メリーゴーラウンドは
夢路を進む

05

 ともあれ、こうしてわたしのケータイには今泉君の番号が登録されたのは昨日の話だ。総北高に入学して初の新規登録である。これでもしメールアドレスにLOVEとかFOREVERとかあったら、今泉君を見る目が変わったかもしれないけれど、びっくりするくらい普通だった。ケチつける訳じゃないけれど、彼は本当に平凡だ。

 あと一ヶ月くらいこんなイベントなんてないだろうと諦めてはいたから、不思議な気持ちだ。嬉しいとかそういう感情より、ただレアだなと思ってしまうとはさすがに本人には言えない。これから3年間、業務連絡的なもの以外でこれを使う機会があるとは考えにくいけど、これで今年いっぱいはクラス会でハブられることはないだろう。
……なんだか少し虚しくなった。

 しかしまあ、先の見えない高校生活だったが、意外とこれは好調じゃないのかと考えながら下駄箱についたのだが、慌ただしく走る音が聞こえた。女の子らしい長い茶色の髪が揺れている。何かを探しているらしく、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していた。

「あ!小野田さん!ごめんね、今時間あるかな?」

 その子はわたしと目が合うと、迷いなく近づいてきた。一瞬、わたしじゃない他の人かと思ったけれど、彼女の進路方向にはわたししかいないし、というか、すでに名前を呼ばれているのでわたし以外にいなかった。

 名前を知っているということは同じクラスだろうか?いや、でもこんな子はいなかったはずだ、が、こんな親しげに話しかけてくるには今まで何か接点があったのだろうか。入学式で目立ってしまったせいで1年生の間では多少なりとも私の名前が勝手に歩きまわっているだろうけれど、この前の鳴子君のようにそれで知ったという雰囲気でもなさそうだ。ただ黙っていたのをその子は肯定と捉えたのか、続ける。

「このあたりに自転車競技部って書いてあった空カゴなかったかな?ずっと探しているんだけど…」
「……自転車競技部?」
「うん、私そこのマネージャーしてるんだ!」

 やはりどこかおかしい。こうして基本情報を向こうから教えてくれるということは、わたしはこの子を知らないはずだ。そう確信はしたものの、どう聞き出すか悩んでいると、女の子はハッとした顔をした。

「私、自己紹介してなかった!」
「う、うん……そうだよね……」
「ごめんね~…べらべら喋っちゃって…。私は寒咲幹、五組なの」
「わたしは、」
「あ、小野田さんでしょ?九十九里西中出身で三組二番の!入学式では一般入試トップの成績から新入生代表としてスピーチしてたから皆知ってる有名人だよね!で、四組の小野田坂道君はお兄さんで――」

 こ、この人は刑事かもしれない。完全に気圧されて何も言えない目の前で、ペラペラと私のプロフィールを喋る寒咲さんからは一つも悪気は感じられないので、まあ、そういう癖があるのだろう。ちょっと変な所もあるけれどなんとなく許してしまいそうになるのは寒咲さんはスタイルが良いし、可愛い顔をしているおかげだろうか。そういえば私の前の席の人もこういう属性である。中身は真逆だけども。

「それで、そう、小野田君!凄いよね!ここから秋葉原まで自転車で行っちゃうんでしょう!?」

 区切った事で話が終わったと思ったのだが、そうでもなかった。というか、え、坂道の話?

「そ、うだよ……?でも家からの方が遠いから……」
「本当!?だからあんなに慣れてたんだね!」
「寒咲さんは……」
「あ、幹でいいよ!それで、良かったらちゃんって呼んでいいかな?」

 目をキラキラさせながら聞いてくるのは反則だ。わたしは曖昧に頷くと、ますます彼女はまたパッと笑った。今のわたしはどちらかと言うまでもなく照れている表情をしているつもりなのだが、ただ困っている顔をしているだけに見えていないか不安になったが、寒咲さ――幹の反応から想像するにきっと大丈夫だろうと思い直した。幹は相変わらず真ん丸な目を輝かせていた。

ちゃんはもう帰るの?」
「うん。……特に用事もないし」
「そっかー。っと、時間がやばい!じゃあまたね、ちゃん!」

 あれ、カゴはいいのか、と聞く前に幹は靴を履いて走りだした。部室の方へ向かっているのだろうか。探しているみたいだったし、ここにはなかったのだろう。わたしも少しくらい探そうかと思ったけれど、ヒントが少なくて分からない。自転車競技部って書いてあるといっても、小さくかもしれないし。

 上から二番目の下駄箱からローファを取り出すと、フと上に目が行った。普段は何も置かれていない靴箱の上。買い物カゴのような緑色のカゴがあった。いや、いや、まさか。こんな簡単な所にあるはずがない。無駄に歩くこととかもわたしは好きではないんだから。

