メリーゴーラウンドは
夢路を進む

02

 頭良いと思われる事は必ずしも良いことがある訳でもない。私は手元にある大量のプリントを眺めながらそう思った。西中の時に学年一位になることはたまにしかなかったのだが、ここでの入試試験は私が一位だったらしい。合格発表から少し後に連絡が来た。入学式で少し喋ることになるから、台本を考えて連絡をしてくれと。いわゆる新入生代表というやつだ。家族は喜んでたけど、最悪のスタートだと思った。わざわざ考えなきゃいけないし、動かなきゃいけないし。
 そのせいで、きっと新入生のほとんどはクラスの隣の子の名前を覚えるよりも先に私の名前と顔を覚えてただろう。それが同じクラスならば尚の事で、入学式から一年三組へ戻ると視線を感じた。あの子が学年トップだったんだって、とヒソヒソ。ただ一般試験で一位だけだった話だというのに、もしかしたら推薦組の方がもっともっと頭良いかもしれないのに、私はまるで檻に入った動物だった。

 ちょっと一位を取ってしまったばかりに学級委員という名の雑用係は私になってしまったのだ。真っ先にそういったリーダー事をやりたがるような層がこのクラスに居なかったのも敗因か。とりあえず何にせよの進行係を決める事になった時、担任とクラスの一部からの厚い指示を得てしまってはさすがに断りづらかった。

 この目の前にあるのはクラス分の進路希望調査書。二年の時に理系に進むか、文系に進むか。みたいな。ただ実際にこれの提出期限というものは昨日らしく、担任の伝達ミスが原因だった。枚数を数えていると一枚足りない事に気付く。さっさと出しにいって、出しそびれた人には自分で出せと言いたいが、全部持っていく方が効率的だし、嫌味じゃないだろう。さすがに。
 今の席が出席番号順だったりすればすぐに誰か分かるのだけど、と私はもう一度数えなおそうとしていると、一枚、紙が目の前に現れた。

「悪い、遅れた」

 いつもよく見る大きな壁だった。今泉君、だったか。今私が座っているからこそ彼のデカさを更に感じた。

 プリントを受け取ると彼は椅子に座った。しかしまだ何かあるのか、私の顔をじっと見ていた、ので私も見返した。特に意味はないが、パッと視線を逸らすよりはこちらの方がいいのかなと思ったのだ。
 今泉君は早くも女子ファンが沸き立つほど端正な顔をしている。切れ目で、それでいてクールだから積み上げたイメージを崩されることもない。暫く見ていると今泉君の方から目を外して、言いづらそうに「あー……」と、悩むような声を出した。

「……小野田、だよな」
「うん。小野田です」
「お前って兄弟いるのか」

 突然の質問に私はポカンとしたのだが、それが表情に出ることはなく、むしろ不審がった顔に見えてしまったのか、今泉君は「いや、なんでもない」と口早に言った。ああ、やはり私の顔は怖いのか。今泉君は申し訳無さそうな顔をしている。しかしソレに対して私が悪いな、と思うよりも先に彼の意外性に驚いていた。
 私の中の今泉俊輔という人間はもっとクールで、極端に言えば人の事なんか考えてないような人だと思っていた。だけどこうしてちゃんと人の表情を伺うし、口調は丁寧という訳ではないが、根は優しい人なのだろう。

「いや、たまたま他の小野田って奴と会ったから」
「いるよ」
「お前たち似てはないけど……は?」
「いるよ。隣のクラスにお兄ちゃん」

 素直に言ったものの、今泉君は訝しげな表情をした。それを見ながら私はプリントの整理をする。とりあえず出席番号順に直さなければならない。座って出来る事だからまあ許そう。

「……そいつ、自転車に乗るのか」
「自転車通学だけど」
「後輪に変なシールついてる奴だよな」
「変な……奴かは分かんないけどついてるよ」こういう奴、と、机に絵を描いた。
「ああ……」

