メリーゴーラウンドは
夢路を進む

04

 これは駄目だなと直感した。見渡すばかりの人混みで購買のおばさんの声は聞こえるだけで姿は見えない。私の様に遠巻きに見ている人たちも、今か今かと飛び出すタイミングを見計らっている。というか、先ほどから押しやられて押しやられて、反対側の廊下に背中をつけている現状である。さっき私の目の前にいたはずの人がいつの間にかパンを持って帰ろうとしていた。そういう積極性がなければこの世界は生きていけないようである。ああ、無理だ。せめて自販機で飲み物を買って、諦めて帰るべきだろう。今日はそんな日だったのだ。

 駅内の自販のようにお菓子があるやつがあればいいのになあと、私は踵を返そうとしたのだが、足元にポテッと何かが落ちてきた。パンダ。違う、パンだ。ちゃんと袋に入った、そのまま店先に並んでいそうな菓子パンが私の足元に転がっていた。私の知らない内にパンを買うシステムというものは変わったのか?と困惑したが、冷静に考えて見ればこれは誰かが投げたものが誤ってこちらに飛んできたのだろう。持ち上げて辺りを見回していると、誰かがこちらを向いていた。

「ごめん!当たったかな」

 パーマをかけた黒髪の男の人は私と手に持つパンを見比べた。

「ごめんね、ちょっと人が多かったから投げて渡しちゃってて」そう言う黒髪の人の後ろから、今度は金髪の男の人が顔を出す。
「わ、悪い……」

 どうやらパン自体を投げたのはこちらの人らしく、両手から溢れんばかりのパンを持っていた。片や黒髪の人も何だかんだパンを持っているし、なるほど、こういうチームプレイも必要なのだろうか。ますますこの購買で物が買える気がしなくなってきた。

「いえ……」ふと足元を見ると、二人共1つ上の、2学年の上履きを履いている事に気付いた。「当たってないので」というか当たったとしてもパンダ。パンだ。この程度の距離ではさほど痛いものでもない。
「そっか。……君は買わないの?」
「……買えないって感じですかね」
「アハハ!そりゃそうだ。オレも一年の時はこの混みにビビったよ」黒髪の先輩は隣の人へ笑いかける「なあ、青八木」

 金髪の人、青八木先輩は黙って頷いた。黒髪の先輩と比べて無言が続いている彼だけれど、どうやらそれは私と初対面だとかそういうのではなく、元々のようだ。社交的なこの先輩はよく分かっているのだろう。

「……ないなら、それ、やる」と、青八木先輩は私の手にあるパンを指した。
「え」
「おお、それにはオレも賛成。だけど、落としたパンを渡すのはちょっと紳士的じゃないぜ」
「あ、ごめん…。じゃあこれ」

 と、手に持っていたものから適当に取り出したが、私は受け取らずに先ほど拾った方のパンをずっと持っていた。早くこちらを返してしまいたいのだが、返してしまってはソレと交換、つまりは譲ってもらう事に承諾となってしまう。それは凄く申し訳ない。あの混みだというのにこの量を買ったのはそれなりの理由はあるだろうし、ただお腹がすいているから多く買っただけだとしても、ここでは買った者勝ちだ。

「そのパンの方がいい、って訳ではないか」黒髪の先輩は少しだけ苦く笑った。「どっちかっていうと遠慮されるより貰ってくれた方がオレ達としてはありがたいんだけども」
「……好き嫌いあるか?」
「えっと………、ないです、けど……」

 これは、これは、と多分色んな意味で私と同じニオイのする青八木先輩は不器用にも他のパンをあげてくれるけれど、私は未だ決められずにいたし、若干貰いづらい雰囲気にもなりつつあった。

「まあ君からすれば突然パンを持って迫ってくる不審者って感じになってるよね」
「そういう訳では……」多分先輩なりのジョークだったものの、私は愛想笑いも浮かべられなかった。
「……名前言ってなかったから尚更だな。オレは2年の青八木」
「ああ、なるほど。オレも2年、手嶋だ。君は?」
「…1年の小野田です」
「じゃあ小野田さん、入学おめでとう!ってことで」

 そういうと黒髪の人、手嶋先輩は私の手にあったパンと自身達が持っていたものを交換した。ぶんどられたとか、そういうのじゃないけれど、その行動が早かったから、私が次に意識出来たのはもうすでにパンを2つ渡されたところだった。——増えている!