 恐る恐るカゴに手を伸ばすと、その小さな希望は打ち砕かれた。

  *
 こんな校内で迷うなんてベタなことはさすがになかった。部室棟というものは纏まっているし、ご丁寧に案内まで立っている。だが、このドアの向こうに幹がいる保証はないし、名前は書いてあるのだからこのドアの前に置き去りにしたって最悪いいだろうが、そのまま帰るというのは何だかモヤモヤする。かといって、置いて、直ぐ傍で隠れて見守っているというのも馬鹿らしい。

 ノックしようとした手を宙に漂わせながら、悶々と、一体何分ここにいたのだろう。運動部なのだから、こんな部室でずっと待機していることもないだろうし、思えばあまり声が聞こえない。わたしはずっと誰もいない部室前で固まっていたのだろうか、と振り返ると、人と目があった。

 その顔は今のわたしと同様にどうすればいいか悩んでいた顔のようで、どこかで見た、ような。

「ああ、昼の……」

 この長い緑の髪は昼に見たんだ。確か、巻島先輩だったか。向こうも覚えていたようで、ボソッと呟いた。

「あっ、プリン、ありがとうございました。お金を……」
「い、いや、いいっショ。オレが勝手にあげた奴だし」
「えっと……」
「……………」

 多分もしかしたら今わたしとこの人はシンクロしているかもしれない。この場にもう一人、上げるならばあの黒髪の手嶋先輩が来て下さることを願っているだろう。
 このコミュニケーションにはクッション材が必要だ。プリンを受け取るときにも多少なりとも感じたけれど、この人も、それからあの金髪の人もわたしと同じ。
 け、けれど、だ。
 だからといってこのままフェードアウト出来る訳でもないし、まず向こうが二学年も先輩なのだからどうにかするのは後輩の仕事だろう。面倒だのなんだの言えないし、結局お金は返せないみたいだから、借りはあるのだ。などと考えてはみるものの、わたしの中のコミュニケーション能力なんて皆無に等しく、どうしようもない空気が流れた。

「……自転車競技部に何か用か?」

 巻島先輩は静かに聞いた。

「はい、えっと、み……寒咲幹が……」
「寒咲?あー……」

 何か合点がいったのか、彼は語尾を伸ばした。幹はこのカゴを探していると色んな人に言いまわっていたのか。色々と想像することしか出来ないけれど、今はそれしかできないので仕方ないことである。

 そこでまた沈黙が始まった。なんというか、春は過ごしやすい気候で本当に良かったと思う。いつまで立っていても体温が奪われる事もない。まあやっぱり風が少し強いくらいで、他に問題はない。もうそろそろ桜は散ってしまうだろうが、まだまだ咲き誇っていて―――いや、そうじゃなくて。

「巻島、委員会は終わったのか」

 ふいに横の方から聞こえてきた声に、意識がようやく戻ってきた。目の前の先輩を見ると、少しだけ表情が明るくなった気がする。まるでそれは救世主を見るような目だった。

「っあァ、早く着替えるわ」
「いや、まだ皆アップの途中だ。―――で、君はどうしたんだ?一年生か?」
「寒咲の紹介らしいっショ」
「なるほど。それはありがたいな」

 サングラスをかけた先輩はどこか迫力があった。身長は勿論高かったけれど、それは巻島先輩だってそうだ。あと、毎日ビッグウォールだって見ている。その三人とも空気は違うけれどこの先輩からはどこか凄みを感じる。(今泉君も巻島先輩も凄みがないって訳じゃないんだけど。)着ているものは体育ジャージなんてものではなく、黄色を基調としたユニフォームで、胸の所に総北高校自転車競技部と書いてあった。その先輩と、巻島先輩がこうして話しているということは、彼もまた自転車競技部なのだろうか?世間は狭いものだ。
 わたしが何かを言う前に彼ら二人で何かを納得したような会話を終えてしまったので、わざわざ今から割って入る事が出来なくなった。とりあえず悪い事を言われているんじゃないし、二人は二人でまた別の会話を初めてしまったので、キリの良い所でカゴを渡して帰ろうと思った。

「選手の方の一年はどうだ?」
「今日、二人出してきた。元テニス部と野球部だ」
「ふーん……」
「共に各部活での実績はある、それに――」
「―――」

 もうこれカゴ置いていいかな。手持ち無沙汰になったので何かアイディアはないかと考えていると、近くから聞き覚えのある声が聞こえた。

「え!?小野田君とレースするの?!いつ?」
「……いつだっていいだろ」
「だってレースに必要なのは観客でしょ?」
「絶対来るな」

 幹と今泉君である。その二人の姿を見て、わたしはホッとした。この顔はもしかしたら先ほどの巻島先輩と同じかもしれない。彼らは手に様々な用具を持っていて、この部活で使う道具なのだと思った。というか、すっかり忘れていたがそういえば今泉君は自転車競技部だった。わたしが唯一知っている彼のプロフィールだというのに、抜けていたようだ。
 もしわたしが素直な性格であったのなら、喜びのあまり走って近づくとかしたかもしれないけれど、わたしだ。ただ普通にこちらに向かってくるであろう二人を待った。