 これから何か変化するわけじゃないけれど、今泉君はまじまじと見ていた。

 しかしまあ、正直言うと坂道と今泉君との接点が見つからなかった。意味が分からない為に要領の得ない質問に感じたし、どんなに考えても二人が話している姿が想像出来ない。今泉君の趣味は分からないけれど、坂道はオタクだ。坂道からはきっと滅多なことがない限り話しかけないだろうし、今泉君だってそんなフレンドリーな方には思えない。二人共悪い人ではないんだけどなタイプだ。意味合いは180度違うだろうけど。

「なんで」私は顔を上げた。「なんで、シール?今泉君、痛車にでも興味あるの?」
「……『イタ』車?違ぇよ。オレはロードレーサーに乗ってるだけだ」
「早い自転車?」
「………そんな感じだ。この学校には自転車競技部があるだろ」

 いまいち会話が成り立ってない気もするけれど、今泉君は丁寧に説明してくれた。「裏門坂をお前の兄貴が登っているのを見たんだ。だけどあの坂は斜度的にママチャリで簡単に登れるものじゃない」

「お兄ちゃんは乗り慣れてるから」
「……小野田は自転車乗るのか?」
「乗らないよ。随分昔に乗った記憶しかないや」

 パッとすぐに思い出せない程昔かもしれない。小学生の時か。家の前が長い長い坂だったから、行きは良くても地獄のような帰りは、面倒くさがりの私にとって最悪だった。
 自分で漕いでないけど乗った、なら最近坂道の後ろに乗せて貰ったっけ。体育がダメダメな坂道だけど、脚の力だけはあるようでスイスイ進んでいったのだけど、荷台にスカートで座るというのはパンチラ問題とかそういうのよりも、アルミにお尻が食い込むようでかなり痛かった。さすがにその辺を赤裸々に話すことは出来なかったので、フラフラしている事について坂道には濁して説明したんだけどきっともう坂道の後ろに乗ることはないだろう。

「じゃあ分からないかもな」
「でも」私はどこかムッとしていたのかもしれない。「お兄ちゃんは毎週いっぱい走ってるよ」
「……毎週、ね」

 どこかまだ納得していないような表情で今泉君は呟いた。

「それでも小野田は、……兄貴の方な」
「……名前で呼べばいいんじゃないのかな」

 私もちょっと分かりづらい、と心の中で付け足す。小学生の時は皆何も抵抗もなく下の名前で呼ぶけれど中学入学くらいから苗字で呼ばなきゃいけないっていう風潮が生まれてきた。それに反発する気はないけれど、同姓の場合は少し困る。呼ぶ人によっては小野田君と小野田さん、で使い分ける人もいたんだけれど、わざわざそう呼んでくれというのも厚かましい。

 今泉君と坂道は顔見知りのようだからそっちを呼べばいいんじゃないか、と勧めてみると今泉君はすんなりと「分かった」と言った。

「それで、」と聞こうとしたのだが、チャイムが鳴り、先生が入ってきたので皆バタバタと座り始めた。少し先が気になったけれど、私と今泉君はそこまで仲いいわけじゃないし、授業中に手紙のやり取りするもんでもない。何だかんだ初めてクラスメートと会話っぽい事をしたけれど、これまでか、と私は冷静に思った。

「ああ、まだあとで、

 モテる男ってこういう事か、と、先生の声を聞いているつもりで、私は机と睨めっこを開始した。

  *
 何だかんだ授業を終えると話していた事なんて忘れていて、思い出したのは放課後の事だった。バス停に向かう足がフと止まってしまったのだが、そんな大きな話でもないし、聞いて来たのは今泉君の方だからもし何かあったら向こうからアクションがあるだろう、と私は足を進めた。

「おーー!学年トップやん!」

 その声を聞こえた後に背中に痛みを感じた。真っ赤なソレはまるで竹馬の友に挨拶するように、言ってしまえば馴れ馴れしく私の背中を叩いたのだ。

「入学式のアレ、ごっつ目立ってて良かったで!ただもうちーっと声張ってわぁーっと笑ってドーンッといかな駄目やな!」
「……そ、う」
「おお、すまんすまん。ワイは鳴子章吉!六組や」