「あ、の、お金……」

 パンと共に持っていた財布を開けようとしたところで、また新たな声が聞こえた。

「……お前達何してんの。完全に相手困ってるっショ」
「巻島さん?どうしたんですか」
「ただ通っただけっショ。部室で飯食おうと思ってな」
「あ、ミーティングってもう始まる時間か」

 今来た人は巻島先輩というらしく、二人がそう呼んでいるということは上履きを確認するまでもなく、3年生なのだろう。話している内容からすると、同じ委員会か、同じ部活か。緑の長い髪が印象的で、そういえばいつだったか見た記憶があるかもしれない。和気あいあいと話す三人とは完全にアウェイになってしまった、とオロオロしていると、巻島先輩と目があった。が、向こうから何か、という事はなく、フと視線は逸らされた。

「あー、その、この子、購買初めてで何も買えてなかったんですよ」
「……はい。あとパンぶつけたんで」
「後半おかしいだろ。……まあ離れて見てたし大体分かった」

 そう言うと、彼はもう一度私を見た。手に持っているレジ袋から物を一つ取り出すと、私の目の前に持ってきた。コンビニとか、スーパーでよく見るやつだ。

「甘いものは好きか?」
「……はい」
「プリンっショ」
「…………はい」
「………」

 確かに目の前にあるのは紛れも無くプリンな訳なのだが。これがどうしたんだろう。特に浮かびもしないし、もしかして手品でもしてくれるのかとじっと待ったものの何もない。見上げると巻島先輩は苦い顔をしていたので、とりあえずそれをただ眺めていると、隣にいた青八木先輩が口元を抑えて笑った。それにつられるように手嶋先輩も笑い出したのだが、今この現状もよく分かってない私にとって謎が増える一方だった。

「小野田さん、貰ってあげて。この優しい先輩がくれるって」手嶋先輩は肩を震わせて、途切れ途切れだった。
「笑いながら言うんじゃねーっショ!ほら、スプーンも持っていけ!」
「……オレ達ダメダメですね」

 押されるがまま受け取ったのだが、これでは両手がいっぱいになってしまって、財布が開けない事にすぐさま気付いた、のだが、財布をどうにかするより先に、3人の先輩はもうここを去るのか、「じゃ」と手嶋先輩が言うと同時に歩き出してしまった。

「あのっ……」

 もう購買には人がいなくなっていたので、意外と響いた。絞り出した声に先輩方はこちらを見た。

「あ、ありがとうございました」

 思いっ切り頭を下げたので3人は一体どんな反応をしたのか分からなかったが、なんとなく、笑ってくれているような気がした。暫くして、顔をあげて、ようやく礼を言うことばかりに頭をとられてお金を払い忘れていることを思い出した。

  *
「大漁だな」

 クラスに戻ってきた私を出迎えてくれたのは今泉君のそんな一言だった。昼休みが始まってもう10分経っていたけれど、今泉君の机の上にはまだ弁当のセットが置いてあった。片付けられてはいたけれど、その周りには先ほどまで見てなかった惣菜のパンが2つ程ある。

「うちの学校の購買部は売り切れまくっているって聞いてたが」
「うん、しかも近づけなかったよ」
「……どうやって買ったんだよ」
「……貰っちゃった」今泉君が一つ目のパンを開けると同時に、私も一つ目を開けた。「この学校の人って優しいね」
「大方、お前が後ろでモタモタしていたから憐れまれたんだろ」

 わりと近いところをついてきたので、私は何も言い返せなかった。言い返すとすれば、モタモタしてたというよりは後ろで諦めていたというか、でもそれは私がちょっと、そうほんのちょっとモタモタしていたからで、あれ、じゃああってるのかな。
 先輩二人から渡されたパンはメロンパンとツナパンで、ふかふかとして美味しい。もし混んでなかったら毎日買いたいと思えた。美味しいものを食べるのは難しいことである。

「今泉君って結構食べるんだね。お弁当とそれだよね」
「運動しているからな」
「……自転車レースってマラソンみたいな感じ?」
「走るコースも似ているし、大体そうだな。ただ途中に物を食ってもいいし、ボトルを積んでいるから水分補給も出来る」
「でも食べるの?」
「……例えば死ぬほど疲れたとして、その時に何か食いたいと思うか?」
「ああ、なるほど」