 とはいえ、二人からしたらここにわたしがいることはイレギュラーな話ではあるので、互いに驚いたような顔をした。

「あれ、ちゃん?」
「何してるんだ、お前」
「……幹……カゴ……」
「カ……えっ!?嘘、どこにあった?」
「下駄箱の上に普通にありました」
「ええええー!私、探したのに!」
「ほら、だから言っただろ。絶対下駄箱だって」

 このカゴは何用かと思っていたけれど、二人が手持ちで道具を持っているということは、それの運搬用だったのだろう。幹が手を差し伸べてくれたのでカゴを渡したが、仲の良い二人の様子にわたしは一人ぽかんとしていた。確かに幹は明るいけれど、その話している相手があの今泉君だ。友達いないんじゃなかったかとわたしは首を傾げた。

「届けてくれたんだーありがとうね!」
「……ううん、近かったし」
「ってそれよりもさ!小野田君と今泉君が勝負するって知ってた?」
「……………何の?」
「自転車のだよ!」
「お前、本当に小野田と同じ思考なんだな……」

 何で、というように言われているが、そりゃいきなり勝負と言われても何か浮かばないのは仕方ないだろう。確かに今泉君は坂道を気にしているようだったけど、それでも不思議だ。ちょっとだけ心がざわつく。なんだろう、と胸を抑えるがよく分からなかった。というか、坂道は自転車が得意とかそういうのじゃなくて、ただの移動手段として使っている程度だ。それに自転車で勝負って、

「何をどうするの?自転車で借り物競争とか……?」
「どうしてそうなった。普通に速さを競うんだよ」
「ねーねー、だからいつやるの?来週?再来週?」
「……そんな遠くねぇよ。明後日だ」
「ふむ、明後日かあ……」
「誰にも言うなよ」
「うん!」

 どこか蚊帳の外だな、と二人を眺めていると幹がこちらを向いた。

「そっか、今泉君と同じクラスなんだっけ?私と今泉君って幼馴染なんだ!彼ってちょっと口下手だけど宜しくね」
「誰が口下手だ」
「……え、否定するの?」
……」

 そうか、幼馴染か。二人から似た雰囲気を感じると思っていたけれど、それには納得だった。いつからの仲からは分からないけれど高校まで一緒か、と考えたところで、自分の事を思い出して考えるのをやめた。「でも、」

「何でお兄ちゃんと勝負するの?今泉君とは……こう、ステージが違うんじゃないの?」
「……気になる要素は払い落とす必要がある」
「落とさなくていいけど、私は小野田君のペダリングが気になってるよ!秋葉原まで何分なんだろう…」

 幹は先ほどからずっと小野田君小野田君と言ってくれていたから、坂道初の女友達かと思っていたけれど、興味の矛先は自転車だけのようで、わたしは思わず苦笑した。わたしは自転車の事とか、坂道のスピードとか気にしたことはないけれど、これでもし活躍するような事があれば幹はもうちょっと坂道を見てくれるのだろうか?

 でも思えば坂道から幹の話を聞いたことがなかった。何かしら話したことはあるのだろうけれど、どれ程の仲なんて分からないけれど、わたしに話す必要がないくらい些細なことだったのか。まあ、わたしだって100%話しているつもりはないけれど、滅多にないこんな積極的な女の子からのアプローチ(というと語弊があるだろうが)があったのなら教えてくれたっていいのに。

「さて、そろそろ練習を再開する」
「はーい!ストップウォッチも持ってきました!」
「君は今日は見学か?」と聞いてきたのはサングラスの先輩だ。
「え、ちゃん居てもいいのですか?」
「?ああ、折角来てくれたんだしな」

 良かったね!というオーラを幹から感じるが、わたしは帰りたかったはずだというのに。カゴの中に用具を詰める幹を眺めつつ、取り出したストップウォッチを持つ係をしてはいるが、未だ納得はいっていない。いつ帰れるんだこれは。

「それ」巻島先輩は私の手に持つものを指した。「左で動き出して、右押せばリセットっショ」
「……あ、ありがとうございます」

 教えてもらったということに対して礼は言ってみたが、なんだろう、この違和感は。まるでわたしが残って当然のようなこの雰囲気。本日二度目の、やはりどこかおかしい。
 隣の今泉君を見ると彼もまたクエスチョンマークを浮かべてそうな表情をしていた。

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