていたキャラなのかは不明だ。

 そして私は坂道を転がして脚へと手を伸ばした。「マッサージ、する」

「いつもありがとう」

 坂道は笑った。きっと私はこの表情が好きなのだろう。本人には言ったことないけれど、私がこうしてマッサージしている時、アニメの話を聞いている時、ゲームを一緒やっている時、坂道は本当に嬉しそうな顔をする。
 自転車で運動した時、どこをマッサージした方がいいかなんて座って検索出来るものだから、すぐ分かったし、マッサージは動きまわるものでもない。それで坂道の為になるというのだから、プラスでしかないのだ。私と坂道は会話をあまりしない理由としては、それは私が聞き専になるからだ。

「……あ、でも勉強いいの?」
「ん。予習だし」
「よ、予習かあ……」

 坂道の成績は悪くはないが、良くもない。得意科目がないのだ。好きなことと言えばアニメ・ゲームだからそこから発展するものでもないし、そういう人は歴史が得意だから社会はどうだと教えてみたけれど、そういうのは範疇外だった。

「今はまだ中学の内容だけど、中間近くなったら高校の問題になるしね」
「そうだね、そうだよね……」

 テスト期間中は自分に『終わるまで趣味禁止!』としているらしく、坂道的にはテストの結果というよりもその期間の方が恐怖なのだろう。4月だし、中間はまだ先だが、その期間に馳せ、ため息を吐いた。
 起き上げて肩のマッサージを始めると、台所から「ご飯よー」という母の声が聞こえた。ここの所毎日秋葉原に通っている坂道の体はまだガチガチではあったが、天の声を聞いてしまっては中断せざるを得ない。

「はーい。もう大丈夫?」
「うん!………えっ!?」

 テーブルの上に上がる私のノートを見、坂道は固まった。「姫野湖鳥だーー!!!」

 ああ、そういえば、ちょっと暇だったから落書きを描いてしまったのだっけ。先ほどまでのろのろ動いていた人はどこに行ったんだといった位素早い速度で坂道は私のノートを持ち上げた。姫野湖鳥というのは今やっているアニメのヒロインで、恐らく坂道が今一番好きな女の子だろう。二次元だけど。というか坂道はびっくりする程女子と喋らない。自分から話しかけに行くタイプではないので、「悪いやつじゃないんだけど」と評価される系男子なのだ。
 坂道はオタクだけど生産性のあるオタクじゃない。ただひたすら収集する。手先が異常に不器用な訳じゃないので、自分でも描いてみたらと勧めたこともあるのだが、思うように描けなくて駄目だと言っていた。それでか私が絵を描いているとよくリクエストをされたもので、小学の時はそうした遊びをよくしていた。ただ、こういう事が趣味、だというのがマイノリティだと周りが囁き始めた頃から、坂道は私に必要以上に絵を描いてくれと言わなくなってきた気がする。

「最近こういうの描いてなかったからもう絵はやめたのかと思ってたんだけど……!ね、これ貰っていい!?ってノートか……写メ!写メいい!?待ち受けいい!?」
「……それは恥ずかしいからNGかな……」

 別にノート提出するような事があっても、ページ一枚くらい欠けてても何も言われないと思うんだけどなあ。と、私は母にハサミの場所を聞いた。

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