 食べられる時に食べておくという事だろうか。凄いお腹がすいていたとしても、それほど疲れていると思っている時だったら食べても吐いてしまうかもしれない。想像より過酷な競技なのだなと思っていると、そういえばさっきもらったアドレスを思い出した。
 クラスを目だけで見回してみたけれど、彼女たちはいない。見られていてもちょっと気恥ずかしいし、向こうも向こうで気が気じゃないだろう。渡すなら今かなと、私はメアドの書いてあるメモを取り出した。

「あのさ」
「何だよ、コレ」パンを持っていない方の手で今泉君はそれを受け取った。「……のか?」

 ああ、そういえばこの人は名前で呼んでくれていたんだ、と一瞬フリーズした。下の名前で呼ばれるむず痒さはなかなか慣れない。

「違う。同じクラスの子の、渡してって言われた」
「……」
「………前に渡そうとしていたんだけど、って言ってた」

 どうしよう。やっぱり私が配達は完全に人選ミスだ。

 違う、と言ってからはもう今泉君はメモを置いてしまったし、ただそれを眺めているだけで何かなければ一度取ろうとはしないだろう。ただ黙々とパンを食べるものだから、私もそれに続いてしまう。何かいいセールスポイントはないかと探すけれど、まず私があの子のことを全く知らないのでどうしようもないし、ここで上手に嘘を並べられるほどの話術もない。

「……オレが知った所でメールはしないぞ。送られて来ても返事するか分からない」
「………それ分かる」
「じゃあ何で貰ってきてんだよ。とりあえずこれはオレから返す」
「え、今泉君が?」
「お前だって無理に渡されたんだろ。とりあえずオレは受け取ったんだからいいだろコレで」
「無理、って訳じゃないかなあ……」

 私から言ったというのはある。私が返せっていうのならもうちょっと粘りたかったけれど、何となく事が済んでしまったような気がして肩の荷が降りた。が、アドレスを知りたかった相手から直接メモを返されて、それだけだなんてどれ程ショックなのだろう。そんな事やったことないから分からないけれど、あの子のあの表情を思い出すと、胸がキュっとなった。

「——で、でもさ」気がついたら私は声を出していた。「クラスとのパイプは繋いでおくべきじゃないかな。ほら、休講の時とか、クラス会とか……」

 休講だったら学校からの連絡網があるし、そんな仲のクラス会など参加したくないだろう。こんな適当なことしか浮かばない自分に悲しくなるけれど、今泉君は少し思いとどまってくれたのか、メモを拾った。

「……オレから後で向こうのアドレスを聞く、でいいか」
「えっと、メールすればいいんじゃないのかな」
「一度でもしたら負けな気がする」

 一体何が何にか分からないが、今泉ルールがあるのだろう。
 ともあれ、これで全て解決だ。今泉君的に納得いった答えになったのかはわからないし、私がこんなんだから譲歩に譲歩をしてくれたんだろうけれど、私としては大満足な結果だった。

「今泉君、クラスの子のアドレスゲットだね」
「どうせお前はゼロなんだろ」
「あはは……」

 友達がいないのだから当然だ。そういえばこんな事を先ほども話した気がする。とはいえまだ4月。まだいけるだろう。中学の時は同じ小学校の子がいたからなんやかんや中1の4月はなんとかなっていたから、まだこの場は未知数ではあるけれど、何も問題行動を起こしていないだし、まだこれからだ。メアド渡してくれって言ってくれた子達はもう3人で固まってたけど、これからだ。

 先の事を気にしても仕方ないのだとプリンを開けていると、今泉君はケータイを取り出していた。

「メール送るの?」
「送らないって言っただろ」

 それはそうだけど。
 何やらいじっているようだが、今泉君がこうしてケータイをいじっているのをあまり見てはなかったのでなかなか新鮮な様子だ。彼の今までなんて知らないけれど、他校の人からこういう時間にメールとか電話とか来る事はきっとそんなにないのだろう、と勝手に予想していたのにまさかである。

「……自分のアドレスってどこで開くんだ」今泉君はボソッと言った。
「メニューでここ押すんだよ」

 ああ、そこを覚えてなかったのか、と納得していたのだが、今泉君はチラとこっちを見た。

、ケータイ出せ」
「………何で?」
「クラスのパイプはいいのか?」

 どうやらそれなりのブーメランだったようである。

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