 てっきり何か接点のあるのかと思ったけれど、三組と六組じゃ全然遠いし、向こうから挨拶してくれたということは完全に初対面なのだろう。鳴子君は坂道と同じくらいの身長していた。ただインパクトのある真っ赤な赤髪だからか、まるで空を照らす太陽のように大きく感じた。

「で、本題なんやけど」鳴子君の話はまだ続くらしい。「ここの場所分かるか?学園上総駅近くらしいんやけど」と、出すのは雑誌に乗った地図で、確かに上総駅から徒歩10分とは書いてあった。

「昨日な、チャレンジしてみたんやけど辿り着けんからそのまま帰るしかなくてな」
「私、駅周辺詳しくないよ」
「ええー!嘘やん!頭ええんやろ?地図をチラッと見たらズバーッと分かるもんやろ!」

 ほら、と、どれ程私を過信してくれるのか分からないけれど、鳴子君は私に地図をぐいぐいと押しやった。仕方なしにその図をじっくりと見たけれど、確かにこの地図は簡易版のようで、知っている人でなければ辿り着けるか危ういだろう。「あっちの方かなあ」とボソリと呟いてみたけれど、合っているどうか確信は出来なかった。

「おお、さすが!」
「いや、多分だよ。東口を真っ直ぐ歩いてるとコンビニがあると思うんだけど、そこを」
「丁度駅行くんやろ?案内したって!」

 そりゃ、多くの学生は学園上総駅を使っている。使わないと言えば完全に自転車通学をしている坂道とか、近場の人とか。
 面倒な事に巻き込まれたなあと、私は腕時計を確認した。

「予定あんのか?」
「次のバスの時間まで少しあるなって」
「バス?チャリンコでええやろ」
「……私ないよ」
「後ろに乗っけたるから、待っててな!」

 そういうと鳴子君は足早に駐輪場の方へ消えていった。よくわからないけれど、駅までついでに送ってくれるという事なのだろうけれど、二人乗りはこの前苦い思いをしたばかりだ。案内するのは100歩譲っていいけれど、そこの所はどう説明しようか、と考えていると、ママチャリのベルを鳴らしながら鳴子君は再登場した。

「うし!えーと、小野田さん、やったな。立ち乗り出来るか?」
「え」
「なーに、難しい事ないで。ココとココに足をかけるだけや」

 自慢ではないが、私は運動はからっきし駄目だ。それなのにまるで簡単に鳴子君は、さも当然のように立てと言うのでフリーズしてしまった。ココとココ、と、指さされた場所を見るけれど、どう見ても足をかけるスペースじゃないし、これは、転ぶ!

「ほら、早よ」

 急かされるものの、心の準備というものは必要だ。この前の坂道の後ろに乗った時のように体にダメージが来ない(多分)と思うと気が楽だけど、立って乗るということは普段自転車乗るよりもずっと高いラインを見ることになるし、それも運転は自分じゃない。2人乗りは滅多なことがなければ転ぶのは珍しいと頭では分かってはいても、体や心は素直に動いてくれない。

「——分かった!」

 悩みすぎていたのか、鳴子君は大きな声を出した。まるでそれは救世主のような声でホッとしたのだけど、そういえば元々の原因はこの人が持ってきたのだった。
 定期を持っているのだから駅まで送って貰えばバス代が浮く訳でもないのだから、何分後かに駅集合にしよう。そうしよう。それを提案しよう。とりあえず、意を決して鳴子君の言葉を待つ。

「ええから、ワイを信じろ!身長がこんなんやから頼りなさそうに見えるかもしれんけど、自転車の技術は誰にも負ける気はしないで!」

 凄いものを押し付けられたんですけど。

「そう、そういうんじゃなくて」
「さあさあ、足かけてみ?正門くらいまで軽く走らせる」
「う、ううん……」

 半ば泣きそうになりながら私は自転車の前で深呼吸をする。きっと、もしかしたらきっと、私の表情がもっと分かりやすいつくりをしていたら鳴子君は遠慮をしてくれたのだろうか。そう思うと、やっぱりこの面倒くさがりな性格こそ、面倒くさいものを作り出している気がした。

「よい…しょ……」
「乗ったな!ワイの肩をよっく掴んどきな!」

 やっぱり高い景色だ。単純に言えば何十センチか高くなっているだけなんだけど、それだけじゃなくて、スピードもあるからもっともっと凄い所、まるで飛んでいるかのような感覚。
 自転車には慣れているだの言っていた鳴子君の話は本当だったようで、二人乗りだというのにどこか安定感を覚えながら問題なく正門を超えた。超えた。

「え!?せ、正門、超えたよ」
「カッカッカ!一旦降りたらこのスピードが勿体無いやん!怖くなったら言ってなー!」

 さっきそこまでと言ったのに!と泣きたくなったものの、今鳴子君に危害に加えたら私まで落ちてしまう。しょうがなく私は黙って鳴子君の肩を掴んだ。きっと自転車は普通はこのくらいのスピードなのだろうけれど、とんでもなく早く感じた。正門から駅まで5,6キロあるが、山の上にある学校なのでこの帰りはそこまで遠く感じないだろう。坂道と帰った時もこの道を使ったが、緩やかな勾配とはいえ、二人乗りで下りは凄いスピードが出た。

 腕時計を再び確認する。今はまだ4時だが、ゆるりと日が暮れてきたようだ。

「ワイはな」鳴子君は前を向いたまま言う。「この4月に関西から引っ越してきたんや。親の転勤でな」
「……本当に来たばかりなんだ」
「そうやで!だから周り皆知らん人で、勿論それも面白くてええけど」
「うん」
「まだまだ人の名前は覚えられてへんけどその中で偶然覚えてた小野田さんがこんなええ人で良かったわ!」

 勢いに押されて忘れてしまいそうだったけれど、そういえば鳴子君に一番最初に話しかけられた時には確かに入学式の話から入ったのだったっけか。私としては悪い事だと思っていたけれど、こうして言ってもらえるとは、少しそこら辺の判断基準を変えなければならないかもしれない。

「……初めて言われたよ、そんな事」

 ほとんど言うつもりのない言葉が飛び出た。聞こえないだろうな、と思ったけれど、後ろからの声は簡単に鳴子君の耳に入ったようで、また鳴子君は大きく笑った。

「ンな事ないやろ!だってもし小野田さんが冷たい東京モンなら」彼の声はとても大きい。後ろにいる私に聞こえるように言ってくれているのもあるだろうけれど、元々も大きいのだ。「苦手な立ち乗りしてまで付きおうてくれんやろ?」「泣きそうになっても、乗ってくれた!」

「………わ、分かってたんならどうして止めてくれなかったの?!」
「カッカッカ!」

 珍しくこの顔は赤面しているのだろうか。熱く感じた。どうやらこの鳴子章吉という人間は自分のペースに持ってくるのが上手いらしい。何が何でも我を通すというか、それでいて無邪気だからこそ対処に困る。私の表情筋はもうちょっと休業していいんだから、と無意味にも言い聞かせた。

「ワイな、本当はロードレーサーに乗ってるんやけど、今日はママチャリで良かったわ」
「向こうの家から届いてないの?」
「せや。明日届く!ロードが届いたらアキバへ行く計画してんねん」
「……秋葉原?なんで?」
「弟達にガンプラ買うてこいって頼まれてなーアキバやったら何でも揃ってるんやろ?」

 坂道じゃないから私は品揃えは分からないのだけど、もしかしたらこっち限定商品でもあるのかもしれない。「そうかもね」と適当に相槌を打った。

「小野田さんも行くか!?アキバ!」
「いや……遠慮しようかな……」
「なんでや!そこは行く流れやろ!——んじゃ5月!予定空けといてな!」

 ……きっと明日になったら鳴子君が忘れてますように。

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